懐かしい顔
「やれ打つな」
「蠅が手をする足をする」
ラビが最初の言葉を言った。
そして宿の主人が後の言葉を言った。
すると、ただの宿屋の地下がいつぞやのオスカーの店のように、淡い光を放つ怪しい不可思議なお店へと変わった。
壁の一部が縦の長方形に輝いているのも見える。
「なるほど。小林一茶のほうだったか。忘れてた。」
「ん?ご主人、来たことあるんです?」
「違う世界で。でも、周回プレイ中は来てなかったからなぁ。っていうかなんで合言葉が俳句なんだよ。」
その長方形の部分を押すと、からくり仕掛けの忍者屋敷のように、いや魔法の世界だから、壁が回転することなく、そのまま通り抜けられた。
そして、彼らは更に奥へと向かう。
ソフィアがいた修道院は回転式だったが、ここは魔王軍の技術で作られている。
いや、もしかすると修道院の壁も実は魔王軍の技術が……、いやこれは今考えても仕方のない考察だろうと、レイはそのまま暗闇を進む。
一応解説しておくと、修道院と魔族には深い繋がりがある。
当時から魔族は勇者の中での裏切り者を探していた。
だからこそ、人間レイがお尋ねものとなった。
その経緯があるのだが、すでにそれが実行された今は詳しく語る必要はないだろう。
それくらい、この世界の魔族と人間は深い関係を持っている。
◇
暗いトンネルを抜けると、トランペットのメロディーや歌が聞こえてきた。
そして如何にも、というモンスターや普通の人間が共に酒を飲みながら談笑している。
そしてサキュバスバニーの群れというか、ここの店員が笑顔で出迎えてくれた。
(だが、なるほど。ラビの方が可愛い。断然、可愛い。色違いとかいうレベルを超えて可愛い。魔力の差?いや、最初から?俺、当たりのトリケラビットを引いた?)
それにしても金の力は強いらしい。
こんな世界にも関わらず、ここにはあらゆる娯楽が詰まっている。
それに、ここだけは種族を越えて皆が楽しんでいる。
その証拠に、人型のモンスターがトリッキーなダンスを披露してくれている。
これはあれだ、伝説の『フライング土下座』というやつだ。
「旦那、今生の願いを聞いていただけやせんか?」
いや、ただのイーリだった。
「ちょっと、イーリ。もう三万も借金してるでしょ? って、でも、あれは結局返してもらったし……。ちょっとまさかあんた!」
なにやら目の前で夫婦漫才風な何かが始まった。
確かにリディアとの賭け事はごっこ遊びの延長だった。
お金を返してもらったというのは初耳だが、これはつまりそういうことだ。
(イーリ、こいつはガチのスロカスだ。多分この店にかなりの借金をして……)
だんだん頭が痛くなってきた。
(あー。もっと考えたいことが山ほどあるのに、こんなところで……)
「あぁ?なーに言ってんだよぉぉ。だーかーらー、クソ黄ばみコウモリって呼ばれんだよぉ」
と、ここで。
「クソ黄ばみコウモリ……、そんな呼ばれ方されてないっすけど……。これって」
「イチイチ煩ぇんだよ。クソ気張りコウモリがよぉ。そういうんじゃねぇんだよ。ギャンブルってのはなぁ、命を張るから血が煮えたぎるんじゃあねぇか。人生ってのぁ、倍プッシュ、倍プッシュ、倍プッシュの連続だろうがぁぁ。なぁ、ディーラーのネェちゃん。」
「それ、俺っちがずっとやってることっす——」
「まぁ、聞けって。イーリは俺の子分だ。なら、俺様がどうにかしてやるってことだよ。俺様は優しいからなぁ。なぁ、ねぇちゃん。こいつの借金額、知ってるよなぁ。なら、俺様がそれをチャラになる分、ベットしようじゃあねぇか。」
「え⁉マジっすか!さすが旦那様ですぅ! 一生ついていくっすぅぅ‼」
(……って俺は何を言い始めてんだ?これ、犬歯が光ってる奴‼)
「ちょっと、ご主人!こんなことしている場合じゃないんでしょ?もっと深刻な顔されてまし……、って‼貴女、誰ですか?ご主人、犬歯は青く光ってますよ。っていうかぁぁぁぁ、ウチが見ていない一瞬で、どうして女が出来てるんですか!ウチは認めませんからね!」
「いいじゃない。新四天王の部下なら、もっと広ーい心を持ちなさいな。」
この香り、そしてこの声、この体の感触。
魔人レイは脇腹を刺激した、美しい女の美しい紫の髪軽く撫でた。
ここに居て、当然だ。
西の大陸で見つからないように生きていくなんて、デスモンドくらいしかありえない。
ただ、ここは約束した場所ではない。
だからレイは彼女に聞いた。
名前は分からないけど、知っている女性。
「オスカーのとこに行けって言ったろ?」
だからその辺りは確認しておく。
ただ、彼女がいてくれたことは本当に嬉しい。
けれど、それも含めてちゃんと考えないといけない。
「だ、だって……、あのすけべ親父、あたしを変な目で見るんだもん。ワットバーンがここで働けるようになったっていうから、あたしもここで働こっかなって……。あ、でも変なサービスはしてない。それは……約束する!だってあたしの体はレ——」
「エルちゃん、三番テーブル行ってくれるー?」
すると奥から、彼女を呼ぶ声。エル、彼女の新しい名前だろう。
ここは飲み屋でもあるらしい。お金持ちが集まっているのだ。それくらいは許されるだろう。
それに彼女の容姿なら、ここでも引っ張りだこに違いない。
そもそも、レイが悪い。
『オスカーの大人のおもちゃ屋さんに匿ってもらえ』
馬鹿なの?アホなの? オスカーには悪いが、完全に人選を間違えていた。
そこしか伝手がないから、仕方がなかったのだけれど。
「あ、私行かなきゃ……。えと……」
彼女は後ろ髪引かれるような顔で、彼を見つめた。
だから彼は答える。でもその答えも正しかったのか分からない。
でも事実は事実だ。だから事実を話す。
「アイザなら、たぶんもう大丈夫だよ。俺は魔族だから近くにはいれないけどな。」
何が魔族だから近づけないだ。
アイザも魔族だし、ゼノスだって魔族だ。
魔族が近づけないなんて理由は通用しない。
けれど、彼女はそれを気にした様子もなく、誰にも見えないようにレイの頬にキスをした。
そして、奥のテーブルに走って行った。
「プレイスユアベット、新顔のお客さん、賭けないの?」
そして、その言葉にレイは現実に引き戻された。
ルーレットが回っていることにも、今更ながら気がついた。
そんな彼は、豪快なレイモードのせいで観客がわいわいと集まっており、もはや後戻りができない状況に陥っていると悟る。
勿論、なしなしと言えば良いし、賭けなければ何の問題もない。
だが、レイは乾坤一擲、大博打に身を委ねることにした。
そしてラビの長い耳にヒソヒソと何かを呟いた。
その瞬間、レイの犬歯は青く光り輝く。
「賭けるに決まってるだろ。回ってる間は大丈夫なんだよなぁ。そこのサキュバスバニーのネェちゃん、俺様の全財産30万G、全てをチップに変えてくれ。」
その瞬間、大歓声が上がった。
これ、でもう後には引けない。
でもレイモードならば、鳥の囀りにしか聞こえない。
「ぜ、全財産? 構いませんが……」
「問題ねぇ。豪運のレイたぁ俺様のことだ。早くしねぇと締め切っちまうだろ?」
レイは知っている。
レイモンドは豪運キャラだ。だからこそ出来る芸当があるのだ。
勿論レイモードのせいで、こんな窮地に陥ったのだが、それはもう関係ない。
レイモンドにしか出来ない芸当を、皆にお披露目する良い機会だった。
あと、イーリの借金も少しだけ気になる。
「番号が何倍とか、いちいちめんどくせぇなぁ。男だったら、奇数、偶数。生か死か。二択で勝負に決まってんだろ。それに俺は知ってんだよぉ。俺がEVENっていやぁ、世界はEVENなんだよぉ!」
青い牙をぎらつかせ、レイは大きく積み上がったチップを全てEVENに置いた。
そして不気味な笑みを浮かべてルーレットの行く末を見守る。
そしてディーラーが『ノーモアベット』の仕草に入り、全員の目がボールへと集中する。
「ノーモアベットです。」
そしてボールはコロンコロンと何度か弾かれ、奇数、偶数と交互に入りかける。
皆の息を呑む声が聞こえる。
そんな中、ボールはヨーロピアンタイプのルーレットの「0」にあたる、コウモリんのイラストが描かれた場所へと転がり落ちた。
これは奇数でも偶数でもない。
——つまりはレイの負け。
でも、負けたら負けたで大はしゃぎするのが野次馬というモノだ。
それでも会場は大盛り上がり。
だが、ギャラリーの一人が異変に気付く。
「え……?ちょっと待て!あれ? EVENのところにチップがない……? どうなってんだよ!」
そして別方向の盛り上がりへと発展し、イカサマだと誰かが言った。
「おい。俺がイカサマしたとでもいうのかよ。ね、ディーラーさん。俺はちゃんとノーモアベットの宣言の前に移動させたよね?」
別に威嚇するようなものじゃない。
ディーラーのサキュバスバニーには、優しいトーンで話しかける。
「は、はい。直前、急にチップを移動されました……。コウモリんの場所に……です。」
その通り、レイはレイモードから解放され、ちゃんとディーラーに目配せをしてチップの位置を移動させていた。
勿論、ノーモアベット前にである。
というより、ギリギリだった。
後一歩遅れれば、全財産を失っていた。
つまり彼は知っていたのだ。
レイモンドが強いのは運じゃない。
——彼が強いのは『悪運』の方だ。
奇数か偶数か賭けるのならば、必ずボールは「0」に入る。
ここのカジノに「00」がなかったことを幸運に思う。
……と、これも嘘になる。
「00」がないこともレイは知っていた。
そもそも、この場面はゲーム中に登場する。
作中では、デスモンドでレイモンドと一度別れる。
そして闇カジノに行けば彼と出会えるのだが、彼はEVENに賭けて、こうもりんのところにボールが落ちて怒り狂う。
そこまで分かっているのだから、ここでは必ず「0」が出る。
つまりこてゃ、世界の仕組みを利用したイカサマだった。
ただ、当たったことに胸を撫で下ろせても、レイの気分は何一つ晴れなかった。
『一定の刺激があるとそのキャラになってしまう』、死にかけた時に読んだレビュー文章と一致してしまったのが、何よりも悲しかった。
「えっと……、高額の金額が出た場合は支配人を呼ばないと……」
「もう来ておるよ。久しぶりだのぉ。『パンツ大好き太郎』よ。」
「『パンツ大好き太郎』よ、じゃねぇよ‼ レイだ。お前は俺の名前を知っていただろ!……てか、ここオスカーがやってたのか。お前、実はすげぇやつだな。俺の命名権に口出しできるくらいだし。……あ、それよりエルがセクハラ訴えてたぞ。」
いつのまにか見知った顔があった。
今のオスカーはスーツを着ているおじさんだが、中身はスラドンだ。
合言葉がどちらも俳句なのは、オスカーの趣味だったのかもしれない。
「ふぉ、ふぉ、ふぉ、ふぉ。ある時は道具屋の店主、またある時は大人のおもちゃ屋の主人、そしてその正体は『パンツ大好き次郎』じゃ!」
「オスカーだろ!しれっと俺の弟になるんじゃねぇよ、って俺、『パンツ大好き太郎』じゃないからね? ……それで、俺の賭け金はちゃんと支払ってくれるんだろうな。」
ここに来て、懐かしい顔に出会えた。
それでレイの気持ちは多少なりとも楽になっていた。
少しだけ笑顔になっているのだが、彼自身はまだ気付いていない。
「お前さんじゃなければ、難癖をつけてやろうと思ったが、仕方ないのう。こうもりん一点掛けの倍率は三十六倍。店の使用料を差し引いても1000万G以上じゃ。とんでもないことをしてくれたのう。」
「そんなつもりはないよ、オスカー。イーリ……てこいつな。こいつの借金はいくらだ?」
「金利分含めて30万Gじゃな。本来ならば出禁ものじゃ。お前さんと一緒に入ってきたから大目に見とったがな。その肩代わりをしてくれるんならありがたいが。」
その言葉を聞いて、レイはイーリに半眼を向けた。
レイが持つ全財産と同等の借金をしてやがった。
どの面下げて仲間になろうと思ったのやら、と心配になる。
「あぁ。最初からそのつもりだ。それから俺の取り分は最初に賭けた30万とラビへのご褒美の30万だけでいい。50万は世話になったからオスカーに、同じく50万をエルに。んでもって、さらに50万を俺に幸運のボールをくれたディーラーちゃんに。そして残りはここにいる全員に渡してくれ。」
色々むしゃくしゃしていたのもある。
だから彼は700万Gほどをここでばら撒いた。
そしてカジノ中が大熱狂をする中、彼は全員に言い放つ。
「お前ら、それはちゃんとカジノで使うんだぞ。勿論、儲かった分は持って帰ってもいいけどな。」
オスカーに申し訳ないと思って、その補足をしたのだが、オスカーはクスクスと笑っていた。
そしてひとしきり笑った後で、彼はこう言った。
「そんなこと言われんでも、ここにいる皆は最初からそのつもりじゃわい。それがギャンブラーというものじゃ。」
その言葉を聞いて、レイはそれもそうだなと笑った。
「そっすよ。こいつらはもう終わってるんすよ」
「イーリ!あんたもその一人だから!」
まるで体の毒が抜けてしまったようだった。
暖かい世界も確かに存在する。それがこの世界なのだ。
(だから、あの時。俺はあいつに……)
心は決まった。
だから彼は自分の考えを皆に言う決心をした。
今回こそは間違えてない。
「オスカー、VIPルームを使わせて欲しい。誰にも聞かれないところで考え事をしたいんだ。」
「やれやれ、本来なら一見さんにはお断りなんじゃが……、変態紳士ジャスティス様の頼みなら、断れんよ。ラビと言ったか? 本能的に覚えているじゃろ。使って良いぞ。」