広がっていく溝
大修道院の中に二人はいた。
「レイ。私、荷物を取ってきても宜しいですか?」
「特に急いでないから問題ないかな。俺は——」
「ここに居てください。ここならあまり目立たないかと。」
ソフィアは勇者パーティへの加入を決めた。
彼女が住んでいる家に着替えを取りに行くというので、レイは修道院の大部屋の隅で壁に背を預けて待っていた。
「うーん。火事は大丈夫かな。俺が動くと面倒くさいことになりそうなんだよなぁ。」
ソフィアが住んでいるのは、山を降った先の長屋らしい。
修道院は山の上にあるが、野菜を育てる為に麓に家屋を作った。
それがその理由だった筈だ。
つまり、彼女は一度、麓まで降りて戻ってくる。
村の掲示板くらいで待ち合わせた方が近いのだが、そこはソフィアが気を遣ってくれた。
ほとぼりが冷めるまで、というより村にはまだ彼らがいるかもしれない。
そうと思うと、確かにそこに向かう気にはなれなかった。
それに高い場所にいる方が、彼らが今どこにいるのかよく分かる。
「っていうか、ここからでもあの車は目立つよな。……ていうか掲示板のメッセージ忘れてた。でも、あれで修復不可能だよなぁ。俺、天下の勇者様に刃を向けたんだぞ。んー、それにしても人が多い。」
修道院がこの村の全てを取り仕切っているのだから、情報はここに集約される。
モンスターを退治した英雄であり、『女神メビウスが遣わした光の勇者』がこの村をも救った。
その手の話はそこら中でされている。
今から村をあげての歓迎式が始まるらしい。
この場所ではなく村の中心部で行われる。
それもソフィアは気にしてくれたのかもしれない。
「ソフィアはリメイクで化けたからなぁ……。正ヒロインでもおかしくない。」
レイは勇者のことについて、思うことはない。
これはゲーム内のシナリオとしても正しいからだ。
寧ろ、今までのように人々が助かってしまう方が、この世界ではイレギュラーである。
バグの心配をするなら、寧ろそちらなのだ。
だから、この村の半数の人間が焼死したとしても、彼らは良くやったと褒めるべきである。
あの時、レイと彼らの関係が良好だったら、イベント発生地点に辿り着く前にほとんどの村人を助けられた。
でも、そんなことは今考えるべきではない。
公式設定資料集にも55%の村民が焼死したと書かれている。
だから彼らがやったことは正しいのだ。
「そうなんです。この巨大なモンスターをですよ! バッタバッタと切り倒して、すごかったですよ!さすが光の勇者様です!きっとあの方なら、最近頻発している被害を拡大させる魔族も倒してくれますよ!」
そんな声も聞こえてくる。
これで彼らは報酬として2000Gは貰えた筈だ。
寧ろ、それで早く装備を整えろとさえ考えてしまう。
この世界の主人公はあくまで彼らである。
だから彼らが戦わなければ世界は救えない。
そして人々が彼らを応援するのは、とても良いことなのだ。
「火事はどうにかな……、うわ!」
そう言った瞬間、突然、レイは後ろ側に倒れた。
壁に背中をつけていた筈なので、勢いがついて壮大に転んでしまった。
ただ、運良く布団かクッションがあったおかげで体を強く打ちつけることはなかった。
「いった……くない……。ってあれ、この感触……」
「あの……。すみません……。まさか寄りかかっているとは思わず……。え、えと、恥ずかしいので……。立ち上がって貰っていいですか?」
後ろに倒れたレイの顔に上下逆さでソフィアが覗き込んでいる。
だからレイの頭はちょうど彼女の股の間にあった。
いわゆる縦膝枕に偶然にもなってしまった。
覗き込んでいるので、彼女の胸が額に少しだけ触れている。
いや、縦向きの膝枕というより、彼女が足を広げて座っていて、彼女の下腹部をレイが枕代わりにしている状態だった。
だから立ち上がろうとすると、彼女の足をちょっとだけ触らないといけない。
なるべく触らないようにして立ち上がり、今度は手を引いて彼女を立ち上がらせる。
「だい……じょうぶ? 俺、結構大柄だから。」
「いえ、支えようとしたんですけど、失敗しちゃいました。」
ソフィアはいわゆる僧侶の服、青を貴重にした厚手の生地の貫頭衣のようなものを被り、中は白いワンピースなのだろうが、黒のストックングを履いていた。
(昔ながらの僧侶服。このデザインはリメイク後も特に変わってないんだよなぁ。まぁ、分かる。これは根強い人気があるし、背徳感が堪らない。それに肌面積が少ない方が夢が……)
彼女はリメイク前からいるので、リメイク前ならここでエミリかソフィアを選ばなければならない。
フィーネと別れるためにはあのイベントを越えなければならないので、その先の二人のヒロイン登場でその選択肢が発生する。
でも、リメイク後は誰とも別れなくてもいいので、彼女の純粋なヒーラーっぷりは実はあまり使われない。
マリアのように、新加入ヒロインが使えすぎるのだ。
けれどレイはそれでもずっとパーティに入れていた。
「あの……、恥ずかしいので……あまり……その……。エッチなの、良くないですよ!」
「あ、ああ。いや。やっぱ可愛いなぁって思って。っていうか、何、さっきの!俺、もしかして壁を貫通した?」
気が付いたら、彼女を見つめていた。
だから気まずくなってクルリと振り返る。
壁に寄りかかっていた筈だ。
でも気が付いたら彼女に縦膝枕をされていた。
「こういうところにも隠し扉があるんです。だからここを選んだんですけど……、もう一つ理由があります。実は——」
◇
少し遡る。
レイと悪魔の変身させられたソフィアが出ていったあと、村人が入ってきた。
アルフレドはその時、立ち上がるのが精一杯だった。
だからフィーネはアルフレドの側に立ち、上治癒魔法を使って回復していた。
そこで彼らは初めて火事が起きていたことを知った。
「先生が言ってましたよね。火事をなんとかしろって。」
「そか、マリア達が火事をなんとかしないといけないのね!」
村人の話を聞いて、エミリとマリアがうんうんと頷いている。
「エミリ、先生なんて呼び方やめなさい! 」
「あ、そっか。今は運転手さん、運転手さん。で、どうして?」
フィーネはエミリに注意したが、彼女はいまいちピンと来ていなかった。
ただ、フィーネの判断はあながち間違っていない。
これぞ、才女フィーネと言ったところだ。
そして、その間にも別の村人はやって来る。
「水門を開けて頂けたんですね!ありがとうございます。ですが、出来れば鎮火作業を手伝って頂けないでしょうか?」
「水門……か。確かにあいつが言っていたな。みんな、行くぞ。俺たちには俺たちの役割がある。」
回復して貰ったアルフレドは全員に号令をかけて山を降り始めた。
そして修道院の奥からとある会話が聞こえてきた。
「そう!銀髪の男が、勇者様が追い込んでた悪魔を、はい、そうです。逃しちゃったんっすよ!」
修道院が無人だった筈がない。
どこかで誰かが見ていた筈だ。
その話が聞こえてきたのかエミリが「なるほど」と頷いている。
「今後はあいつの名前を言うのは禁止よ。どこで誰が繋がりを知っているか分からない。」
そう。
どこで誰が見ているか分からない。
レイと悪魔が一緒にいることを目撃している人間がいるかもしれない。
勇者は女神より遣わされた存在だ。
魔族と共闘する人間が仲間にいて良い筈がない。
だから彼が関わっていたなら、彼とは関係ないと示すべきだ。
レイが仮に居たとしてもフィーネと同じことを提案していただろう。
「うーん。でもマリアよく分からないかも。あれは絶対にやっちゃいけないことよね?あの部屋、血の海だったのよ?」
「そもそも。私たちなんであそこにいたんだろって思わない?」
「みんな、おしゃべり禁止。今や私たちは世界の希望なのよ。今は黙って後で考える。いいわね?」
フィーネの号令でエミリとマリアはお口チャックの仕草をして、彼女に同意を示した。
お前も表情を隠せていないくせにと、アルフレドは思ったが自分の顔も同じかもしれないと思い直して、首を横に振った。
そして眼下に広がる燃え盛る村を見て、彼のスイッチが切り替わった。
「急ぐぞ、フィーネ。ミッドバレーはスタトの再来にはしない!」
「えぇ!みんな、急ぎましょう!」
ただ、そう言っても村の規模が違う。
モンスターが現れる前はここはデスモンドとネクタの中継地だ。
そしてこの国の信仰の中心である、メビウス教の総本山だ。
人口はネクタに引けを取らないだろう。
その中で、勇者は懸命に考える。
「フィーネとマリアは怪我人を頼む。俺とエミリは火が燃え広がらないように力技で行くぞ!」
「分かった」
フィーネは返事をして、掲示板に貼った彼へのメッセージを全て剥ぎとった。
そしてそれをアルフレドに手渡す。
彼はその紙をくしゃくしゃに丸めてポケットに入れた。
その後、それぞれに分かれて人命救助を始めた。
「今から助けるぞ!」
ただ、スタトに比べて彼らのレベルは上がっている。
火が燃え広がらないように、スキルも魔法も駆使してとにかく破壊していく。
そして生き残れそうな人間を見つけていく。
時には両手両足を失っている者も救い出す。
失った手足は戻らないが、魔法で命は助けることができる。
けれど頭や臓器を潰されている者は見た瞬間、生きていないと分かる。
ここでもレイの言葉が蘇る。
「防御が大事。武器は二の次、そして絶対に急所は守れ」
彼は常々そう言っていた。
そのときは当たり前だと思っていたが、今まさにそれを思い知らされる。
「勇者様、ありがとうございました!」
必死の作業中、村人がアルフレドに話しかけてきた。
何度もお辞儀をしているようなので、彼女に軽く会釈をした。
「息子を救ってくださって本当に感謝しています!」
その時は、ああそうなのかと思った。
だからアルフレドは休めていた手を再び動かした。
炎の広がりは随分抑えられたので、あとは鎮火作業へと移る。
「成程、フィーネを見倣う必要があるな。」
アルフレドも感じていた。
レイとの確執が、いつの間にか修復不可能になりつつあることを。