レア・エミリ
五番目のヒロイン、キラリの登場イベントこそがレイのデッドライン。
その街の名はデスモンド。
リメイク前からの名前はデスモンド。
レイモンドの死を案じさせるその街で、レイはムービー死をする。
三番目のヒロイン・マリアの加入、ここはまだは青信号だ。
そしてこの街を出て、四人目のヒロイン・ソフィアを拾うまでが黄色信号。
ただ、間違えてはいけないのが、黄色信号の本来の意味は止まれである。
気をつけて進めではない。
レイがこの街を出て、四人目のヒロイン・ソフィアに出会う行為は危険。
そして、何かと噂の絶えないミッドバレイより、ネクタの街の方が暮らしやすい。
だから、彼はこの街に留まりたい。
「違う! もうちょっと左足の感覚を研ぎ澄ませ。クラッチが繋がる感覚を手に入れないと、最難関、『坂道発進』には到底及ばないぞ!」
「済まない……。正直、全く頭に入ってこないんだ。第一、どうして足が二本なのに踏むスイッチが三つあるんだ?」
「じゃ、次は私!私が行くわ。レイ、見てなさい?」
アルフレドとフィーネが交互に練習している。
けれど、彼らは発進さえもおぼつかない。
何度もガックンガックンと車体を震わせて、エンストを引き起こしている。
交代する行為も良くない、それにはレイも気付き始めている。
アクセルスロットを少しずつ開けて、クラッチを少しずつ繋いでいく。
それに必要な動作はそれだけではない。
目視、ハンドル、アクセル、シフトチェンジ。
それらを同時に、しかも足元は見ないで行う必要がある。
「くそ。車とは何なんだ!どうしてスイッチの数が体の手足よりも多い⁉」
勇者アルフレドは実直で正義感が強く、戦闘能力と戦闘センスには優れている。
でも、ドライビングセンスが壊滅的である。
「わーーー!」
フィーネも発進したはいいが、すぐに車体をガクンとさせてしまう。
彼女もセンスが良いとは言えないらしい。
そも、彼女の場合、いやこれは全ヒロインに言えることだろうけれど、体をズラしてやっとペダルに届く。
アルフレドの身長は170㎝強。
ヒロインの中では比較的身長の高いフィーネでも、アルフレドよりは身長が低い。
——レイモンドの身長は2mを越える。
そして、あの車はレイモンドが運転する為に作られている。
つまりレイモンドの体格に合わせている。
さらに追加の悪魔的仕様も紹介しよう。
このステーションワゴンは運転席が真ん中にある。
しかも、何の装置か分からないが、それがあるせいでレイが乗ると誰も乗れない。
アルフレドが身長170cmくらい、フィーネとマリアが160cm強。
そして、レイモンドは200cm強。
エミリとフィーネなら、ギリギリ二人で乗れるかもしれないが、教官が乗らなければ意味がない。
ついでに言うと、後部座席とは衝立で仕切られているから、手捌きも足捌きも見せることができない。
(レイモンドを完全に孤立させる為に作った。まさに悪魔的仕様だな)
レイは二人の練習の様子を眺めながら、自動車教習所に通っていた頃を思い浮かべていた。
そこで自分の腕の裾が左右から引っ張られていることに気が付いた。
「ねぇ、先生!私は運転の練習しなくていいの?」
「レイぃぃ!マリアは?マリアは?マリアも運転しなくていいの?」
エミリとマリアが左右対称にならんで似たような趣旨の言葉でレイを揺すっている。
マリアは自分で運転をしないと言っていたが、あれは車を押すのが嫌と言っていたのだろう。
二人は子供のように催促しているが、マリアがギリギリ足が届くか、届かないか。
エミリに至っては何も届かない。
そして、この中でアルフレドが一番運転に興味がないように見える。
興味がないというよりは、苦手意識と責任感の重圧で意気消沈している。
「足が届けばな。多分、安全運転できるのはアルフレドくらいなんだよ。」
レイが思い描いている図式はアルフレドが運転して、時々フィーネが交代する組み合わせだった。
勿論、スーパー超人たる勇者パーティ。
身長差を別のアイテム、例えば厚底で補えるかもしれない。
道路交通法がない世界、不可能も可能にするかもしれないが、エミリとマリアに運転させない別の理由がある。
ここでエミリとマリアのヒロイン攻略難易度が関わってくる。
彼女達の行動を見て分かるように、エミリとマリアは比較的主人公に懐きやすい。
余程おかしな行動を取らない限り、エミリとマリアのエンディングは狙って出せる。
彼女達が喜びそうな言葉や行動を取り続けていれば、間違いなくエンディングに持っていける。
裏を返せば他のヒロインを攻略しようと思っても、彼女達のエンディングに辿り着く。
「えっと。例えばそうだな。エミリもマリアも結構、俺を認めてくれているところあるじゃん。」
レイは唐突に自己評価を聞いた。
それは彼の心がすでに冒険を諦めたから出せた言葉だった。
彼自身が自覚していることでもあり、仲間も知っている公認の事実でも、他人事に出来るから自分で言うことが出来る。
「それは当たり前です。私の両親を救ってくれた恩人だし、戦いの先生でもあるんです!」
「ま、マリアは……。なんか一緒にいると安心するからかなぁ。」
それに関して二人は素直に認めてくれた。
レイも素直に彼女達の気持ちを受け取り、その続きの話をした。
「ありがとう。で、二人のどちらかが会話もほとんど聞こえない状態で長時間、運転しなければならない状態になったとする。そんな時俺が後ろのソファ席に座って、他の人と楽しそうにお喋りをしてたらどう思う?」
ぶっちゃけて言えば、二人はすぐに好意的な態度になる。
そして、すぐに恋に落ちる。
ただ、それは『執着』を生んでしまう。
執着が生まれれば、嫉妬という感情が生まれてしまう。
ただのゲームならそれで良いし、人生においても一つの味付けであり、悪いことではない。
でも、魔族の侵攻は現実に起きている。
レイだって忘れていない。
レイモンドの両親の遺体はまだ暖かかった。
あれはリアルの死なのだ。
だから円滑なゲームクリアは必須条件であり、その為の障害は出来るだけ排除したい。
彼はそれを回りくどく説明するつもりだった。
——でも、この話をきっかけに彼は再び混乱に陥る。
「そっか。先生がその状況だったら、私は気になってしょうがないかも……」
エミリは模範解答を用意してくれた。
だからレイは素直に頷く。
けれど、その模範解答が意味することが、
『レイが彼女達の感情をはっきりと読み取っている』
証拠にはならない。
悪役キャラが活躍してしまうと、どうなるか。
「うーん。レイが後ろに座ってても、マリアは気にしないよ? レイってそういうの、ちょっと疎い気がするし……」
その言葉もマリアの本心であろう。
彼も彼女とは比較的『素』の自分で接していた自覚がある。
だから、少しくすぐったい気持ちになった。
だから彼は、彼女の太腿を触るのだ。
「マリアが俺様の素を知ってるぅぅ?なんだよぉ、やっぱり昨日、俺のを見てたんじゃあねぇかよぉ。そりゃ、今日なんて同じベッドで寝てたもんなぁ。やりたいなら、俺が起きてる時にしてもらわにゃぁ。なぁ、エミリ。お前もそう思うよなぁ?」
レイはマリアに卑猥な言葉を吐く。
その時には、二人の肩に手を回して抱き寄せていた。
右手をエミリのレザーアーマーの隙間に滑り込ませる。
さらに彼は彼女の右胸を鷲掴みした。
それと同時に彼は器用にも、左手でマリアの左太ももを擦っている。
——ただ左手の方は数秒も経たずに空を切る。
「レイ! 何を言って、っていうか、触っちゃダメって……え?ええええ?あれ、その顔……。え……、どういうこと?……あの時の酔っ払い? あれ、ちが……、死にかけて……あれ?」
レイが自分の意志で表情を変えることはできない。
マリアは徒手で払いのけて、咄嗟に彼と距離を置いた。
そして彼は払われたその手を自分の顎に。
そこで漸く気付く。
(レイ……モード、これは……)
しかも、右手はいまだに柔らかい弾力を感じている。
そしてエミリの肩が震えているのも伝わってくる。
でも、それは恐怖や怒りでの震えではなかった。
「…………フフッ!フフフフフ。マリアって、まだその段階なんだぁ。一つ屋根の下で暮らしているって自慢してた割に、フフフフフフ……。浅い女。レイのこと、全然分かってないんじゃんー!キャハハハハ!なーんだ、気にして損しちゃったぁ! ねぇ、レイ?こないだの続きしよう?触りたがってたでしょう?アタシがいれば、あの浅い女がいなくても楽しい……でしょ?」
エミリは自分の胸を弄られながら、肩を震わせて笑っていた。
この状況をレイは知っている。
(無詠唱の魔法……だと? でも、この世界は魔法名の詠唱必須だ。)
だから魔法を使うモンスターも、ちゃんと魔法名を言うと設定資料に書いてあった。
(静寂魔法の説明に添付されたコラムに、そんな記述があったんだ。だから、無詠唱はあり得ない。)
ひとしきり笑い終えた後も、赤毛の少女は彼の右手を払い除けるどころか、自身の右腕を絡ませる。
そして。
「レイのことを分かっているの、アタシだけなんだよぉ……。レイ、なんでこの女と寝たの?散々、アタシのこと弄っておいて?ゴミ箱にアタシを捨てておいて?アタシはこーんなにレイのことを想っているのに?」
レイは自分の体に起きたレイモードに加えて、赤毛の少女の変化に驚愕していた。
これこそがレアイベント、『ヤンデレ・エミリ』モードだ。
好感度を上げた状態で一定時間、彼女を放置する。
その間、他のヒロインとの好感度を上げ続けると発生するレアイベントである。
どうしてレアと呼ばれるか、それはエミリが人懐っこくイベントが生じやすいからだ。
イベントが発生すると、放置状態が解除される為に普通では辿り着けない。
イベント発生という運の要素が含まれるため、エミリイベントが発生したらリセット、またセーブポイントから始めるを繰り返す必要がある。
つまりレアイベント。
「違う!そんな疚しいことはしていない!」
「そう?じゃあ、レイ君のこと信じていぃい?」
「何なの、こいつ。酔っぱらいの最低男……。こんな奴を私……」
これがあると分かっていたから、レイはエミリに運転を教えなかった。
レイはこの現象を知っていたから、驚きはするが分析は出来る。
だから問題は、またレイモードになってしまった自分である。
因みにマリアのヘイトがエミリに向かないのは、レイのユニークスキルの効果である。
(ヤンデレエミリはレアだが、ちゃんと相手をすれば元の良い子エミリに戻る。だから、問題は——)
一定の痛み刺激を受けることで、レイモンドが出てくるレイモードに突入する。
それは魔法か、呪いか、それとも設定通りなのか。
何が原因かなんて、どうでも良い。
まだ継続していることが大問題だった。
ニイジマの時にマリアと手合わせをしている。
その時はこの現象は起きなかった。
だからレイは考える、考える、考える……
「エミリ、レイ!何してるの!?」
思考途中にレイの右手の感触が突然なくなった。
レイモードは既に解除されていた。
だから鷲掴みにした瞬間以降はエミリがぎゅっと押し付けていた。
それが今、フィーネによって解放された。
「何もしてないよ、フィーネ。私はただ、後輩に教えていただけだよ?フィーネも言ってたじゃん。 この女、ムカつくって。」
レイも何か言わなければならない。
けれど、彼も自分のことで手一杯なのと、誘惑魔法の使い手が二人集まったことで、何も言葉が浮かばなかった。
フラッシュバックのせいで、俯くことしか出来なかった。
「そりゃ、いきなり現れて、助けてもらった勢いで仲間になって、あんな見たこともない物を押し付けたのよ。私たちはアルフレドがレイに教わった道順通りに行動しているだけだし……。あんなすぐに止まって重たいだけの物をどうして持っていかないといけないのかも分からないし。」
「待って!何を言っているの? だってあの時は快く迎えてくれたじゃない!」
マリアの声は震えていた。
だが、今のレイは彼女を見ることも躊躇してしまう。
レイは一度マリアに嘘を吐いた。
ニイジマと偽っていたことではない。
「あの酔っ払いではない」と言ってしまった。
それは、マリアも間違いなく覚えている。
『あの酔っ払い』は悪漢であるレイモンドそのものだった。
アルフレド達に見つかってしまうことも理由の一つだが、悪漢のイメージを持たれたくないというレイの独善的な行動でもある。
だからレイは視線を落としたままだった。
「それは違うぞ。俺たちはいつの間にか仲間になっていた。車も何故か用意されていたが正解だ、マリア。そして、それがその時は自然だと思ったのは事実だ。マリアが仲間になるのも、レイに聞いていた。マリアは俺たちの仲間の筈だ。」
アルフレドは車の練習を諦めた。
仲間が揉め始めている間、一人で車の練習をする人間ではない。
アルフレド、助かる、とレイは心の中で呟いた。
——だが、この時。
彼は落とした視線の先で、奇妙な現象を見つけてしまう。