我が儘なお嬢様
エイタの早口に、ニイジマの意識が遠のく。
——彼の仕事はマリアの警備だった。
これは天職ではなくて、早期転職ものだ。
短期と言っていたが、これは単発バイト並に短い。
それに、リスクが高すぎる。
(エイタの説明に間違いは一つもなかった。マリアはアズモデに顔を見られている。更に、アズモデは勇者を狙っていると宣言した。その勇者の仲間になったのだから、彼女の警備は誰もやりたがらない。……というか、誰にも務まらない。)
在職していた筈の警備員Cくんは、もしかしたらムービーシーンに映っていたのかもしれない。
そして逃げるように辞めていったのだろう。
(いや。これは流石にリスクが勝ちすぎている。辞めるなら早い方が良い)
ちゃんと説明をして辞めさせてもらうべきだろう。
彼女がダメと言えば、採用は取り消してもらえる筈だ。
どう考えても、マリアの警護は務まらない。
だって、勇者の前に出られないのだから。
「あの……、マリア様。本当に申し訳ありませんが、私では務まらないと思います。」
「えー。大丈夫よー。マリアに触ることが出来る人なんて、なかなかいないよ?お母様もお父様も、マリアの護衛探しに大変なんだから、引き受けてよー」
「た、確かに今採用するのは難しいかもしれません。それに私も本当ならお受けしたい。ですが、この病のせいで……」
「ふーん。エイタは体は丈夫って言ってたけど?」
「はい。体は丈夫です。ですが、私は勇者様を見ると死ぬと医者に言われております。遺伝性疾患なので感染とかはしないのですけど……。」
随分、厳しい言い訳。
だが、これを通すしかない。
「へぇ。そういう病気もあるんだねぇ。マリア、知らなかった。でも、そういうことなら——」
「勇者様のお仲間であるマリア様の警備は流石に。勇者様の前に出ることが出来ないのですから私には——」
実は雇われない方法なら知っている。
その酔っぱらいは俺ですとカミングアウトすること。
でも、アレと今が繋がることで、レイモンドに戻る可能性がある。
だから、それ以外の方法で仕事を断らなければならない。
そもそも、この仕事は色々おかしい。
だって、彼女はこの世界の頂点の人間が側にいるのだ。
彼女の警備が勇者より頼りになるなら、そいつの方が勇者だ。
だが、面接官は何故か微笑んだままだった。
そして、彼女はこう言った。
「そういうことなら大丈夫よ。だってマリアはもう旅に出てるからぁ。旅に出てるってことは、光の勇者様の側にいるのよ? 警備員さんと一緒にいるよりも安全に決まってるじゃんー!」
桃色の少女の言葉。
その一言で剥いた目が更にひん剥かれる。
眼球が零れ落ちてしまいそうになる。
(この子、何言ってんの?旅に出てたら家に帰ってこないでしょうが! 目の前にいるのは分身体とか意識体とかエクトプラズムとかですかー⁉そんな設定はなかったと思うんですけどー‼)
「でもー。この家にいる間はお父様とお母様がうるさいの! だからニイジマの仕事はマリアが旅から帰って来た時の話し相手って感じよ。大丈夫、大丈夫!マリアは朝には出かけて、夕方には帰るし、夜は同じ部屋って訳にはいかないから、夕食まででいいのー。あとはぁ、夜間はうちのどっかで寝泊まりしてね。三食ついて仕事時間も短いし、給金も高いし。ね、良い仕事でしょ?あ、でもニイジマ結構強いから、時々稽古には付き合って欲しいかなぁ。最近はだーれも相手してくれないから。あぁ、そこも大丈夫だから。道場は屋敷の地下にあるのよ!」
開瞼度100%だったものが、0%にまで閉じられていく。
マリアが早口で業務内容を説明してくれたが、まるで意味が分からない。
(ダメだ。この子の言うことが、ぜんっぜん頭に入ってこない。なんで朝旅立って夕方には帰ってくるんだよ。それはただの出勤なんよ!定時で帰れるなかなかホワイトな会社なんよ!)
彼女は旅に出ているらしいが、今はここにいる。
いや、今はまだ昼、ついにニイジマはそこに気が付いた。
(あ、そうか……。そうだよ。この子はわがままだから、毎回アルフレドにファストトラベル使わせるってことだ!なるほど。アルフレドは良い奴だし、あの魔法を使いたがっていたような顔をしていた。つまり今回のマリアはおうちに帰りたがりのマリア。ははぁん。アルフレド。真面目な顔して、既にマリアルートに突入しているな?ということは、世界が平和になるまで、バイトは続くということ!)
「成程。それくらいなら。勇者様と顔を合わせなくて良いのであれば。つまり私は朝、お嬢様がお出かけするまでと、お帰りになった際、今のようにお話しをするだけで良い、ということですか?」
確かに文句のない好条件。
殆ど、働かなくて良い。
エクナベルの世界一の大富豪に寄生できる。
「そだよー。でもねー。それは、うちに泊まれるまでだからー。ステーションワゴンで遠くに行っちゃったら、マリアは帰ってこないからね?さっきエイタが言っていた短期っていうのはそういうことよ。だから、もしかしたら二、三日で終わっちゃうかもぉ。今はぁ、まだステーションワゴンが動いてないし。」
は?
また、意味の分からないことを。
そして、更に少女は人差し指と親指で輪を作り、こう続けた。
(勇者様はこっちの方を持っていないみたいだから、安宿で済ませてるんだってぇ。だからぁマリアの分も払わせたら悪いじゃんー。ね、マリアっていい子でしょ?」
せっかく戻った瞼が、眼瞼挙筋が再稼働する。
それどころか、背筋まで硬直する。
(アルフレド達を安宿に泊まらせて、自分だけ豪邸に帰って寝るって。それは全然いい子の所業じゃないから!序盤は武器とか防具とかでお金なんて溶けちゃうんだから、仕方ないんだって‼)
彼のフォローは出来ない。
勇者の事情に詳しいと分かれば、マリアが何かを勘付くかもしれない。
仲間認定された瞬間、運命は元通り。
いや、ただ元に戻るだけじゃない。絶望と共に元に戻るのだ。
彼はムービーイベントを知ってしまった。ムービーイベントは回避不可能だと体感してしまった。
(絶対に避けられない。俺にも何が起きたのか分からなかった。それにムービーイベントで思い出したことがある。……あの時は初のムービーイベントかと思ったけど、俺達は既に一回経験していたんだ。それが分かってしまったんだ。)
——そう、二度目だからこそ確信できた。
一度目はゲーム開始直後だ。
スタト村の外れ、フィーネが走ってきた。
その時、彼の口は自分の意志とは関係なく動いていた、喋りたいことを喋れなかった。
あの時の記憶は少しあやふやだが、村の外れにアルフレド、フィーネ、レイモンドが集まったから、と考えられる。
そこで最初のムービーが入った。
(あの時は俺もよく分からなかった。でも、流石に二度目ははっきりと分かった。時間と場所、そして役者が揃ったからイベントが始まったんだ。そこにエミリの件を合わせれば答えが出る。勿論、ムービーの条件が出揃ったと確信は出来ない。でも、俺にとって大事なのは『役者がいないとイベントが発生しない』と分かったことだ)
つまり彼がここにいる限り、レイモンド惨殺ムービーは発生しない。
だから、フィーネも穢されずに済む。
そして、全員が幸せにゲーム世界を堪能できる。
「マリア様はとても良い子です。二、三日ですね。勿論、それで構いません。俺の……じゃなくて私のジュースも、……よろしかったらどうぞ」
アルフレドには申し訳ないけれど、ここが山場なのだ。
だから、ニイジマはマリアに媚びる。
すると「え、いいの?やったぁ!」と言って、彼女は嬉しそうに飲み干した。
ニイジマも喉が乾いていたが、この空間を抜け出さないと飲み物も喉を通らない。
「じゃ、そろそろ夕飯だから、ニイジマのお仕事は終わりねぇ。あとぉ、さっきの『俺』でいいじゃん!マリアの前だけだったら敬語とかも気にしなくていいからねー。それじゃ、コップ片付けといてねぇー。」
マリアは飛び上がると、ぴょんぴょんっと飛び跳ねて出て行った。
ニイジマも片づける為に立ち上がろうとしたが、そのまま立ち上がると車から見えてしまう。
だから中腰でコップを片付け、机を拭いてから退室した。
「お疲れ様です。」
するとエイタが廊下に立っていたので、彼は軽く会釈をした。
「ニイジマの部屋はお嬢様の部屋の隣です。プライバシーもある為、聞こえないフリをしてください。でも、何かあれば駆けつけられるよう、しっかり聞いてください。」
初対面でこの対応とは、なんとも不用心な気もするが、それほど人材不足らしい。
それに先の格闘面接があるので、危険人物は自動的に排除されると判断しているのだろう。
「済まないアルフレド。大変なのは想像できるけど、とにかく頑張れ。」
ただ、祈る。
それが、レイとして元仲間にできる事。
そして、レイが仲間として何かを見落としていると分かる事。
◇
ニイジマの新たな人生が始まった。
仕事は本当に簡単だった。朝はお着替えなどは当然ながら侍女が行く。
彼はただ廊下で待っているだけでよい。
お嬢様を玄関までお見送りをして、夕方までは自由時間。
夕方にお嬢様は帰宅、そこから一、二時間おしゃべりをして、終わったら隣の部屋で自由時間。
窓から顔を出せば車が見えるのだろうが、その人生はすでに終わったのだ。
彼は決してカーテンを開けないし、マリアとのおしゃべりタイムも絶対に窓を見ない。
次の日にはソファの位置が変わっていたので、マリアにも良いところがある、と思ったらエイタがこっそりやってくれていたらしい。
こんな生活だから三日なんてあっという間に経つ。
そして三日後の夕方のおしゃべりで、ついにマリアの口から期待していた言葉が紡がれる。
「ねぇ、ニイジマぁ。聞いて聞いてぇー!ついに動かせるようになったんだよぉー!だからねぇ、マリアはついに明日から本格的に動き出しまーす!」
日払いで受け取れる給金は本当に多く、お使い生活の数倍はあっという間に稼げた。
けれど、予定通りの三日の単発バイトだったらしい。
「車の整備が終わったのか。ぴったり三日か。とんでもない故障じゃなくて良かったな。俺も次の仕事探しか。結構楽な仕事だったから、正直めんどくさいかなぁ。」
たった三日でそう思えるほど、彼はレイモンドについて考えないようにしていた。
だから、まだ気付かない。
「え?何言ってんの?明日もいてくれなきゃ、マリアが困るよー!」
(え?何言ってんの?明日もいなきゃいけない理由がないだろう!)
まだ、雇われている身では文句が言えない。
それに周辺の村にまで影響力を持つエクナベル家のご令嬢には、やっぱり逆らえないのだけれど。
だから、丁寧に理由を伺う。
「あの、マリア様。それは変ですね。マリア様は旅立たれる。そして私は仕事がなくなる。どうしてマリア様が困るんです?」
「旅?旅はもう出てるじゃんー。マリア、ニイジマが来てからもずーっと旅には出てるよー。甲斐性なしの勇者様と一緒にいるもーん。」
(こいつ……。ついに言ってはならないことを言いやがった。いや、お金は持ってないってジェスチャーでは言っていたけれど!流石にこれは先輩として教育が必要だな。)
「マリア様、冒険はお金がかかるんですよ? モンスター狩りいっぱいやらなきゃ、ゴールドも稼げないですし、その為には装備も買わなければならないし、宿屋代も案外掛かりますし。それに車が動かなかったということは、モンスターを狩れる範囲もこの辺だけになるので、流石に甲斐性なしは……」
今の行動範囲で、豪遊なんて不可能だ。
整備士さんが車を動かせるようになるまで、成金カラスでも狩り続けていたのだろう、と容易に想像がつく。
だが、容易な想像と思っているのは彼だけだ。
「えー? マリア、まだモンスターと戦ってないよー。明日からじゃないかなー。でもぉーたぶん、そんなに遠くまで行けないから、同じ時間に帰ってくると思うの!だから、ニイジマはいなきゃダメ!お仕事を途中で投げだしちゃダメなんだよ!ニイジマはまだまだ仕事があるんだから!」
お仕事を途中で投げだしちゃダメ。
その言葉がニイジマの心に突き刺さり、疑問が色々湧き上がった。
だが、ソレは口の戸を叩いてはくれなかった。
心の中のレイモンドが警鐘を鳴らしている。
でも、それが怖くて彼は封殺する。
(とにかく冒険のいろはは教えた、後はアルフレドに任せるしかない。この先、モンスターが強くなってくれば、甲斐性なしとは言われない。教えた通りにやれば、絶対にマリアの方から好きになってくれる筈だ。頑張れ、アルフレド!)
結局、頑張れと心の中で声援を送るしかなかった。
そして、それから一日、二日と同じような日が続いた。
——だが、その三日目
突然、マリアが昼に帰宅をした。
そして、家中を走り回って彼を探す。
「ニイジマぁ!体を動かしたい気分だから、訓練付き合ってぇ!」
その日のマリアはとても荒れていた。
何かあったのだろうと直ぐに気付ける。
だから地下の道場で、ストレス発散の為に彼女の相手をする。
そしてそこでニイジマの疑問の一つが明かされるのだ。
「マリア様、めちゃくちゃ、荒れてるけど、どうかしましたー?」
ニイジマは基本的に攻撃しない。
最初の面接と同じだ。彼女の攻撃をとにかく躱す。受け流したり、受け止めたり。
ただ、今日の彼女は面接の時と違って、集中力が散漫で動きも精彩を欠いていた。
彼女が放った拳がそのまま掴めてしまう程。
「勇者様の下僕の女たちがぁ、マリアは働いてないっていうのー!」
ニイジマの拳に力が入る。
「痛っ」
彼女の痛がる顔、それに気がついて力を緩めたが、彼女の苛立ちがニイジマにも浮かび上がる。
(こいつ、なんてことを……)
下僕の女、それは間違いなくフィーネとエミリのこと。
確かに、世界一の金持ちの目にはそう映るかもしれない。
でも、ムカつくので言い返したくなる。
——でも、それが出来ない。
マリアはニイジマと交わした約束は守ってくれている。
とはいえ、その気になれば、勇者一同の所に引っ張り出せる。
もしくは、勇者に我が儘を言って、この家に来させることも可能だ。
実際、この家に勇者が来るイベントはある。
「でもマリア、実際にお前は強くなっていないんだ。それってモンスターと戦っていないってことだろ?」
ただ、レイとしての感情がニイジマの中で暴れ始める。
(面接からおかしかった。別れてから既に三日経っていた。そして彼女は既に旅に出ていると言った。だからあの時点で既におかしい。そして、その時と今を比較すれば、成長曲線を使って何となく測れる。俺がエクナベル家に来て一週間が経つ。その間にモンスターと戦っていれば、今の俺を捻り潰すことが出来る。なのに……)
組み手を続ける。
だが、彼女の精神状態のせいか、今は互角以上に戦えてしまう。
間違いなく、彼女は成長していない。
「冒険者の一番の仕事はモンスター退治だ。もしも戦っていないなら、それは仕事をしていないのと同じなんだ。」
それはフィーネとエミリを庇う言葉。
レイとして言った言葉、だがそれはあまりにも見当違いな叱咤だった。
「そうだよ。ニイジマが来てからマリアは。違う、勇者様のマリアが仲間になってから、誰もお仕事していないよ?」