三人目のヒロイン
警備の男Aは自分のロッカーの名前をエイタに書き換えた後、ニイジマを連れて更衣室から退室した。
残ったビイタは彼らが出て行ったのを確認して、自分のロッカーに『ビイタ』と書き込んだ。
この様子をニイジマは見ていないが、彼は特に何も気にしていない。
二人に名前を付けた、スタト村の住民の半数を助けたこと、エミリの両親を助けたことに比べたら児戯である。
この程度で世界が変わるなら、強制力を、ムービー死を恐れたりしない。
「それでエイタさん。私の仕事はやっぱりあれですか? 門番とかですか?門番って地味に一番映るモブですよね?ちょっとそこは……」
ばったり鉢合わせてしまう。
それは気まずい。
「いやいや、門番ならエクナベル様と最も離れているし、ある意味安全な場所だからバイトか何かにさせている。お前に任せたいのは、もっと大事な方の警備だ。そしてもっとも危険な警備でもある。ただ、まだ仕事につけると決まったわけではないぞ。ちゃんと面接に合格してからだ。」
(門番って通りかかる度になーんか話しかけてしまうからな。そこは無し……と。で、大事な方ってことはマリアの両親しかいない。これなら楽勝か?それにマリアの両親であるイザベラとマハージが死ぬイベントは起きない。世界が平和になるか、アルフレドが負けて世界が崩壊するか、それまでは安泰な場所だ。エクナベルは世界一の金持ちだ。これ……、マジでラッキー。死を回避したことで、運が回ってきたんじゃね?)
勿論、採用して貰えたらの話。
「そうですよね。魔族、怖いですもんね。娘様はあの怖ーい魔族、アズモデに狙われてますもんね。」
「よく分かっているな。いや、あんな街中で堂々と騒ぎを起こされたんだ。だから、求人を出しても誰も寄り付きもしない。」
ネクタのメインストリートがムービーの背景に使われた。
そして、あのムービーの背景には沢山の街人が映り込んでいた。
「無理もありませんね。多くの人間が目撃してます。それで面接のことですが、気を付けるポイントとかありません?言葉遣いとか、この家の作法とか、信条とか。」
素足で歩きたいと思ってしまうほどの、ふかふかな赤絨毯。
ニイジマは姿見を見つける度に、髪型と服装とネクタイの位置を確認する。
これは負けられない戦いなのだ。
エイタは警備担当での責任者、ならば面接官はマリアの両親、もしくは親戚の誰かだろう。
マリアの父マハージ・エクナベル、母イザベラ・エクナベルは大富豪である。
マリアルートは逆玉ルートとも呼ばれ、これ後々めっちゃ気を遣うやつじゃんと思わせながらも、飛行機に乗って世界旅行に行く。
飛行機あったの?なんて、ツッコミは要らない。
エンディングの一枚絵がそうなのだから、それで良いのだ。
ただ、婿にも寛容な両親なのでは、とも噂されている。
(いや。魔王退治への同行を許すような両親だ。寛容に違いない)
それにニイジマは勇者ではない。
辞めたいと思っていた社会人になりたいと思う日が来るとは思わなかった。
そして、毎回の如く鏡で確認している時に気が付いた。
——レイモンド特有の悪い顔が出来ない
あれはレイモンド固有スキルだったから、今は……
ニイジマの顔が曇った、それを心配したのかエイタが彼に話しかけた。
「お前なら大丈夫だ。会えば分かるが、必要なのは強さだ。喋り方や作法は後からどうにでもなるし、私やほかの侍従たちもフォローする。」
優しいかよ!
確かに魔族に対抗できる程の強さを持つモブは、なかなかいない。
いや、このゲームにはいなかった気がする。
「あ、有難うございます。強さ、か。魔族絡みだから、やっぱりそれか……」
エイタはニイジマの独り言に構わずノックをした。
すると扉の内側からもノックの音が聞こえた。
(言葉ではなく、ノックで返事?暗号か?ここから試験は始まっている?)
そして、エイタは扉を開けた。
更に、彼はニイジマの背中を強引に押して、部屋の中に突き飛ばした。
「え?何?これ、どういう——」
「頼むから受かってくれよ、ニイジマ。」
豪奢な部屋に突き飛ばされた。
エクナベル家の内装はイベント絡みで少々登場する。
「格闘漫画的展開?……猛獣でもいるのか? いや、この世界だとモンスターか。魔族に抗える強さを問われるんだから、当然か。そして俺の今までの努力が実を結ぶ瞬間でもあるな。命懸けでこの世界の戦い方を会得した俺、NPCニイジマの実力を——」
勿論、それはアルフレドとマリアの恋愛イベントで。
(そういや、アルフレドはエクナベル家に招待されるんだ。そしてそこで……。いや、流石にそこまでのことは起きないけれど!だが、NPCになった俺はそれを隣の部屋で聞かなければならないってことだ!……大丈夫。それくらい、どうってことない。殺されるよりは全然……マシ?)
「いやいやいや。っていうか、なんでお姫様ベッド⁉ここ、そのイベントが起きる部屋——」
そして、ニイジマの視界の端に一瞬だけピンク色の何かが映った。
「ふらいんぐにーるきーーっく!」
更に声もした。
彼は咄嗟に飛び込み前転して、その攻撃を躱した。
激突音がしなかった、ということは本気ではなかったのだろう。
だが。
「ふーん。一応身体能力は良さそうね。」
ピンクの長い髪を靡かせた、武道着を纏った少女。
つまり彼女が面接か——
「ちょーーーっと待ったぁ‼それは聞いてない‼」
彼女の名前はマリア・エクナベル。
つまり面接官は三番目のヒロインだった。
「待たないよーだぁ!それに言ってないしー!マリアが面接官って知られたら、マリアに御触りしたい目的の人が集まっちゃうじゃん!」
「それは……、その……通り、かもしれない、けど!」
正拳突きに回し蹴り、さらにはムーンサルトキックまで披露された。
そしてニイジマは終始、話しながら逃げ続けた。
反撃?
反撃なんて出来る筈がない。
彼はあの日の強制ムービーシーンを何度も頭の中で検証している。
ムービー開始前まで遡ると、レイの命を救ったのは彼女なのだ。
残念ながら、ムービーで酔いつぶれを治したことになってしまったけれども。
「双子設定はない。だったら本当に、マリアじゃん!……じゃなくて、マリア様じゃん!ダメですよ、マリア様。貴女のお体は大切なんです!」
ニイジマはマリアの右ハイキックを左腕のみで止めて、もう片方の手で彼女の御足を優しく掴んだ。
マリアは格闘術も使えるモンクだ。
回復魔法と格闘術を得意とするリメイク後の新キャラクター。
絶対に、ぜーーったいに、太ももキャラが欲しかったから追加されたヒロインだ。
だから、ハイキックを途中で止めたりすると大変なことになる。
「こーらー!やっぱりあんたもその手の変態さん?おさわりは禁止よー。って、マリアの蹴りが止められたんだっけ。それに、これまで攻撃も躱すとはー。にゃかにゃかやるじゃん。はぁ、おさわりはともかく、強さだけは認めるわ。だから、合格。ドアの向こうの警備の人も、入ってきていいよー。」
自由人マリア、彼女はとんでもなく甘やかされて育った。
だから恋する少女を演じながらも、自分より強い相手じゃないと無理というヒロインだ。
普通にプレイすればあり得ないことだが、リアルタイムアタックをして、マリアの方がレベル値が高い状態を維持する、例えば勇者をひっこめて、マリアを戦闘に出し続けていると、彼女の好感度が減っていく。
新キャラは二人ともぶっ壊れキャラなので、実はそれでも問題ないのだ。
普通はやらないけれど、彼女は強い男でないと靡かないという設定だ。
ただ、エクナベル家がそういう家系かというとまったく違う。
いや、車を持っている時点で、エクナベル家も十分ぶっ壊れ設定なのだが。
(もう一人のぶっ壊れキャラには、流石に会えないけど……)
呆然としているニイジマに背を向け、マリアは外で待っているエイタを呼び出した。
「マリアお嬢様、彼の名前はニイジマです。そして私はエイタですので今後ともよろしくお願いします。」
「ふーん。エイタっていうんだぁ。初めて知ったぁ。じゃあ、エイタ。ジュース持って来てー。」
「はっ。畏まりました。」
エイタは呼び出された瞬間にパシらされた。
だが、その様子も目に入っていない。
ニイジマはまだまだ呆けている。
そもそも、どうして彼女はまだここにいるのか。
これはどういうことなのか、と考え続けている。
「きみぃ……。君はニイジマっていうのかぁ。君さぁ、マリアと何処かで会っていない?どっかで見たことがあるような気がしたんだけど。」
その言葉に全身が泡立つ。
彼女に正体がバレて突き出されたら、再び強制イベント送りになる。
せっかく掴んだウィンウィン天職なのに、それだけは絶対に許されない。
「ひ、人違いですよ。だって私は今、初めてマリア様を拝見しました。」
「そっかぁ。なーんか気持ちの悪い奴だった気がしたから、安心したぁぁ」
ユニークスキル『レイモンド』、いや『レイモード』
それが発動していないのだから、別人に見えてもおかしくない。
だが、外見が変わった訳ではないのだ。
「そうですよ。私は私です。それより……、マリア様は勇者アルフレド様とご一緒ではないんですか?噂で、あくまで噂でお聞きしていたんですけど?」
「そだよー。マリアね、マリアね。金髪イケメン男子と一緒に旅をすることになったのだよ。すごいでしょー!」
ニイジマの口角が捻じ曲がる。
そして、変な汗も流れてくる。
(どういうこと?この子は一体何を言っているんだ? おかしい。おかしすぎる。確か、あそこで数歩歩いた瞬間にマリアが私を冒険に連れてってと駄々をこねる。そして何故か、場面転換して車が……)
彼の脳内に映写機があり、その中でムービーが流れる。
(あ、そういうことか。場面転換だ!あの場面転換は車を準備するための時間か。意味のある場面転換だったんだ、再現度たけぇ……って‼)
「窓からばっちし、その車が見えてるんですけどぉ?」
ステーションワゴンはこの世界観と全く合っていない。
だから、いやでも目に入ってしまう。
そして俊敏な動きで、彼はすぐさまカーテンの影に隠れた。
「そうよー。今準備中なんだってー。まぁまぁ、ニイジマくんも座りたまえよ。えっと、えいなんとかくんがもうすぐジュースを持って来てくれるからー!」
(いや、落ち着け、俺。車はあっても手続きが必要だ。海外は知らないけれど、日本ではそれなりに時間が掛かる。もしかしたら名義変更とかしているのかもしれない。整備だって必要だ。まだ、三日なんだ。車ってもうちょっと時間かっただろ。)
マリアは真っ白いソファに深々と座っていた。
足を組んでいるのでスリットから生足が見える。
この辺が太腿キャラと言われる所以だろう。
チャイナ服をベースにしたような服装の彼女。
それなりに身長も高く、足も長い。
(そして、これはあれ、視線誘導魔法か何かだ。意識していなくても、勝手に目がそちらに誘導される。程よく引き締まった筋肉と、肌の質感がそれはもう……)
「ちょっと。マリアの足、見過ぎぃぃ」
「し、失礼しました!ち、違うんです。さっきの彼、エイタって名前なので、それをお伝えしたくて……、目が泳いでしまっただけなんです。」
「ふーん。あっそ。でもでもマリア、もうすぐ旅に出るからぁ。」
(もうすぐ。……その準備中か)
ニイジマは彼女に勧められた通り、ソファに座った。
もしかしたら窓から髪の毛とか見られるんじゃないかと、どうしても意識をしてしまう。
だから深々と座り、ちょうど彼女と目の位置が一緒になる。
マリアはピンクの髪に翠眼の少女だ。
言葉遣いは子供っぽいが生足のせいでどうしてもエロく見えてしまう。
エロくデザインされているのだから、エロいので正解だ。
「そうですよね。旅に出るんですよね。早く旅立てると良いですね。」
「ふーん。ニイジマは分かってるねぇ。マリアね、旅に出るのを反対されてばっかで、嫌になってたの。」
彼女は落ち着きのない性格なのか、立ったり座ったりを繰り返している。
そして動く度にニイジマの血圧と脈拍がヤバイ。
旅立つなら早く出て行ってくれないだろうか、とも思うが車の整備だから流石に時間が必要だ。
(名義変更って車庫証明書とか住民票とか。車庫証明が時間かかるんだよな。警察の人が見に来て、って警察なんていないだろ!……ということを言っちゃあダメだ。ここはぶっ飛び設定ゾーンだ。あると考えるべきだ。車があるんだから、そういう手続きもあるんだろう。でも、早くこの子旅立たないかなぁ……)
とりあえず、今の状況をなんとかしたい。
レイモンド役を降りたとはいえ、外見が変わった訳じゃない。
しかも、新メンバーマリアと一緒の部屋にいることがバレたら、確実に引き戻される。
試験官の合格は出たのだから、いつまでも座っている必要はない。
ここにいるだけで、デスモンドの死が纏わりつく。
「その……、マリアお嬢様はお車の運転は出来るんですか?年齢制限とかはないと聞いておりますが。」
「マリア?マリアは運転しなーい。あんなの初めて見たし」
(ですよねー!絶対に誰も運転しませんもんねー!っていうか、世界観から浮きまくってますもんねー!だからここに居るんですもんねー!)
エイタに仕事を割り振って貰わないと困ってしまう。
そこで漸く、ノックの音がした。
ニイジマを死から遠ざけるノックの音。
本当に?
「お嬢様、ジュースをお持ちしました。ですが、お母上からもうすぐ夕食なので、一杯だけと言われてしまいました。」
「えー。ぶーぶー。ジュースとご飯は別腹なのにー。ねぇー、ニイジマもそう思うよねー!」
マリアは深々と座った状態で足をバタバタさせる。
目のやり場に困った彼は視線を斜め上にズラしながら、彼女の言葉を肯定した。
というより、早く解放してくれと心から願っている。
「エイタさん。マリア様は日々、格闘の鍛錬をしております。先ほどの試験でも水分を消費しておりますので。」
「おー!おー!いいね、いいね。エイター。いいの見つけて来たわね!……ってことで、エイタはお母様のところに戻っていいわよー。」
「は!」
「え⁉」
エイタとニイジマの声が重なる。
そしてニイジマはエイタに目を剥いたまま、首を傾げる。
すると、彼は肩を竦めてこう言った。
「ニイジマが合格してくれたおかげで、私はイザベラ様の警備に専念できます。本当に良かった。ニイジマ、お嬢様の警備の内容はお嬢様から直接聞いてください。では、私はこれで。」
それって、つまり?
「俺の警備ってマリアの、じゃなくてマリア様の警備ってこと⁉ 」
「はい。最初に申し上げた通りです。マリアお嬢様は直接魔族に顔を見られておりますし、あの時攻撃も受けております。ですから、戦える者でないと務まらないのです。ただ、申し訳ないことに、マリアお嬢様はもうすぐ旅に出られます。ですので短期の仕事となりますが、その分、給金はかなり弾まれるそうですよ、良かったですね。それでは私はこれで失礼いたします。」
彼はその文言を一秒半で言い切って、扉の向こうに消えた。