錯乱と逃走
「レザーアーマーはやっぱ胸やないなぁ。生やないと。なぁ、エミリィィィ」
レイの様子が豹変した。
ユニークスキル『レイモード』
人のみならず、動物や魔物でさえ生理的に受け付けない顔。
「先生⁉だ、ダメですよ!先生はそういうのじゃ……。それに誰かが……、そう。誰かが見ていますよ。」
あれだけ慕うエミリにも生理的に受け付けない顔つきになっている。
彼は再び脇腹反射を起こしていた。
流石にエミリは理解した。
いや、誰だって分かる。
レイの脇腹に護身用ナイフが突き立っているのだから。
「さっきはよくもやってくれたわね、エミリ。同盟は一体どうなったのかしら。そしてアルフレド、貴方もよ。こそこそとレイの脇腹を何度も何度も狙って。貴方の才能がこんなことに活かされているなんて、私は悲しいわ。隠れてないで出てきたらどうなの?」
「え?アルフレドもここにいるんですか?そして私の先生をまた……」
「アルフレドはそこよ。」
すると、ガサっと草むらが音を立てた。
そして、アルフレドが両手を挙げて姿を現した。
直後、彼は観念したようにため息を吐いた。
「俺もまだまだだな。っていうか、俺が一番不利なんだよ。レイは昔から女に弱いからな。すぐに誘惑されてしまう。けど、流石にもう疲れたな。お前達の目の下のクマを見れば分かる。まぁ、俺も一緒だけど。なぁ、ちょっと話し合わないか。」
「それも何かの作戦?……いえ、そういう感じじゃなさそうね。」
「そうですよ。私達、やっぱ変ですって!」
アルフレドが降参のポーズをしたことで、フィーネとエミリの肩の力が抜けた。
そして三人ともが、ぐったりと項垂れた。
レイは昨晩よく寝られたが、彼らはほとんど寝ていない。
アルフレドとフィーネに至っては昨日の早朝から眠れていない。
しかも、初めて戦い、死闘の連続で精神の髄まで疲弊していた。
エミリも似たようなものだ。
昨日、両親が殺されかけた。
助かったけれど、恐怖を抱えたままここまで来た。
彼女が冷静かと問われれば、SAN値が大変でしたと答えるしかない。
「いや、本気だ。それに疲れすぎて、……一周回って冷静になってきた。」
「……そうね。私もちょっと熱くなっていたわ。そして、みんなの気持ちも分かる。冒険に恐怖している。だからレイに……」
「そう!私が言いたいのはそこですよ! ちゃんと三人で先生のお話を聞きましょう! ね、先生!……ってあれ?先生は?」
彼らは脇腹を刺されて、木に寄りかかっていたレイを見た筈だ。
彼がいなければ始まらない。
だから、視界に入れながら話をしていた筈だった。
けれど、いざレイに目を向けると、彼の姿は影も形も残っていなかった。
「これって……」
誰かがそう言った。
地面には血がついた護身用ナイフが転がっている、彼がそこ居たことは確かだった。
そしてこの時こそが、三人の考えが本当の意味で一致した瞬間だった。
だから、同じ言葉を全員が叫ぶ。
「レイが逃げた‼」
「って、当たり前ですよー!先生、可哀そうだったじゃないですかー!」
「だから私たちもテンパってたって言ってるでしょ? アルフレド、レイは⁉」
「分からない。いや、分からないからこそ分かるのか。」
そう、彼らは教わってきたではないか。
この世界におけるレイの戦い方を。
「これはレイの闇魔法『モヤモヤ』ね。ということは、まだ遠くには行っていない筈よ。」
「って、なんかモンスターの足音がしません?」
「囲まれているぞ。くそ、こんな時に!みんな屈め、よく見えないが敵は空から襲ってきている。」
「空?ってことは、成金カラスでしょ? 貴方は成金カラスを倒す為にこの森に入ったって、レイが言っていたわ。」
「違う。あれはエミリと結託して、お前のレイへの誘惑を——」
「ちょ、ちょ、ちょっとアルフレド!それは今はダメですよー!三人協力して、モンスターを倒しましょう!ちゃっちゃと倒して先生を追います! 私、見えないけどブーメラン殺法で森林伐採しちゃいます。みんな、そのまま屈んでてください!」
「了解。そこからカマイターとパイロのコンビね。アルフレド、行ける?」
「あぁ。任せろ。レイに教わったんだ。絶対に決めてみせる!」
◇
レイの教えが活かされ、このゲームにはない合体技が発動した。
最初からアルフレド、フィーネ、エミリの三人だけで踏破可能の森だ。
モヤモヤで視界が悪くなっているとはいえ、そこでやられるような三人ではない。
「あいつら、狂ってる……」
だからって、森を燃やすとは聞いていない。
レイはただ一点を目指して逃げていた。
間違いなく、彼らも自分の後を追ってくる。
ヤミヤミでもヤミマでもなく、初期の魔法モヤモヤを使った。
だから、一応の加減はしている行動だった。
ネクタの街に行くと彼らに告げていたし、彼らの冒険もネクタの街を経由する。
地形上、あそこを経由しなければ進めない。
それが昔ながらのRPGだ。
勿論、そのルールを無視することは可能かもしれない。
けれど、バグが怖くて教えていない。
「こ、殺される……」
脇腹から流れる血にも気付かず、レイはひた走っていた。
レイがあの場から逃げ出したのは、彼らに恐怖したからだ。
恐怖しているからこそ、今の自分の状態に気付かず、痛みにも気付かずに走っている。
その恐怖の最大の理由は、突然豹変する自分自身。
実は、レイ自身は脇腹の件に気付いていない。
脊髄反射で口から出る、破廉恥な発言をする、いやついには体も勝手に動く。
自分の意志か、そうでないのかも分からなくなってしまった。
だが、それは彼の中で、一つの答えを導いていた。
アルフレドのとある一言のお陰で。
「忘れていた。っていうか、ほんとピンボケも……いいところだった……。あれは『誘惑』だったんだ。確かにエミリとフィーネは闇魔法『誘惑魔法』を習得する……。いま、何レベルかステータスが見れないから、どっちが使ってるのか分からない。……っていうか、マジムラムラってこんな風になんのかよ。使ったこと、……ない……っていうか、……俺じゃ使えない……から」
彼がきっちりとピンボケしているは、出血のせいでもある。
だが、やはり死の恐怖が大きい。
そして、エミリの当たり前の言葉。
——頼りになるから、付いてきて欲しい。
「そりゃ……、そうだ。連れて行きたい……よな。ここ……まで、教えて……、俺だけ……安全な……んて」
誘惑魔法があったら、彼の意思なんて関係なく絶対に連れていかれる。
好きとか、嫌いとか、そんなの分からない。
でも、分かりやすいのは攻略本としての存在価値。
居た方が助かるのは間違いない、そういう動きをしていたのは事実だ。
「このままじゃ、本当に……連れていかれてしまう。俺は……もっと目立たないようにするべきだった。攻略を焦りすぎた……。逃げ切りを……焦り……すぎ……」
なまじ情報を知りすぎてしまって、彼らが知らないところで勝手に恐怖していた。
『誘惑魔法』は現時点では誰も習得していない。
けれど習得する可能性がある事実、ステータスが見えない事実、そして自分自身の意図しない奇行事実があった事実を前に、彼はリアルで混乱していた。
そして、次の街で解放されるという、地形的近さも原因の一つだった。
短期間に沢山の情報を与え過ぎた。
ゲーム内キャラにこんなキャラがいたらどう思うか。
膨大な知識を持つ者、下手をすれば世界の仕組みさえ知ってる者、しかも強者。
なんで、お前が戦わないんだよ!
誰もが考えるだろう。
「俺……が……たたかう……、当たり……前……だよ……な……」
そんな彼の思考能力は次第に削れらて行く。
ゲーム内とはいえ、出血ダメージというスリップダメージは、彼のHPを蝕んでいく。
レイの視界がどんどん狭くなる。
彼の命は今にも燃え尽きようとしていた。
彼には仲間を待つという選択肢があった筈だ。
だが、彼は単に逃げ続けた。
「やば、なんかすげぇ眠い。あ、あそこにベンチがあ……った。ら、ラッキー……」
けれども、何を信じていいのか分からなくなっていた。
そして失われてしまった思考能力は、全てをどうでもよく、思考停止という安楽地へと誘っていく。
今の彼に必要なのは休息、でも本当に必要なのは回復できる休息。
——ゲーム上、背景と変わらないベンチではない
それでも彼はベンチに辿り着き、そこに横たわった。
そのベンチの彼が寝ころんでいる辺りが、徐々に赤く染まっていく。
そして座面から流れた血の雫が地面で弾け飛ぶ。
その時。
「女神メビウス様、彷徨える仔羊をお救いください。緊急救急!」
優しい少女の声が聞こえた。
レイの冷たくなった体温が、徐々に暖かな光に包まれて行く。
「ふふっ」
そのピンクの髪の少女は小さく笑って何処かへと行ってしまった。
銀髪の悪漢ボーイは、彼女のことを霞む視界でなんとか捉えようとしていた。
そして、同時に耳朶を微かに震わす懐かしい声。
「血痕は、やっぱりレイのだ!急げ、この街に続いているぞ」
アルフレド達もまた、ネクタの街の広場に足を踏み入れていた。