女神シクロ
真っ暗な空間。
いや、空間と呼んでよいのか分からない場所で、前と後ろから同じ泣き声が聞こえた。
ただ、その泣き声が聞こえた瞬間、泣き声の主は光り輝いた。
前から、後ろから、眩い光が生まれて、そして俺の間で一つになった。
白と黒の髪、左右ちょうど半分ずつの髪の女の子。
そして。
「旦那ぁ、もうちっと考えてみましょうよ。」
どこかで聞いた声がする。
「イーリ?……って呼んでもいいの分からないけど。お前、死んだんじゃ……。どうして……」
「どうしてか、答える前にメビウス様の言った話、ちゃんと聞いてましたかぁ? 神の視点だとあっという間って言ってたでしょう?ささ、もっと強引に!」
魂というものに、形があるのかは分からない。
だが、とにかく俺は背中を押された。
物理的に。
メビウスの目の前まで押し出された。
泣き続けている少女が目の前にいる。
ここで萎えたら男が廃るというもの
約束をしたのだ。
ちゃんと、彼女にも分かるように言わなければならない。
「覚えていてくれてるかな。……俺、ほんと酷いことをしたよな。怒るのも……、無理ない……か。」
「旦那ぁ?」
「あ、そか。違う……よな。えと、二人のメビウス。……いや、二人のお嬢さん。俺と一緒にゲームで遊びませんか?」
そう。
あの時、夢だと思わずに、積み木に夢中にならずに。
ちゃんと彼女達が誰なのかを考えるべきだった。
ちゃんと、二人いるって気付くべきだった。
そして、彼女だってこんなこと、したくなかった筈だ。
だから、白と黒髪の少女は目をゴシゴシと腕で拭い、
「うん!」
と、軽やかに微笑んだ。
そして再び白と黒、二つの体に分離する。
「じゃあ、今度は私が光のメビウス役ね!」
「えー、まだこのゲーム?私は別のゲームがしたいー!」
「うーん。そかー。確かに12,505回も遊んだら、飽きちゃうか。それじゃ——」
そんな二人の会話にレイは目を白黒させた。
そんな彼を見かねた二人の眷属がこの状況を説明する。
「レイの旦那の考えている通り、女神様は二対で一体。二人いるし、一人でもある。んでもって、レイの旦那が片方を無視し続けていたから、ずっと膨れてたっつーこと。ちなみに俺っちは二人のおもちゃ。だから別に燃やされやしなかったっつーことっすよ。まぁ、俺っちもメビウス様にネタバレ禁止命令喰らってたもんで、あぁするしかなかったんすけどねぇ。」
「……そか。でも、なんていうか。……俺、許されたの?」
今、自分がどんな顔を、どんな姿をしているのか分からない。
だって、ここは魂だけの空間。
でも、自分の顔が引きつっていることくらい分かる。
破壊神を無視し続けたのだ。
「めちゃくちゃ怒ってましたよー。しかも正義の味方役も悪役も片方だけ任せちゃったもんで、めちゃくちゃ嫉妬してたっすよ。創造と破壊。二律背反の二つの力を持つ女神。んで、差し詰め俺っちはその二つを取り持つ維持の神——」
「イーリ!お前はペットじゃ!」
「あちゃ、旦那のせいで、俺っちこのままイーリっていうペットになりそうっすわ。相変わらず、子供の面倒をみ——」
そして維持の神イーリはどこかへ吹き飛ばされた。
だが、彼も神族ということ。
死という概念を持っていなかった。だから、レイの嘆きは全くの無駄だった。
あの時のメビウスの反応を見れば気付けた筈だが、二人いるのに一人しかゲームに誘わない愚かな男に気付ける筈もなかった。
「ほんと、俺ってどうしようもないな。ま、心は子供ってことで……」
彼は左右から手を引っ張られて分裂寸前だった。
白と黒の女神に挟まれて、実に幸運な彼である。
彼が以前発した『ガキ女神』という表現は大正解だった。
もう、二人の女神は怒っていない。
それどころか、笑顔でこんなことを言ってくれる
「ねぇねぇ、レイ、これで遊ぼ!」
「ねぇねぇ、レイ、これで遊ぼ!」
◇
——魔王はため息を吐く。
そして誰もいないだだっ広い王の間で椅子に座って、呆けていた。
「なんじゃ、その顔は。せっかくワシが体を再生してやったというのに腑抜けておるのう。」
白と黒のツートンカラーの髪の色。
左右同じで、赤と黒のグラデ―ションが美しい瞳の少女。
「その場合は、どっちのお前はどっちなんだよ。」
あの後、散々、おもちゃやらゲームやらで遊んだ後、
「ここのじゃ足りないかなぁ。」
「うん、足りないねぇ。」
などと双子の少女が話し始め、
「それなら一回、この世界に戻そうよ」
「あ、それがいいかも。下手に魂のまんまにしてたら、どっかの異世界に飛んで行っちゃうかもしれないし」
一番最初の周回のレイなら、元の世界に戻してくれと言ったかも知れない。
そして、それ以降のレイなら、いい加減解放して欲しいと言ったかも知れない。
神と人間の魂。
そもそもレイに選択権などない。
だから、何を言っても同じ結果だったかも知れないが。
でも、全ての記憶を思い出した、今のレイの気持ちはこうだった。
『俺、のんびりしたい……』
よく考えたら、この双子女神のただの遊びに、1万以上も同じゲームをやらされている。
途中から記憶がなくなったとはいえ、全てを思い出すと果てしない疲労が襲ってくる。
「一周プレイで10時間掛けたとしても、10万時間。4000日以上?10年以上同じゲームって……。しかも実際は長い時は数年くらい一回に掛けているから……、一万年近くプレイをしているのか……」
子供の遊び、しかも子供の神様の遊び。
数日間、数年間ひきこもりたいくらい。
謝り倒したとはいえ、よく考えたらこいつらが全部悪いんじゃないか、と一瞬だけ思う。
でも、またへそを曲げてしまったら、それこそ一大事だ。
だから無心で、彼女のやりたいようにさせた。
「この体が一番思い入れが強いからの!」
そんなこんなで、魔王レイ復活である。
ただの魂の入れ物として。
彼女たちが作った世界、そのキャラクターの中に入れて仕舞えば、勝手に異世界に飛ばないだろうという子供の神様の発想。
魔王レイという玩具箱にぽいっと入れられてしまったという話。
「うーん、リセットしてもこの体か。一番最近の記憶がこれだから慣れているけれど」
彼は『リセット』という言葉を使ったが、あれは建物や地形の話である。
だからリセットという言葉は正しくない。
アルフレドたちにとっては「直前のセーブからやり直し」という表現が正しい。
この世界にセーブという概念はなかったのでは? なんて質問は答えが簡単すぎて愚問だろう。
あの時はレイが世界そのものだった。
それくらいの緊急アプデくらい造作もない。
ただ、今現在、その力をつかったペナルティ、というより彼が定めた一度限りのリセットシステムによって、プレイヤー・レイそのもののセーブデータは消えている。
プレイヤーのセーブデータが消えた? それなら世界は……。
なんて疑問が浮かぶかも知れないが、ここは既にプレイヤーが放り投げた延長線上の世界。
クリア後のそのまた後の世界だし、破壊神メビウスの機嫌が良くなった為、世界の崩壊はとりあえず起きない。
「にっしっし。次はどんな遊びをしようかのぉ……」
この世界は双子メビウスのどちらかが光の女神、どちらかが邪神役でレイが勇者役という、おままごと用の世界だった。
だから光と闇のメビウスや金と白金、勇者パーティと魔族などなど、半分こずつで成立していた。
それなのに、レイが片方に全部やって!と頼んだようなものだから、片方はやることがなくて、頬を膨らませてグシャっと壊していた世界。
最初から仲良くやっていれば、何度もループしていたかは怪しい。
つまり今は、彼の意志と関係なくゲームは存在しているし、なんなら電源つけっぱなしで放置されている。
だから、延々と世界が続いていく。
◇
デスキャッスルの魔改造は初期の状態に戻っている。
アルフレド達は演説の前のステータス値に戻って、ここに戻ってきたことになる。
ただ、レイは好感度が0、つまり誰も彼に対して興味がない状態であり、さらには、このゲーム上のイベントスチルも全て失っている。
レイに関する記憶は全て削除されたため、アルフレドやヒロインたちも、自分がなぜここにいるのか分からない状態になっていた筈だ。
破壊神からの攻撃のことも、忘れているというより、そんな攻撃が存在することさえ知らない状況。
更に、神の時間と人のそれとは違う。
女神と自分があの空間で、どれだけ時間を使ったのかも分からない。
——この魔王の間の静寂はそれを意味している。
もしかすると、魔族の誰かが魔王を訪ねてくるかもしれないが、その扱いはただの魔王様ということになる。
「あぁあー。あんなにハーレムだったのにねぇ。旦那ぁ、今もったいないことしたって思ってません?」
なんて、女神のペットが聞いてくる。
彼も神族であり、レイの考えくらい読めるというのに。
「思ってねぇよ。ってか、思えるか。これまでの記憶が全部戻ってきたんだぞ。どんな顔をして会えばいいかさえ今は分からない。それにあの時思ってた内容は本心だ。推しゲーの魔改造を、俺の意志で俺のこの手でしたんだ。その上でハーレムエンドは流石におこがましい。ある意味、落ち込んでんだよ。なんで、戦闘機?なんでロボット?何フィールドって⁉……これでハッピーエンドなんて出来ないよ。」
「全く。ワシの分身体も失うとは、けしからんやつじゃな。」
白黒の女神の姿、ラビの姿ではない。
イーリという人型個体はこの世界に存在していなかったので、イーリはイーリのままだ。
「別に問題ないだろ。女神の力を使えば、俺の考えも読めるし、俺に直接話しかけることもできる。ってか、なんでまたロリババァ口調?」
「この方が偉そうじゃからに決まっておる。そして、そういう問題じゃないのじゃぞ。せっかくできた繋がりを、こうもあっさりと捨てられると、神としてのプライドが傷つくんじゃ。それに最後の戦いについて、気になることがあるのじゃろう? お主はプレイヤー、ゲームのデータは消えてもお主の記憶は消えとらん筈じゃが?」
気になること。
当然ある。
大いにある。
「あるよ。今までの俺だって頑張ってた。でも、明らかにあんなの詰み状態だった。だから、今回はなぜ、破壊神の方のメビウスに会えたのか、とかさ。なんであんなにお前が怒っていたのかは、流石に想像がつくけどな。」
「そうじゃなぁ。片方のワシは忘れておるくせに、もう片方のワシとラブラブモード、しかもそのまま破壊神を倒そうなんて、そりゃ怒るに決まっとる。ラブラブしとるワシも思っとったくらいじゃ。じゃからワシは今回の件で、お主を一片も助けとらんじゃろ? もう片方がブチギレた瞬間を教えてやった程度じゃ。まぁ、イーリの奴は最後に手を貸してしまったが、あやつはペット扱いじゃからな。あれはノーカンじゃ。」
白黒メビウスが肩を竦めてそう言った。
因みに俺は神の前で、玉座にだらけた姿で寄りかかっている。
「俺っちの身にもなってくださいよ。二人とも頑としてレイに気づいてもらうって聞きませんでしたからねぇ。あそこまで行って自滅する愚かな旦那っすよ? そりゃ助けちまうっしょ。あれ逃したら、おそらくは二度と……って、終わったもんはいいっすけど。」
愚か愚かと、あの戦いから。
俯瞰できる存在にそこまで言われる筋合いはない。
「それは全部を記憶している神目線だろ。そもそも最初の俺の記憶はなくな……」
ここで俺の思考が止まる。
「ん?そういえば俺、最初の記憶だけは戻ってない。なんでだ?」
すると女神は白い眼を俺に向けた。
「外部の魂だから壊されぬ、というのが嘘とは気付いとるんじゃろ。じゃったら簡単に想像がつくじゃろう。tobecontinuedモードを選択したお主の状況は——」
——絶対にハーレムを作っていたに違いない!
怒っているメビウスに対して、堂々と他の女といちゃつきまくっていた。
ものすごく分かりやすい!
他の記憶でもそうだったし!
俺は本当に何をやってんだ!
だから、あんな酷いエンディング、黒い炎に巻かれてレイを憎むエンドが出来てしまう。
「ってことは、やっぱり今回の俺の行動正解だったってこと?」
「さぁのぉ。そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。いい加減、お前と会いたいと思っただけかもの。神はきまぐれじゃ、ワシだって頭にきとったから覚えとらんよ。」
事実として白の女神メビウスは、会いたくなって出てきたと言っていた。
「ん。じゃあシロはもっと早く出てきても良かったんじゃないか?その後の俺は記憶をなくしてるんだし。」
が、その後、レイの頭に鈍痛が走る。
「勝手にシロと名付けるな。でも、シロか。良いかものぉ。それでもう一方はクロ。ん?ちょっと犬の名前っぽくはないか?まぁ、良い。元々名などないからの。メビウスもゲームの設定じゃ。あんまり気持ちの良いものではなかった。シロクロ、クロシロ、クシロ……うーん。そうじゃの、これからはこの状態のワシを呼ぶ時はシクロとでも呼ぶが良い。」
ってか、なんでゲームコントローラーで殴る?
なんでゲームコントローラー持ってんの?
「ふむ、ワシの名も決まったところで、ようやく本題に入れるな。結論から言うと、ワシも出たくても出られんかったんじゃ。今までの世界は容量不足じゃったんじゃろうからな。」
本当にそうなのか、それとも比喩なのか。
女神シクロはコントローラーを見せつけながら、俺にそう言った。
「世界の容量不足? でも、この世界、何でもありだったような?」