水面下の戦いの始まり
(なんだなんだ?)
レイはその少女を見て、首を傾げた。
勿論、レイは良く知っている少女だ。
最も落としやすい、という可哀そうなレッテルがリメイク前後ともに貼られている女の子だ。
彼女の名誉の為に言っておくと、両親を失った事と勇者アルフレドという唯一無二の存在がいる事で、エミリは恋に落ちる。
レイのような存在に振り回されたりしない少女だ。
だが、この個人面談に彼女まで登場してしまった。
このテラス席がカウンセリングルームのようになってしまっている。
「次はエミリか。全く、どうなってんだよ。エミリ、よく考えて行動しなさい。ここは外で暗がり。そして俺はお前を厭らしい目で見ているんだぞ。ほら、こんな感じに俺はお前を狙っている。今か今かと涎を垂らしている。」
彼は三白眼を少女に向けて、両手の指を鍵爪上に曲げて、口を開けてオオカミを演じている。
彼だって混乱している。
このゲームは宿屋で、こんなイベントは発生しない。
だからって、仲間が無言で過ごしていることにはならないのだが。
(俺にとっては最初で最後の夜だ。だから服を売ってまで個室にしたんだぞ?)
パーティメンバーの人数と宿屋の部屋の数、これって同じ部屋で寝てません、なんて古典的なツッコミだ。
昨今の自由さを考慮すれば、男女という枠組みさえ必要ない。
かの有名なゲームでは「さくばんはおたのしみでしたね」という名セリフが生まれた。
このゲームも実はそうだったのかもしれないが、それは暫く冒険を共にした結果であって欲しい。
「それは違うと思いますよ、レイ。女の子……、っていうより、私みたいな体系だと男の人が見ているなぁ、とか気付いたりするんですよ?」
レイは首を傾げた。
エミリが何を言い始めているのか分からない。
先の続きだが、暗転して朝を迎えるだけの宿屋でも、こんな会話が交わされているのかもしれない。
これはゲームに限った話ではないが、語られていない部分は妄想を掻き立てる。
(たった一晩でこんなに会話をしているとは思えないけど、俺の死に際も同じく暗転中だ)
レイモンドはフィーネを拐かすために、催眠薬を使う。
魔族から手に入れた、ヒロインさえも操る強力なものだ。
そしてフィーネはレイモンドの操られてしまい、建物の一室に誘われる。
ネタバレになるが、そこがこのゲーム最大の妄想ゾーンである。
画面は暗転し、文字と音声だけがプレイヤーに与えられる。
ここから先は見せられないという理由もあるのだろうが、その瞬間こそがレイモンドという悪が完成する瞬間である。
その後に無惨な死に方をする彼に対して、抑圧からのカタルシスを感じるか、ただヒロインを穢されたと憤慨するか、薄い本で補完しようと考えるかはプレイヤー次第である。
だから、レイはそのイベントを回避したい。
とはいえ、エミリの会話の着地点が見当たらない。
「俺は多分、いや間違いなく見ていると思うけど。だから、俺は狼なのであってだなぁ」
「違うもん。時々は視線を感じるけど、レイのそれって……ムッツリ系。」
「は?ムッツリって……」
「うん。ムッツリ目線」
飲み物を吐きそうになった。
ある意味で彼女にはちゃんとレイモンドを伝えていた。
「それはそれでダメじゃん!やっぱ俺は気持ち悪いであってるじゃん!で、その通りだよ。それに、フィーネとは今後の打ち合わせをしてただけだ。俺が次の街でどうやって別れるかって段取りだけどな。」
「ほんとにそれだけですかぁ?それにムッツリって、あんなあからさまな顔しませんよ。っていうかあれが演技って認めてるじゃないですか。」
(確かに!レイモンドはムッツリではなく、堂々としたスケベだった。……いや、そりゃ演技だからな。その辺は二人にもバレているし。大体、面と向かってセクハラする勇気ないんですけど⁉)
だが、ここから少女の言葉が斜めへ、そして上へと飛んでいく。
「先生!私思うんですけど、あの二人は先生についてきて欲しいって思ってますよ。それなのに、先生は本当にお別れしちゃうんですか?」
「ちょっと待て。なんだ、その先生呼びは!」
「それはそうですよ。私にとっては先生です。私の両親を助けました。それどころか私にモンスターの狩り方を教えてくれたんですよ?あの二人も言ってましたよ。師匠に情報収集の仕方やパーティ編成の組み方を教えてもらったって。これ、誰がどうみても先生ですよね?」
エミリの言っていることは間違っていない。
レイモンドになったとはいえ、レイはここまでプレイヤー目線だった。
そして、自分自身もこれから生きていくために、色々と確かめる必要があった。
彼らには世界を救ってほしいので、その情報をフィードバックして教えていた。
「あれは……、俺が生きていく為だ。そして二人は快諾してくれたんだ。次の街でお別れだから先生呼びは止めて欲しいかな。」
すると、少女はとても悲しそうな顔をした。
だが、これは良くない。
彼女の言っていることは分かるが、命が掛かっている。
そして、何度も言うが情を抱きたくない。
だから、彼は心を鬼にして少女を突き放す。
「これは決定事項だ。それで、エミリも俺に何か言いに来たのか?」
絶対の絶対に、ネクタでパーティから離脱する。
ただ、彼女はそれを受け入れられる少女だった。
懸命に寂しい顔を掻き消して、優しく微笑んでくれた。
「うん。先生とお別れするのは寂しいけど、私は先生の気持ちも尊重します。」
誰だ、彼女は落としやすい、なんて酷いことを言った奴は。
エミリはとても良い子なのだ。
なのだが……
「……だけど、あの二人は先生を戦場に連れていく気です。だから、先生はもーっともーっと嫌な男の演技を続けてください!私がちゃんとアシストしますから!」
エミリは宿の屋内に帰っていった。
これで漸く、おそらくは最後の夜を堪能できる、と彼は星空を見上げた。
彼の予想通り、この世界観での夜は本当に暗い。
だから、綺麗な星空が広がっている。
——そして、彼はお星様に悩みを打ち明けた。
「俺、明日から全員公認の下で嫌な奴を演じなきゃならないみたいです。意味……分からないです……。お星さまも、そう……、思いません?」
ただ、星空は変わらず、美しいままだった。
「マジで……、つれぇわ」
◇
レイはきっと眠れないだろうと思って個室にした。
そして、あんなことがあった。
全員が同室だったとしたら、きっと違う意味で眠れない夜になっていただろう。
そこは今更ながらグッジョブである。
ただ、目が覚めてから自分の立ち位置が分からない。
「ここであの剣を売るぞ。」
「いいのか?前も聞いたが、あれは元々お前の親父の……」
「しかも骨董品でしょう? こんなところで正しい値段で買ってくれるとは思えないわ。」
最近のゲームは、この概念を取り入れたものも多い。
場所によって、いや時間帯によっても売値が変わるというシステムだったり、店主の持ち金が有限だったりと、リアルを追求していたりする。
恋人の形見の羽帽子で一スロット分無駄にしたりしないよう、大事なものリストを作って売れないようにしているものもある。
父親の形見の剣は大事なものリスト入りしても良いアイテムだ。
だが、このゲームにそんなシステムはない。
「いいよ。世界中何処でも1000Gで売れる筈だ。アルフレドは俺に持たせてくれたショートソードを使うと良い。代わりに俺の為に棍棒を買ってほしい。棍棒はコスパいいからな。ちなみにエミリが持つ鉄斧は今のとこ最強だから、エミリはそのままでいい。フィーネには護身用ナイフを持たせるのが定番だな。」
ここはツッコんではいけないが、あの店主は無限に金を持っている。
これこそが昔ながらのJRPGである。
そして愛着問題で言うならば、レイモンドの父アーモンドは作中に登場しないし、肝心のレイモンド自体にプレイヤーが好感を持っていない。
だから、この剣は換金アイテム扱いされることが多い。
売れない症候群の方々は、半端な攻撃力のアーモンドの剣で埋められたアイテムスロットで苦しむかもしれないが、新島礼は即売り派である。
「ここからが重要なんだけど、確率がコマンド形式とは違う気がする。だから攻撃力よりも防御力を優先した方がいい。売ったお金でレザーアーマーが人数分買える筈だ。あと盾枠にバックラーは欲しいな。街でお別れする俺の分も出来れば買って欲しいんだけど……」
道具屋の目の前でこんな話をしているので、店主にも丸聞こえだ。
だからレイは言った後に少しだけ後悔した。
もしかすると凄みを利かせれば、もっと高値で売れたかもしれない。
だって、この世界の人間は、一応意思を持っている。
ただ、昨日全員に演技がバレていたことが判明したばかりだ。
やはり余計なことは考えない方が良い。
「いや、元々レイの物だからな。俺たちが申し訳ないくらいだが……」
アルフレドが申し訳なさそうに鞘に収まった剣を両手に持っている。
だが、何やら彼の視線が怪しい。
そして不意にレイの脇腹に衝撃が走った。
痛みがあったのは左脇腹で、右にエミリがいる。
アルフレドは目の前だから、これはフィーネからの合図だ。
「ふん。庶民どもに最後の慈悲をやろうと思っただけだ。どうだ、フィーネ。俺様は恰好いいだろう?」
「かっこいい……。とでも言うと思ったの? それもそもそもは村の税金でしょ? エミリ、騙されちゃダメよ!」
店のオーナーが目を白黒させている。
内輪でやる分にはギリ耐えられるが、赤の他人の前でこのプロレスは余りにも恥ずかしすぎる。
「えっと、店主さん。気にしないでください。ほら、アルフレド。買い物買い物!買い物も練習だぞ。」
「なるほど、分かった。それじゃあ、遠慮なく売らせてもらう。道具屋の店主、さっきレイが言ったように見繕ってもらえないか?俺は既にレザーアーマーを着ているから、それは三人分でいい。あとバックラー四人分。それと護身用ナイフと棍棒を一つずつだ。あと、レイが言っていた通り、アーモンドの剣を資金にしたい。」
そこで今度は右脇腹に痛みが走る。
しかもモンスターがぶつかった時よりも痛いから、絶対に筋肉女エミリの肘鉄だ。
「ちょっと待てよぃ、 アルフレドぉ。お前にやったつもりはねぇよ。俺様は超絶イケてるエミリの為に大事な親父殿の剣を売るんだぜぇ。俺様の大事な大事な親父殿が、泣きながら稼いだ金で漸く買ったんだぁ。本来なら1500G以上する代物だぜぇ?俺様はまだアルフレドから礼の一つも貰ってねぇんだがなぁぁぁ。」
するとアルフレドは珍しく顔を険しくして、レイの胸ぐらを掴み、グッと引き寄せた。
「エミリに良いところを見せてどうするんだ。それにジョークもいつものキレがないぞ。」
アルフレドは二人に聞こえないようにそんなこと囁いていた。
もはや、カオスもいいところだ。
こういうのは人のいないところでやれと店主が目で訴えている。
「グッ……。おうおうおうおう。俺様はフィーネの為にお宝を奮発してんだぜぇ?」
また、誰かが脇腹を攻撃した。
とにかく朝から仲間の様子がおかしい。
彼らも今日という日を目前にして、言葉にできない焦りを感じている。
付け加えると、レイが個室にしたことが影響していた。
つまり、彼らの中で意識合わせが出来ていない。
更に彼らは考えすぎてほとんど眠れていない。
「落ち着け、アルフレド。人が集まってるから! えと、とりあえず道具屋さん……、注文通りお願いするね?」
「あいよ!女性用二つと男性用一つ、バックラーが四つ、棍棒、護身用ナイフね。はい、これ、お釣り‼お着替えはご自分で‼」
「……すみません。」
「これ以上は何も出ねぇよ!閉店だ、閉店‼」
道具屋の店主はお金と装備類を置いて、布製のカーテンを閉めてしまった。
やはり彼らはただのNPCではなく、心を持つ人間だ。
シナリオには影響しないだろうけれど、自分たちが引き起こした迷惑行為に胸が痛い。
しかも釣り銭を見るとアーモンドの剣が1500Gで売れている。
こんな長閑な宿場町に突然現れた情緒不安定な銀髪の男、しかも極悪ヅラのレイモンド、これは立派な押し売りである。
この宿場町はモンスターの出現により、閑古鳥が鳴いていた。
だから、昨日は人々がわざわざ出迎えてくれたのに、今は目を逸らしてどこかへ消えていく。
「絶対に出禁になったな……」