修道院の資金源
ソフィアはまたレイに飛びついた。
今は、お姫様抱っこされた状態できょろきょろ周囲を見回している。
彼女にとってここはとても懐かしい場所だ。
懐かしくもあり、辛くもある場所。
でも、その全てを打ち消してくれる『レイに助けてもらった大切な場所』。
どこか複雑な顔をしつつも、ソフィアは頬をレイの胸に押し付けて、彼の鼓動に心を溶かしていく。
彼の鼓動は力強いが、それだけではない。
全てを包み込んでくれるような深い、とても深い海の底を連想させた。
彼女にそんな経験はないのだけれど、きっと母なる海、そして母なる女神とは彼のような存在を言うのだろう。
そして彼女の疑問はアズモデが答える形となった。
「資金が足りないってさ。自分たちの身の回りだけで手一杯なんだって。先の彼らの服はどれも新調されていたんだけれどもねぇ。いったいどのあたりが手一杯なのやら。ちなみに責任は君たちにある。と、その話は彼の前でした方が良いよねぇ。ほら、この壁にしか見えない石の壁、この先にオオムギーは震えて待っているだろうさ。」
確かにいつぞやも隠し扉を利用させてもらった。
つまり、あの通路の先に修道院長の部屋もあったということだ。
いかがわしい仕事をさせていた修道院長だ。
どちらが本当の彼の姿かなど考えるまでもない。
ドゴッ!
と地鳴りがしたと思った時には、アズモデが石壁を蹴破っていた。
「当然、魔王殿ならここに通路があるのはご存知だよねぇ。」
彼の言葉はレイに向けたものでも、ソフィアに向けたものでも、魔王に向けたものでもない。
彼はプレイヤーと喋っているつもりなのだろう。
そして彼はプレイヤーと敵対する者という、自己の存在意義を捨てきれずにいる。
だから、いつまでもこんな態度でいる。
(本当に、しつこいなぁ。いい加減迎合してくれたら良いんだけど、プライドというか執着というか……。にしてもこの方法……、あの時と同じ?)
見覚えのある隠し通路を進むと、レイが知っているものがあった。
地下への道である。
ただ、アズモデはその如何にもな入り口を見向きもせずに、その向こうの壁を蹴り飛ばした。
先程、蹴飛ばした壁からは土煙が上がったのだが、今度は違っていた。
「金粉……。なるほど、そういうことか。」
案の定というかなんと言うか……。
黄金の茶室の方がまだ侘び寂びがあったかもしれない。
それなりに大きな部屋の壁が全て黄金の輝きを帯び、机から何からそこにあるもの全てが黄金色をしていた。
そのものすごく高そうな机にちょっとだけ頭が見える。
「な、なんのようじゃ!ここは聖室だぞ!女神様が使ったとされる神聖な執務室じゃ!」
(おじいちゃん、おじいちゃん、そのセリフ完全に悪役が言うやつなんだけど、それにメビウスはこんなとこには……。ん? メビウスが出てくるシーンはアーマグの魔城だけ?まぁ、今回は特別出張でデスモンドに来てもらったけれど。それにしてもこんなに黄金が。黄金?ゴールド?ゴールドラッシュ?アーマグ大陸でドラゴニアは黄金期の時代を迎え……。あれ?これ以上は何故か考えられない。多分情報が足りないからだ。デスモンド、そしてアーマグ大陸で行くべき場所は二箇所も残っている。いや、アイザの時は全く関係ない話になるかもしれないけれど、おそらくはきっと……)
◇
レイは今の現状から黄金の意味を理解しようとした。
けれど何故か思考は途中から波のない、何もない海面の如く、水平にしか進まなくなった。
彼自身も、自分が何かの役を負わされていることに気付いている。
クリアした筈、いやクリアしていないからこその役目なのか。
スタト村から、魔王という役では説明しきれない事象に出会ってきた。
ストーリーテラー、それともやはり邪神?
この思考さえ、ある程度のところで停止してしまう。
「魔王殿、如何します? こやつは我々の同朋のような存在、しかも醜くて哀れな——」
「黙れ!この嘘つきめ。そもそもお前たち……、お前たち?……そうじゃ、お前たちがモンスターを引き上げたせいで修道院は力を失ったんじゃ。魔王軍による地下施設の管理も怠っておる……」
その瞬間、アズモデの手が伸びてオオムギーの胸ぐらを掴んだ。
そして、そのまま天井付近まで吊し上げた。
「別に今ペラペラと喋っても良いんだけどねぇ。魔王殿を愚弄する真似はやめてもらいたいなぁ。どうします? 彼はあの戦いで死んだものを霊廟に押し込み、再びアンデッドモンスターとして復活させていましたがぁ。こういうの、新魔王様はお好きじゃあないですよねぇ?」
「なるほど、やはり」というアズモデの言葉だった。
レイとソフィアがアンデッドと戦った場所は、この部屋の地下にあたる。
公式資料集にはないものだが、そういう考察なら見たことがある。
修道院は信者が亡くなると霊廟へと運ぶ。
そしてその死者がモンスターとして蘇るから、あの場所はモンスターで溢れていた。
しかも全てがアンデッド系モンスターだ。
——モンスターを倒せば、ゴールドを得られる。
それこそが修道院の本当の資金源だったという都市伝説レベルの噂話。
実際、ゲームでも、そこではアンデッドモンスターが出てくるし、そのおかげでソフィアはゴールドを手に入れることが出来た。
だから、その都市伝説は真実だったのかもしれない。
——もしくは真実にしてしまったか
「状況的にそれしか考えられないか。教会の地下施設にはアンデッドが出るってのはゲームあるあるだけど。」
「えええええ!じゃあ、私……、信者さんをヤってしまったってことですか? どどどどど、どうしましょう。信者さんたちになんて説明したら。ゾンビになってたご家族を天に召してしまいました、って言わなきゃ⁉わ、私……、急に罪悪感が……。これが、勝者の責任というものでしょうか。」
「ソフィアさん、ソフィアさん、一体どうした?信者さんを殺しちゃったみたいなこと言ってるけど、それ全然違うから! アンデッドになってしまったあの人たちは天に召されたんだよ? それってすごく良いことだからね?俺だって逝く時はソフィアに見守られながらが一番だって思ってるぞぉ!」
あの時のソフィアは無我夢中だった、あの光景がモンスター大量殺戮に見えたかもしれない。
それが信者の亡骸だったのだから、彼女が混乱するのも無理はない。
そして彼女はしばらく俯いて両手を組み、祈りのポーズをとった。
錯綜する記憶を整理しているのか、『ぽん、ぽん、ぽん』と音が聞こえてきそうだった。
そして、ソフィアは祈りのポーズのまま、目を少しだけ潤ませて身長差のあるレイの顔を見た。
ちなみにその時、レイは「上目遣いの女の子って本当に可愛い」と場違いなことを考えていたりするが、ばっちりと目があった後、彼女はこう言った。
「えと……、レイも私のでイきたいって思ってるってこと?」
……その瞬間、レイの周りの時が止まった。
(ってバカ!いや、ソフィアは至って真面目なんだろうけど、俺のバカ!いーや違う、キャラ設定にドSを追加したやつがバカ!ってか、祈りのポーズも違う手のポーズに見えてしまう俺が一番バカ!逝きたい!行きたい!イきたいに決まっているじゃあないか!うん。そうだ。間違ったことは一つも言っていない。だから俺も普通に答えれば良いだけだ)
……そして、時は動き出す。
「あぁ。俺はソフィアのテクニックでイかされたいって思っているよ。」
「ん、えっと。てくにっく……?えっとそれはどういう……」
(だーーーー!壮大に間違えてしまった!っていうか、俺の欲情が俺の理性を上回ってしまった! まずい!二人きりならまだしも、アズモデとあんまり良く知らないお爺ちゃんがいる前で、俺はとんでもないことを言ってしまった。これを挽回するには……)
「あぁ。知らないか? テクニック。つまりは技術だ。力任せではダメ、ちゃんとその人の気持ちの良いポイントを把握し——」
(じゃなーーーい!なんでテクニックの掘り下げしてんだよ、俺! どうする?もう完全に引き返せないよね? お爺ちゃん、ちょっと鼻息が荒くなってるんですけど⁉っていうか、こいつがこの修道院でいかがわしい仕事を始めてたんじゃあないか。だー、もう!だんだん腹たってきた!話題を強引に逸らしてやる。ちょうど気になっていることもあったしな!)
「ソフィアさん?えっと、その話は今はそのアレなんで、後にしよっか。」
そして魔王はこほんと嘘の咳払いをして、魔王の覇気を全身から漂わせた。
もしも今の状況が漫画になるとしたら、覇気の効果音は『ムラムラムラムラ』だろうが、とにかく関係ない。
とにかく覇気で威圧されてくれているので、大いに結構だ。
全部お前が悪いと言わんばかりの感情を込める魔王に、オオムギーはたじろいで顔面が土色になった。
「えっとな。オオムギー・ビアって名前、これも引っかかるんだよ。どうしてお前には姓がある?もしも心当たりがあるなら教えてくれないか。たとえば家系図的なものとか……。そもそもお前の祖先はライムギだよな? 確かその頃は名前しかなかった筈だ。やはり世界を掌握した魔王として、それくらいは知っておこうと思ってな。」
思考が何故か水平になって止まる。
情報が少ないからそうなのかもしれないし、別の理由があるのかもしれない。
でも、この辺は流石にほとんど情報が集まったようなものだ。
だから自分で話しても良いが、彼の口から話させる方が良い。
何故かそんな気がした。
そして、レイのその理由もない行動が、想像通りの現象を引き起こした。
♧
ライムギは当時、金色堂と呼ばれていた一室にいた。
伝承ではこの部屋は女神メビウスに降臨してもらう為に作られたとされている。
そして何故黄金が多用されているかも伝わっている。
女神メビウスが地上に降り立った地は金色に染まり、彼女が飛び去ったあとには金の粉が降り注ぐという言い伝えがあるからだ。
ただ、ライムギは女神の姿を一度たりとも見たことがない。
だからといってライムギが女神に愛されていない訳ではない。
彼女は人を作った一日しか、地上に降り立つことはなかったと言われているからだ。
ライムギ「人知を超える存在……か。易々と降臨はせぬか。それに本当にいたのかさえ疑わしい。それでも人は女神を求め、こんな馬鹿げた祭壇を作り上げた。」
そう言って、彼は部屋の調度品を一つ一つ手にとっては首を傾げる。
本来、祭事の日以外、この部屋は何人たりとも入ってはいけない封印の部屋。
コムギがあれやこれやと手を回してくれなければ、今頃引き摺り出されていることだろう。