見逃される違和感
急ピッチで進められる披露宴の準備。
最初の一日はあっという間に過ぎていく。
来た時は東に昇っていた筈の太陽があっという間に沈んでしまって、今は次の日の太陽が昇っている。
その太陽もいつの間にか南中を越えてしまっている。
本当なら数カ月かけて悩んで決めることだけに、急遽開かれる披露宴はとても忙しないものだった。
料理はエイタとビイタに任せておけばなんとかなるだろうが、どういうスタイルのものにするか、誰を呼んで誰を呼ばないか、決めなければならないことが多すぎる。
その中で助けられたことは、今は全員が暇を持て余しているということだ。
スケジュール調整をしなくて済むのはとてもありがたい。
無論、ドラグノフはギリー農場だし、アズモデはなんというか、まだこういう場には向いていないだろう。
彼がラスボスであり、人々の脅威の全てを担っていたが明るみになれば、二番目の目的であるネクタとの友好関係が実現不可能となる。
「で、結局女性陣を呼ぶのは却下だし、アルフレドも花嫁?花婿候補だから無し。……って中で俺とそれなりに付き合いがあって、それなりに人間に慣れているってなれば……、ゼノス……。いや、アイツはダメだ。ってことで、俺が思いつくのはこの二人かな?ワットバーン、他に候補はいるか?」
するとワットバーンは腕組みをして、うーん、考え込んでしまった。
エクナベル家に入ってからは彼も人型になって貰っている。
しかも、ちゃんと魔族としての風貌だ。
ここからスタートするのだから、こんなところで嘘をついても仕方がない。
「私が思い浮かべられるのはエルザ様とヘルガヌス元陛下。チューリッヒ殿はやはりネズミ。ネズミ差別をする訳ではないですが、人間は台所にネズミが出るのを嫌うという話を人間の方の黒スーツにお聞きしましたし……。あ、あの……、やはりエルザ様は呼んではいけませんでしょうか?私と同様、魔王様のヒロイン枠ということには変わりないと思うのですが……」
最後の一言にお茶を吹き出しそうになった。
確かに最後の場面、レイは全員まとめてプロポーズしている。
つまりはワットバーンもヒロイン候補である。
そして彼なりに出した結論はヘルガヌスとエルザ。
人の形になれない大鼠のチューリッヒには申し訳ないが、今回は魔族と人間の大富豪との和解の意味も込めている。
それにネズミと食事会は余りにも相性が悪すぎる。
「男とか女とか、魔族とか人間とか確かに訳がわからなくなってるけど、エルザは別の事情で連れてこれないんだよ。それに設定上の本当の魔王であるヘルガヌスは連れてこれない。これ以上ヘルガヌス爺さんに心的ダメージを与えたら、本気で死んでしまうかもしれないしな。ワットバーンのおかげで絞り込めた。一人も食堂という意味では問題ありだが、人の形になれるから大丈夫だろ。そしてもう一人も呼んでいいのかは分からないが人間慣れしている。ってことで、あの二人に決定だな。えっとそれじゃあ、俺が二人を呼び出すから……」
「はい。私は席順などを黒スーツ達に伝えておきましょう。なるべく風下に置くように、空調の近くは避けるように、席もちょっと距離を置くようにと色々ありますからね。」
やはり、彼を呼んでよかった。
事実として魔族は臭い。
新郎の椅子に座ることは、レイにとっても心労なのだ。
「あれ? なんか、新郎臭くない? でも、そんなまさかよねー。香水のつけすぎかしら。きっと、そう。あれは香水、香水、コウスイ………………。って、違う! やっぱりあの新郎めちゃくちゃ体臭がひどい!」
なんて言われたら立ち直れる気がしない。
「それにしても……、なんか胸がざわつくんだよなぁ」
彼の心はずっとざわついていた。
収納から解放されたレイのコウモリの羽には汗の粒が滴っていた。
おめでたい筈の披露宴。
こんな気持ちでいてはいけない。
人生で最高に幸せな瞬間なのだ。
これがマリッジブルー?なんて、考えてみたりもするが、相手はマリアだ。
最高のパートナーではないか。
「はい、こんな感じかしらね。どう? ほらほら、後ろ向いてー! レイ、似合ってるし、かっこいいわよ‼」
魔王の後ろには姿見があった。
よくこの短時間で2mという巨漢の燕尾服を仕立てたものだと感心してしまう。
そして、どれもこれもが愛しのマリアのおかげだ。
彼女がレイの服のデザインを考えてくれたらしい。
それを急ピッチでしかもこんなに丁寧に仕上げるなんて、まるで漫画やアニメ、それにゲームみたいだ。
今回の衣装は『レイが魔王』だと周知させるために羽も牙も隠していない。
結局、レイはこの屋敷に入ってから、マリアの両親と会うことはなかった。
だが、街中を駆け回っているのであれば仕方のないことだろう。
(ここは現実世界だ。忙しいから姿を見せないのは当たり前だ)
あの当時は魔王襲来によって、エクナベル家全体が引きこもっていた。
だから彼らが外に出ているというだけで、この街にも大きな進歩があったと言える。
「ありがと、マリア。俺はこういうのあんまり分からないから。頼りにならなくてごめん。」
「何言ってるのー。頼りにならない私をずーーっと支えてくれたのはアルフレド……、じゃなくてレイの方じゃない。これからはずーっと私を頼っていいからね、勇者様!」
「あぁ、本当に嬉しいよ、マリア。」
——違和感、そんなものは感じない。
だって、この流れはとても自然なものだからだ。
——無論それは、レイモンドの時のレイに対してではない。
この世界にとって自然なもの。
何度もアルフレドとして周回したレイにとっても、マリアの言葉は違和感なく耳の奥に届けられる。
大脳皮質に辿り着いたとしても、当たり前に処理されていく。
「それじゃ、私はパパとママのところに戻るから、あとはエイタとビイタの言われる通りに動いてね!」
本来ならこんなに短時間で披露宴の準備なんて出来やしない。
それでも、この違和感にレイは気付けない。
勿論、前世も前世、新島礼のころなんて、披露宴に呼ばれることさえなかった。
だから、こういうもんかと思ってしまう。
そのせいにしている。
◇
発見が遅れてしまった理由、それはエイタとビイタにある。
彼らにはすでに名付けをしてある。
だから、既にネクタは動き出しているのだと思った。
レイはニイジマ時代に彼らに名付けをした。
すると彼らは少し照れ臭そうにしながら、その行為を受け入れた。
そしてそれから彼らは目立った動きをしたかどうか……。
エクナベル家の執事である彼らはその後、しっかり執事を全うした。
実はただそれだけだ。
レイはスタト村で名付けをしたのは、エイタやビイタを思い浮かべたからではない。
ほとんどが、モンスターへの名付けの経験からだ。
人間とモブモンスターの人生に大きな違いはないが、一点だけ異なる部分がある。
モブモンスターは戦いに敗れると素材だけ回収されて、新しいモンスターに生まれ変わる。
しかも、その時に以前の記憶は無くなっている。
だからモンスターは今のことだけが全てだった。
それもあって、ラビもイーリも十さんさえも人が変わったように活発になった。
彼はそう考えているだけで、エイタとビイタを見て何かに気付く、なんてことはなかった。。
もやもやする。
スタト村の件はイレギュラーだったのだろうかと。
過去を持たないモンスターへの名付けは効果的面だった。
ただ、エイタとビイタに名付けをした時はそれほどに情動的な変化はなかった。
今、彼らに何を話そうか。
過去の記憶が戻っているのなら、おかしなことになってしまうかもしれない。
そうも考える。
だから彼は当たり障りのないことを聞いた。
「エイタ、あれからこの街に魔物は現れたか?エクナベル夫妻は息災だったか?」
本当になんでもない確認事項。それに対し、エイタは表情ひとつ変えずに答える。
「はい、何も。ですが、奥様も旦那様も屋敷を一切出ようとしませんでした。いつあの化け物が来るやもしれぬと窓際に絶たれることさえ、拒むようになりまして……」
するとエイタの後ろに立つビイタがその話に参加してきた。
「ですので、私がそれならば、すべて鉄の窓にしてはどうかと提案したところ、どの窓も鉄扉に変更されました。ほら、今までは窓の外から簡単に景色がご覧になられたでしょう?今はこのように、蝋燭が欠かせなくなりました。」
やはり、ニイジマという存在のせいだろうか、ここはここでミニエピソードが垣間見える。
それにホッとしたレイは「いかん、いかん」と首を振って、彼らに久しぶりにお願いをしてみた。
「流石に今日ばかりはまずいって。確か、マリアの披露宴の一枚絵は開放感のある窓だったし、大広間の窓だけ至急元に戻してくれないか?」
そして、少しずつレイにも笑顔が戻ってきた。
久しぶりの同僚と会話した。
彼らはある意味、何も変わっていなかった。
少なくともネクタはスタト村のように、歴史が改変される事態には陥っていない。
窓が鉄扉になったくらい瑣末な問題だ。
(それを元に戻せたんだから問題ない)
さて、ここで一つ。
実はニイジマ時代にした名付けと、今の名付けは全くの別物。
彼はまだ、それに気が付いていない。
だが、まだここでは語らない。
然るべき時に、彼には気付いてもらう。
「じゃあ、そろそろ通信魔法でオスカーとイーリを呼び出すかな。あ、そうそう。そういえば、マリアはリディアがアルフレド以外で唯一ファストトラベルが使えるって知っていたんだな。」
マリアはここにはいない。
彼女のことだ、リディアをとっくの昔に呼び出して、今頃は家族と打ち合わせをしているのだろう。
なんだか、ぼーっとして段取りを全てマリアに任せてしまった。
今から面目躍如なんて間に合うはずもないが、一応やるべきことはやっておく。
「さぁ、こい。我が下僕よ。雑魚キャラ召喚!」
幹部専用呪文。
いつぞやワットバーンがアークデーモンを呼び出した時にもこの魔法を使用したのだろう。
ボスキャラというのは突然モブを呼び出す。
やはり魔王軍の魔法は便利すぎる。
そして、レイはスライムおじさん『オスカー』とイエローコウモリん『イーリ』を呼び出して、彼らに重大な任務を伝えるのだ。
「お前達には友人スピーチをしてもらうからな。俺の良いところを人間どもに知らしめるんだ!」
ちなみに二人はガヤスピーチを担当してもらう。
披露宴なのだから、ふざけても問題ない。
メインのスピーチはワットバーンが打ち合わせ通りやってくれる。
そこで『何か』はやっと一息つけた。
「やっと落ち着いてきた。はぁ……。やっぱりこういう一大行事は心がザワザワしちゃうもんなんだな。」
——そして、『何か』のところに顔も名前も知らない誰かがやってきて、そろそろですと伝えられた。
「旦那ぁ。俺っちに期待しといてくださいよぉ!」
「ついに変態紳士も年貢の納め時かいな……」
「待て待て待て、二人とも! それなりでいいから!それなりで! 今日は全てマリアのために動くんだぞ!」
『なにか』は浮ついている。
心ここに在らずというか、昇天してしまっているのかと思えるほど。
『なにか』は緊張で視界がはっキリしない。
多分、あれやこれやの汗をかいているので、臭いも心配になってくるほどだ。
そういう意味でその臭いの発生源をイーリにぶん投げられる状況は、頭の回らない『なにか』にしては良い判断と言えた。
でも、もうすぐマリアエンドも完結だ。
だって、披露宴が開かれるのだ。
これはもう本編のエンディングと遜色がない。
そして、それが何を意味するかさえ、考える力を失っている『なにか』は、全力でマリアとのハッピーエンドへと向かおうとする。
その足取りはリアルでも、オープンワールドの歩き方でもない。
画面上でよく見る上下左右に直角にしか進まない歩き方。
——そして、披露宴の会場に足を踏み入れた瞬間に一瞬だけ視界が暗転した。