エミールの駆け引き
キリはツルをがっしり掴み、いくつもの芋を引き抜いた。
同時にブチッと嫌な音もしたのだが、彼女にとって日常茶飯事なので特に気にすることもない。
だが、彼にとってのそれは驚愕でしかない出来事だった。
目玉が飛び出るほど、瞼をガン剥いてしまう。
エミール「え、えと……、キリさん? 今のは一体?」
キリ「ん?ちょうど収穫期かなって思って、芋を引っこ抜いてたの。どうです? お父さんにも褒められているんですよ? 私は芋を引き抜くのがどうやらうまいんですって!まぁ、エミールさんは商いをされる方だから関係ないと思いますが。」
キリは少しだけ自慢げな顔をしてみた。
だってここしか知らない自分と、あちこちを回って商売をしているエミールなのだ。
彼に勝てるとしたら農作くらい。
だから、ちょっとだけ気分が良かった。
目を剥いているのも、手際の良さに驚いたからに違いない、そうとしか思えなかった。
ただ、彼のその後の行動にキリは困惑する。
エミール「キリさん、私のすべきことが分かりました。一緒にお父様のところに戻りましょう。」
そう言った彼は、今日会ったばかりの彼女の手を握った。
そして、ギリーが寛いでいる居間に押し入った。
キリの手を握ったので、エミールの手も土まみれだったが、今の彼はそんなことを気にしない。気にしていられない。
この一家はどうなって……、いやギリーの教えがあまりにも粗雑すぎるのだろう。
どうやったら、どう教えたら芋掘りがただの綱引きになってしまうのか。
大陸随一の肥沃な大地、かつ何故か、その中でもさらに肥えた土地。
宝を遊ばせているようにしか見えない。
だから彼はギリーに物申した。
エミール「ギリーさん。畑を見せて頂きました。そして私は確信しました。この土地は貴方の手に余る。私に譲ってくれませんか? 私ならもっと上手く作物を育てられます!勿論、それ相応の……、それこそ畑仕事をせずに暮らせる金を用意いたします。」
その言葉はあまりにも苛烈なものだった。
失礼極まりない発現。
先祖代々伝わる土地に対して、不相応の人間が所有しているから手放せと言っているのだ。
それは、もはやただの土地の売買ではない。
ギリーやキリを否定する言葉でしかなかった。
だからギリーの顔はあからさまに険しいものへと変わる。
キリの父は拳をテーブルにドンと叩きつけ、エミールを睨みつけた。
ギリー「おいおいおい、てめぇ、なんつった? ワシらのご先祖様の土地がワシらには相応しくない? 全く、舐めたこと言ってくれる。そんなこと出来るわけねぇだろ!」
無論、エミールもギリーが反発することは分かっていた。
でも、あの畑を見せられたら、あの宝の山を見てしまったら、エミールよりも腕力のあるだろうギリーにも対峙できる。
それくらいの商魂は持っている。
しかも、これは敢えて大袈裟な提案をしただけであり、これが上手くいかないことくらい最初から分かっていた。
エミール「ですよね。根無し草の私には良く分かりませんが、土地の売買がすんなり行くとは思っていませんよ。だから私が提案したいのは、この土地の……いや、あの畑の使用権です。ギリーさん達はそのままこの家で何もせずに暮らして構いません。要は畑のレンタルをして欲しいということです。そして、それ相応の金をお支払いする。これで如何ですか?」
彼の言葉にギリーは一度声を失った。
そして明らかに困惑している。
エミールは彼に不労所得をチラつかせているのだが、正直それがどういうことか理解しかねている。
だからエミールはもう一押しだと思った。
因みに、エミールが支配されているのは、実は利益になるからとか金銭的なことだけではない。
どうしてこの地でだけ黄金砂糖いもが生息しているのか、それがどうにも心から離れなかった。
だからギリーが、……本当は困惑していないことに、彼は気付けなかった。
ギリー「これだから商人ってのは好かねぇなぁ。頭ん中に本当にそろばんでも入ってんじゃねぇか? 頭ん中がごっちゃになる。こういう時はコレで決めるのが一番じゃねぇか?」
ギリーはエミールの太ももよりも太い二の腕をテーブルに置いた。
そしてエミールに何がしたいのか分かるように、袖を捲り上げて肘をつく。
煽っているのか、手をワキワキさせている。
エミール「腕相撲で勝負……ですか。 なるほど、これなら頭を使わなくていい。ですが、それに私が乗るとお思いですか?」
どう考えても負け試合だ。
無論、男として腕相撲から逃げることに悔しさはある。
でも、そんな力技で全てを無かったことにはしたくはない。
金やらオイルやら、都会では富を履き違えている者が多い。
そして、そのせいかこの親子も違う意味で履き違えている。
この畑の秘密を暴くことが出来たら、狂い始めている世界も変わってくれるかもしれないのだ。
ただ、そんな高尚な考えをしていた彼は、この後肩透かしを食らうことになる。
ギリー「まぁ、話は最後まで聞けって。ワシと勝負するんじゃあない。娘のキリと腕相撲をしろって言っているんだ。」
キリ「え!? わ、私?」
キリは華奢な体をビクッと震わせた。
自分には一切関係がないと思っていたのと、芋の収穫がまだ途中だから早く終わらないかなぁ、としか彼女は考えていなかった。
そこで突然自分の名前が出てくるものだから、驚いても仕方がない。
勿論、エミールはエミールで驚愕していた。
まさか先ほど手を引いた細い腕の女性、あの赤毛の女性と腕相撲をしろと家主が言うのだ。
エミールだって体格に恵まれていないながらも、自分の身を守れるくらいには鍛錬している。
それに彼の仕事は駆け引きが肝である。
女性相手の腕相撲で逃げ出そうものなら、これから先の取引先にも舐めた態度をとられるかもしれない。
アイツは腰抜けだから、いざとなったら逃げ出すと言われるかもしれない。
そして彼にはもう一つの考えが浮かんでいた。
ギリーは半分は困惑、そしてもう半分は実はこの取引は悪くないのではと思っているのではないか。
それを娘にえいやっと投げてしまったのではないか。
そんな考えがエミールの脳裏にチラつく。
エミール「分かりましたよ。ギリーさんがそれで良いのであれば。私が勝てば、承諾して頂けるということをお忘れなく。」
ギリー「あぁ、あぁ。男に二言はねぇよ。じゃ、キリ。頼んだぜ。」
そうして華奢な腕同士の腕相撲の準備が着々と進む。
先ほど握った手を再び握る男女。
あの時は勢いで手を握ったものの、今はなんとなく気恥ずかしさがある。
都会慣れしたエミールも顔を赤く染まってしまうほど、キリは都会の女性にはない美しさを持っていた。
それに今更ながら気がついたエミールだった。
そして彼は全部ギリーの手の中だということに、まだ気がつかない。
ギリー「そういや、お前が負けた時のことを決めてなかった。流石に勝負事だ。どっちかの要求だけってのは筋が通らねぇ。」
エミールは思った。
これは盤外戦術だと、でもそれはエミールの土俵。
エミール「そうはそうですね。ですが、すぐには思いつきませんが……」
慎重に言葉を選ぶ、迷っているだろうギリーの心をくすぐるのはなんであるか。
だが、それさえも。
ギリー「だからエミール。お前が負けたら、婿としてキリの旦那になれ。」
エミールはギリーの言葉に声を失った。
というより頭が真っ白になった。
それってどうなの?
それなら負けたとしても、この地の畑は——
バキッ
キリ「ちょっと、お父さん!突然、何を言っているのよ! 私とエミールさんの気持ちを……、ってあれ?エミールさん、大丈夫ですか?私、つい……」
エミールは全てが真っ白になっていた。
隙は見せていなかった筈、商魂が宿る右腕の力を緩めたつもりはない。
ただ、商魂は折れなかったが、骨が折れてしまったという話。
つまり、キリの頭も真っ白になってしまい、被っていた猫の皮が剥げてしまったという話だ。
エミール「だ、大丈夫です。薬草は常備してます……し」
ギリー「悪いなぁ。キリがそういうもんだから、婿ってのはなしだ。でも、これからちょくちょくキリに会いにきてやっちゃあくれねぇか。キリは早い時期に母親を亡くしてなぁ。ワシが一人で面倒を見ていたんだが、ワシには力仕事しかできねぇ。だから教養も何も教えられてねぇんだ。その点、お前さんは見聞も広いし、悪い人間じゃねぇ。ま、結婚に関してはワシのただの勇み足だから許してくれ。」
エミール「えと……、それじゃあ私がキリさんに作付けなどの指導をしても良い……と?」
ギリー「あぁ。それも頼む。正直言って、アレも妻に任せでな。ワシにはよく分かっていないんだ。んじゃあ、そういうことだ。これからはワシを通さずに娘と取引するようにしてくれな。」
そしてそれから、エミールはキリのところに通うようになった。
教養を教えることもそうだが、何よりも畑の扱い方からだ。
エミールもその為に他の農園を見学にも行った、勿論キリを連れて。
時にはキリを都会に連れて行ったこともあった。
キリ「エミールさんって、色んな所を知っているんですね。」
エミール「まぁ、仕事柄です。でも、楽しいことばかりじゃないですよ。僕はキリさんが羨ましいです。あ、そこは違います。ここをこうやって……、はい。やっぱりキリさんは本当にお綺麗ですね。それ、大変似合ってますよ。」
キリ「え?……あり……がとう……ございます。」
都会の所作を教えていた時に気付いたことだが、キリは異様に不器用だった。
ギリーの不器用さがそのまま彼女に遺伝しているらしい。
エミール「あ、それ。僕がやります。キリの美しい手が……」
キリ「あ、あの……」
エミール「い、いえ。その……。す、すみません。」
ただ、どうやらエミールも恋愛には不器用だったらしい。
だから、エミールはここから恋愛ゲーム張りのキリ攻略に東奔西走していく。
そして、気が付くと畑仕事はエミールが担当することになり、彼にお茶を出すのがキリの仕事になっていた。
ギリー「やっぱりワシの見立て通りだった。商才だかなんだか知らねぇが、年の功には敵わないってこったなぁ。」
エミールは無事にキリを口説き落とし、呆気ないほど早く婿としてギリー農園で暮らすことになった。
そんなある日。
エミール「そう……ですね。言われてみれば、最初から私は乗せられていました。でも、後悔はしていませんよ。僕にとって一番の利益はキリさんですから。それにもう一つ。実はもうすぐお義父さんに……、——! キリ!お義父さんが!」
ギリー「大丈夫だぁ。分かってたことだぁ。……エミール!キリのこと……、死んでも守れよ。男と男の……約束……」
ギリーは自分の先が短いことを知っていた。
そして同時に娘の行く末も案じていた。
だからこそ、ずっと見定めていたエミールに狙いをつけていた。
ギリーとキリは性格も似ている。
ならばキリの母と同じような性格のエミールならばきっと上手くやってくれる。
だから、一芝居をして、彼とキリを引き合わせたのだ。
オギャァ
ギリーが息を引き取った後にエミリは生まれた。
そんなエミールがギリー農園の肥えた土地の秘密に気がつくのは、実はかなり遅かった。
彼がその事実に気がついたのは、エミリが農業を手伝うようになった頃。
彼女が持つ人間離れした腕力での圧倒的な開墾術、それが単純明快だが最大の理由だった。
ちなみにキリはというと、エミールが良かれと思って教えていた都会の話、教養の話を聞き始めた時期から、自慢の怪力を使うことを躊躇っていた、という皮肉がそこには隠されている。
そして、あの日がやってきた。
エミール「エミリ、今日もありがとうな。お前のおかげで今年も豊作になりそうだ。今言うとおかしな流れだが、生まれてきてくれてありがとう。」
キリ「ほんとにそうよ。まるで畑を耕すために生まれたみたいじゃない。エミリがいるだけでお芋さんも金色に輝くのよ。」
二人は肩を寄せ合って、頭までくっつけて赤毛の少女の働きっぷりを微笑ましく見ていた。
両親が仲が良いのはよいことだ。
でも、それと今の状況を赤毛の少女は看過できなかった。
エミリ「あたしが畑を耕している時に二人でいちゃつかないでよー。まぁ、私も耕すくらいしかやってないけど……。あれ? なんか今日って森の様子がおかしくない?」
キリ「エミリ!急いで家の中に!」
エミール「キリもだ!僕も直ぐに行く!」
エミールは立てかけていたロングソードに手を掛けた。
エミール「ついにおかしくなったのか。……行商人の情報網で気付いていた。でも、僕は駄目だな。キリと出会ったこと、エミリが生まれて来てくれたこと。世界を変えることよりも大切なことを見つけてしまった。」
もっと前、世界を変えたいと思っていたころに持っていた剣。
それを脇に抱えて、彼も家へと向かう。
エミール「……ギリーさんとの……男と男の約束なんだ。」
使わなくなってずいぶん経った錆びたロングソード。
だが、それを物ともしない、獰猛なエリートゴブリン二体が彼らの家に迫っていた。
そして、そんな時だからこそ。
銀髪の彼は察知するのだ。
レイ「……おかしいな」
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