本当に、おまえ……なんだよな?
2023/03/05 07:30 タイトルを『本当に、幼馴染……なんだよな?』から『本当に、おまえ……なんだよな?』へと変更しました。
全部思い付きだけの衝動で書きました。
尻切れトンボな感じになってしまいましたが、書きたい事は概ね書けたので満足です。
人名に関しては、完全にその時の思い付きです。実在の人物とはあーだこーだってヤツです。フィクションです
男の娘・女装男子系の作品が苦手な方や見た事が無い方には要領を得ない部分があるかもしれません。ご了承下さい。
――異性の幼馴染。
それは年頃の少年少女――もしくは、良い歳をした青年淑女――ならば、少なくない者が憧れを抱き、時に気付かず……儚くも新たに手に入れる事は決して出来ない、正に幻想と呼ぶに相応しい、理想の中にのみ存在する泡沫の流星ではないだろうか。
同級生……否、小学生から高校生に至るまで、ずっと同じ教室に居るだけの知り合い――顔見知り程度ならば、むしろ多く存在しているであろう。
だがそれは、幼馴染と呼んでも良いのだろうか?
いいや、決して違うのだろう。
そもそも幼馴染とは、その文字通り『馴染み』がある……即ち、多少なりとも親しい関係性を要求される存在に他ならない。
『幼い頃に親しくしていた。もしくはそういう関係性にある人』
どの様な辞書でも、大体そんな説明が為されている筈だ。
そしてそこには、関係が現在に至るまで継続されている必要は無く、『幼い頃』にさえ親しければ成立する旨も含まれている。
つまる所、暴論ではあるが……偶然鬼ごっこか何かの複数人での遊びに誘われて、偶然そのグループの中にいた人の事を、たった一度であっても一緒に楽しく遊んだのだから『幼馴染』と言い張れない事も、無い事もない……かもしれない。
何はともあれ、すぐ目の前にありながらその存在には見向きもせずに、遥か遠く手の届かない幻想を求めてしまう。それが、幼馴染という概念ではないだろうか――
……まあ、長々と『現実逃避』してきた訳ではあるが、そろそろ目の前にある現実を受け止めなければいけないだろう。
誠に、遺憾ではあるが。
なにはともあれ、現在この空間に存在する人物から確認していこうではないか。
まずは俺、澤田道成。何の変哲もない、成績も身体能力も目立って優れている訳でもない高校生だ。
そしてもう一人。一般的な視点から見て『可愛い』と言って差し支えないであろう外見の、名称不明の見知らぬ美少女……いや、正確には違うか。
『コイツ』の事はきっと色々と知っている。『幼馴染』とも言えるが、『腐れ縁』とでも呼ぶべき関係の友人だというのは何となく察している。もしそうでなければ、警察に通報して連行してもらう事も視野に入れて対処してもいいし、こちらから『妥協案』を提示して『言う事』を(半強制的に)お願いしても聞き入れる他ないであろう。そんな事をしている、暫定正体不明の人物。
次いでこの状況。
ここは、何の間違いがあったとしても変わる事が無い、俺の住む部屋に他ならない。
自信を持って綺麗な部屋だとは主張出来ないが、それでもゴミを散らかしたりしている訳でもなく、人を招いても恥ずかしくはない程度には片付けをしている部屋だ。
俺は、ちょっとした買い物をする為に――時間にして三十分を過ぎる程度だろうか。大して長くもない程度の時間、外出していた。
――そして帰宅した時、鍵が掛かっていなかった。
自分が鍵を掛け忘れていた? いいや、それは有り得ない。
俺はちょっと部屋を出る時でも、鍵を掛けるのを忘れない様に気を付けている。
重要な鍵はカラビナにまとめて、決して無くさない様にズボンのベルト通しに吊り下げる癖を付けているくらいには。
部屋を出る時にはいつも鍵を掛け――頻繁に使うからリール式のキーホルダーを付けているのだが、鍵から手を離した後は必ずドアノブに手を掛け、しっかりと鍵が掛かっているのを確認している。
俺は物忘れしやすいタイプではないし、むしろ他人より記憶力が良いと自慢出来る程度には自信がある。
今回も例に漏れず、外出時に確認した記憶が明瞭に残っているのだ。
それなのに、俺の部屋は鍵が開いていた。
大家さんが勝手に来ている可能性――無し。
人当たりは決して良いとは言えない人物なのであるが、信頼という面では間違いは無いと言い切れる。
それは近くに住んでいる人も同じ認識で、引っ越して来た頃にはよく良い噂を聞かされたものである。
空き巣の可能性――ほぼ無し。
理由は幾つかあるが、これは主に大家さんに対する信頼の一つでもある。
簡単に言ってしまえば、防犯設備や環境が充実しているのだ。
さあ、そろそろ可能性の高い候補を挙げるとしよう。
さて、どの候補から挙げるべきか。一つしか無いけれど。
……紛う事なく、健司の仕業だろう。
俺が唯一、合鍵を渡している人物。中学の頃から同級生となった、神谷健二。
彼は一点を除き平凡……いや、どちらかというと優秀寄りの人物だ。
一体どうしてこうなったのか覚えてはいないが、確か他愛もない出来事がキッカケで仲良くなり、今では最も信用している友人である。
彼とはよく遊んでいて、俺の部屋に呼ぶ事も多々ある。その関係で合鍵を渡していて、玄関には彼の靴もある事から健二が来ているのは間違いないだろう。
しかしその隣に、見覚えのない靴が並んで置かれている。
大きさとしてはあまり大きなサイズではなく、男女の区別は付かない。
が、健二の事だ。何の断りも無く俺の知らない人を、あろうことか俺の部屋に連れ込むなどする筈が無い。そういう事をしないという信頼があるからこそ、合鍵を渡したのであるからして。
つまり、この靴の持ち主は俺の知っている、少なからず身近な人物だと予想出来る。クラスメイトか、部活のメンバーか。まあ、その辺りだろう。
ともかく、部屋に入って確かめれば分かる事だ。
そう。俺は部屋の中に入った。
何の心構えも無く、部屋の中へと入った。
……入って、しまった。
何より先に目に入ったのは、俺のベッドだ。
大抵目が覚めて起きた時のまま、整える事もしていない掛け布団に、膨らみがあった。
流石に暑いのだろう。もぞもぞと蠢いている。人が一人入る程度の、その膨らみ。
この時点で警戒するだろう。一体何をしているのか。何の目的で俺のベッドの中に潜り込んでいるのか。
ゆっくりとベッドに近付き、警戒心を隠す事もせず構えた俺は、気取られない様注意しながら――
ベッドの下を蹴った。
「ぐえっ」
そうだろうとは思ったさ。
「おい健二。説明」
ベッドの下に隠れていた健二の首根っこを掴み、乱暴に引きずり出す。わざわざ出て来るのを助けてやる俺、なんて心優しいのだろうな。な?
「……なんで隠れてる場所が分かったんだァ?」
「なんでベッドの下を空けてると考えなかった?」
そう、神谷健二。コイツは『重度のイタズラ好き』であり、相当に手の込んだ仕掛けを用意し、仕上げは雑に済ませる。
――つまり、イタズラを仕掛けているというのは、簡単にバレる。
いつかこういうイタズラをしに来るだろうというのは想像がついていた。だからこうして(物理的に)隙を作っていたのだが、こうも上手く誘導出来るとは思わなかった。
……だが、この違和感はなんだ?
健二が隠れているのは見抜いた。いつもの雑な仕上げと言えるだろう。なら、『本命』は何だ?
ベッドの上のカタマリ。そこにいると思わせておいて、布団をめくったら何か驚かせるモノでも仕込んでおいた……?
否、健二のイタズラは、驚かせる為に気付かれない仕掛けにこだわっている。
何かイタズラを仕込んでいる時には、まず『雰囲気』で分かる。
それはそうだ。仕上げが雑なのであるから、『何か』仕掛けてあるのはすぐに分かる。
それでも、『何を』仕掛けてあるのかを見抜くのは、極めて困難なのである。
ブラフを用意している事は以前にもあった。上手く引っ掛かる様に誘導された事もある。だが、イタズラ自体は何なのか見当も付かず、知らぬ間に回避していた事もあったのだ。
つまり、この様なあからさまな仕掛けは健二らしくない。
何か本命のイタズラを仕掛けているに違いない。そう思って部屋の変化を探した。
だが、それは悪手だった。
完全に健二の存在は意識の外にあった。だから、全くもって予想外の行動に、対応するには遅すぎた。
「じゃ、オレは帰るぜ〜」
何を言っているのだ?
というか、帰った!?
「おい、ちょっと! はあ!?」
信じられない。
何もかもがイレギュラーな現状に、全く思考が追い付いていかない。
健二はイタズラを仕掛けたら、掛かるのを見届けるまで必ずその場にいる。
後処理の問題もあるのだろうが、今までに例外は一度たりともありはしなかった。
なのに、今日は何なんだ。
既にイタズラは終えたのか? 否、それらしい事は何もされていない。
ベッドの下に隠れていたのだって、ただアイツが隠れていただけ。ブラフとしてなら有り得ない事も無いが、本命のイタズラにしてはショボすぎる。
何の連絡も無く部屋に来ていたのだって、よくある事。普通に遊びに来る仲だ。
アイツのイタズラにかける想いは並々ならぬモノだ。いや、それも正直意味が分からないが、絶対にクオリティに妥協はしない。それが健二だ。
ならば、考えられるのは、ただ一つ。
イタズラを、仕掛けていない。
いよいよもって理解が追いつかなくなってきた。
何の為に、健二は俺の部屋に入り込んでいたのか。
健二は何の為に俺の部屋で隠れていたのか。
俺は、どうしたらいいのか。
とりあえず俺はベッドに近寄って布団を捲り――そっと戻した。
俺は何も見ていない。うむ。何も、見ていない。
何だかベッドの上で布団が蠢いているみたいだが、きっと気のせいだろう。
少し落ち着こうか。
深呼吸を一度、二度、三度。
そういえば、買ってきた物を冷蔵庫に入れるのを忘れていたな。片付けておかないと。
玄関に健二以外の靴も置かれていたっけ。ちゃんと健二は持ち帰っただろうか。
きっとあの靴は健二のイタズラか何かで、(何の為かは知らないが)彼が持ってきた小道具か何かなのだろう。
だからもうあの靴は無くなっている筈である。
――残ってる。
靴が、残ってる。
いや、うん。
……ぇえ?
買ってきた物を片付けた俺は、再びベッドの元まで戻ってきた。
未だに蠢いている布団。それを今度は半分程の所まで慎重に、ゆっくり捲る。
うむ。気のせいでは片付けられない。
髪と服が扇情的に乱れ、口はテープで塞がれ、ご丁寧に手足は縛られている。何と犯罪臭漂う状況であろうか。
見た目は美少女と言って差し支えないであろう。華奢で、小柄という程小さくはない身長。目にはうっすらと涙が滲んでいる。
手足を縛っているのは、健二がよく使っている蛍光オレンジのパラコードだ。
……何してくれてんだあのイタズラ小僧は!?
とりあえず、ずっとこうしておく訳にもいかない。
美少女(仮)の口を塞いでいるテープを、優しく剥がしてやる。
恥ずかしそうな、悔しそうな。何とも言えない表情のそいつは暫く口をへの字に強く結んでいたが、絞り出す様に、震える吐息で言葉を発しようと唇に隙間を覗かせた。
「……みっ」
「ん?」
み? ああ、俺の名前は道成だ。俺の名前を呼ぼうとしているのか?
……いや、分かってるさ。違うって事くらい。
「……見せモンじゃねえぞゴルァ!!」
おうおう、元気に吠えよるわコイツ。
なら、俺の言う事は決まってるな。
「見せモンになってんじゃねぇよバーカ」
まあ、うん。何となく分かってはいたけど、コイツは俺がよく知ってる奴に間違いない。
小学生になる前からの付き合いで、何かするといったら大抵一緒で、俺が最も一緒に遊んで最も喧嘩してきた相手。
俺の幼馴染。
篠山悠。
性別は、『男』だ。
「おい、さっさと解けよ! 手も足も動かせねぇからしんどいんだよ!!」
そうだな。まずは状況を把握するとしようか。
事の始まりは、俺が出掛けている間に健二と悠が部屋に入り込んだと。
「あンの健二のヤツ!! どんだけ頑丈に縛りやがったんだよ!! ぜんっぜんビクともしねぇんだけど!!」
そんで悠は女装していて、健二に拘束された上で俺のベッドの中に隠され、主犯と思われる健二はベッドの下に隠れて様子を伺っていた。
帰ってきた俺に見付かった健二は、悠を見捨てて早々にこの部屋から立ち去った……と。
「聞いてんのか道成ィ!! さっさと解いてくれよ、動けねぇんだよ!!」
健二の行動に違和感を抱いた俺だが、布団を捲った事であられもない姿の悠――具体的に言うと、胸元がはだけ、スカートの裾が捲れ上がった……女装している男の幼馴染の姿を、しっかりと目に焼き付けてしまったという訳だ。
「ほおぉぉどぉぉぉけぇぇぇぇぇ…………ほどい、て……くれ、よぉぉぉぉ」
その現実を受け入れられなかった俺は、落ち着いて状況を再確認。避けようのない証拠を突き付けられて、諦めて対処を開始。そして今に至る……。
「頼むから……コレ…………ロープ、ほどいて……」
やっぱり、コイツの声は安心するな。
男にしては少し高めで、女性だったら低いくらいの音程。しっとりと耳に溶けて馴染む様な、くすぐったくも包み込まれる感覚のする声は、例えるなら……そう、静かに屋根を打つ雨音の聞こえる、黎明時の少し感傷に浸りたくなる風景を窓から眺めている様な、そんな感覚だ。
「おね……がい…………たすけ、て……もう……」
おっと、流石に放置し過ぎたか。
悠の目元からはポツリ、ポツリと涙が零れ、悲壮感に満ち満ちた表情で俺に救いを求めてきた。
これ以上こんな姿を晒されては俺が罪悪感に襲われてしまう。
手を縛っているパラコードだけを解いてやった俺は背を向け、あとは悠にやらせる事にする。
いくらなんでも同性だとはいえ、スカートの捲れ上がった姿を再び目にするのは色々と、その……イヤだ。
むしろ同性の、更には幼馴染だからこそ、余計にイヤだ。
さらさらとした衣擦れとベッドの軋む音を背に。いや、しかし……やはりこの状況は――
「意味が分からないな」
俺のその言葉に息を詰まらせた様な音が聞こえ、痛い程の静寂が部屋の空気を凍てつかせた。
こう……部屋の中が完全に静かになると、普段気にしない音がよく聞こえるものだな。
遠くを走る車の音。楽しそうな会話をしている、街行く人の声。電化製品が稼働する僅かなノイズ。いつもは意識しない音が、妙な威圧感と共に重くのしかかるのを錯覚する。
そして、そろりそろりと再び動き出した背後からの音も完全に終わりを告げ、俺は悠の方へと向き直る。
そこには相変わらず、えも言われぬ表情を浮かべた、よく知っている筈の幼馴染が、ベッドに腰掛けている。
こうして見ると、正直本当に悠なのか不安になってくるな。
顔は少し崩れているが、ナチュラルメイクで素材の良さをランクアップさせている。
髪は……少し切ったみたいだな。最後に見た時は大して手入れもされていない、ボサボサの伸び切った髪だった筈だ。それが多少乱れてはいるが、今は綺麗に解かされ、アイロンもかけたのかストレートのボブヘアーにカットされている。前髪は右に流して、左の方はヘアピンを使って耳が出る様に留めている。
服はワイシャツにベージュのカーディガン。そして、ブラウンでチェック柄のプリーツスカートだ。
……一応、レギンスも穿いている。
何というか、こう……『理解』しているな。うん。
そろそろ、沈黙して向かい合っているのが辛くなってきた。
悠はもう何か口に出来そうな様子ではないし、ここは俺の方から切り出すしかないだろう。
だが、何と言えばいいのだろうか。
服を褒める? いやいや、それは何か違う気がする。
女装している理由を訊ねる? うん、気になるけど今は駄目な気がする。
健二と何をしていたのか問い質す? いや、何を問い質すというのか。
そうだな……言いたい事も聞きたい事も溢れかえって仕方がないが、ここは……
「とりあえず、デートする?」
……。
ま ち が え た 。
刹那、感情を喪失させた悠は、じわりじわりと全身が紅潮していき、それにつれて最早どの様にも表現しえない程に表情が移り変わり、歪ませ、そして……
大泣きし始めた。
***
どれだけ、時間が経ったのだろうか。
嗚咽と共に、滝と言い表すのも生ぬるく感じる程の涙を溢れさせた悠は、暫くの間手の付けようがなかった。
宥めようと声を掛けても落ち着く様子はなく。手を触れようとすれば、徹底的に拒絶され。
何をトチ狂ったのか、俺は無意識のうちに「似合ってる」「かわいい」と口から本音……賞賛……いや、素直な言葉……それもどうなのだろうか。ともかく落ち着いてほしいという想いから、言葉を重ねた。
ふと、静まった。
涙が止まる様子は無いが、「ゔぇ……?」と控えめな鳴き声を伴わせ僅かに顔を上げた悠と、確かに目が合った。
泣き腫らした瞳を、上目遣いで俺の方に向ける。
眼福です。
いや何を考えてるんだ俺は。
……まあ、これは悪手だったのだろうな。
悠の感情が、爆音を轟かせて崩壊するのを、俺はしっかりと聞いた。
だって、より一層真っ赤になって、より一層大きな声で泣き始めたのだから。
わかるよ。
今のは明確に追い討ちだったよな。
体力ミリからの一撃必殺確定キル攻撃でオーバーキルした上での死体撃ちだったもんな。うん。
屈伸煽りはしないから、どうかもう、早くリスポーンしてくれ。
ああ。さっき見た景色は鮮烈なまでに胸に焼き付いたから、俺の最重要映像記憶領域(永久保存版)にしっかり鍵付きで保存しておくからな。安心してくれ。
***
さて、事の始まりから何時間経ったのかもう分からないが、漸く落ち着いた悠と対面している訳で。
俺? 俺はずっと落ち着いているさ。そういう事にしておいてくれ、頼むから。誰に頼んでいるのかは知らないが。
何はともあれ、だ。
どうにか涙だけ治まった悠は、お手洗いを借りるとベッドから立ち上がった。
それを止める理由もない俺は――いや、理由も何も止めて何をさせようというのか。ともかく悠の背中を見送り、ベッドに寄り掛かって茫然と天井を見上げるしか出来なかった。
トイレの方からは鼻をかむ音がぼんやりと聞こえてくる。
そりゃあそうだろうな。この状況で俺の前にいては落ち着いて何も出来はしまい。身じろぎするのさえ緊張してしまうだろう。
結構な回数鼻をかんでいたみたいだが、そこから音は聞こえなくなった。
……。マズいな。
俺の対応は、それはもう迅速に行なったさ。
ポケットからスマホを取り出した俺は、タイトルも確認せずに最速で選択出来るプレイリストを選択した。
そう。『音を出す』為に。
別に男同士なのだから……本当に男同士だったっけ? いや、多分男同士の筈だから、気にする程の事もない筈ではある。だが今、悠の方からの音が聞こえてくるのは本当にマズい。
何がマズいかって? そりゃあマズいではないか。そうさ。俺がもうマズい状態なのだからして。
スマホをタップしてからの僅か数秒。アプリが反応して音楽を音という振動に変換して俺の鼓膜に届け始めるまでの時間が、妙に重ったるく感じる。
まだかまだかまだか。俺はこんなにも待ち焦がれているというのだぞ。無駄に調子の良い時には待ってましたとばかりに踊り始めるが如く奏で始めるというのに、どうして今に限って言う事を聞かないッ!?
アレか? お前は遂に自我を獲得し、この状況を愉しんでいるとでもいうのか?
ご主人様への反逆は大罪であるぞ。具体的には更生施設送りか国外追放に処さねばなるまい。さあ、早く我が命に従いこの空気を中和させる薬を処――
……嗚呼、なんと滑稽であろうか。
私が間違っておりました、神様よ。愚鈍なる私めを、どうかお赦し願えないだろうか。
そうですね、まずはその、臓物を揺さぶらんとする重々しい低音と、脳を直接破壊せんとする高音の不協和音を、直ちに停止して頂ければ……と。
そう。今、スマホの画面には、こんなタイトルが表示されている。
『【ホラーBGM】鳥肌大演舞! 絶望のホラー系BGM集エクストリームメドレー【周囲は既に亡霊だらけ】』
……と。
こうしていられるか!! 俺はもうカエさせてもらうぞ!!
直ちに違うプレイリストを選択した俺は、漸く五感の一つを鎮静化させるのに成功した。
なぜだ、なぜなんだ。俺はただ……無音という、最も恐ろしい『音』から逃れようとしただけなのに。どうしてこんな事に……。
聞き慣れた音楽が、やっと俺にひと時の平穏を授けてくれる。
それにしても、やっぱりこの曲を聴くと安心するな。
壮大で、雄大で……。どこか悲壮感を覚える旋律。前奏が終わり、細かく刻むリズムに力強さを加えた先程までのメロディが焦燥感と高揚を齎し、ゾワゾワと全身を駆け巡るこの感覚。最高にたまらない。
パルクールゾンビサバイバルアクションゲームタイトル第二作目のメインテーマ。すごく、良い。
初めて聴いた時は、前作からの雰囲気と全く違うから、受け入れるのにかなり時間が掛かったっけ。でも、それは実際にゲームをプレイするまでの話。
リリース直後からクリアまでぶっ通し二日半。起きてる間はずっとプレイしてた訳だけど、チュートリアル部分が終わる頃にはもう、すっかり体に馴染んでいたっけ。内容も曲も、続編として受け入れてさ。
というかあのゲーム、チュートリアルのステージが広すぎるんだって。本当に必要なエリア、あの半分も無いよね? マップの端から端まで探索したけど、消耗アイテムすら全然配置されてなかったもの。本編に入るまで、無駄に三時間以上は使って全部調べ切ったんだぞ。
後にも先にも出ては来ないし……本当は何か使う用途があったんじゃないかなぁ、イベントとかで。じゃなきゃあの広さは無駄が多すぎるって絶対。
で、だ。
悠の奴、随分と遅くないか?
どうにか意識しない様に関係ない事を考えてはみたけど、かれこれ二十分以上は経ってる筈だぞ。いくら何でも時間が掛かり過ぎている。
安否確認でもするか。そう、立ち上がろうとした。
――立てない。
床に手をつき、後は脚に力を込めるだけだ。そうすればもう、立ち上がれる。
なのに、どうして……どうしてあの上目遣いが邪魔をする……ッ!!
生まれてから何千、何万回など生温い回数を熟してきた、どうという事もない立ち上がるという行為をッ……!!。
それがどうして、今この状況に及んで出来ないというのだ!?
――ははっ、そうだな。分かる、分かるさ。
俺は今、十年以上の付き合いである『幼馴染』の性別が……。
本当に『男』なのか、と。『疑問』を抱いているのだろう?
自信を持て澤田道成。それは今までの経験から確信を持てるではないか。
どれだけ一緒に過ごしてきたと思っているんだ。同じ空間で着替えをした事だってある筈だ。そして、そし……て…………。
俺は、『見た』事があったか……?
いやいやいや、まさか。ちょっと混乱して忘れているだけだって。大丈夫大丈夫。ちゃんとこれまでには、一度……くらい…………。
………………。
『見た』事が……無い……!?
どうしてこの期に及んでッ……!?
嘘だ嘘だウソだうそだうそだうそだ…………はあ?
どうしたらいい澤田道成。いいや分からないな澤田道成。はははどうしようもないな澤田道成。
このタイミングで顔を合わせようものなら、俺はもう――
カチッ。
――おぉう。
捻られるドアノブ。控えめにゆっくりと開かれる扉。
――マァイ。
髪は整えられ、化粧直しを終えた悠。庇護欲を掻き立てられる困り顔の幼馴染。潤んだ瞳は魔女の惚れ薬の様に、ふわりと漂う香水と悠の香りは催眠薬の様で…………。
――ガッ!!!!
***
何なんだこれは。
中学の頃に付き合ってた彼女と一緒にいた時にだって、こんな気持ちになった事はないぞ。
気まずい。すごく、気まずい。
何か……何か打開策はないか。何でもいい。ともかく今の状況を少しでも変えなければ。
――そうか、健二……。
そもそもアイツは、この状態の悠と一緒になって俺の部屋に隠れていたのだから、絶対に色々と知って……むしろ仕組んでいるのではないか。
俺はスマホの連絡先をスクロールして、健二の名前を探す。
えっと、どこだっけ。ああ、あったあった。それじゃあでん――
「ッ!?!?」
床を滑るスマホ。
俺の左手を、悠の両手が押さえ込む。
柔らかく、それでいてほんのりあたたかくて。華奢な指が、くすぐったく俺の手に、肌に触れている。
否、手だけではない。腕、いいや……肩まで、触れている。
飛びかかる様に悠が俺のスマホを操作する手を阻止したのだから、必然、勢いを加減する余裕なんてなかったのだろう。
そう、これだけ触れているのだ。それが示すところは、つまり――。
顔を上げた俺と、悠の顔。
この距離なら、よく見える――いや、むしろ全ては見えなくなってしまっている。
しっとり濡れた吐息が、俺の肌を撫ぜる。
手から腕まで、温もりが直に伝わってくる。
悠の潤んだ瞳に、吸い込まれてしまいそうになる。
ずっと、こうして――いたくなる。
――ふわっ。
耐え切れなくなったらしい悠が、乱暴なまでに慌ただしく俺から距離を取った。
足を滑らせた悠はしかし、舞い落ちるが如く、ゆらりと床にへたり込む。
つい今まで肌が触れていたところが、嫌に冷たく感じる。
悠の吐息がかかっていたところが、もの淋しく感じる。
俺の顔の周りから、熱が逃げていった様に感じる。
……少し、冷静になったかもしれない。
だって、さっきより体が重く感じるのだから。きっと落ち着いたんだろう。きっと。
だが、この部屋全体の空気が重いのは、素直に辛い。
ここは、そうだな……男の俺が、どうにか……ん? まあいい。ともかく、俺の方から何か声を掛けなければ。うん。
「「あの……っ」」
――吐きそう。
ベタすぎないか?
いやいや、ベタすぎるって。
同時に声を出してまた気まずい空気になるなんて、実際ある事ではあるけど今じゃないだろう。なあ?
せめて日常生活で他愛もない会話の時になって、ああいいよー先に言ってーってなる程度の事だろう。それがどうして今なんだ。なあ。
さて、もっと気まずくなる前に段階を進めねば。さもなくば更にどうしようもなくなるぞ。
だから俺から声を……あれっ? 何を話そうとしていたんだっけ?
こんな時にどうしてこうなるかね。俺は自他共に認める記憶力の良さを持っている筈だぞ。早く、早く次の言葉を――
「あの……ね、道成くん……」
――ぅぐッ!!
なんだなんだなんだこれは可愛いが過ぎるぞ果てしなくッ!!
その切なげな声色に不安げな表情そして怯えの感情が滲み出るその仕草がどこまでも……そう、どこまでも守ってあげたくなる要素全部がッ……!
「やっぱり……気持ち悪い、よね……僕」
「はあ?」
――。
違う。こんな『音』を出すつもりはなかったんだ。
悠の不安を増長させる様な事を言うつもりはなかったんだ。
だから、だからどうか、怯えないでくれ。
……そうだ、俺は……俺は、悠を安心させたい。
悠に、安心してほしいんだ。
「気持ち悪くない」
そう、気持ち悪くない。
だから、そんな不安げな顔をしないでくれ。
「すごく、似合ってる。控えめに言っても、めっちゃかわいい」
そう、今までに出会った事のない感情。
こんなにも心を締め付けられて、こんなにも苦しくなった事は、無い。
「正直、マジでタイプ。ずっと見ていたい」
嘘偽りのない、素直な気持ち。
その嬉しさを隠し切れないその表情を、ほんのりと朱に染まる頬を、自分のモノに……自分だけのモノにしてしまいたい。
刹那、悠の表情からは血の気が引いて、青ざめた顔は再び恐れに震える心を主張し始める。
貧血か、よろめく悠を俺は支えようとして、しかし間に合わず倒れ込んでしまった。
どうにか頭だけは守ろうと差し込んだ腕は、間に合った。
俺の左前腕に乗る、悠の頭。
まるで俺が悠を押し倒したみたいな状態で覆い被さっている訳だが、頭を打つよりはマシではなかろうか。
ああ、さっきよりも悠の顔が近くにある。
何だか混乱しているみたいだが、大事なさそうで良かった。
息はまあ、上がっているよな。おかしくはないだろう。
ひと心地ついた気分の俺は瞑目し、腕の力が僅かに抜けた。
「いにゃアアアッ!!!!」
――下半身に轟く、強烈な衝撃。
そう、か。悠が、体を縮め丸めたんだな。
その過程で、クリーンヒットしてしまった、と。
ふふ、そらそうだよな。急に『キスされそうになった』と感じたら、びっくりして体の方が先に動くよな。
――俺の意識は……そこで、途切れた。
男の娘や女装男子って、この世の全てだと思うんです。
極論でしょうか? 極論です。
しかして男の娘や女装男子というのは、男性、女性。男性でありながら女性らしい、女性っぽくありながら男性らしさがある。はたまた女性にはなり切れない、もしくは性別という概念が分からなくなる。これはほんの極一部の例に過ぎませんが、そんな魅力があると思います。
男性であるが故に男性と仲良くなれる。女性らしさがある故に女性とも仲良くなれる。そういう存在が、男の娘や女装男子だと思います。
ですがそれは、ただ『女装しただけ』の男性では到底為し得ない、遥かなる高みである事も然り。
ムダ毛の処理から始まり、全身のお手入れ・管理などの外見磨き。ボイストレーニングであったり、骨格の違いやそれまでの行動によるちょっとした仕草や体の動かし方、言葉遣いなどの内面磨き。
ただ男性がそのまま女性服を着ただけでは、ただの『変質者』と言われ通報待ったなしでしょう。
ほんの付け焼き刃では決して完成し得ない。そして、段階を経る毎に実感が喜びを齎してくれる。果てる事のない、苦しく険しくも、彩り鮮やかな道のりと言えるでしょう。
でも、極めて少数ではあれど、そのままでも『イケる』人が実際に存在しているのも確かです。
いわゆる、『チート』ってやつですね。
そういう人が全力で完璧な本気を繰り出してきたら、最早世界の理を疑うしかなくなるでしょう。新世界の可能性を見出せると思うのです。そうではなかった人には手を伸ばしても届く気配のない、正に天上の楽園と呼ぶに相応しい世界が。
……もう、こんな時間ですか。
まだまだモノ足りないところではありますが、今回はこの辺でお開きと致しましょう。
いつかまた、語る機会を得られる事を願って――。
最後までご高覧頂き、誠にありがとうございました。