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プロローグ


成人をして少し経つが、異世界と聞くと多少はわくわくする。


魔法と剣の世界で自由気ままな生活なんてものに憧れるじゃないか。


もし自分が魔法の才能に目覚めたのならば、森に引きこもり魔法を駆使しながらスローライフ。


もし自分が剣の才能に目覚めたのならば、屈強な男どもに交じって魔物と戦いクエストをクリアすべく日夜大地を駆け回る。


自由、希望、感動、成長、なんだか心が躍る。


まぁ、何が言いたいかと言うと――


「……家に帰りたい」


千ヶ崎 乙葉(ちがさきおとは)は崩れ落ちる様に、キーボードの上に倒れこんだ。真っ白な画面に高速で『uuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuugwwwwwwwwwwwwwwwr』と謎の文字が埋め尽くしていくが気にとめる余裕も彼女には存在していなかった。


仕事とはなぜしてもしても終わらないのか。一生私は家に帰れないのか。


ブツブツと呟く乙葉に、同じように家に帰ることを許されていない同僚たちがねぎらいの視線を向ける。


本日会社での寝泊まり五日目にて、乙葉は頭がおかしくなり始めていた。


もうなんでもいいから家に帰りたいのである。


一人暮らし用に借りたマンションの一室は寝るだけの部屋では本来ないはずなのに、ここ数年は寝るためだけに帰っているような気がする。


やっても終わらない仕事の山。理不尽な上司の叱責。サービス残業に、当たり前のような休日出勤。


当たり前になりつつあるこの日常は、彼女の心も体も少しづつ蝕んでいた。


「珈琲いれてこよ」


嘆いても仕事は減らないか。


持ち直した乙葉は、給湯室へ向かおうとデスクチェアから立ち上がる。


気分が沈んだときに飲もうとこっそり買った少しお高い珈琲があるのだ。


それを飲んでもうひと頑張りして、明日こそ家に帰ろう。

大丈夫、まだ大丈夫と言い聞かせ一歩を踏み出す。


しかし、思ったように前に進むことができなかった。歪む視界と、倒れる体。同僚たちの焦った声も、今の乙葉にはかすかにしか聞こえなかった。


これはやばいな。


乙葉の意識は、電源が切れたテレビのようにプツリと切れた。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




乙葉は目を覚ますと水の中に浮かんでいた。何の音も聞こえない、目の前に広がる青空以外何もない世界。しかし、不思議と恐怖心や不安はなく穏やかな気分だった。


手や足を動かせば自由に動ける。体には異常がないようでホッと息をついた。


「ところでここは何処なんだろう」


上体を起こして、辺りを見渡すが目が覚めた時と同じように何もない。髪や体についていた水滴が、頬や体を伝って垂れ下がっていく。


「おや、お目覚めのようですね」


どうすんのこれ??とボーっと空を見上げている乙葉の前に、真っ白な羽をはやした絶世の美女が現れた。ブロンドの艶のある髪は緩くウェーブがかかり、サファイヤのような綺麗な目は見たものを虜にしてしまいそうだ。


「だれ??」


「私は創造神に仕える女神の一人マリーナです」


誰もが見とれるであろう美貌ではあったが、乙葉は例外だったようで人相の悪い顔で絶世の美女女神マリーナを睨みあげていた。


「胡散臭い」

「あらあら、そんなに怖い顔をなさったらせっかくの可愛らしい顔が台無しですよ」


お世辞なのか本心なのかすらわからない笑みを浮かべた美女は、乙葉の傍まで降りてくと手入れの行き届いた綺麗な指先が乙葉の頬に触れる。


「千ヶ崎乙葉さん、端的に申し上げますが貴女はお亡くなりになりました」


「はい??」


「過労死されたんですよ。お心当たりございますでしょ??」


言われたことが理解できず何度も瞬きを繰り返していた乙葉だったが、自分が意識を失う前のあの一瞬の出来事を思い出し肩を落とす。


あ、そうか、私死んだのか。


嘘だ!!信じられない!!と声を上げる元気すら、今の乙葉には持ち合わせていなかった。だらりと垂れ下がった腕が水面に波紋をつくる。


「貴女の人生を見てきた創造神はひどく胸を痛めました。そして長い協議の末、貴女にもう一度人生をやり直せるチャンスをプレゼントしようという事になりました!!」


はい拍手~!!とハイテンションな女神の横で、乙葉は死んだような目を浮かべていた。あんなつらい人生を終えてまだ働けと言うのか、神様とはいつから悪魔になったのか。


「いえ、結構です」


「え??」


「もうゆっくり眠りたいです。そのチャンス券は別の方に譲ってください」


それは乙葉の本心だった。まともに寝ることも許されず、理不尽な叱責をされ、仕事仕事のボロ雑巾のような人生だった。

家族に話をする間もなかったことが唯一の心残りだが、もう安らかに眠りたかったのだ。


「と、言われましてももう登録してしまいましたので無理です」


「あ??」


「これから貴女には、剣と魔法の世界で人生を再スタートしてもらいます!!」


「こういうデリケートな問題はまず本人の了承をもとに行えよ」


「そしてなんと!!神様から素敵なプレゼントが用意されています!!」


話を次々に進めていく女神に限界を迎えた乙葉は、その形のいい頭を握りつぶさんばかりに掴んだ。


「話を進めんな、聞け」


「ま、まぁ怖い」


「私はやり直しませんってば」


「ですからそれはお受けできない申し出でございます」


「なんで!?」


つい強い口調で叫んでしまう。頑張って頑張った先で息絶えた。前世でどんな大罪を犯したら、安らかな眠りさえも奪われるのだ。俯いた乙葉の手に力がこもり、服にしわができた。


「思い出してほしいからです」


「思い出す??」


顔を上げた乙葉の目には涙がにじんでいた。マリーナはそんな彼女の顔を見て、目の前の存在を慈しむような柔らかな笑みを浮かべた。


「生きる楽しさをです」


「生きる楽しさ??なにそれ??」


ぼやける視界をクリアにするために、袖口で乱暴に目元を拭く。吐き捨てるように呟く乙葉に、マリーナはキョトンと眼を丸めた。


「さぁ??私にはよくわかりませんが、創造神はそう言われておりましたよ??」


「は??」


想像していた回答と少し違った。


「私は言われた通りの事をしていますので、予定通りの動きをしてくれると有難いです。鼻たらしながら全力で喜びの舞でも踊っていてください」


「一発その綺麗な顔に拳をぶち込んでもいいですか??」


「とりあえず話を進めますね??」


謎の圧を感じる。私の仕事が終わらねーから黙ってろってことだな。これはYESかハイしか選択肢がない奴だなと乙葉は重いため息を吐いた。


どうやら静かな眠りはもう少しお預けらしい、酷い。


「いいですか??」


ニッコリ笑顔の裏の圧を感じた乙葉は口をつぐむと頷いた。なお、死んだ目はそのままである。


「さて気を取り直しまして!!ここに、どんなドラゴンでも切り倒せる剣、どんな魔法でも自在に扱えれる魔法の杖、そして犬を用意しました」


マリーナが指先を振ると、何もなかった場所に剣と魔法の杖と犬が現れた。犬ってなんだ。


剣は大男が装備してそうな大きなもの。魔法の杖は年季が入った木の杖に大きく綺麗な石がはめ込まれている。そして真っ白な毛並みとアメジストの様な目を持つ子犬だった。


武器、武器、生物。どういうラインナップだ。


「お好きなものをお選びください」


「え、じゃあ魔法の杖で」


恐る恐る魔法の杖に手を伸ばすと、拒絶されるように手がはじかれた。そして魔法の杖の前に【済】と表示される。


なにこれ。


「あ、これもう選択済みですね」


「なに選択済みって」


なら仕方ないと、隣にある剣に手を伸ばして結果は同じだった。


「あ、この子だけですね残ってるの」


「あの、異世界で人生やり直し。やっぱり辞めたいんですが」


「あ、もうこんな時間だは!!」


どんな時間だ何処見て言った!?という乙葉のツッコミは華麗にスルーされる。


「ではこの子と主従契約を行いましたので、すぐにあちらの世界へ行っていただきます!!」


「ちょ!!待ていくら何でも早すぎだろ!!実は最初から用意されてただろこれ!!」


「では行ってらっしゃー―ーい!!」


会話が強制的に終わらせられたと思うと、足元に大きな穴が出現した。おい、嘘だろと感じる間もなく体が重力に従うように落ち始める。


「ふざけるなぁああああああああ!!」


乙葉の叫び声がこだまする中、穴が徐々に小さくなっていく。やがて穴がすべて塞がると、辺りには何事もなかったように静寂が訪れた。


「意外とレアなんですよ」


誰に言うでもなく彼女は呟く。その世界にただ一人存在していたマリーナは、クスクスと笑みを浮かべた。



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