第2章 「メイドは死せず、ただ去り行くのみ」
※ 1枚目の挿絵の画像を作成する際には、「Ainova AI」を使用させて頂きました。そして2枚目の挿絵の画像を作成する際には、ももいろね様の「もっとももいろね式女美少女メーカー」を使用させて頂きました。
生駒家次期当主に相応しい淑女に育て上げるための、厳格な教育方針。
これが英里奈御嬢様の御成長に深刻な悪影響を齎していると判明したのは、英里奈御嬢様が小学四年生として二度目の終業式を迎えられた頃で御座いました。
担任の先生が保護者面談の折に仰った事を要約致しますと、小学校における英里奈御嬢様は余りにも消極的な御子様で、同級生や先生方と殆ど御話が出来ない状態だったそうで御座います。
そう言えば御屋敷においても、英里奈御嬢様は必要最低限の事しか御話しにならず、それも一言か二言だけという有り様で御座いました。
幾ら厳格な教育方針を採用された旦那様と奥様では御座いますが、これには流石に衝撃を隠せませんでした。
心療内科の御医者様やカウンセラーの先生方の御見立てでは、英里奈御嬢様の御不調はストレス性の失声症に近いそうで御座います。
その病因が厳格な教育方針にある事は、誰の目にも一目瞭然で御座いました。
直ちに教育方針が再考された事は、想像に難くないでしょう。
放課後や休日のスケジュールをビッシリと埋めていた習い事の大半は取り止めになり、無理のない小学校生活が行えるように再編が施されました。
些細な粗相さえも見逃さない厳格な叱責が改善され、英里奈御嬢様に対する旦那様や奥様の接し方が軟化したのも、当然の流れで御座います。
こうした具合に邸内の雰囲気が変化しつつあるのを肌で感じた私は、或る決心を胸に秘めながら、真弓様に会談を申し入れたのでした。
真弓様が会談の場に選ばれた生駒家の和室は、付け書院と違い棚を備えた書院造りの様式で御座います。
室内には先日の茶席で炊かれた煉香の気品ある残り香が漂い、床の間には花器に生けられた梅花が可憐な佇まいを見せておりました。
それは正しく、先人達が脈々と受け継いで来られた日本の伝統美で御座います。
そのような完成された和の美的空間における異物を挙げるならば、紺色の英国式メイド服に身を包んだ私をおいて他に御座いませんね。
とはいえ此度の会談の趣旨を考えますと、そうした異物感は現在の私に相応しいのかも知れません。
それに引き換え、愛らしい万寿菊が咲き誇るベージュの和服を着こなされた真弓様の典雅な御姿たるや、和室全体の佇まいと見事な調和を果たしていらっしゃるのでした。
「改めて御伺い致しますが…『御暇を頂きたい』との御言葉は誠で御座いますか、カスミさん?」
「仰る通りで御座います、真弓様。この菜畑カスミ、二言は御座いません。」
鈴を転がすような澄んだ御声に、私はキッパリと応じさせて頂きました。
「英里奈さんの事を慮った上での決断ですのね、カスミさん。」
そう仰ると真弓様は、改めて居住まいを正されたのです。
そして英里奈御嬢様と同じエメラルドグリーンの双眸で、真っ直ぐに私を御覧になるのでした。
「つれなくて手厳しい接し方を徹底した事で、英里奈さんを追い詰めてしまった。その事を思い悩んでいらっしゃるのですね。」
長い睫毛に飾られた澄んだ眼差しは、私の心中を的確に見透かしていらっしゃいました。
「仰る通りで御座います、真弓様。私は恐らく、英里奈御嬢様から敬遠されているのでしょう。自分が困っていても、助け船すら出してくれない。そんな薄情者の奉公人という具合に…」
「そんな自分が側に居ては、英里奈さんの気が休まらない。せっかく転換した教育方針が、中途半端に終わってしまう。そう御考えになったからこそ、カスミさんは自ら身を引かれるのですね。」
考えてみれば真弓様は、教育系出版社の創業者一族の長女として生を受けられ、生駒家御曹司の竜太郎様と結ばれた今日では、生駒家が経営する私立鹿鳴館大学で理事を務められる御方。
教育に携わる専門家として、相手の真意を読み取る事には長けていらっしゃるのでした。
そんな御方であっても御自身の御子様に対しては判断を誤られてしまうのですから、子育てとは誠に難しい物で御座いますね。
「我が生駒家と英里奈さんのためを慮られたカスミさんの御決意、恐悦至極で御座います。次の奉公先は私が紹介致しますので、カスミさんは何も御気になさらなくてよろしいのですよ。本当に貴女には、余計な気苦労を御掛け致しましたね…」
そう仰る真弓様の笑顔には、何処か寂しげに感じられるのでした…
英里奈御嬢様が堺市立土居川小学校の五年生に進級されたのに合わせて、私は生駒様から御暇を頂いたので御座います。
英里奈御嬢様に私の事をスムーズに忘れて頂けるようにと考えた結果、御暇を頂く数ヶ月前から英里奈御嬢様との接触を徐々に減らさせて頂きました。
そのため、私が御暇を頂いた当時の英里奈御嬢様が何を御考えになっていたかについては、知る由も御座いません。
年度末の頃には有給休暇の消費で生駒様の御屋敷へ出勤する事も稀になり、最後に出勤させて頂いたのは引き継ぎのタイミングで御座いました。
その時に御会いした後任の方は、本当に素敵な方で御座いましたよ。
「初めまして、菜畑カスミ様。私、私立鹿鳴館大学在籍の白庭登美江と申し上げます。」
初々しくも気品ある美貌と、溌剌さと淑やかさを兼ね備えた立ち振る舞いは、私の目から見ても好感の持てる物で御座いました。
白いヘッドドレスをあしらったピンク色のロングヘアと緑色のつぶらな瞳の美しさたるや、心躍る春の陽気を具現化したかのようで御座います。
華やかさと淑やかさを両立させた登美江さんの側に居りますと、直毛の黒髪をボブの長さにカットした私の地味な装いが一層に際立ってしまいますよ。
これではさながら、西洋人形とコケシ人形で御座いますね。
「不束者では御座いますが、どうぞ御見知り置きを。」
真新しい紺色のメイド服と、見事に板に付いた優雅で気品のあるカーテシー。
この一見するとアンバランスな取り合わせは、彼女の来歴を知る事で納得が出来ましたよ。
「白庭…?もしかすると貴女は、執事の富平さんの…」
「はい!白庭富平は私の父で御座います。生駒様の御屋敷につきましては、父より色々と伺っております。」
生駒家でも古参の執事の御息女ならば、行儀作法をキチンと会得出来ているのも道理で御座いますね。
「登美江さんは秘書技能検定の取得を目指して御勉強中で御座いますの。単なるインターンシップよりも礼儀作法等を学ぶ上では有益な機会になると存じまして、執事の富平さんを通じて斡旋させて頂きましたわ。」
真弓様の御話によりますと、現役女子大生である登美江さんは勉学も兼ねて生駒家で奉公されるようです。
装いこそメイド服であるものの、行儀見習いや書生と形容した方が、より適切なのかも知れません。
とはいえ二十歳そこそこの登美江さんなら、英里奈御嬢様と年齢的に近い分、より円満な人間関係を構築出来そうですね。