夏
桜の木がすっかり緑になって、霧みたいな雨が降ってる。
夏の暑さはまだやって来ず、少しひんやり。
えっと、トラ君は……
いつもの場所に、タオルが敷いてあった。
しかし本人、もとい、猫がいない。
ホームかな?
げこ、げこ、とカエルの鳴き声が聞こえてくる。トラ君……
あ、いた。
ぺたん、とお腹を付けて寝っ転がってる。多分ひんやりして気持ちいいんだろうな。
その上をツバメが低空飛行。
雨はまだまだ続きそう。
雨合羽を着た学生さんたち。
挨拶すると、はにかみながら返してくれた。
雨だと大変だろうなあ。ここまで来るの。
電車を待つ間、学生さんたち、脱いだ合羽をバシバシ水切り。
それが窓口にでーんと座ってる猫君にパラパラ。
迷惑そーにプルプルって顔降ってる。耳がぴくぴくしてる。
猫ちゃん、行ってくるねーと学生さんたち。トラ君尻尾を振ってそれにこたえる。
さぁぁぁぁぁぁぁ……と霧雨みたいなのが。
山間の木々に深い霧みたいなのがかかってる。
それが凄く厳かに見える。あの深い木々の間に何があるんだろう。
トラ君は相変わらず定位置で、視線を駅の外に向けていた。
駅員さんが敷いてくれたタオルに、さり気に猫の模様が入ってる。駅員さん、お茶目な人だなぁ。
しかしさっきから猫君、熱心に外を見ているが、誰もいないよ?
昼間、この駅はほとんど無人になる。駅員さん、この時とばかりに仕事を片付ける。
待合室も誰もいないし……。
猫君の視線を追うと、どうやら外の地面を見てるよう。
なんなんだろう。
ん?なんだの緑色の小さいのは……
すごく小さいのが沢山跳ねてる。あれなに?
「あれ、カエルなんですよ」
駅員さんが教えてくれた。
え?カエル?
でも緑色の滴にしか見えない……と思ったら、駅の構内に入ってきた。
トラ君、警戒してるのかイカ耳な上に目がまんまるになってる。おいおい。
駅員さんの話だと、この季節、時々こうゆうことが起きるのだそうだ。
――踏んづけちゃったりしません?
「まあ、うっかりそうゆうことはありますね」
と言う駅員さんの靴に、カエルがぴょんと乗っかった。
と楽しいハプニングとともに梅雨も明けて、
ようやく夏到来!
じーう、じーう、ミーンミンミンミーンとセミの大合唱!
うわー、アブラゼミだ。暑くなるぞぉ。
駅員さんの仕事も夏は増える。
待合室のクーラーが壊れたり、切符の販売機の処にハチが巣をつくっちゃったり。
そのたびにてんてこ舞い。
で、相棒のトラ君はと言うと、なんと駅員さんの背中に乗っかってる!
――暑くないですか?
「暑いですよ」
そりゃそーだ。毛皮だもんね。
トラ君、おりたげなさい、駅員さん可哀想だろ。
駅員さんも時々降ろすんだけど、でもすぐ追いかけてきて登ってくる……おいおい。
駅員さんの制服のズボンに足引っ掛けて登ってくる。アイタタタタと駅員さん。
トラ君、君も暑いだろう。何でそんなに引っ付いてんの?
それにしても暑い。
山間の駅だからまだ都会よりはマシなのかな。でもあつーい。
で、夏となると観光シーズン。
春とは別の意味でのお客さんが増える。このへんは谷川も綺麗だから、川遊びに来るんだよね。
いいなあ。私も泳ぎたい
夏ならではだよねー。綺麗な渓流でひと泳ぎ。
ところでトラ君、夏になってからずーっとご機嫌斜めのような気がするのだが……。
「こいつ、夏が苦手なんですよ」
駅員さんがなぜか意地悪そうな笑みを浮かべて言うんだけど……。
やっぱ暑いからか。わかる。あつそーな毛皮しょってるもんね。
すると駅員さん、違うんですよとまた笑って言った。
うーん、ワカンナイ。なんのことやら。
( ゜д゜)ハッ!
まさかのカナヅチとか?!
と言ったらトラ君、ぎろっと睨んできた……ゴメンゴメン。
それにしてもトラ君、ずっと駅員さんにべったり。
なんで?
でも駅の外のロータリーに、大きな木があるんだけど、そこ掃除に行くときだけは着いて行かないんだよね……。
入り口でお座りして待ってる。
そんなトラ君を駅員さん、よいしょと抱きかかえてロータリーの掃除に……と思ったら、
トラ君、にゃにゃにゃともがいて駅員さんのホールドから脱出!
ダッシュで構内に戻ってきた!
あれ?これは……。
「こいつ、セミが苦手なんです」
あ!
その木はセミの住処になってて、もー、凄い音がするんだけど、
もちろん駅の中にも飛んでくるんだけど。
それで駅員さんにしがみついてたのか……君……。
カエルといい、セミと言い、夏は君にとって災難な季節だな……。
アブラゼミから、オイシイツクツクに変わるころ、学生さんたちの姿で駅はまた賑やかになった。
心なしか、風もさらっと乾いてきたような。
トラ君、まん丸の肉球を伸ばして、いつもの定位置でお昼寝。
オシイツクツクに変わったら、夏ももう終わり。
山の木々が色づき始める。
実りの秋がやってくる。