離れに住む妻が手紙をくれた(中)
上中下 連続投稿です
午前中、ベティと母はそれぞれに背負い籠一杯の魔法石を作った。この籠は、大人がひとり膝を抱えて入れる程に大きい。山の中へ果物を取りに出かける時や、収穫した野菜を市場まで運ぶ時などに使う。
昼食後しばらくして医者が到着したので、2人は一旦診察を受けた。特に異常はなかった。
2人は医者を横に置いて次々に魔法石を作る。夕方には、2人合わせて背負い籠6つぶんの魔法石ができていた。
ベティと母、そして私の3人で、門番館である離れじゅうに魔法石を置いてゆく。籠は妻と母が魔法石を作っていた居間に並べてある。パンを入れる少し大きめの籠に3つかみほどを移し、各人ひとつずつ籠を持って歩き回る。
離れは二階建てで各階に4部屋程度ある。幽冥門は地下室にある。この規模なので、妻の世話係は中年女性が2人だけ。この2人には、魔法石を置く前に離れの外で待機して貰っている。
父はチェスターに付き添って母屋にいる。
「ドアの外に出て見ましょう」
何も起こらないと良いのだが。門番以外が離れの外に弾き出されてしまうことから考えると、真夜中から夜明け前が1番危そうだ。今はちょうどおやつの時間あたりである。大事故は起きないと予想した。
「一族史を調べてからの方がよくないかい?」
母は不安そうだ。しかし、資料庫一杯の記録を全て読み終わる頃には、この世を去る時になっていそうである。
「なんとかなるだろ」
「そんな、おまえ、危ないんじゃないかい」
幽冥門は門という名前だが、拳大の灰色の石だ。地下室の真ん中に大理石で作られた台座がある。台座は子供の背丈ほどの直方体である。その中央に、灰色の石が直に置かれているのだ。
鍵の適正は、地下室にある幽冥門に直接触れることで調べる。適任者が触れられる範囲に近づくとほのか緑に光る。触れると眩いエメラルドグリーンに輝くのだ。
幼かったチェスターと手を繋いでベティが近づいた時、門はほのかに緑色の光を帯びた。しかし、チェスターが触れてもエメラルドグリーンには輝かなかったのだ。
「ベティ、君じゃないか?」
「ウィロースリーブ血縁者以外が鍵の適正を示した前例はないが、状況から見ればそうだな」
「幽冥門に触れてごらんなさいな」
「は、はい」
門に触れさせるために抱き上げていたチェスターをおろし、妻はごくりと唾を飲んだ。
「では」
おそるおそる妻が触れると幽冥門は、思わず目を閉じるほどの光を放った。
「念のため」
前任者である母が触れると、石は輝きを失った。もう一度妻が触れると、鮮やかなエメラルドグリーンの光が溢れた。次世代が選出されると、前任者の資格は消えるのである。
「決まりだな」
「ベティさん、頼むわね」
「は、はい」
「離れに住んでるだけでいいんだよ」
「グレアムったら、そんな簡単そうに」
「あら、その通りなのよ?」
鍵の適任者である門番役が幽閉されているのは、伝統に則っているだけだ。離れは、夏にオレンジ色の木苺を実らせる低木で囲まれている。建物と木苺の生垣との距離は、細身ばかりなウィロースリーブ一家の大人が3人並んでなお余裕がある。
小さな裏庭もあり、歴代門番の中には園芸趣味の人もいた。祖父が門番だった時には、真夜中に祖母を生垣に取り付けられた赤い木戸まで送っていた。建物から出られないわけではないのである。
だがかつての門番は誰も、生垣の外へ出たことがなかった。門番以外が弾き出されるのは、謎の魔力によるものだ。一方で、門番が出ようとして押し戻されるわけではない。誰も試したことがないので、実際のところは解らないが。
もしかしたら、門番たちは出入り自由なのかも知れない。それを大昔の門番が勘違いして、門番館に留まる必要ありと決めつけてしまった可能性があった。古い記録を調べれば何か判るかもしれない。
「ねえ、生垣の外の人と握手してみるのはどうかしら?」
「まずは髪の毛の先をだすくらいがいいんじゃないかい?」
「あっ!ねえ、魔法石を生垣の外へ放り投げたらどうかしら?」
「そりゃいい」
「それくらいなら」
「よし、やってみよう」
私たちは裏庭に出る。妻は自分で作った若草色の魔法石を一掴みほど入れた籠を手に、生垣の前に立つ。傾き始めた午後の陽に、優しい栗毛が柔らかに輝く。わが妻はいつになっても可憐だなあ。
ふと、私たちの視線が絡まる。なんとなく微笑み合うと、妻は生垣の方へ向き直る。
「投げるわね」
「うん」
「気をつけて」
3人で短く言葉を交わし、いざ、投擲。まずは、親指の先くらいしかない小さなものを選んで投げる。
「外に出たわね」
「うん」
「なんともないようだねえ」
若草色の魔法石は、綺麗な弧を描いて生垣の外に落ちた。
「次はもう少し大きいのにしてみるわね」
「そうだね」
「慎重にね」
これも無事、生垣の外に落ちた。
「場所も変えてみようかしら?」
「よし、西側に回ろう」
この離れは北向きに建っていて、裏庭は南側だ。母屋の正面は東向きで、玄関を出て薔薇の小径を右側に進むと離れに着く構造になっている。つまり、離れの西側は母屋が見えるほうである。
「チェスター」
バルコニーに出て離れを見ていた息子に、妻が手を振る。声が届く距離ではないが、思わず名を呼ぶ。
「ギルバートもいるわ」
孫息子の隣に立つ父に、母が嬉しそうに手を振る。バルコニーの2人も手をふり返した。
「風に当たってぶり返さないかしら?」
「父上がついてるから大丈夫だよ」
「今朝はだいぶ元気になってたわよ」
「そう……?」
まだ少し心配そうだが、気を取り直して魔法石を手に取る。
「大丈夫だな」
「ええ」
「次はお玄関のほうね」
私たちは門扉、その脇の生垣、東側の生垣、と順番に回る。どの場所でも石は外に出すことが出来た。思い切り遠くまで投げても大丈夫だった。ベティの魔力が門番館を離れても問題が無さそうだ。
私たちは赤い門扉の前に戻ってきた。
「それじゃ、出て見ましょうか」
「髪の毛の先からがいいわよぅ」
「そうだな。髪の毛からにしてみようか?」
「そうお?」
人の心配はするくせに、ベティは自分のことには無頓着過ぎる。母にしつこく言われて私まで同意したので、結局は渋々ながらも髪を解いた。結い上げていた豊かな栗毛がさらりと流れる。美しい青い目が、緊張で少し釣り上がる。
ああ、真剣な妻。可愛い。
妻のたおやかな指先が長い栗毛を一束摘んで軽く振る。すると毛先は、赤く塗られた低い木の扉をふわりと超えてゆく。風に流されながらも、ベティの美しい髪束が門扉の外側に静かに垂れた。
「次は指先を」
母の臆病さに苦笑いしながら、妻は指先、掌、肘までと、少しずつ門の外に出す。
「いよいよね」
悪戯そうに母と私に目配せすると、妻は勢いよく扉を開けた。紺のドレスによく合う飾り気のない黒い繻子の靴が、ついに離れの境界を越えた。
「大丈夫だったわ」
出ることはできた。
「鍵の資格が消えたりしてないかしら?」
母がはっとしたように囁く。
「戻ってみよう」
私たちは、急いで地下室に降りる。妻が幽冥門に近づくと、灰色の石は白い大理石の上で仄かな緑色を帯びた。ベティの形の良い手が触れると、幽冥門はエメラルドグリーンの閃光を放つ。
「変わってないわね」
「よかった」
母がほっとして息を吐き出す。
「館にも変化はないみたいだな」
少なくとも、地下室に来る途中で通った部屋や廊下に変わったところは何もなかった。地下室にも、台座にも、そして幽冥門そのものにも変化は見られない。
「私がここに残ってベティが外に出た時どうなるか見てるよ」
思いつきで発言した私に、母がとんでもない者を見るような視線を投げてきた。しかし妻はパァッと顔を輝かす。
「名案ね!」
「母上は館の他の部分を見て回ってくれますか」
「危なくないかねえ」
母が難色を示す。
「試す価値はあると思うけどなあ」
「それなら、まずはわたくしだけ木戸の外に出て、おふたりは門の内側にいらしたら?」
そうだな。危険な事が起こった場合にすぐ逃げられる場所にいた方が良いかも知れない。地下室の観察はその次にするか。
「その程度なら」
太陽はだいぶ傾いている。赤い門扉には離れの影が落ちていた。おろしたままの妻の栗毛がスラリと細い背中に弾む。生命に満ちたその後ろ姿に、わたしは抱きつきたいのを必死で我慢する。
妻が館の門を出て振り向く。ベティは両手を広げて戯けて見せた。
「よし、これから館内を調べてくる」
「おまえ、気をつけるんだよ」
「わかってるって」
「何かあったらすぐここまで戻ってね?」
「戻るよ」
私は開いたままの木戸から腕を伸ばし、妻を抱き寄せ軽く唇に触れる。
「じゃ、行ってくる」
指先を波うたせるようにして、妻は小さく手を振った。母は落ち着いた灰茶色をしたドレスの胸の前で両手を揉み合わせて無言で見送る。私は片手を上げて、館に入る。
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