7話
「異常なし…」
サイードの研究室に隣接している区画は生体の管理と育成に特化した場所。
ここで卵の孵化に加え、遺伝子保管や解析を行っている。
孵化予定の卵については問題なし、すべてのバイタルが安定している。
遺伝子解析も過去のデータと相違なく、保管も順調。
担当から詳細を聴きながらデータの照合を行って、研究室を後にした。
「ミカ」
「アーサー、そっちはどう?」
「順調だね。生体の動向はルイの方からデータをもらったから、そっちにも転送する」
「ありがとう」
「ミカの方は?」
「遺伝子保管が今日で終了、細胞培養は第3段階までクリア。誤差は支障ない範囲。私の方もデータ送るわ」
「OK」
自身の研究室にアーサーと一緒に戻って、他部署の報告に目を通す。
情報量はそこそこあるけど、進捗はいまいち遅い。
過去に保管されてたデータが本国からこちらに届いたのも今日になってからだし、追加分に至っては2日後。
古すぎてデータがないと言われたものもあったかしら…旧時代の記録は大体紙だから、閲覧と持ち出しの手続きに時間がかかっているのかもしれない。
そもそも紙媒体の情報をデータとしてコンバートするにも時間がかかる。
完全に後手。
幸いなのは他チーム共々粘り強く研究してくれてるおかげで、施設内で一定の水準まで解析終えてるということだ。
ありがたい。
「ミカ」
「何?」
研究室、宙に映し出される報告書を端に寄せて、真ん中に新しいデータをだしてくる。
平面地図に線が描かれ、現在も伸び続けている。
一時保護し、海へ戻したアカウミガメの軌跡。
「海流に乗ったわね……行動範囲が広いわ!」
平面から立体にして再度確認する。
大きい動きから、その場その場の小さな移動も確認し、その時々の個体の生体反応を見ていけば、正常範囲内…これなら問題なさそう。
「…あ…」
切り替え続けた最後にでたのは映像。
海の中を悠々と泳ぐ定点カメラの映像だった。
生きている。
生きて海を渡っている。
あの砂浜のアカウミガメは夢ではなかったと、ここにきて妙に実感してしまった。
「…綺麗ね」
「あぁ」
「!」
独り言に返ってきた言葉に我に返る。
隣を見ればアーサーが満足そうに笑ってこちらを見ていた。
データを一緒に見ていたとはいえ、肩が触れるぐらい近いとこにいたなんて気づかなかった。
「綺麗だ」
「え、えぇ、そうね。私達では到底見られない世界ですもの」
「僕が綺麗だって言ってるのはミカのことだよ」
「またそうからかって」
「僕は今までだって1度もからかったつもりはないよ」
「…そうね…そうでした」
そう言って話を終わらせる。
いつものことだから。
彼が私に甘言を言うのは。
ただ一瞬、彼の雰囲気がいつもと違って、少し動揺した。
「本当なんだ」
そう静かに言って真っ直ぐ見つめてくる。
……知ってる。本当は知ってる。
彼の想いが真実であることは。
「あぁ、ミカ。君を困らせたくないんだよ」
余程の顔をしていたのか…アーサーが眉を八の字にして苦笑する。
私は彼に甘えている。
彼の想いを知っておきながら、適当に流して見ない振りをしている。
少しでも思考が混乱すれば、アーサーはすぐに助け舟を出して、別の話を出しては誤魔化してくれる。
「今日、ミカを見てたら思い出したんだ」
「え、何を?」
昔話さ、と言って彼は穏やかに話し始めた。
大学の頃の話だ。
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「あの頃、僕は退屈していた…凄くね」
私にとって学ぶことを1日中してても怒られない学生生活は最高だったけど、彼にとって苦痛だったらしい。
すぐに飽きてしまったと…。
学生時代から優秀だ主席だなんだと、学生生活に疎い私の耳にすら入ってきていた。
早い段階で図書館の蔵書、論文、研究報告を片っ端から頭に入れてしまったらしい。
ディスカッションも言ってしまえばありきたり、同じように論文発表をそつなくこなして周りから絶賛され終わるが常だった彼にきっかけがきたのは生物学の発表だった。
「…あぁ、私が質問した…」
「そうそう。よかった、ミカ覚えてたんだ」
「えぇ…」
多くの質問に応えて静まる構内…もう質問出尽くしたかというところで、最後にと私は彼に質問したんだ。
その時のアーサーは穏やかに微笑んで私の質問を促したけど、その時ばかりは少し驚いてたらしかった。
他人と関わらない、他人の論文や研究発表には興味がないと、少しだけ名が知れていた私が質問したからだった。
「学生時代、そんな風に言われてたの…」
「ミカは知らなかったろ」
「そりゃそうよ…」
私だって他人の論文や研究には興味がある。
だからあの時アーサーの発表に対して質問したのに…確かに他人に興味はなくていつも1人でいたけど。
記憶の限りだと、この質問に対してアーサーの答えが納得できなくて、言い切る根拠を求めた記憶がある。
それに驚いたアーサーは根拠を答えたけど、それにも納得いかなくて、可能性の話をして、それに対する意見を問うた。
頭のいい彼の回答は確かに理に適っていたし他の人たちと違ってきちんと調べた上で発表してるのはよくわかったけど、私の疑問を解決するに至らなかった。
時にはそれをきくのかみたいなニュアンスで返されて、私はそこで彼の軽薄さに苛立ったんだ。
「本当、焦ったよ」
「……質問なんだから、どんな些細なこと聞いても問題ないでしょ」
「そうだね…あんなにしどろもどろになって答えたの初めてだった」
そんな体験が彼にとっては新鮮で楽しいものだったらしい。
教授が時間だと静止しなかったら、もう数時間は話せたかもしれない。
中途に止められてしまったから、私は自分で答えを見つけようと、すぐに図書館で参考になりそうな書籍を借りて、中庭のお気に入りの場所で突き詰めようとしたんだった。
そこに何故かアーサーがやって来て声がかかった。
幸いだったのは、私もアーサーもリモートでなく生身で通学していたことだ。
そうでなければ、たぶん私はアーサーともう1度話そうとは思わなかった。
「……本当あの時のミカ、愛想なかった」
「…アーサーは今と同じで軽薄だったわ」
「はは、でもミカは応えてくれたね」
「勉強の事なら話は別よ」
「さすが」
ぶれないね、とアーサーは笑う。
あの時も笑っていた。
彼が一体何を根拠にあんなに質問したのかとか、質問の中に出てきた内容の元になったものの話とか。
確かその時、1900年代後半の文献をさらっていたから、そのまま伝えた時だ。
理に適ってると思ったから採用した。
それをアーサーは古書だと笑った…まぁこういう反応には割と慣れていたから受け流すことが出来たけど、最初の頃は結構厳しい思いをしたものだった。
いつの時代でもその時研究していた人の考えは参考になるのに。
そんなことを思い出してた時、アーサーが笑いながら言ったことはよく覚えている。
他の人と違ったから。
『それは気になる。なんて文献?僕も目を通したい』
ふざけていうでもなさそうだった。
軽薄だと思っていたけど、その言葉を発した時の瞳は、私と先ほどまでディスカッションしていた興奮冷めやらない彼と同じだったから。
その文献のことを伝え、私は早々にその場を去った。
そこからだ。
何を気に入ったのか、彼が私に声をかけるようになったのは。
私もアーサーの言うように愛想はなかったから、いつだって彼の誘いは断っていた。
彼はその度に悲しむというよりは驚いていた。
私にとって勉強とは研究で、それはただ1人で集中して行うものだと思っていた。
それが覆ったのはアーサーのおかげだ。
彼が持ってくる研究発表の内容や文献の話は非常に興味深かったし、それを彼から教えてもらったり、意見を出し合うことで、新しい閃きや発見が見いだせることを知った。
「私はアーサーから研究は1人でやるものではないことを教えてもらったんだわ」
光栄だね、と彼が笑う。
「僕もミカから教えてもらったよ」
「何?」
「いつも僕に冷たいミカが、研究をしてる時だけは表情を緩めるんだよ」
「…え?」
「ただのめり込んで研究してる中で、ふとした時に……研究って面白いものなんだなって」
私のその表情見知って、学ぶことも悪くないと思ったと。
研究は確かに興味深く、終わりもないからその通りだとは思うけど。
「ミカには衝撃しか与えられてないな」
「どういうことよ」
「んー…ミカが僕に心許してくれるようになっても毎日新鮮だなと思って」
「話がそれたわよ?」
「はは…容赦ないね……ま、僕はあのままだったら腐ってた。ミカが良い刺激をくれたんだよ」
「そう」
「だから僕はミカと同じ研究という道に進むことを決めたんだ」
そう言われると私がアーサーの人生を大きく変えたみたいな気がした。
私は何もしていない。
ただいつも通り、多くを学んで疑問に持ったことを解消する為にさらに学んでいただけだ。
それがそのまま今の研究をする仕事になっただけ。