11話
「ミカ」
「!」
アーサーに呼ばれて彼を見る。
「私がわかる?アーサー」
「あぁ、わかるよ」
いくらバイタルに問題がなかろうが、心配なのは抑えられない。
彼が私に薄く笑いかけて、それで私は一気に安堵した…あぁ、本当よかった。
「……アーサー、ごめんなさい」
「……?」
「わ、私のせいで…」
アーサーは忠告してくれていたし、そもそも私の外調査には協力的だった。
私はそれを反故にした。
今までだって散々勝手して、甘えて我儘言ってきたけど、こうなることは考えてもいなかった。
「ミカ」
「?」
「今、何時?」
アーサーに言われて、日時を伝える。
「…そう」
アーサーは目元に手を当て、大きく1つ溜息をついた。
「…アーサー?」
「格好悪いな」
「何言ってるの?私を助けてくれたのよ」
むしろヒーローだわ、と付け足した。
事実だ、彼は私の命の恩人。
アーサーからは乾いた笑みがこぼれた。
口元は笑っているけど、僅かに見える目元は笑ってなさそうだった。
私は本心から言ったのだけど。
「……助けてくれて、ありがとう」
「……どういたしまして」
小さく囁く。
彼がこんなに弱弱しいのは怪我のせいだからかしら。
不謹慎だけど、少し新鮮だった。
そんなことを考えてしまうあたり先程までとは打って変わり私自身に余裕が生まれている。
彼が目を覚ましてくれた、それが嬉しいくてこんなにも安心してるなんて。
「……ミカの前だと僕はクールでスマートとは程遠いよ」
「そうかしら…?」
「僕は自分を信じて進むミカが格好良くて、その隣に立って一緒に歩きたいって思ってただけだったのに」
その為に努力したと。
でも格好悪いと。
私からすれば普段の彼は随分とスマートだ。
確かに付き合いが長くなるにつれ、意外な面も多く見てきたけど。
「私にとって…いつだってアーサーは格好いいわ」
思わず零れた言葉にはっとして口元に手を当てる。
いけない、本音が出た。
アーサーは顔に手を当てたまま無言。
口元も真一文字だし、目元も見えなくなってて表情が読み取れない。
ほんの少しの間の後、ゆっくりと彼の手が離れていく。
そこにはいつも通りのアーサーがいた。
「光栄だね」
「………大丈夫のようね」
つい強がってしまう。
今の私の本音をうまいこと流してくれたアーサーに内心感謝だ…深く追及されたり、からかわれたりされなくてよかった。
「ミカは怪我してない?」
「お陰様で無傷よ。少し水を飲んだだけ」
「君の綺麗な顔に傷がつかなくてよかったよ」
顔を商品として出す仕事をしてるわけでもないのに何を言うのか。
軽口が言えるだけ身体は問題ないという示しともとれるけど…施設では自身の認知を優先するために痛み止めは極力使わない方針をとっているから痛みはあるはずだ。
やはりアーサーは痛みをこらえつつ、上半身だけ起き上がった。
ベッドの形を変えて座りやすくする。
リンゴでも食べる?と聞くとイエスの返事。
必要な栄養や薬は摂取済みだけど、やっぱり食事は自分の口からとるのがいい…人の健康は気持ちにも左右される。
折角なのでまるまる1個、リンゴを持って来ていた。
私はよく自分で剥いて食べているけど、皆はどうだったかしら。
嗜好として食べることをするのは効率が悪いという意見も施設内ではあった気がした。
アーサーは学生時代から私が間食してるのに付き合って食べていたから大丈夫か。
思い至り、リンゴの皮を剥いた。
相変わらずシャリシャリといい音を出してくれる。
「本当はミカを叱ってやろうと思ってたんだよ」
「かまわないわ。それだけのことをしたんだもの」
「…けどね、今こうして無事なミカを見たらその気をなくしたよ」
皮を剥き終わって彼を見やる。
窓の外の夕暮れを浴びて、彼の瞳は輝いていた。
これからやってくる夜の星空のように。
「ミカが生きてるならそれでいい、なんて…とても単純な事に喜んで他がどうでもよくなった。不思議だよ」
「私が言うのも変だけど、アーサーは自分をもっと大切にしてもいいんじゃない?」
「僕はいつだって自分が1番大切さ」
「…そう」
自信を持って言うアーサーは素敵だと思う。
それはずっと前から思ってた。
確固たる芯がある…彼は私が格好良くて一緒にと言ってくれたけど、私からすれば逆だ。
格好いいのはいつだってアーサー。
私がここまで人と関われて、施設でうまいこと研究を続けられてるのはアーサーのおかげだもの。
「アーサー、あの、」
「あぁ、ありがとう」
切りわけたりんごを見てアーサーが笑った。
私は言おうと思ってたことを飲み込んで、皿にのったりんごを差し出した。
「…………食べないの?」
けれど彼は手を出さない。
そしていけしゃあしゃあと言ってくる。
「ミカが食べさせてくれるんでしょ?」
僕怪我人だしねとまで言ってくる。
「アーサー…」
呆れると同時にほっとして笑う。
いつもの彼だったし、おかげで私もいつものように彼と向き合えたから。
「ミカは笑うといいね」
「え?」
「笑うと可愛い」
「アーサー、貴方また…」
「あ、でもそれを知ってるのは僕だけでいいから、他の奴らには愛想悪くしていいよ」
ルイとかサイードには特にね、と念を押される。
古い付き合いのある人物に関しては特別言い方が厳しい。
仲は悪くないのだろうけど、たまにこうして特別言い方が変わるし、本人にもそう言ったりするものだから割と正直…でも子供っぽいと感じてはいる。
「その分なら明日から研究再開できるわね」
「え、もう少し労わってよ」
「…私は研究に戻るわよ。卵が孵化するから」
予測で確実に孵化が出た。
そこはさすがに立ちあいたい。
「無理そうなら、研究後に来るわ」
「冗談、僕も孵化には立ちあいたいよ」
「そう」
りんごがカラになって皿をしまいに立ち上がる。
水で流して軽く拭いて棚に戻した後、彼の元へ戻るとベッドから見上げる彼が私を呼んだ。
「ミカ」
「うん?」
手を差し出される。
「眠るまで握っててくれる?」
「アーサー?」
「不安なんだ…君が生きてるって確かめさせて」
そう言われると断れない。
普段の私ならすぐさま断る所だけど、さすがに今日ぐらいはいいかと彼の手に自分の手を重ねた。
彼が眠ってる間、握ってる分には全く問題なかったのに、彼に見られながら握られるのは当然のことながら大いに違う。
恥ずかしいことこの上ない。
アーサーを盗み見れば、とても嬉しそうに目を細めているものだから、すぐに手を引っ込めることが出来なかった。
変わらず温かく、起きる前と同じなのに…こんなに心乱される。
「あ、アーサー、」
そろそろ限界だと思って離そうと声をかけた時。
「えい」
「?!」
アーサーに手を引っ張られ、そのままバランスを崩してアーサーに倒れてしまった。
いけないと思ってすぐにどこうとしたけど動けない。
逆に強い力で拘束された。
「ふっ」
「あ、アーサー!?」
耳元で、すごく近いところでアーサーの笑う声が聞こえた。
抱きしめられている。
しかもちょっとやそっとじゃ動けないぐらいしっかりと。
「は、離して!」
「…もう少しだけ」
耳元で囁かれるのがくすぐったい。
恥ずかしさなんて手を握ってた時の比じゃない。
「わ、私が生きてるってわかるでしょ!」
「んーどうだろう?」
「アーサー!」
「はいはい」
近い、近すぎる。
心臓が張り裂けるんじゃないかってぐらいで…それももう彼に聞かれているんだろうと思うと増々恥ずかしい思いだった。
しかもなかなかアーサーは離してくれなかった。
「……」
依然として解放の気配を見せないアーサーに、ついには諦めの気持ちが勝ってきた私は徐々に力を抜き始めた。
不自然な体勢だからきついとこもあって彼から離れようと突っ張っていた手で彼の服を掴んだ。
「うん、終わり」
「…っ!」
拘束していた腕の力が緩んだ。
よかったと同時に、不自然な体勢から起き上がる。
見なければいいのに、彼とばっちり目が合ってしまった。
「あ、アーサー…!」
あまり見た記憶のない表情…目元が緩んで嬉しそうに微笑んでいる。
どうしてか、その姿にきゅっと内側が締め付けられる。
心臓に悪い。
部屋を出よう。
アーサーが目覚めただけで充分。
謝罪と感謝もした。
本当はもっと真剣に話さなきゃいけなかったかもしれないけど、アーサーがいつも通りでいてくれるということは、私もいつも通りである方がいいということだと勝手に解釈する。
「……帰るわ。明日の孵化の為に早く起きないといけないから」
「あぁ」
まだ落ち着きを見せない自分を奮い立たせて、なんとか歩き出す。
扉を開けて踏み出す前に彼に呼び止められた。
「ねぇ、ミカ」
「何?」
彼はいつも通り微笑んだままだった。
「ミカは研究好きなんだね」
なによりも。
「…そうね、好きよ」
「僕も好き」
「……アーサー…?」
その一瞬、瞳の色が違って見えた。
「明日は行くよ。おやすみ」
「え、えぇ、お休み」
彼の部屋を出て、自分の部屋へ戻る。
アーサーの言葉が離れない。
僕も好き。
いつものように軽口叩いて、よく言ってる台詞。
その言葉がいつになく違う形をとっていたから揺さぶられた。
「……」
わかってはいた。
彼はいつだって本当に心からその言葉を発していることに。




