つまり偽りの無い世界
これはホラーと言えるのだろうか
朝、いつものようにテレビをつけた。チャンネルは普段見ているニュース番組に合わせた。そのはずだったが、なぜか頭のない人間が映っていたのだ。私は番組を確認した。もちろん、普段のニュース番組に頭のない人間なんて出てこない。ならこれは、ドラマか映画なのかもしれない。しかし、これはいつも通りのニュース番組で合っていた。他の番組も確認したが、やはり頭のない人間が映っていた。頭のある人間と無い人間がおよそ同じ割合で映っていた。今日は私の誕生日でも4月1日でもない。というか私は誕生日をそんな盛大に祝われるよな人間でもないし、すべての番組が同じ企画をしているなんてことはありえないのだが。ならばと思って窓の外を確認した。まだ朝の早い時間帯なので人は少ないが、やはりいた。頭のない人間だ。割合も変わらないだろう。私には何が起きているのかなんて想像すらできないが、1つだけわかることがある。私以外にとっては何も変わらない『日常』であるのだ。つまり、私も『日常』を演じなければならない。気は乗らないが会社に行かねばならない。これが今日だけのことだと信じて働くとしよう。
とりあえず会社に着いたので周りにいる人間を確認してみた。頭の有無を確認してみた。どうやら頭の有無に年齢は関係なさそうだということと、地位の高い人間は頭の残っている人間が多いということはわかった。これが何を意味するのかなんて分からないが、私の上司は頭が無かった。
頭のない人間がいても、仕事に支障は無かった。目も口も耳も、脳すら無いはずなのに正常に機能しているようであった。つまり、頭は存在が消えたのではなく、私の視界から消えただけのようである。
仕事が終わって帰る頃にはもう暗くなっていた。元々、私は決して帰るのが早い人間ではなかったが、この状況で完全に普段通りの仕事などできるはずもなく、更に遅くなってしまったのだ。街灯だけを頼りに家への道を歩いているが、ここは慣れた道である。普段通りに歩けばいいのだ。懐中電灯を持ってくれば良かったなどと後悔したところで何の意味も無いのだ。
しばらく歩いていると見慣れないものが現われた。暗くてよくわからないが『それ』が蛇のような形をしている生物であることはわかる。しかし明らかに蛇ではないのだ。ハンドボールほどの頭で、目は1つしかない。私の知らない生物であることは確かだし、やたらと不気味なのである。私は近づくのが怖かったので別の道で帰ろうと引き返した。しかし、『それ』はいつの間にか私の背後にも現れていた。こちらの『それ』は街灯に照らされて姿をはっきりと見ることができた。見ただけで吐き気に襲われた。『それ』の頭は、イラストでしか見たことはないが脳のようであった。胴の部分は背骨にしか見えなかった。全長はおよそ大人の上半身と同程度である。つまりそれは、人間から背骨ごと脳を引き抜いた姿であろう。目は1つだけ、脳の前部中心に埋め込まれている。蛇のようにも見える『それ』がなんなのかはさっぱりわからないが、私は逃げようとした。しかし、私は今、前後を『それ』によって挟まれている。ここは一本道である。前か後ろか、どちらかに進むしかないのだが、どちらも『それ』によって塞がれている。大きいわけではないので横を通り抜けることもできるだろうが、できれば近寄りたくない。前か後ろか、どちらに進むべきか。正常には動作していない私の脳で考える。そこでようやく私自らの勘違いに気付き、この状況を正しく認識した。ゆっくりと近寄ってくる『それ』は2匹だけではなかった。きちんと考えるべきだった。ゴキブリは1匹見たら30匹はいると思えと言う。私はこの言葉を知っている。だが、この状況に対する先人からの教訓だなんて考えていなかった。私の前後には数えきれないほどの『それ』がいたのだ。蛇は確かに群れないが、『それ』が蛇の仲間なわけがないのは明白だったはずだ。私はきっと狩りの対象になってしまったのだろう。このまま死ぬなんて、そんなのは嫌である。私は家のある方向に全力で走った。つまり『それ』の群れに向かって走った。足元の『それ』は踏みつけ、蹴り飛ばし、飛び掛かってくるものは払いのけ、ただひたすらに走り続けた。無数の『それ』に向かって走る私の体は次第にぼろぼろになっていった。どれだけ血が出ても、呼吸すらままならなくなっても、足は走り続けた。私のいた『日常』に帰るため、ただひたすらに走り続けた。目もよく見えなくなってきた。ぼんやりとするなかで、ただ走った。『それ』の数も減ってきて僅かに希望が見えだしたとき、私は何者かに頭を掴まれたような気がする。私の視界に映った最後の映像は、今日1日見続けてきた頭の無い人間が走る姿だった。
一応ホラー初挑戦でした
怖くないんだよなこれ