新月の凶刃
新月の夜に光はない。
闇しかない。
先進国の都市部は夜とは言わない。あれは馬鹿みたいな照明焚いてるだけだ。
人以外の何か、物の怪の気配。あれを感じれるのは、新月の夜だ。
人がいない代わりに、森が、泥沼が、そして死が在る場所。
電力の供給も遮断されて、火を焚こうもんなら、9mm弾が飛んでくる場所。
それが戦場だ。そしてこの戦場が、俺、志摩軍旗が一番落ち着く場所でもある。
物心ついた時には、傭兵稼業の親父と戦場を巡っていた。
子連れ狼の現代版だな、と俺を高い高いしながら、フランス人の傭兵が言っていたのを覚えている。
子連れ狼は分からなかったが、『日本かぶれが』と嬉しそうに笑う親父の顔は、俺の脳味噌にしっかりと刻まれた。
戦場では一通りの事を学べる。読み書きは武器の取り扱いに必須だ。爆弾物の処理。食糧の調達。空いた時間は武器のメンテナンスと訓練。
親父は俺がするべき任務を『ミッション』と呼んでいた。
ミッション、つまり任務だ。俺はこれをこなすことで練達する。
生き延びる力を身につける。
それでも余った時間は親父と本を読んだ。
これもミッションだ。
14歳になる頃には、俺はいっぱしの少年兵になっていた。
俺に一通りの技術、そして経験を積ませたからだろう。
ある日、親父は『お前に日本を見せたい』と言った。
その1週間後には、北海道の叔父のいる中学校に転入させられていた。
『せっかくだ。色々見ておけ』と親父は笑顔で言った。
そして叔父に俺を預け、姿をくらました。
『色々見る』のがミッションだと思った。
中学校には戦場とは違う社会があった。
蟻の巣みたいなもんだ。
ちっちぇえ中で色々している。
俺は戦場で蟻も食べるが、まみれるのは好きじゃねえ。
だから誰とも関わることはしなかった。
観察は嫌ってほどしたけどな。
クラス全員の名前。趣味志向。部活。人間関係。まあ色々だ。
全員蟻みてえなもん、……でもなかったな。1人だけ違った。
四方原瑞希。ひたすら明るい女だ。
鬱陶しい程の節介焼きだ。一番意味がわかんねえ女でもある。
分からねえ事は、考える必要はねえ。
が、親父のミッションは『色々見ておけ』っつう事だった。
だから四方原に一番の注意を払うことにした。
いや、したかったんだな。俺の目はあいつを追う。
飛びぬけて別嬪とかじゃねえ。が、とにかく目を引く女だ。
奴を追う内に、あいつの周りの人間関係が見えてきた。
園芸部長、西宮一樹。ひょろっこいが頭が良い。
勉強って意味じゃない。
慎重だが決断は大胆だ。
戦場では長く生きるか、あっさり死んじまうかのどっちかだろうな。
バレー部員、周防楓。こいつは俺と似た臭いがする。硝煙というより、血だ。
ごくたまに戦場で出会って、親父が苦戦してた種類の人間。
ヒットマン。殺し屋だ。しかも現在進行形ってやつだ。
闇社会の格闘士かもしんねえ。
聞いた事がある。巨大企業の利得を賭けて、試合が行われる闘技場。
目にくまを作っているのは、夜に『仕事』をしているからだろう。殺しか試合かのどっちかだ。
向こうも俺に気付いているはずだが、あえて接近はしてこない。まあ、戦闘しないに越したことはない。
周防について観察をしているうちに、気がついた事がある。
あいつは、バレー部だが、試合の時は隙だらけになる。
いつもじゃねえ。
四方原と組んでる時だけだ。
バレーボールにだけ集中し、四方原と呼吸を合わせようとしている。恋する女みてえな、献身。
そのうち気付いた。みてえな、じゃなくて、そのものだ。あいつは四方原に恋をしている。
難儀なことだな。性別の壁越しの恋か。しかも四方原が好きなのは西宮だ。
以前の俺なら、ここで周防を哂ったことだろう。
戦場には腐るほど変態野郎がいる。
俺も襲われかけた。そして返り討ちにしてきた。
が、周防の事は笑う気にはなれない。
俺は四方原が好きだからだ。『色々見ておけ』がミッションだ。
『色々工作しろ』じゃねえ。
ただの傭兵に、平和な国の浮かれた餓鬼どもに介入する義務も資格もない。
だが、四方原には介入したかった。
見る、というミッションの範囲を越えて、あいつの家に盗聴器を仕掛けたりした。
声、会話、色々な音。聴くと股間がうずく。たぎって硬く熱をもつ。苦しい。
自慰で解消できそうな感覚だった。が、自慰は危険だと親父に言われている。
だからしない。馬鹿になるからだ。苦しい中で、研ぎ澄ます。それが傭兵の条件だ。
俺はひたすら聴覚を研ぎ澄まし、微かなズレを知覚した。共鳴反応。ジャミングが起きている。もう一つ、誰かが四方原の家に盗聴器を仕掛けている。
そんな奴は1人しかいねえ。周防だ。くそ、どこまで同じ穴の狢なんだ、全くよお。
『周防だろ』
返事がくるまで3時間かかった。
『……志摩軍旗、か』
これが周防との初めての会話だ。中学2年の夏。
俺は四方原の家にスピーカーを設置した。
周防と話したいと思ったからだ。
3時間の間に、周防は四方原の家に出向いて、スピーカーを設置したはずだ。
あいつは俺のスピーカーを探したはずだが、見つけられなかった。
俺もあいつのは探せなかったからな、おあいこって奴だ。
『ああ、俺だ。やっぱりお前だよな。こんな事する奴、俺かお前しかいねえ』
『用件は何だ? 手短に言え』
『今、お前は迷っている。俺を始末するべきか。生かしておくべきか。始末するのは簡単だと思っている。お前は高慢ちきだ。けど俺は四方原と同じ組だ』
『……』
『沈黙は図星って事だよな。お前は四方原が悲しむ事はしたくない。あいつの事が好きだからな』
『今からお前を始末しに行く』
『俺は傭兵だ。殺し合いの経験なら、お前より長いぜ』
『……待っていろ』
この会話の1時間後、俺たちはやり合った。
これが最初のやり合いだった。
その後も、何十回とやり合ったが、パターンは大体決まっていた。
あいつは黒塗りの長物を扱い、夜の闇に紛れて襲ってくる。
ひゅっという風切り音が鳴ったと思ったら、肉が刻まれている。
俺は暗視ゴーグルをつけて足りない分を軌道の予測で補い、急所をかばう。
そして迎撃する。
環境を生かした戦いなら俺だ。ただし決め手にかける。直接戦闘ならあいつの方が強い。
周防は搦め手に弱い。殺し屋だけあって気も強いが、やはりプロだ。冷静で、仕事に障ることはしない。
やり合った後は、短いが会話をした。
言葉は多ければいいってもんじゃねえからな。濃密な会話だ。
その会話で周防について色々な事がわかった。
あいつはプロの殺し屋。闇社会の賭け試合で生活している。
趣味はバレー。やっぱり四方原の事が好きだ。それは俺と同じだな。
四方原が西宮の事を好きだって分かっているのも、同じだ。殺し屋だもんな。見抜けて当たり前だ。
ただ違うのは、あいつは西宮を始末したいと思っている。
理由は嫉妬だ。
まあ、性別の壁からくる嫉妬で、世の中の『四方原と恋愛をする資格のある若い男』全員を、本当は始末したいらしい。
若い男は全員始末したいっつうのも、ぶっ飛んでるが、あいつらしい。
「ギリギリなんだな。大変だ。俺もお前も。まあ、俺は西宮を応援してっけどな」
「あんたが冷静を気取ってるだけでしょ。始末したいと思わないってのは、嫉妬もない。嫉妬すら抱けないうっすい感情で、あたしと同質感を持たないで」
きつい言葉だが事実だ。
俺は親父が寄越したミッションをこなしている。
少し外れても、大きくは外れない。介入はしないし、できない。
西宮には四方原を幸せにして欲しいし、あいつにはその能力がある。
冬の初めに親父がひょっこり現れた。
ミッションの進捗を訊いてきたから、色々全部ぶちまけると、親父は豪快に笑った。
それから、すっげえ優しい目をして、俺の髪をくしゃくしゃにした。
「軍旗。お前は良い仕事をしてるな。で、だ。得意先から仕事の依頼がきた。中東だ。俺とお前、セットでご指名だ。行くか? それともここでまだ、殺し屋のお姉ちゃんと初々しい中学生たちを『見ていたい』か?」
「行く」
俺は即答した。
俺は傭兵だからだ。そうして生きてきたし、これからも生きていく。
親父は歯をみせて、にやりとした。
「そう言ってくれると思っていたぜ。さすがは軍旗、俺の息子だ。出発は明後日だ。準備しとけよ」
そう言って親父は立ち上がり、叔父さんに挨拶をして玄関から出ていった。
玄関を使うのは親父にしては珍しい。
日本って感じがして切なくなった。俺はこの国に愛着が湧いている。
その晩、俺は周防に連絡を取った。
盗聴器越しの会話だ。
『周防、聞いているか』
『……なんだ』
『明日、四方原と西宮を恋人にさせる。両思いだから簡単だ』
長い沈黙の後、返事がきた。
『じゃあわたしは西宮を始末する。正式な手順で果し合いを申し込み、潰す』
『勝手にしろよ。ただし俺はお前を阻止する、試合を潰されたら四方原の事はあきらめろ、元々赤い糸でつながってる奴らだ』
返事を待ったが、結局来なかった。
翌日、俺は周防をがちの戦闘で破り、四方原と西宮をカップルにした。
胸の奥が甘く疼いたが、これが恋ってやつなんだろうな。
傭兵にあるまじき大きな介入だが、後悔はしていない。
だがその感傷は今でも胸に疼いている。
……周防に勝てたのは、夕方だったからだ。闇の中ではあの頃の俺には無理だった。
四方原と西宮がカップルになった次の日の夕方。
親父のヘリが到着するまで時間があった。
俺は四方原と西宮が下校する姿を遠くから眺めていた。
2人とも、歩き方がぎこちない。緊張してるんだろうな。
全く初々しいぜ。まあ、日本を発つ直前まで見守る俺も大概だけどな。
俺の隣には周防がいた。酷く恨めしい目で、西宮を睨んでいる。
四谷怪談を思い出させられる恨み具合だ。
「狙撃とかすんなよ」
「しないわよ。わたしだってわきまえている」
どうだか、と思ったが、口には出さない。
西宮が転んだ。四方原が屈み、あいつらは手をつないだ。
映画とかなら拍手とか歓声、口笛、あとクラッカーでも破裂するんだろうな。
代わりに周防がしゃがみ、両手のひらに顔を埋めて泣き出した。
俺は肩をすくめた。
周防は泣き続ける。雪が降ってきて、こいつの頭に積った。
払ってやると、触んないで、と手を払われた。
まあ、それはそうだ。俺は四方原じゃない。
「あんた…じゃ駄目…なのよ」
かすれたアルト。
「ああ、そうだな。四方原じゃねえと駄目だ。四方原も、西宮しか受けつけねえ」
「知ってる……!」
また泣き出した。小さな、無防備な頭だ。殺し屋らしくねえ。
こいつが落ち着いたら、汁粉缶でも買ってやろうと思った。
殺し屋になんかに何かを買ってやろうと思ったのは、初めてだった。