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【詩】赤、槐多のガランス

前半は詩、後半はその解説です。

解説は他のエッセイと違って、活動報告のような書き方です。

今後も、詩のときはこんな形式の予定です。


【詩】「赤、槐多のガランス」



俺は四肢を冬の草原に投げ出し、曇天を見上げた。


くすんだ空に自分の弱さを重ね、歯噛みする。


俺は、貧しさに、病に、己に負けたのだ。


目がつぶれたわけでもないのに。ねえ高村さん。


それでも次第に憤怒がおさまり、ただただぼんやりしていると。


赤く小さきものが顔に触れた。


花びら。それも血の色ガランスのバラの花。


天からちらほらと降るそれは、たちまち数を増して俺に積もる。


視界が覆われ、息苦しくなりながらも、俺は笑いが止まらない。


やっぱりな。世界は赤だ、青でも黄でもない。


そしてガバリと起き上がり、花びらを蹴散らして、夕暮れの中を一目散に走った。


今はもう、この光景を表現することしか考えていない。


世界は、赤だ!


俺は吠えた。有らん限りに。嬉々として。


ーー火だるま槐多かいたは貪欲で。強者で弱者で多幸で孤独で。血の色ガランスの情熱は止めどない。




◇ ◆ ◇


【解説】画家で詩人、村山槐多むらやまかいた(1896年9月15日生~1919年2月20日没)を詩の題材にしました。



先日、テレビ東京系「美の巨人」の、「“夭折の天才”村山槐多と関根正二…自画像に刻んだ鮮烈な人生」という内容のものを観ました。


浅学故に関根正二は知らなかったのですが、村山槐多は以前から知っていました。

赤を作品によく使っていたこと、私の好きな彫刻家で詩人の高村光太郎と交流があったこと、代表作『尿する禅僧』に強烈な印象と抑えられないほどの情熱を感じたこと、そんな程度ですが。


番組では、槐多が好んで使った赤色の正式名称を取り上げていました。

それが『ガランス』、日本語では『茜色』、くすんだ赤色のことです。私が好きな作品『バラと少女』にも多用しています。

演出上でしょうが、ガランスを『血の色』と表していました。それが私の印象に強く残りまして、今回このような詩を書くに至った訳です。


前述の高村光太郎は、槐多の死後に『村山槐多』という詩を残しました。

その中で『強くて悲しい火だるま槐多』と表しています。槐多の迸る芸術への思い、そして22歳という若さで志半ばに散った彼へ対する光太郎の無念を感じ取れました。


私の詩の中の『世界は、赤だ。青でも黄色でもない』は、実際に槐多が残した言葉です。世界は、赤なんですって。他の色ではダメなんですって。

彼の言い切った言葉から、赤への固執、偏愛がわかります。


槐多の詩も、読んでみたいです。

同じように、偏り気味な熱い気持ちや赤への執着があるのでしょうか。

好みの分かれる作風かなと思いますが、引き込まれます。

作品展があれば行きたいなぁ。

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