カヤロナの竜
陸続きの隣の国なのに、こんなに文化が違うことに驚いている。
それを知らなかった自分にも。
まぁ、私には学問をする時間は全くなかったから、当然のことだけど。
それでも学校へは行っていたし、表向きは優秀な成績を修めていた……特別に個室を与えられる程に。
教師達には片棒を担がせてしまい、申し訳なかったなと思う。
今頃、父に残してきた文書で学校で私がしてきたことが知れて大騒ぎになっているかもしれない。
トーウェン家から学校への出資は先代から続いていている。
その為、トーウェン家からの要望がある程度通る学校だった。
トーウェン家が手を引けば、学校は運営資金を失い、学校はなくなるだろう。
私は妹たちの為に、どうしても学校を潰せない。
妹たちには普通の学校に行けない理由があった。
だからこそ妹たちを安心して預けられるこの学校を潰すわけにはいかない。
学がなければ妹達は政略結婚の道具にされてしまうことだろう。
それがどれほど重要な問題か父にはわかるまい。
私を安易に豪商の変態に売り払おうとした父には、どれほど訴えてもそれが理解できない事のようだ。
私は学校の別室を占領して、出来る限りの内職を行っていた。
私に対して並の父親程度の愛情をもっている父にそれが知れたら、学校への出資は打ち切られただろう。
教師たちに口止めをして、父へは嘘の報告を続けてもらっていた。
父が私がおとなしく学校で勉強していると思っている間、私は出来る範囲で出歩いて商売を行なう。もっと小さい頃は小遣い程度にしかならない手工業にも手を出したが、大きな儲けを出すことはできず、やり方を変えるほかなかった。
子どもだし、女だし、秘密裏に働かなければならないし、この内職は正直ちっともうまくいっていなかった。
他の生徒達は、特別優秀な私が別の教室で授業を受けているとでも思っていたことだろう。
厚い眼鏡をかけ、前髪を垂らし、勉強にしか興味のないような顔をして、友人も作らず、台所の資金まで使って借金を削っていた。
同級生たちは学校で何を学んだのだろう?
美しい詩を読んだり、将来の夢を考えたりしたのだろうか。
それとも、友情を育んだり、恋をしたりしたのだろうか?
私はまるで学がない。
竜のことなど何も知らなかった。
国境を越えた今も、カヤロナの歴史も文化も、どう栄えてきたのかもまるで私は知らなかったのだ。
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流血騒ぎが落ち着いて、やっと部屋に戻ってきた時に、イヴは私にバロッキー家についてのいくつかのことを説明してくれた。
カヤロナ国で竜はたいそう忌み嫌われる存在なのだそうだ。
絵に描くことも、物語に登場させることも厭われる。
姿が似た蛇や蜥蜴ですら、この国では退治する対象なのだという。
元々はカヤロナ王家が竜に滅ぼされかけたことが発端らしいが、少し異常なまでの情報統制が敷かれている。
そんな中で、家紋に竜を刻むバロッキー家は、この国でずば抜けて異端な存在だ。
竜と交わった証拠として直系の男子に竜の目が受け継がれる――あの赤い色がそうなのだろう。
バロッキー家は忌み嫌われ、結婚相手を探すのが困難となる。慣例的に子孫を絶やさぬ方法として近親婚をしていたが、血が濃くなりすぎるようになった、と。
それを避けるため、近代では娼婦や貧困層の娘に莫大な金を払って赤子を産んでもらっている。
そうやって生まれた竜の形質を受け継いだ子供たちは、出自を問わず本家に集められて、イヴのような女性によって自分の子と分け隔てなく育てられる。
バロッキー家はそうやって細く繋がれているのだ。
「私は身寄りがなくて、バロッキーに拾われてメイドとして働いていたの。だから外の人がバロッキー家に抱く感情はちょっと理解できないんだけどね」
多くの竜の子の母であるイヴは明るく笑う。
「まだ色々とピンとこないのですが……」
「心配しないで、今屋敷にいるバロッキー家の子達はみんなとてもいい子ばかりよ。私が世話をした子が多いから手前味噌になっちゃうかしら」
イヴから慈愛に満ちた微笑みを向けられて、何となくそわそわとする。
理由はともかく、慢性的な嫁不足なのは納得がいった。
破格の優遇にはそういった背景があったのだろう。
イヴは部屋を見渡し、私の少ない荷物を見て、すぐに何着かの服や下着を届けてくれた。
商品の余りだから気にしないでと言われたが、私だって商家の娘、物の善し悪しくらいはわかる。
上質の布、美しい縫い目の始末――今までの私なら迷わず質に持っていくところだ。
一緒に届けられたお湯で身を清め、身支度を整えて、新しい服に袖を通す。
(こういう時は紅でも点した方がいいのかしら)
髪を整えて血色がよく見えるように少し頬を叩く。
希にしか使わなかった化粧道具は妹達に残してきてしまったし。
(どう死ぬかはともかく、契約書にサインするまでは不興を買ってここから追い出されるのだけは避けないと)
広い窓から外を見れば、陽が傾き針葉樹が深い影を落とす。
空気が澄んでいるからか、息を吸い込むと生まれて初めて肺の奥まで外気が届いたような気になる。
しばらくして、控えめに部屋の扉が叩かれ、ヒースがやって来た。
「どうぞ」
ドアが薄く開けられ、半身だけヒースが顔を出す。
「食事の準備が出来たから、呼びに来ました。出られますか?」
ドジっ子のヒース君、今日は本当に災難ね。
世話係を請け負ってるばっかりに、まだ私と関わりあいにならなきゃいけないのか。
そのままドアを閉じられそうだったので、こちらからドアを開いて招き入れる。
「ありがとう、ヒースさん。今、靴を履きます。……あの、手の具合はどうですか?」
「もう大丈夫だ。傷口自体は大した大きさじゃなかっただろう?」
まぁ、周りは大騒ぎしてましたけどね。
「待って。包帯が緩んでる」
(動かすなって言ったのにな)
血管の傷はちょっと動かすだけで傷が開きやすいのだ。
「動かすと傷が開きますよ」
「ああ、すまない。気をつけるよ」
踵を返して部屋を出ていってしまおうとする。
「いえ、そうじゃなくて、巻き直しましょうか?」
「え?」
本日、何回目のその顔?!
私は珍獣か?!
(……そういえば私、珍獣だった、そうだった)
驚いたわりには大人しく包帯を私に巻かせるヒースは、何か言いたげにこちらを見ている。
「なんですか?」
言いたいことがあれば言えばいいのに。
「……イヴから聞いたんじゃないのか?」
「この家の事ですか? 聞きましたよ」
「俺が……俺達が忌まわしくないのか?」
歯に物が挟まったような言い方にイライラしないでもないが、例え忌まわしく思っていたところで契約書で取引される私には関係の無いことだ。
「別に」
本当に何にも思わない。
何ならヒースの自虐的な態度が腹立たしいくらい。
竜のことといい、この国の人も目の色ごときで 狭量なことだ。
「その……気持ち悪くないのか?」
――何に対して気持ち悪がれと?
容易く私を食卓に招く不用心さは気持ち悪く思わないでもないけど。
「私の故郷では竜や蛇に特別な感情はありませんよ」
まぁ、あったとしてもバロッキーとは短いお付き合いにする予定だから、関係ない。
「これが酷い取引だとは思わないのか? いきなり魔物の巣の生贄にされたんだぞ」
だんだんこのやり取り面倒になってきたかも。
金で買った娘に何をそんなに気をつかっているやら。
「誤解があるようですね。先ほど言いましたが、私は自ら選んでここに来たのです。どんな家だろうが私にとって借金が無くなることに意味があるのであって、この国のこの家に対する評価なんて無価値です」
てきぱきと包帯を巻きながら口早に告げる。
「――ぶっちゃけ魔物に命を取られても本望だってことよ」
あ、心の声のほうが外にでちゃった?
今のは聞かなかったことにして欲しい。
窺いみると、慌てているのはヒースのほうだった。
「いやいやいや、さすがに命は取らないからな。比喩的表現で、そういう意味の生贄じゃないからなっ」
「あら、そうなんですか? 私はどちらでもかまわないのですけれど」
少し意地の悪い気持ちになって、つっけんどんに返すと、機嫌を損ねたのか、派手に眉を寄せる。表情がコロコロ変わるのね、このひと。
「全然良くない。うちはそういう意味で魔物ってわけじゃないんだからな」
目の色くらいで何が魔物なのよ。
大袈裟な。
「それより、さっきみたいに普通に喋ればいい。別に猫をかぶっても仕方がないだろ」
私のかぶってる猫はペラペラで薄い。その場限りのものばかりだ。
でも、立場上、そんなに気安くしちゃ駄目よね。
「私の立場ではそうすべきではないと思うのです」
「君はこの家の客で、しかもうちの誰かと所帯を持つかもしれないわけだし。そうなったら俺にとっても家族になるってことだから。奴隷や使用人のような振る舞いはしなくていい。普通に話してくれると助かる……」
もそもそと言うと、何も答えない私から視線を外して目を伏せる。
私はヒースの美しく生え揃った睫毛を鑑賞していた。
優しくされるのは困るのになぁ、とか考えながら。
「俺は爪も目もこんなだが、それでも皆は家族として扱ってくれる。本当に、バロッキー家の俺以外の誰が夫になっても君を不幸にはしないだろうから安心してほしい」
そして、包帯を巻いている手を見て「俺、感情がごちゃごちゃだ」
と言って押し黙った。
(そりゃもう、ごちゃごちゃだろう)
怪我人に色々と気を遣わせちゃった。
でも、私も少し肩の力が抜けたような気がする。
「……動かさないでって言ったのに、貧血になるわよ。今日はもう重いものを持ったりしないでよね」
包帯を直し終わると、ため息をつく。
「あと、手袋はやめたら? 事務作業とかやりにくくない?」