第八話 異形コンタクト
すみません。あんまり早く書けません。すみません…
― 一体の鬼種が薄い香りに誘なわれ、森の中餌を求め周囲を探るように彷徨っていた。赤銅色の鋼のような硬質な肌に、何者をも跳ね返すが如く鍛え上げられ隆起する分厚い筋肉。この魔樹の森の中でも高位に位置するモンスターだが、それでも食料の確保はこの森において彼であっても容易ではない。生存競争が熾烈を極めた此処に住む者は誰であれ生き抜く為に騙し騙し合い、あらゆる手段と方法で死ぬリスクを減らし、自分達が生き残る事を常に考えている。故に狩りに出たとしても、屈強な戦士であり狩人である彼でさえ、ゴブリン一匹すら狩れない事も珍しい事ではない。
―だからこそ、彼は警戒する。
この『匂い』。森の中から僅かに、だが揺らぎ無くある一定の方向から漂う匂い。― これは「ヒト族」の匂い。それも特別上等な、匂い。
この森に生きる者で己が存在を示す痕跡を残す愚か者はいない。だが、森のルールを知らなければ別だ。不用意に足を踏み込んだ獣、魔獣、そして人間共。
先日の大規模攻勢の後、モンスターによって人間共の駆逐は完了し彼は大いに腹を満たしたが、あの時、完璧にその全てを駆除した筈だった。…それが今更 ― これ程の濃い匂いを持つ人間が、こんな森の最奥にいる筈がない。
疑いの晴れぬまま匂いの中心に至った彼の前に、まるで彼を待っていたかのように人型の『何かが』ゆらりと立ち上がり、此方の様子を伺っていた。
全身が獣毛の毛皮のローブで覆われ、種族は判断できない。不思議な事にあれほど甘美だったヒト族の匂いすら、今はない。異様な事態に彼の警戒心は最大に高まりつつあった。
…だが、目の前に現れたその『何か』は小柄で動作も酷く緩慢で、あまりに無防備なその仕草は―
『人型』が自分に何かを言った様な気がする。
だが―無意味。強者にとって、弱者は己が為の糧。
それは此処に生きる者の絶対のルール。
彼はルールに、本能に従うまま大地を蹴り上げると、もう猛然とソレに襲いかかった。その血のこびり付いた巨大な棍棒を、その豪腕によって叩きつける―
「頼むからちょっとは俺の話、聞いてくれよ!!」
―ヒト族のメスの声が耳に聞こえた刹那。
耳の中に何かが飛び込んだと思った瞬間―
彼の天地がひっくり返った。目の前がグワンと回転し、大地に頭から無様に突っ込んでしまう。すぐさま体を起こそうとするが、目はまわり身体が言う事を効かない。続いて頭の中から羽音のような大音響が響き渡り、前後不覚、倒れ伏し身動きも叶わず、酷い目眩に今にも吐き出しそうになる。
「…ふぅ…俺の言葉、わかる?」
ヒト族のメスが ― 何かを言っている。それを理解する事はできないし、そもそも、彼には関係がなかった。ただ ― ヒト族に敗北した ― という実感だけがジワリ湧いてきた。
「あ、もう動けないよ?頭ん中に虫いれたから。」
…オーガは掛けられた声に身動ぎひとつしない。ただ唯一動く黄金の瞳で、そのメスを睨みつけていた。
「今までの奴みたいに暴れないんだな、お前。…うーん、馬鹿じゃなさそうなのに、どうして言葉が通じないんだ…?」
メスがオーガの顔の、僅かに離れた位置にしゃがみ込み、此方を覗き込む。
「…参ったな…。こんなに繰り返しても話ができる奴に出会えないとは…。もっと人間の姿に近い奴じゃないと駄目なのか…?」
メスが頭を抱えてウンウン唸っている。
そんな様子にオーガは混乱していた。
『なぜ、こいつは俺を殺さない?』のだろうか、と。勝者が全てを得る。敵は叩き潰し陵辱し喰らう、それがこの森のルールだ。特にこいつはヒト族だ。俺達を殺す為に生きている存在だ。― 躊躇う理由など何処にもない筈だ。
だが…と、メスから僅かに逸らした森の奥から―
其処には争いの喧騒に惹かれたのだろう、銀色の毛皮をもつ巨大な白狼 ヘルハウンドが静かに音もなくメスへと忍びよる姿をオーガの黄金の眼は捉えていた。
― そう、森のルールは絶対だ。
それを破る者には…死だ。次に瞬いた時にはヘルハウンドの牙によって、あのメスは死んでいるだろう。オーガはそう確信していた。
「…もう体力残り少ないし…「俺が」殺るか。」
メスがしゃがみこんだままの姿勢で、背後から急接近するヘルハウンドへと、まるでその姿が見えているかのように、妙にゆっくりと左手をつき出した途端 ― ヘルハウンドがもんどり打って倒れこみ痙攣している。
― アレは ― 俺と同じように倒されたのか…?オーガは思考するより先に、その優れた動体視力によってソレに気がついた。倒れ苦しむヘルハウンドの鼻先に黒い大きな虫がいる事に。
『お前はもう実験済だから ― 勘弁しろよ?』
― 虫が、ヘルハウンドに声をかけた途端、その白銀の身体が大きく一回跳ね、そのまま動かなくなった。
『大きすぎて持って帰るのは無理か。残念だ。』
巨大な虫…あれは蠅か?は、僅かも身動ぎしなくなったヒト族の腕に身体を埋め込むように張り付いた。なんだ、あのモンスターは?長くこの森に生きるオーガですら、初めて見るモンスターだった。思わず声が出る。
『…オ前…ヒトじゃ無イ、ノか?…お前、何者ダ?』
『…えっ?』
『…エッ?』
…
☆☆☆
俺 ―平田平太は― 懺悔中である。
あまりの間抜けさに頭を抱えたくなってくる。相手がモンスターとはいえ無駄に殺しすぎた。だけど、まさか、人間の発する声が「モンスターには言葉として認識」されないなんて分かる訳がないだろ。
大地へ胡座をかく巨人…オーガが俺を不思議そうに眺めている。今の俺はフードを被ったアリスの頭の上で腕を組みオーガと相対している。一応の距離を保ち警戒はしているが、このオーガは今まで倒してきた奴らと少し色合いが違うようで、一度倒した後は妙に従順に何故か俺に従っている。― 保険もかけている。問題はない。
…そう言えばアリスでいる時に襲ってこないモンスター、この世界に来て初めて会ったな…。
『…さて…聞きたい事があるんだが…聞いていいか?』
俺はアリスから意識を蠅本体へと移し、巨人へと質問してみる。
『…何ききタイ?』
『まず、此処は何処だ?教えてくれ。』
恐る恐る、それ以上の期待を込めた俺の問に、
オーガは、
『コこは魔樹ノ森。俺達ノ 場所ダ。』
…よッしゃーキタコレ!!!
俺は思わずアリスの頭の上でガッツポーズを決める。この世界に来て初めてまともな情報ありがとうございます!なるほど、この森は魔樹の森って場所らしい。だが、まだまだ情報が全然足りない。このオーガ、厳つい顔してても中々理性的なようだし、聞き出せるなら全部吐き出してもらおうか?!
『ほうほう、魔樹の森ね。で、此処はなんて国なの?』
『知ラん。』
『――…県庁所在地…』
『森以外の事ハ、俺は知らン。』
…ああ、俺はなんとおバカなのだろう。言われてみれば確かに、こんな事も予想できた事じゃないか。相手は人間じゃない。化物だ。会話できている事が既に奇跡だったのかもしれないのに。
『…なら、この森から出るにはどっちに行けば良い?』
もう確実に答えが返って来そうな質問だけをしよう。森しか知らないって事ならば森の中の事なら分かるって事だろ。
『此処カら西に、マっすグ進めバ「門」ダ。』
…まーた知らない単語が出てきた。門ってなんだよ…
『門ってなんなんだ?』
『森ノ出口。ソコかラしか森に入る事、出る事デキない。』
『なんで?違う場所から出る事はできないのか?』
俺の問にオーガは大きく頭を降る。
『王の結界ガアる。誰モ結界ハ渡レない。』
…まさか…
『おい、それじゃ…俺がどれだけ森から出ようとしても抜けられなかったのは…』
『…アア、ソれガ結界ダ。俺達、魔族デモ王の結界ハ破レなイ。』
ちくしょう!だからファンタジーは嫌なんだ!どんな手品だよ。道理でおかしかった筈だ。俺がどれだけ飛んでも森から出られなかった答えがソレかよ。
『つまり、森から出る為には「門」を通らないと駄目なんだな?』
『ソウだ。』
『で、此処からまっすぐ西に行った所に門がある、と。じゃあ、此処から門までどのくらいだ?距離って分かるか?』
『…俺ガ走っテ一日位ダナ。』
…遠い。遠すぎる。淡々と語る、このオーガの体格で一日走ってつく場所だと?とてもじゃないがアリスの足で、自力で到達できる距離じゃない。そもそも今だってかなり危険な橋を渡っている。この森のモンスターが人間を極上な餌としか思っていない事は、もう十分体験した。だから今もモンスターの血を散々染み込ませたローブを纏って人間の匂いを消し、こんなコソコソと情報収集と探索をしてる始末だ。短い時間なら誤魔化せる。だが、そんな場所までこの魔境を歩いて「門」まで行く事など不可能に近い。というか、不可能だろう。
…どうする?どうしたら良い?
俺の頭が悲鳴を上げていると、
『お前、ヒト族じゃないノカか?』
不意にオーガから問いかけられた。
『ヒト族ってなんだよ。そもそも見れば分かるだろ?俺はモンスター…だと思うぜ?』
『…ソのヒト族ハ何だ?』
『あー…。アリスは…この娘は、俺の被保護者…?いや俺のもうひとつの身体って言えばいいのか…?まあ俺の大事な人間だよ。』
『…眷属トイウ事カ?』
『眷属?…うん、まあ…そんな感じ?』
眷属とかそんなものじゃないけど説明するのも億劫なので適当に返事をしておく。しかし、状況はハッキリした。となると、アリス(俺)を安全にどうやって門まで到達させるかが今後の課題になるって事か…。俺がアリスの頭の上で蠅がするように顔をクルクル回して考えていると、
『…俺ヲ殺サなイのか?』
オーガがぼそりと、俺に質問してきた。俺は思考を止め、オーガを下から緩慢に見上げた。オーガには怯えた様子はまるでなく、純粋に「なぜ殺さないのか?」という言葉が顔に張り付いているかの表情をしていた。
『…色々教えて貰ったし、こうしてやっと会話が成立できたヤツを殺すとか無理。まだ身体はまともに動かせないと思うけど、頭の中の「虫」は取ってやるから、好きにしたら良い。…だけどさ、できればまたこうして話せないか?』
― 正直、殺してしまった方が問題はない。アリスを見られているし、俺や俺の戦い方も知られてしまった。もうコイツに奇襲やトラップは通用しない可能性が高い。
…甘いのは分かっている。だけど、無意味に殺す事は嫌だし、この糞みたいな場所で会話できる相手ができたかもしれない、と思うととても殺す気になど俺はなれなかった。
『分かッタ。』
オーガがゆっくりと立ち上がる。
俺も、最もアリスと繋がれる場所、左腕に入り込みアリスと同化する。まだ虫は取っていない。万が一の場合に備え、僅かな緊張を持って真紅の瞳で、オーガの行動を見守る。
頼むから、襲ってくるなよ…そのまま行ってくれ…
俺が見守る中 ― オーガは何時まで経っても動かない。
「…なにしてんの…?」
俺は人間の言葉が通じない事を知りつつも、疑問を投げかける。
『俺ハ負ケタ。だカラ俺ハお前ノ物ダ。ソノ、ヒト族ト同じ。俺ハ、コレかラお前ノ眷属トナル!』
そうオーガは宣言すると高々と片手を空に掲げ、
俺の前に頭を垂れた。
― …ちょっと待て。何言ってんだ、こいつ ―
読んで頂きありがとうございました。次話もまたよろしくお願いします。