第十七話 ゴブリンママ
「 これが。ゴブリン… 」
手の上で小さく蠢く赤い塊を見て、俺が思い出したのは昔飼っていたハムスターのお産である。流石にハムスターよりは大きいが、それでも生まれたてのゴブリンは小さなアリスの手の平で転がせる程度…三センチくらいしかない。
『 アイリス様、まだ出てきますよ!』
少々甲高いブラッドの声が、魔王城からトーチカ砦に移設した「魔心部屋」に響き渡る。
「 は?魔王?!もう、止めて、頂戴!」
『 え、もう良いのかい?まだ百も作ってないんだけど?』
こいつ、俺の話を聞いてた癖になんて意地の悪いヤツなんだ――!
「 説明した、でしょう?多すぎ、困るの! 」
『 ああ、聞いてたけどこんな少ない数を生産した事ないからねえ。調整が難しいんだよ、これでもね。ハハハ』
俺達の眼前に恭しく台座に乗せられた、魔心と呼ばれる黒い球体から、また一つ、ニュルリとゴブリンの赤ちゃんが生まれ落ちる。予定外の一体に俺は慌てて空いていた手を延し、その塊を無事に拾い上げ「ほっ」と胸を撫で下ろす。
くそ、魔族の誕生ってもっとマジカルな感じでフワッと生まれるのかと思っていたのに、普通のお産とまるで変わらないじゃないか。お股から生まれるか、玉から生まれるかしか違いがない。そうと分かっていたら、魔心を仰々しく台座などに置かず地べたに設置したのに――!一々俺が突っ込んで聞かないと何も教えない魔王には本当に腹が立つ。
俺は両手にあるゴブリンの赤ちゃんを用意してあったベビーバスケットにゆっくりと寝かせてやる。そこでは六体のゴブリン(あかちゃん)がモゾモゾと動き回っている。見た目は最初の感想と同じでハムスターの赤子と変わらない。小さな、小指ていどの肉の塊だ。これがあの醜悪な緑色の子鬼になるとはちょっと想像がつかない。
『 ああ、こいつら、もう餌を探してますね』
様子を窺っていたブラッドが赤ちゃん達を見ながら、そう呟く。
「 もう。大丈夫、かな?本当に?」
バスケットに屈み込み、中の赤ちゃん達を覗き見ながら人間と違うと分かっていても、つい聞き返してしまう。
『 ええ、むしろ早く食べさせないと、たぶん共食い始めますよ』
「 それ。この子達の魔力、視て。分かるの?」
『 いえいえ、ステータスを見るまでもありませんよ、アイリス様。俺達、魔族の本能ですからね。腹が減っているのは直ぐに分かるんデス』
ふむ、俺には分からんが魔族だと分かる事なのか。事前に聞いてはいたが実際に生まれた直後の赤ちゃんに肉を与えるというのは人間だった俺には少々抵抗があるんだが……。まあ俺の常識なんか通用しないのが、この世界だ。とにかくこの子達が飢えているというなら、さっそく食事を与えるとしよう。
持ってきたのは兎肉を柔らかく煮込んだ物にパウダーで味付けした簡単なものだ。魔族はおおよそ二日で成人する為、お腹を壊さないように「白くて暖かくて柔らかいもの」みたいな人間の道理は一切考えなくても良かったのだが、いくらなんでも生肉を「ぽいッ」と与えて終わりでは野蛮すぎるし、これからこの子達には文化的な環境の元で成長して貰うつもりなのだ。バイオレンスな日常とオサラバして貰う為にも最初が肝心という訳だ。
俺はゴブリンを一体づつ手の上に乗せると、順番に料理を食べさせていく。その様子は正しくむしゃぶりつく、である。某エイリアン映画を彷彿とさせるような、大きな口と牙を持った赤い芋虫が、肉食獣のように頭を振って肉に食らいついている。…文化的に発展させられるか、初っ端から不安になる絵面だが、食事に満足した子供たちは直ぐに眠りに落ちていく。本来であればこの程度の食事では満足できずに延々と獲物を求め森を彷徨う事になるのだから、普通に生まれ落ちる魔族と比べれば遥かに上等な環境であろう。
『 ハハ、いやあ君の料理は本当に「美味しいね」。僕、すっかり虜になってしまったな、ハハハ』
「……まさか……。こんな、赤ちゃんからも。魔力、吸い上げてるの?!」
『 それはそうだよ。魔族は僕を生かす為だけの存在なのだし、魔王がそれを享受する存在である事は変えられない。君が何をしたいのかは聞いたけど、それが上手くいくのかは僕にも分からないねえ、ハハ』
今やすっかり背後霊とかした魔王が飄々としたていで答えてくる。しかし、この魔王が俺の配下として少なくとも恭順した御蔭ですこしづつだがわかってきた事もある。
この世界――異世界アーガイア。俺達がいるのはスリアと呼ばれる大陸の更にその一地方、ヴェリア王国が支配するエベリーという地域の外れになる。スリアは遥か太古から魔王ですら凌駕する力を持つドラゴン族が支配する山脈で他の大陸と分け隔てられ、その中で限られた資源を巡って大小含め二千年もの間、戦乱が続いているのだそうだ。そこに魔獣だの魔族だのが侵攻してくるのだから、さぞ人間達は生きにくい事だろう。
で、俺の背後霊は「東の魔王」の呼称で世に通っている。
そう、東である。聞けば古今東西、現在九体もの魔王がスリアにはいるのだそうだ。どんだけ血生臭いところなんだ、此処は。知れば知るほど、この異世界に人間として転生しなくてホッとする。チートがあってもまるで生きていける気がしない。
魔王とは搾取する存在であり、魔族が得た魔力によって生きる存在である。正確な数字は出せないが、ある一定の周期で強制的に自身の支配下にある魔族から魔力を吸い上げ、それを糧にしている。試しにレッドを実験につきあわせ検証したところ、一個体八割近く吸い上げているのが明らかになった。…まったく暴利もいいところである。世が世なら農民一揆やクーデターが起きないのがおかしいレベルだ。ヤのつく人達だってもっと優しいぞ。
だが、魔族達にとって魔王とは不可侵の存在であり、強制的に魔力が搾取されている事を気づく事もなく、そもそも空きっ腹を抱えて理性はぶっ飛び、常に餌を求めるだけの野獣の如き存在なのだから反旗を起こすなど論外なのだ。しかし、俺の眷属となった者たちは違う。少なくともトーチカ砦に住む者達は『お前ら、魔族だっけ?』と思うほど文化的かつ牧歌的な生活になりつつある。
魔王にどれだけ搾取されようが、それを補うだけの満足な食事ができるようになり、俺から文化を学び田畑を耕作し酪農にも手を出し始め、今や時給自足ができるようになるもの時間の問題である。これほど短期間に急速に進化できたのは、ひとえにインセクトパウダーの力によるところが大きく、万が一俺が死ねば崩壊する事は避けられない。だが、今はそこまで考えてはいられない。俺の第一目標は「人間社会への復帰」である。その為にはどうしたって統一された集団が必要なのだから、少々後ろめたいが利用するしかない。
そうした中で検討されたのが、この環境下で魔族を育ててみてはどうだろうか?という物だ。人間の子供だって小さな頃から英才教育を施せば一廉の人物になる可能性が高まる。それは魔族だって変わらない筈だしパウダーを生まれた瞬間から摂取した魔族がどんな風に育つのか、単純な好奇心もあった。飢えを知らない魔族。それはもはや魔族ではないのかもしれない。ただそれは少なくとも不幸な事ではないだろう。
『 ほう、もうここまで大きくなったか。いやあ、改めてみると凄いねえ、ハハ』
ゴブリン達を眺めながら、魔王が俺の肩に手を載せつつ語りかけてくる。即座にその手をエンチャントを施した手甲をつけた左手で払い除け、
「 気持ち、悪いから。やめて。ルール守って」
ごめんごめん、と悪びれずに魔王は俺から距離を取る。この魔王が俺に好かれたいと思っている事は疑いようがない。そこにどんな思惑が含まれるか俺は知らないが、知ろうとも思わない。ただ傍にいたいと願う魔王の想いを逆手にとってルールを守れと厳命しただけだ。
1、俺の眷属に手を出すな
2、俺が尋ねた事柄には答えられる範囲で答える事
3、俺に触れるな
の三つである。もし破れば俺がお前に好意を抱く事は絶対にないぞ、と脅してある。まあまともに受け取られなかったが、効果がなかった訳でもない。了解した、と言った後は馴れ馴れしい態度はナリを潜め、多少逸脱しつつも俺の背後霊に収まった。…いや、背後霊も本当はやめて欲しいんだが、あまり追い詰めて牙を向かれても面倒なのでこの位は我慢している。
しかし、魔族の成長とはこんなに早いのか。まだ彼等が生まれて三十分しか経っていないというのに、既に体長が二十センチくらいになっている。聞くのと見るのとじゃやはり実感が違う。この成長速度だと、なるほど確かに明日には立派なゴブリンになりそうだ。
『 それでアイリス様。この子ら、どうします?』
「 うん。普通と、違うから。私、明日まで。ここにいる、ね」
『 では、俺も付き合いますよ。この子らは俺が面倒みる予定ですし、万が一があっても困りますからね』
そういうブラッドの目が明らかに俺の背後の存在に聞こえるように答え、虫によって新たに強化され更にエンチャウントを施された霊体すら切り裂く事が可能になったハルバードで「ガツン」と床を鳴らす。それほど警戒する事もない筈だが、俺の眷属となった彼等には魔王は親であり敵のような微妙な存在となってしまったようで、往々にしてブラッドのように険のある対応が普通になっている。ストレスを溜めるような生き方はオススメしないが、こればっかりは好き嫌いの問題なので俺がどうこう言っても仕方ない。
ちなみに魔王との戦いで得た俺のエンチャウントは、なんの属性も持っていない魔力を対象物に宿らせる事ができる。時間と手間さえかければ永続的な付与も可能だ。だが、俺が行えるエンチャウントには属性がない――つまり、無属性と言って物理的な効果が一切ない、一見役に立たないものなのだが、無属性ゆえに外から属性を加える事で爆発的にその効果が増大する。つまり、魔法を使える者が俺の無属性武器や防具を使った場合、本来必要になるロッドやワンドを介さなくても魔法の行使が可能になり、先の対ゴースト戦のように魔法が使えずとも、この装備だけで霊体に対抗できるようになった。ひとえに半殺しにされた恐怖で、真っ先にかつ早急に研究した結果である。このおかげで魔王を怯え過ごすといった事もなくなった。すくなくとも前より抵抗が可能である、というだけでも心が軽くなるというものだ。
『 それでは明日からこいつ等に何をさせるか決めておきましょうか?』
「 そう、だね。まず、開墾作業全般、からかな?そのあと、農作業。そして、覚えられるよう、なら。算数、かな?」
俺は菓子作りしか能のない人間だったのだ。教えられる事などしれている。まあ高卒程度までならうろ覚えだがどうにか教えられるだろう。流石にゴブリンがそこまで出来るとは思わないが、其処までになるならそれはそれで楽しみとも言える。
俺はバスケットの中でスヤスヤと眠るゴブリン達を眺め強くて優秀な子になってくれたら良いな、と期待を膨らませ妄想を続けるのであった――。
☆☆☆
『 ――で、どういう事なんだい、それ?』
すっかり健康を取り戻したクロがやや呆れ気味に俺に尋ねてくるが、そんなものは俺が聞きたいくらいである。どうしてこうなった…。
『 ママーお腹減ったよぉ!』
『 遊んで、遊んでよ、ママー!』
『 うわー、六郎が僕を叩いたよ、ママー!!』
もう一度言おう。なんでこうなった?
俺の周りには六体の幼いゴブリンが全員が全員、俺にぴったりとくっつき離れない。おかしい。本来であれば、今頃はブラッドが開墾作業を教える筈だったのに。それがなんだ、これは?まずゴブリンの成長が幼年期と呼ばれるところで止まっている。魔族の幼年期など瞬く間に過ぎ去る筈のソレが一定の成長後、止まってしまったのだ。厳密にいえば普通より遥かに緩やかな成長速度に変わってしまったのだ。今の彼等(彼女)は全員が人間で言えば四・五歳の子供だ。見た目も精神年齢も。
『 アハハハ!魔性を失うと僕らはこうなるのか、結構じゃないか!クク、おかしくてお腹痛いよ、ハハ!』
魔王がケタケタと一人で笑い続けるが、俺はそれどころではない。これが良い悪いの話ではなく、俺は即戦力を望んでいたのだ。これでは…。
『 ねえ、アイリス。どうするの、こいつ等?魔力の大きさからまだ成人するまで時間かかるよ?』
「 だって……。こんなの、予想してなかった!……どうしよう?どうしたら良い、クロ?」
『 いや、私に聞かれてもね…。この様子じゃ砦から出した途端に野良どもの餌食になるのは見えてるし。あんた、放り出せるのかい?』
「 ……無理。」
『 はあ、それじゃ面倒みるしかないね。私も手伝ってやるから元気だしな!……で、どうすればいいんだろうね?ごはんでも食べさせとく?』
……あ、頭が痛い……。魔族に子育ての経験があるやつがいる訳がない。という事は俺がやるしかないではないか。こんな結果になるのならやらなければ……。いや、駄目だ。やってしまった以上、後悔しても始まらない。とりあえず、今後生まれてくる魔族には成人するまで俺の食事を与える事は禁止にしなくては。俺は自分のやった事に責任は持つつもりだが、それでも限界というものがある。今後も同じ状態で魔族が生まれ続けても俺がその全てを観る事などできないし、規模が大きくなりすぎて手に負えないだろう。将来的な事は兎も角、現状ではひとりで生きていけない魔族に行き場はないのだ。だが、この子らは俺が「こうしてしまったのだ」。ならばせめてこの子達は俺が責任を持って育てなければ――。
『ねえ、アイリス。ひとつ聞きたいんだけど?』
「…なに?」
『こいつらがアイリスを呼ぶときに「ママ」って言ってるんだけど、どういう意味なんだい?』
わちゃわちゃと今も飛びついてくる子供達を抱っこしては下ろし、抱っこしては下ろしを繰り返しながら俺は必死に叫ぶ。
「人間の親は。男がパパ、女が、ママなの!だから!」
仕方がなかった!どんどん大きくなる子供達を傍でみて俺を慕ってくるこの子達に多少の愛情を感じない方がおかしいだろう?ゴブリン?ブサイク?そんなの忘れてたわ。だから、なんとなく「ほら、ママ。でちゅよ~?」などと刷り込んでしまったのは他ならぬ俺である。もう取り返しがつかない。
クロは僅かに肩をすくめると、子ゴブリン達をひょいひょいとつまみ上げ、嫌がって泣く彼等を強引に片腕に収めると、
『 ほら、ママは疲れたって。ごはん、あげるから向こうに行くよ』
――この日、俺はママになった。六つ子のママである。俺は男で蠅で父になった事もないのに。
男の子四人に女の子が二人。
順に一郎、双葉、みつ葉、四郎、五郎、六郎の六人。
異世界生活とは斯も予想外の事ばかりで、本当に、本当に―――はあ、何もかもが上手くいかねぇ。 どうすりゃいいんだ…。
俺は彼等の立ち去った後に呆然と立ち尽くし、疲れ果てた頭を捻ってみたが馬鹿みたいなアイデアしか浮かばなかった――。
読んでいただきありがとうございました。次話も宜しくお願いします。
いろいろ書きたい事が多すぎてどうまとめたらいいか(><)
もっと設定とか書きたいけどめちゃくちゃになりそう。困った。