第十六話 異世界ロマンティック
――死にたくない―。
荷馬車の隅で縮こまっていた私を大きな男の手が軽々と掴み上げ、他の人たちと同じように地面に投げ捨てる。顔をあげた先にいるのは知らない人たちばかり。だけど、唯一分かることがある。それは、そこにいる人たち全員が「亜人」だという事。見える範囲にいるのは獣人が多いけど、魔人のひとも沢山いる。
そして、その場所に集められたみんなが怯え泣いている。
これから死ぬことが分かっているから――。
私の前には、悪魔のような歪な形をした巨大な門が聳え立ち、その扉を大きく広げ獲物が入ってくるのを待ち構えている。
その門を一歩入ったところ、そこに薄く青色に輝く魔法陣がひとつ浮かび上がっている。
あれが私達を森の奥深くに送り出す「転移陣」だ。
――なんで、こんな事になってしまったんだろう?
一ヶ月前までお母さんと、貧乏でお腹を減らす毎日だったけど、私は幸せに暮らしていた。村のそとが大騒ぎだったのは知っていたけれど、私には関わりのない事だと思っていた。
私が亜人だと村の皆に知られる、その時までは。
お母さんにはキツく言われていた。
「絶対に誰にも亜人だと知られてはいけないよ」と。
だから、私は気をつけていた。ただ分かっていなかったのだ。亜人と知られたらどうなるのか。
私のいた村は小さな、本当に小さな村で、みんなを私は家族だと思って十一年生きてきた。
だから、あの日。
村が魔獣に襲われたあの日。
お母さんの言い付けを忘れて、夢中で戦って――村のみんなに私が亜人だと知られてしまった。
いつも帽子と長く伸びた黒髪の中に隠していた、うさぎによく似た大きく垂れた二つの耳。
確かに普通のヒトよりは強いかもしれない。でも私は魔族じゃない。亜人かもしれないけど心はヒトなのに!
私が何を言っても、今まで家族だと思っていた人達は――悪魔に変わってしまった。
私を庇ったお母さんを殺すと、私を身動きできないほど叩きのめし、数枚の銀貨と引き換えに私を教会につき出した。
――あの時、私は見捨てれば良かったの?
何度も何度も考えて―――答えは見つからなかった。
教会の地下牢で一緒になった亜人のおじさんが教えてくれた。亜人は人類と認められない邪悪な存在だと。神の慈悲を捨て魔と混ざり合った罪深き者。そして、その罪が許されるのは死ぬ時だけなのだと。
そう教えてくれたおじさんは、ある日教会の兵士達に連れて行かれ二度と牢には戻ってこなかった。
それからすぐにおじさんがどうなったのか、私は知った。
今の私と同じ事をさせられて――戻ってこれなかったんだ。
「理解したか、亜人ども!たったの1ギーリ。1ギーリで良い。今から飛んだ先にある転移陣を魔王城に近づけるんだ!分かったな!」
鋼鉄の鎧に身を包んだ兵士達が怒鳴りながら、そこに集められた亜人のひと達を並ばせ、その背を槍で突きながら、次々と青く輝く転移陣に無理やり押し込んでいる。
亜人は確かに普通のヒト達よりは強い。でも殆どは隠れ生きてきたのに、訓練された兵士のヒトより強い訳じゃない。
「感知で確認できたら必ず戻してやる。だからさっさと行くんだ!」
私より明らかに年下の角を生やした男の子が逃げ出そうとして、すぐに捕まり魔法陣に放り込まれる。
助けてあげたい。
でも、無力な私にはどうする事も――できない。
「この聖務をやり遂げた暁には、必ず神がその罪をお許しくださる!」
――私は罪を犯したの…?
私は誰かに許されなければいけないの?
お母さんを殺した村のみんなは?みんながした事は罪ではなく、亜人というだけで私は「悪」なの?
私の背中を兵士の槍が突く。
チクリと痛んだが私の足は進む事を止めた。
…嫌だ、間違ってる。こんなの、絶対に嫌だ!
無駄な事をしているって分かっている。でも、それでも私は抵抗したかった。無意味と知っていても。
ボコッ!と私を殴る音がして――私は青い光に包まれる―。
――私、死にたくないよ…お母さん…。
☆☆☆
俺はつくづく日本人なのだなあ、と思う。
こうして真夏の如き暑い日に飲む飲料で一番美味しく感じるのが、キンキンに冷やした緑茶であるのだから笑うしかない。異世界、そのうえ人間ではなく蠅に転生したのだから、もっと味覚とか感性とか色々かわっても不思議ではない筈だが、かれこれ一月半経っても変化がないのだから、今後も変わる事はないのだろう。
喉を通る、この澄み渡る緑茶のなんと美味いことか。
この美味しさの前には全てがどうでも良くなる。
例えば、俺の前で鬼のような、いや本物の鬼か。オーガのレッドが唾とか涙を撒き散らし俺の事を怒鳴り続ける様とか、それを取りなし俺の顔をチラチラと困り果てた顔で無言の助けを求めてくるブラッドとか―――そんなものの事である。
仕方がないではないか?俺だって好きで死にかけた訳ではない。全ては成り行きの結果だったのに。そりゃーちょっと無計画すぎた面はあったかもしれないが、そんなに怒らなくてもいいじゃないか。
『アイリス様!ちゃんと聞いて下さい!貴方は我らの長として自覚をお持ちなのですか?!』
ドカン!とレッドが振り下ろした拳によって、重量のある岩盤の円卓が跳ね上がる。アリスの身体がなんとか動かせるまでに回復してから丸二日。ずっとこの調子である。二日間誰かに怒られ続けられる事など、人間として29年生きていた頃ですら無い。
心配してくれているのは分かる。怒られるのも分かる。
――だが、何事にも限度というものがあるだろう?
終わりのない説教に、俺は既に賢者モードである。
無心を貫く。
下手な反論をしても火に油だ。
俺はレッドの説教を聞き流しながら、三角巾で釣られた右腕に虫調味料改めインセクトパウダーと命名した虫の粉をふりかける。アリスの身体にパウダーの効果は薄いが、それでも痛みが多少和らぐ。既にくっつき始めた右腕だが、折れたのが二日前と考えれば現代医学も仰天する治癒速度であろう。
その腕を軽く摩りながら、ただただ一刻も早くこの口撃が収まるのを祈っていた。
俺と魔王の戦いから三日が経った。俺は魔王に勝利し、生きてトーチカ砦に帰還した。まあアリスが血塗れでブラッドに背負われクロも意識不明の重体であったのを見て、レッドが酷く取乱したのも仕方のない事だったとは思う。
不可思議な事に俺自身はあれ程疲弊したにもかかわらず気がつけば魔王を倒しており、体力もゴースト達と戦う前より調子が良くなったくらいであったので、全力でアリスとの同化を行い彼女の回復に努めた。クロの方は身体は問題なく再生されたが、精神的な疲労が酷く砦に戻るまで気丈に振舞っていたが、今はずっと眠っている。
俺は円卓からすこし離れた位置で揺らめく影にわずかに目をやって――ため息を一つ吐き出した。
俺は魔王に勝った。そして生きている。
それが事実だ。だが――過程が抜けているのだ、俺とクロの記憶から。クロは魔王の出現まで、俺はおぼろげに全てを見ていた記憶があるのに「なにを」「どうやって?」がまったく思い出せないでいる。
正直気味が悪い。
……気味が悪いのだが、いくら考えても思い出せないのでもはや諦めた。
どうせ異世界なのだ。
俺の常識では思いもつかないようなヘンテコな解答しかないのだろう。
唯一事の顛末を覚えているであろう人物に聞いても暖簾に腕押しで答えは得られそうにないしな。
『もうその位で許してあげたらどうかな、レッド君?彼女、つまらなそうだよ?』
輪郭が微妙にブレた幽体を気だるそうに揺らしながら、その男は円卓へと図々しく座り込む。
『黙れ。…アイリス様のご指示だから私が我慢しているのを忘れるな。』
おお、こいつ言うなぁ。
スゲーぜ、レッド。もっと言え。
『貴様が如何に我らの父だとしても、私にあるのは憎しみだけ。我が心、我が魂は既にアイリス様に捧げたのだ。そのアイリス様に手をかけた罪。今ここで素っ首落とされないだけでも感謝しろ。』
――レッドの全身に殺気が漲り始める。
やべえ。このひと言動が一致してないよ。というか、魔王殺そうとしないでよ。
「レッド、ダメ。もう、この人も仲間、だから」
俺の言葉に、この世の終わりみたいな顔でレッドが嘆く。
『私はアイリス様のご判断に従う者です。ですが、この者だけは信用なりません!』
「私も、信用してないよ?」
『ならば何故?!』
そうだよなあ、そう思うのが普通なんだと俺も思う。
でもなあ……やっぱり俺は異世界に来ても日本人なんだよ。
『それは、僕がお願いしたからさ。君の仲間に入れてくれって、ね』
――つまりは、そういう事なのだ。
戦いの後、俺が意識を取り戻した、その時。魔王は頭を垂れ俺に命乞いをしたのだ。助けてくれ。どうか仲間にしてください、と。
あの時の俺なら「たぶん」殺す事も容易だったと思う。だが、俺は殺せなかった。それを説明しろと言われても俺にも「なんとなく」としか言い様がない。ただ無様に卑屈に助けてくれと俺に縋り懇願する姿が余りに憐れで興が覚めた、とでも言えばいいのか。有り体に言えば武士の情けをかけてしまった訳である。
確信に近いが俺の眷属となった者は魔王を殺しても死ぬ事はない、と思っている。だが、それを確認する事などできないし、そんな危ない橋を渡る必要がない。
予想外だったのは、仲間にしてくれと懇願された事だ。俺としては「お互い非干渉で宜しく!」的に収まればいいな、くらいに考えていたのだが結果は俺の予想の斜め上の結果であった。
これには迷ったが最終的にアリスが拒絶の意思を示さなかった事で答えは定まった。今の俺達に絶望的に足りないのが情報である。支配階級であった魔王が形式上とはいえ仲間になれば、ろくすっぽ埋まらなかったこの世界の情報が多く得られるだろう。
そう思っていたのに……。
「で、貴方。いつまで、いるの?帰ってほしい、んだけど?」
『ハハ、帰る?馬鹿を言っちゃ困るなあ。君が僕を受け入れてくれるまで僕はずっと君の傍にいるのさ』
「受け入れて、欲しいなら。まず、情報、頂戴」
『いやあ、情報といってもねえ。僕も魔王という役割を演じている道化にすぎないんだよ。そんな道化に情報を求められてもね。それに全部教えちゃったら君、僕と会ってくれなくなるだろ?それじゃあ楽しくない。だから僕は僕が、教えてもいいかな、と思った事柄だけおしえてあげる。君が僕のモノになってくれるなら話は別なんだけどね、ハハハ』
レッドやまわりの眷属達が魔王の物言いに色めき立ち、俺は何度目かのやり取りに頭が痛くなってくる。
要するにコイツ、まともに情報を渡す気も交渉する気もないのだ。本当にただ俺の傍にいたいだけ、なのだ。意味がわからない。許したと言っても、俺達を半殺しにした相手にそうそう気を許せる訳がない。アリスはあの暴走が嘘のように魔王に対しては落ち着いているが、俺はまったく落ち着かない。まるで幽霊に取り付かれてしまったようだ。いや実際とりつかれたに等しいのだが。
「レッド、絶対、私の傍にいて、ね?」
険しい顔のレッドの手に、俺は手を重ねると俺は懇願した。俺に魔力は見えないが、この世界にきてエンカウント率MAX状態の戦いの日々を過ごして相手がどのくらいの強さか?を測れるようになっていた。現代社会的にいえば「気を測る」といったものだろう。俺が得たその物差しで見たところ、アンデッドである魔王に唯一有利にたち振る舞えるのは炎魔法を自在に操れるレッドだけであろう。俺の言葉に、
『ええ。ええ!何があっても!私は貴方の御側を離れません!』
レッドは巌のような顔を、その一時だけ綻ばせる。いやマジでお前だけが頼りだから、本当に頼むぜ。また死にかけるのはごめんである。
そのふたりのやり取りを見ていた魔王がわずかに目を細めると衝撃的な事を言い放つ。
『――レッド君、私の婚約者に馴れ馴れしくしないでくれないか?』
おい?!婚約ぅぅ?!お前こそ馴れ馴れしく何言ってんだ?色々すっ飛ばしすぎだろ、この死にかけ野郎!
「ちょっと?!いつ、誰が、婚約したの?!冗談でも、婚約とかやめ、て!」
『ハハ、冗談なんかじゃない。君は必ず僕のものになるのさ!』
背筋に薄ら寒いものが駆け巡る。
―――殺るか?
「…貴方、アンデッド。私と、そういう関係になるの、無理」
『おや?そうか知らないのか?僕ら高位存在はね、お互いが認め合っていれば相手が何者であろうと子を成す事ができるんだ。でも、そう。知らなかったのか、ハハハ』
えっ?と思考が止まる。
「……魔族、貴方が生み出すんじゃ、ないの……?」
『魔心から勝手に生まれるのを、あえてそう呼ぶなら僕が生んでいるね。でも肉体的精神的な繋がりで作る事だって当然できるよ』
「……私、ヒトなんだけど……?」
『ハハ、君。未だに君は自分がヒトだなんて思ってるのかい?まあいいや。ああ、相手がヒトでも高い魔力を持っていれば可能だね』
「……せ、性別は……?」
『それこそ、何が問題なんだい?お互いが認め合った時点で性別なんて関係ないさ。』
………異世界先進的すぎんだろぉぉ、おい!いや極度に敗退的なのか?!ジェンダーフリーすぎる!つまり、なんだ?性別関係なくモニョモニョ的な行為が可能って事か?
そ、そんな馬鹿な……。
衝撃の事実に呆然としていた俺の手に、魔王の手が添えられる。
『だから、僕は君に受け入れて欲しい。僕を受け入れられる存在は君だけだから』
ハッと気がつき、痛む身体もなんのその、慌てて円卓から飛び出すとレッドの後ろに回り込む。
『レッド!こいつ、絶対に、私に近づけないで!ブラッド、私、部屋に連れてって!』
くれぐれも殺してはいけない、とだけ伝えると、俺はブラッドに抱えられるように地下室へと逃げ込む。
もう色々疲れた……今日はもう何もかも忘れて寝よう。
ブラッドは力なく寄りかかる主の身体を支えながら、
部屋に着くまでの間、小さく繰り返される主の呟きを黙って聞いていた。
「私は、おっぱいが良い。私は、おっぱいの方が好き、なんだ……」
部屋に着き、主が中に入るまでずっとその呟きは続いていた―――。
読んでいただきありがとうございました。次話も宜しくお願いします。