青山健太②
1時過ぎ、職員の業務再開とともに二人は庁舎を出た。車で5分ほど国道を神座方面へ行ったところに田舎町には不似合いな洋風の建物のカフェがある。ここのランチプレートが健太のお気に入りだ。
オーダーを済ませると健太はさくらに断って煙草に火をつけた。4~6人掛けのテーブル席が10席ほどランダムに置かれた店内にはピークをやや過ぎたためか健太たちの他には2組しかいない。
健太は廃校舎利用の話や、他愛ない日常会話を振りながらさくらが本題に入るのを待った。さくらは知っている。そして話したいと思っている。そうでなければ今、ここについてきた意味がない。健太は警察官でも探偵でもないのだから、どちらかというと面倒な話は知りたくないし、聞きたくもない。ただ、さくらが、というか同僚が相談に乗って欲しいと思うなら聞くべきだとは思っている。
さくらはあまり食が進まないようだ。付け合せのサラダにフォークを刺し少しずつ口に運んでいる。
「悪い、美味しくなかった?」
すまなさそうな顔で健太は覗き込むようにさくらを伺った。
その言葉に反応してさくらは顔を上げた。その表情に強い意志が宿っているのが見てとれた。
「わたしの家、南立瀬なんです。知ってます?南立瀬。」
頭の中に美吉町の地図を開き、そこに国道と美吉川を落とし込んでみる。東西に長い美吉町で人口が集中しているのは〟山向う〟神座に近い西部。役場も西部にある。今二人がいるカフェがほぼ町の入口だ。ここから川と国道はずっと山すそを縫うように山間部へと続いて行き、やがて美吉川は支流である柳ケ瀬川と合流する。たしか柳ケ瀬川沿いにある集落が立瀬地区と南立瀬地区のはずだ。
「だいたいは。」
確信が持てるほど健太は美吉町に詳しくないので曖昧な返事にとどめておいた。
そうですか、とさくらは小さく言って先を話し出した。
「梅雨が始まる少し前だったから、6月の初めだったかな。お母さん、神座のショッピングセンターで立瀬の友達に偶然会ってそのとき聞いてきたみたいです。4月から立瀬の人で帰って来ない人がいるって。」
「えっ。」
さくらの顔からは先ほどまでの強い意志は消えてしまっていた。かわりに大事な宝物でも無くしてしまったかのような力ない表情で窓の外を見つめている。
健太はさくらの話に衝撃を受けた。なぜなら知っているといっても噂話程度と考えていたから。「あそこ、お化け出るらしいよ」という類の。この話にはリアリティーがありすぎる。さらに追い打ちをかけるように、さくらは再び口を開いた。
「わたし、その帰って来ない人、知ってるんです。友達じゃないけど。」
「本当かよ。」
それしか言葉が出なかった。気の利いた事の一つも言えない自分をもどかしく感じる。
「わたしの二つ上。小・中って同じでした。大人になってからもたまに見かけてた。」
「ちょっと待って。」
確かさくらは普通に4年制大学を卒業して1年フリーターの後、役場に入ったと言っていたはず。健太とは同期でともに3年目。
「その帰って来ない人って、おれと同い年ってこと?」
「はい。28歳だと思います。」
健太は3本目の煙草くわえ、ライターを手に取った。
「悩んでた?」
さくらは手持無沙汰なのか箸袋を開いて鶴を折っている。ネイルを施した指で器用だ、と健太は思った。
「んー、悩むってより、怖い、が大きかったです。近所だし。」
「かった?」
「ちょっとすっきりしましたね。聞いてもらったし。」
そう言ってさくらは白い歯を見せた。表情も心なしか晴れやかに感じる。ただ、それでいて儚げなのは気のせいだろうか。
「一人で抱えるなよ。おれで良かったら相談乗るし。一応、同期なんだから。」
「はい。ありがとうございます。」
大した力にはなれないだろうけど、健太にはある考えが浮かんでいた。
役場に戻った健太たちを待っていたのは二つ。一つは2時を15分過ぎたことによる課長からの叱責。おかげでこの日は短縮業務になってしまった。もう一つは朝会参加者に一斉送信された中川からのメール。
久井から朝の話の詳細を聞き、情報共有したうえで役場としての対応を検討したいから勤務時間外で申し訳ないが来れる者は18時に会議室に来てほしい、という内容だった。
このメールを見て健太は中川に対する尊敬の念を強めた。周りへの気配り、対応。どれをとっても非の打ちどころがない。頼りがいがある、とはこういう人を指すのだろう。転職して良かったと改めて思った。
「ちょうどいい。」少しでも誰かの力になるために考えている事を言って実践しよう。健太はそう心に決めた。
同じようにメールを読んだはずのさくらは健太とは対照的に浮かない表情だった。
「青山さん。わたし用事があって行けないです。」
「用事ならしょうがない。もともと時間外だしって書いてるし。中川さんに言っとく。」
「すいません。」
気にするなとばかりに健太はひらひらと手を振ってみせた。
正直、さくらが参加してもらうにこしたことはないが、この際健太だけでも問題ないだろう。久井の話に更なる信憑性を持たせるにはどちらかがいれば十分だ。
18時前、役場の正面入り口と裏口を施錠して健太は会議室に入った。今いる5人が参加者のようだ。中川、優貴人、久井、松阪それと健太。皆一様に暗い表情で思い思いの場所に陣取っている。中川に声をかけられた優貴人がホワイトボードを久井の後ろに動かした。これで準備は整った。
「こんな時間からすまない。まずは情報共有。それから可能であれば対策を考えたい。」
中川の言葉に5人は無言で頷く。
「じゃ、久井。頼む。」
中川からバトンを受けた久井はコホンと小さく咳払いをしてから話し始めた。
「仕事の後なのに集まってくれてありがとうございます。どうしたらいいかわからなくて。わたしの知ってること全部話すから知恵を貸してください。」
さくらの比じゃない。久井からは悲壮感が伝わってくる。健太は真っ直ぐ久井の目を見た。こっちも真剣だという意思表示として。それは他の3人も同じだった。
「実は行方不明者ってわたしの友達なんです。」
「知り合いだったのか。」
中川はなんてことだ、という感じで目を伏せた。優貴人は事情が呑み込めないのか、ぽかんとしている。松阪は両手で顔を覆ってしまった。
久井も4人の反応を見て胸に来るものがあるのだろう。小刻みに肩が震えている。いっときの間を空けて、ふーっと息を吐くと久井は顔を上げて立ち上がり、一気に最後まで話した。
「友達の行方が分からなくなったのは、6月20日です。夜7時くらいに彼女のお母さんに『今日ちょっと遅くなる』ってメールを最後に帰って来てません。
日付が変わるかどうかって時間におばさんからわたしに電話がかかってきました。どこ行ったか知らないかって。わたしも心配で彼女に電話したんです。でも、電源が入ってなかった。朝まで何回もかけたんですけど、ずっとガイダンスが流れるばかりで。
次の日、おばさん彼女の会社にも電話したんです。でも今日は来てないって言われてパニックになってしまったんです。だから、おばさんを諭して夜まで待って連絡がなかったら警察に言おうって提案しました。」
どういうことだ?さくらの話と時期が違う。さくらは4月から帰って来ない人の話を6月に聞いたはずだ。それも梅雨前。
久井の話は間違いないだろう。日付まではっきりして覚えているから。ということはさくらの記憶違いか?にしても2か月ものズレが生まれるだろうか。
しまった、健太は苦虫を噛み潰したような顔になった。さくらから聞いたのは歳だけだ。名前はおろか性別すら聞いていない。
机上で両こぶしを握り締める健太を横目に中川は、
「それで、警察に言ったんだな。」
と、努めて冷静に久井に尋ねた。
「はい。21日の晩、美吉の警察署をおばさんとおじさんの3人で訪ねました。捜索願みたいなのを、おばさんが書いている横にわたしが付き添っていました。」
「今も警察が探してくれてるのよね?」
松阪が絞り出すような声で聞く。
「そうだと思います。そうであって欲しい。」はっきりしない答えだ。中川も同じ印象を受けたらしい。
「どういう意味だ?」
「彼女の会社とか家の近所で聞きこみはしてくれました。わたしの家にも来ましたし。でも、何も出てこないんです。6月20日以降、彼女を見たって人も所持品も車さえ。
警察の人は事件、事故、何かに巻き込まれたなら何かしら痕跡が残るものだって言ってました。だから家出じゃないか、と。」
なるほどとばかりに何人かが頷く。警察が探して何も出ないということは何もなかった、と考えるほうが自然かもしれない。
「彼氏のとことか。」
優貴人が初めて口を開いた。
「彼氏はいません。それは間違いない。彼女はどこかで元気にしてる。わたしはそう信じています。おばさんやおじさんも。」
久井の即答に優貴人は肩を落とした。久井も肩を落とし、急に声も小さく聞き取りづらくなった。
「嫌な予感が頭から離れないんです。生活していたらお金が要りますよね?でも、彼女がお金を引き出した形跡が無い。カードの利用明細も届かないし、7月の携帯の明細には『ご利用パケット0』って。わたしが送ったメール、一回も届いてないって事ですよね。」
「まさか。」
この言葉を口にしたのは健太だったが、皆思ったはずだ。『利用パケット0』ということは久井の言うとおり、一度もメールを受信していないのだろう。
美吉町内は山に囲まれているせいで携帯のアンテナ基地局を多数必要とする。そのため最大手の会社以外は費用対効果を考慮してか、町の西部にしか基地局を置いていない。日常生活で圏外になる携帯など意味がないから美吉では『携帯は最大手』が常識なのだ。
ただ、この最大手だけメール受信にもパケット代がかかる。久井の友人もおそらく最大手だろうから、一度もメール受信をしていないといえる。
それどころか、メールはセンターに保管されているから再び電源を入れればまとめて受信出来るようになっている。つまり、友人の携帯は少なくとも6月20日の夜以降、電源を切ったままの状態なのだ。
「わたし彼女を見つけてあげたいんです。」
久井の悲痛な話に穏やかでいれる者などいなかった。
力なく椅子に腰を下ろした久井の頬を涙が伝っていた。
「そうだな。いや、どうしたらいい。」
中川でさえ今や冷静さを欠いているように見える。
中川にだけ重圧をかけさせるわけにはいかない。助けられてばかりでいいはずない。打ち明けてくれたさくらや久井、集まったみんなのためにも何かしなければ、と健太は立ち上がった。
「久井さん、僕は町民課です。町民課には独居老人訪問があります。それを利用して聞きこみしてみようかと。警察と違って警戒されにくいし、一件一件の面談に時間をかけたら何か聞けるかもしれない。」
この提案を聞いた久井の目に光が戻った。
健太はよし、と頷くと今度は中川に、
「中川さん。企画政策課が担当してる町のホームページのバナー広告、久井さんの友達の会社に営業かけたらどうでしょう。」
と、水を向けてみた。すると中川は、なるほどと手をぽんとたたいた。他の3人は目をぱちぱちさせている。
「バナー広告募集の名目で探るわけか。なら逆に奥には通されないほうがいいな。上の人より同僚に会いたい。アポなしで行くか。」
さすが中川だ、頭の回転が驚くほど早い。あっという間に健太の考えの上をいっている。
「お願いします。それから宇多。」
自分に来ると予想していなかったのか優貴人は教師にでも呼ばれたかのように背筋を伸ばして返事をした。
「観産課は仕事柄、町内外問わず外回りが多いだろ?先々で聞きまわってよ。エリアは広げるにこしたことない。」
「わかりました。めっちゃ聞きまくってきます。」
久井も観光産業課なのだが、年下とはいえ健太より先輩だ。偉そうなことは言えない。と、考えたとき健太の脳に何かが引っ掛かった。単純な見落としのような。思考を巻き戻そうとしたが、松阪に連れ戻された。
「税務課のわたしはどうしたらいい?」
税務課は考えていなかった。言葉に詰まる健太を見た中川が答えを代わってくれた。
「松阪は主に窓口業務だよな。なら、窓口に来る人に出来るだけ世間話でも振ってくれないか。不特定多数と言葉を交わすわけだから、それこそ手がかりになるような話が聞けるかもしれない。」
助け船を出してくれた中川に詫びの意味で健太は少しだけ頭を下げた。
「どうかな、久井。今できる精いっぱいだとおれは思うが。」
「はい、十分です。本当にありがとうございます。」
久井は立ち上がって深々と頭を下げた。そしてマーカーを取り、友達の情報をホワイトボードに記しだした。
その字を目で追いながら健太は先ほどの違和感の原因に気付いた。血の気が引いていくのがわかる。頭がぐるぐると回りだし、久井の声が遠のいていくのを必死で堪えた。
理解できなかった。いや、したくなかった、が正解だろう。ここにきてこれ程の衝撃が待ち構えていようとは。
健太は自分の中で勝手に先読みして思い込みをしていたことを後悔した。
伊勢谷恵子、27歳。久井の同級生で住所地は美吉町御門。旧龍門小学校を卒業後、県外の私立中学から大学まで進み現在神座にあるOA機器の卸会社に勤めている。
別人だ。行方不明者は二人いる。御門地区も美吉町東部だが、美吉川本流沿いだし立瀬は旧立瀬小学校だから校区が違う。それに、久井の友達は健太より年下だ。
健太が感じた違和感、それは年齢だった。
言うべきか?何とか思考は繋ぎ止めたが、周りの声はまったく聞こえていなかった。昼間にさくらから聞いた情報を頭の中で整理する。だめだ、あまりにも知らなさすぎる。
28歳、住まいは立瀬。これだけでは、いたずらに皆の不安を煽るだけだ。さくらがいたら。
室内では中川が各課の対応策をさらに具体化し、煮詰めているところだ。
さくらに電話してみようか。番号は知っている。行方不明者が一人ではないという事実だけはこの機会に共有したほうがいいに決まってる。
健太は中川に断りを入れて、手洗いに行くという口実で会議室を出た。ゆっくり歩きながら電話をかけたが十数回コールしたところで留守番電話に切り替わった。悩んだ末、『聞きたいことがあるから、手が空いたときにでも連絡して』とメールを送った。
本音は今すぐ連絡を取りたいのだが警戒されても困る。一刻も早くさくらから連絡が来るのを待つしかない。
この日の5人での取り決めは概ねこうだ。情報が集まるまでは他言しない。捜索は業務と絡めて活動する。公務員である以上、大きく仕事を逸脱することは出来ないからだ。そして、第1回の報告会は金曜日の18時からで残りの5人にも参加を促す、として2時間以上にも及んだ話し合いは終わった。久井は何度も何度もありがとうを言った。
結局その日、さくらから折り返しの電話も、メールの返信も来ることはなかった。