ヒロイン代理は名もなきモブを希う
息抜きの作品ですが、楽しんでいただければ幸いです
「初めまして。俺、櫻木晴人。これからよろしく」
桜並木が鮮やかな桜色に染まり、日向ぼっこに丁度いい。そんな季節のとある学校の、とある教室での平凡な出会い。
――なんて可愛いものじゃない。私はその瞬間、全てを察したのだ。
私が十六年間生きてきたこの世界が乙女ゲーム、『恋する花守』の世界だということを。
今までだって心に引っかかることがいくつかあったのだ。それがゲームの舞台となるここ、花ヶ咲高校(通称『花高』)にこの春から入学した私、土谷水姫の隣の席の男子から自己紹介を受けて、膨張して弾けた。
つまりあれだ。これはネット小説で話題だった『転生』というやつなのだろう。
前世の私の情報は……何分十六年も前のことだから大分朧げだが、確かいたって普通の家庭で育った大学生、だった筈。
後で苦労するのは面倒だからと前倒しで勉強し、老後に影響が出るのは嫌だと運動した結果、友人に「努力する方向間違ってる」と言われた記憶がある。
ああ、いや、今は前世のことは置いておいて。
問題の乙女ゲーム『恋する花守』は友人が勧めて、貸してくれたから始めたゲームだった。
攻略対象は正規キャラが四人。いずれも乙女ゲームの王道――というか、暗黙の了解――のとおり、十人が十人振り返り、二度見、三度見は当たり前な整った容姿をしている。
攻略対象の声良し、性格良し、ルート良し、スチル良し、ミッション良し! な理想の乙女ゲーム。……と、確かネタバレページに書いてあった。
しかしこの『恋する花守』……長いな。略して『恋花』は、プレイヤーなら誰もが何度でも思う愛せない欠点がある。それは――主人公がウザいこと!
プレイヤーの代わりとなって攻略対象と恋をする主人公、花岡美季はふんわりほわほわな『守ってあげたい系女子』の代表のような容姿を持つ。そう、ビジュアルはとても良いのだ。友人も数え切れないほど「見た目は! 見た目だけは良いの!!」と嘆くほどに。
では肝心の中身はどうか。
花岡美季は誰に対しても優しく親切で、且つ頼まれたら断れないという押しに弱い性格だ。それは見た目に合致しているから構わない。
が、彼女には乙女ゲーム主人公に限らず、近年まで愛され続けている少女漫画によく適用されている要素があった。
それこそウザさの原因。全ての元凶。
その要素さえなければ、『恋花』はどこに顔を出しても恥ずかしくない作品になっていた筈だった。……と、掲示板で書き込まれていた。
で、件の原因は何かと言うと……天然ドジっ子属性である。
「え、それだけ?」と侮らないでいただきたい。これが彼女の愛せない重大な欠点なのだ。
普通、一般的な天然ドジっ子属性は『何もない所で転ぶ』、『塩と砂糖を間違える』、『攻略対象の好意に気づかない』といったところだろう。
しかし非公式ランキング『ウザい・オブ・ウザい主人公』で見事栄冠に輝いた花岡美季は、私達の予想斜め上を行き過ぎた。
例えば『何もない所で転ぶ』は彼女の場合、『三歩歩けば転倒する』に進化して、決まって攻略対象に保健室に運ばれる。ニワトリか。
『塩と砂糖を間違える』は『料理が全てダークマターと化す』になり、それでも攻略対象が無理して食べる。おまけに「美味しいよ」言われるから自分の料理の腕が破壊的だと分からない。五感どうなってるんだ。
『攻略対象の好意に気づかない』は『小学生かとツッコミたくなるほど幼稚過ぎて、攻略対象が可哀想』と言われるほど、あっちこっちで愛想を振りまく。小学校に戻れ。
ストーリー自体は世の乙女達が目をハートにするくらいには素敵なものなのに、主人公のせいでご都合主義に見えるというシナリオライターの苦労ぶち壊しマジック。誰だ、こんな主人公考えて「GO!」サイン出した奴。
「……い、おーい。大丈夫?」
「え? あ、はい。大丈夫です」
「本当? 実は体調悪かったりしない?」
「大丈夫です。あんまり暖かくて、眠くなっただけなので」
目の前でひらひらと振られる手と声にはっと我に返り、テキトーに誤魔化す。
すると隣の美少年、櫻木晴人はへらりと笑って頷いた。
「あ、それ分かる。今日あったかいよね。それで……えっと、君の名前は?」
「土谷水姫です。今日からよろしくお願いします」
「土谷さんね。俺のことは好きに呼んで。あ、でも敬語だけは勘弁!」
「え、そう? ……じゃあ、櫻木くんで」
「うん。改めてよろしくね、土谷さん」
「よろしく」
よーし、出だしは上々。あとは次の席替えまで普通のクラスメイトとして接しようそうしよう。
というのも、何を隠そうこの美少年、攻略対象なのだ。
焦げ茶色の猫っ毛に、赤みがかった茶色の瞳、適度に色のある肌に高い背。
そんじょそこらのモデル顔負けの容姿を持つ彼、櫻木晴人は「春の番人」と呼ばれており、春ルート=櫻木晴人ルートという認識だ。
天真爛漫な大型犬タイプで、お人好しのスポーツ少年。所属はバスケ部だった筈。
花岡美季と同じクラスなのは覚えていたが、まさかゲームでは名もなきモブである私の隣になるとは……。……あ、そういえば件の花岡美季は?
ちらりと横の列を見て彼女を探すと、案外あっさりと見つかった。
一クラスに生徒が四十人前後なので見つけやすいのは当然だが、それとは別に花岡美季が容易に見つけられた理由がある。
それは彼女の斜め前の席に、我が土谷家の隣人にして幼馴染である向日葵が居たからだ。葵は櫻木くんに負けず劣らずの美男子だから、よく目立つ。
余談だが、本人は葵という響きや、苗字と合わせると向日葵と読めることが少々コンプレックスらしい。……って、あ。
そうだ。彼もまた攻略対象の一人、「夏の番人」だった……。
たった今気づいた衝撃の事実にどっと汗を掻く。
だってただのクラスメイトならモブにもなれるだろうけど、幼馴染はどうやったって回避不可能じゃないか。ああ……なんて残酷な現実。まあ今更遅いから交友関係はどうもしないけど。
「土谷さん、何見てるの?」
「うん? ああ、幼馴染だよ。ほら、今問題集解いてる男子」
私の視線の先が気になったらしい櫻木くんが、わざわざ前のめりになりつつ問いかけてきた。
そこで変にはぐらかすのも妙かな、と思い素直に葵を指差せば、櫻木くんは「真面目だなぁ」と零す。
そう。夏の番人、向日葵は所謂優等生タイプ。クール且つ生真面目で、自分にも他人にも厳しい。
艶のあるストレートの黒髪に、眼鏡の奥に潜められた深い青みがかった切れ長の瞳、髪色と対を成す白い肌に細身の体。
きっちりと着こなされた制服の腕に生徒会か風紀委員会とかの腕章があっても違和感なしの絵に描いたような優等生。それが私の幼馴染、向日葵。
確か……花岡美季と一緒に学級委員になるんじゃなかったかな。それでイベントを回収するんだったか。
ちなみに、当の花岡美季は問題集に向かっている葵に必死に話しかけようとしている。ああ、無理無理。集中モードに入った葵はちょっとやそっとじゃ戻ってこないから。
「でもそういえばテストがあるんだよね。俺、運動はできるけど勉強は……うん」
「なんの『うん』? ……よかったら教えようか?」
「え! いいの?」
「うん。私も勉強になるし」
「あ……ありがとう! 土谷さん!」
「いいえ〜」
……詳しい内容は言わないけれど、「櫻木くんは理数系以外は破壊的にダメだった」とだけ言っておこう。
* * *
おかしい……。私の記憶が違うのだろうか。
「どうした水姫。手が止まってるぞ」
「あ、ごめん」
「……新しい生活になったばかりだからな。流石に疲れが溜まっているか?」
「ううん。まだ大丈夫」
「そうか。それでこそ僕の幼馴染だ」
ふっと満足そうに微笑を零す。眼鏡の奥で細められた瞳は真っ直ぐ私に……ではなく、本が並べられた棚に向けられていた。
放課後の図書室で二人きり……というわけではないけれど、これはこれでなかなかどうして気まずいものだ。
どうしてこうなったのだろう……。事の発端は記憶に新しいが、思い出すだけで眩暈がしそうだ。
「それにしても……あれだよ。葵は学級委員になると思ってたんだけど」
「僕が本が好きだと知っているだろう? 学級委員か図書委員かと問われれば、迷わず図書委員になる」
「ああ……うん。確かに躊躇いなかったよね」
乾いた笑みを浮かべつつ、LHRの出来事を脳裏に浮かべる。
新学期でお決まりの委員会を決める時間で、この幼馴染は私を含めクラス全員の期待を裏切り、予想の斜め上を地で行ったのだ。
というのも、葵は小中学校と学級委員を勤めていた。幼い頃から優等生の鑑と教師陣から絶賛されていたから、てっきり高校でも学級委員に就くものだと勝手に思っていた。……のに。
『じゃあ図書委員会やりたい人ー……って、え゛』
『……?』
『……え、あ……じゃあ、図書委員会は土谷と向日に決定、な……』
『え!?』
最初から図書委員会に入ろうと思って構わず手を挙げたら、まさかまさかの葵まで手を挙げていて、流石に先生も動揺していた。小中学校を知るクラスメイトなんて絶句していたし。……あ、そういえば花岡美季も驚愕してたな。
まあ、見た目学級委員タイプだもんねー……と手を動かしながら、後で教師陣に必死に「いいの?」「本当に図書委員会に入るの?」と修正をかけられそうになってたのを思い出す。本人バッサリ切り捨ててたけど。
しかしゲームや小中学校の事前情報があったから学級委員になるものだと思っていただけで、実は葵が図書委員会に入る可能性は確かになきにしもあらずだった。
葵は当人が言うとおり本が好きで、過去に学校の図書室の本を一ヶ月で三十冊前後は読んだ実績を持つ読書家だ。
訊けば今までは先生にどうしてもと頼まれたから学級委員をやっていただけで、何もなければ図書委員会になりたかったんだそう。高校ではオファーがなかったから、イケる! と思っちゃったんだね……。
念願の図書委員会になれて嬉しかったのか、委員会集会が今日ではないのに葵は私を巻き込んで図書室に赴き、仕事を先取りして今に至るというわけで。
「水姫、また手が止まってるぞ」
苦笑いしか出ないわ……と頬を引きつらせていると、不意に後ろではなく耳元から聞こえた声に思わず肩を跳ね上げる。反射的に顔を上げれば、すぐ横に葵が居た。
本棚に手をついて、じっとこちらを見つめる碧の瞳とレンズ越しに目が合う。
夕日に照らされた葵は元々あった大人っぽさに色気が追加され、スチルよろしく美しい一枚の絵と化していた。思わず胸をときめかせた私は悪くない。
「集中が切れてるな。体調が悪いんだったら座っていろ。あとは僕がやる」
「え、いや、でも一人で残りを片づけるのは大変でしょう」
「相方が働かなければ同じことだ」
あ、はい。ごもっともです。
ちなみにこれ、さらりと真顔で言われたが、葵に悪意はない。葵は世渡りは上手いけれど、親しい人には気を遣わない性格だからね。
気遣いの言葉がどストレートな表現で出てくるのは信頼の証だよ。……多分。
「でも休む気はないよ。片づける本は私が渡すから、葵は戻すのお願い」
「何冊あると思ってるんだ……。僕なら片手で持てる」
「梯子に登りながらは危ないでしょう? 私は葵に怪我して欲しくないの。分かったら、はい。番号順に戻して」
「……まったく、人使いの荒い奴だ」
そう言いつつ、満更でもなさそうに肩を竦めるのだから、「葵こそ、憎めない奴だ」と思う。
新刊コーナーに並べてあった本をごっそり取って、早足で葵の元へ戻る。この本はもう新刊ではないので、棚に並べるようにと言われていたのだ。
「危なっかしいから、そんなに急がなくてもいい」
「ううん。急いでないよ」
「早足の奴が何を言う」
「これが私の通常です」
「そうか。じゃあこれからはもう少し歩幅を広げなきゃな」
くすりと笑う声がして、背表紙に貼られた番号を目で追うのをやめて思わず顔を上げた。
……やっぱり、高校でも私の隣に居てくれるんだ……。
親同士が仲が良くて、それこそ生まれる前から一緒だった幼馴染。昔は私の方が大きくて、葵のお姉ちゃんって感じだったのに、気づいた時には既に葵の方が大きくなっていた。
男女の性だと分かってはいるけれど、私より幾分背が伸びている葵が私の歩調に合わせるのを申し訳なく思う。
しかし「もう先を歩いて行ってもいいんだよ」と言った日には葵が静かに怒ったものだから、その話は――私の中で――禁句扱いになったのだ。
「……葵が大変そうだから、『いつもどおり』でいいや」
「無理してないか?」
「無理してないよ」
「そうか。なら、『いつもどおり』にしよう」
分かっているくせに悪ノリするんだから、実はサディスト気質なのかもしれない。
まったく、本当にタチの悪い幼馴染である。
「ぐっ……げほっ! ごほっ!」
不意に咳払い……否、咽せたらしい音が響く。
葵が気にした様子を見せないから私も表面上は気にしなかったけれど、手で口元を覆って足早に図書室を出ていった女子生徒を、私はなんとなく目で追った。
* * *
いや、やっぱりおかしいよ。どうして私が櫻木くんのプリントを届けなければならないのだろうか。
入学して早二週間。只今部活仮入部期間中。
で、バスケ部に嬉々として走っていった櫻木くんに、渡しそびれた英語の課題プリントを渡してくれと先生に頼まれた私はとぼとぼと体育館までの道を歩く。
別段、入りたい部活はないから構わないのだけど、何故私なのだろう。そこは主人公ということで花岡美季で良いじゃないか。……あ、いや、プリントを託された時にはもういなかったな。
まあどうせ「隣の席だから〜」のノリでしょう。なんて面倒くさい。
それにしても部活……部活かぁ……。前世では何部に入ってたかなー。どうせなら前世でやってない部活にしようかな。
廊下の掲示板に所狭しと貼られた部活勧誘ポスターに目を通しながら、ゆったりとした歩調で進む。
どうせテニス部に向かった葵を待たなければならないのだから、どこで時間を潰したって問題ない。
ちなみに葵は中学でテニス部のキャプテンを勤めていたので、腕は良い。レギュラー入りも時間の問題だろう。
……ああ、そういえば櫻木くんは自他共に認める抜群の運動神経を持っているから、ゲームでは一年生でレギュラーの座を勝ち取って試合に出ていたな。
花高のバスケ部は強豪だという設定だが、とある試合の決勝で惜しくも敗れ、怪我をして抜けていた櫻木くんが「自分のせいだ」と責める……なんてシーンもあった覚えがある。
そこで主人公、花岡美季が「晴人くんは何も悪くないよ」と慰めるんだったか。私に言わせれば、「いや、櫻木くんが抜けたくらいで戦力に著しい欠落はないから」というところだ。強豪の名は櫻木くんだけの力が勝ち取ったものじゃないだろうが。
「げ……」
見学者で溢れかえっていた体育館を見て、思わず眉をひそめる。心なしか離れていても熱気が伝わってきた。
体育館の中って、人が多ければ多いほど熱がこもるんだよね。いくら窓開けても意味がないったら。
躊躇いから一度立ち止まって体育館と手元のプリントを交互に見つめてから、最終的には溜め息を吐きつつ当初の予定どおりプリントを届けようと足を動かす。本音は言うまでもなく「行きたくない」だ。
渋々近づいてみれば男子より女子が多いことに気づいた私は、そこではっと思い出す。
確かここでもう一人の攻略対象と出会うのだと。
部活に悩んでいた花岡美季は迷いに迷い、「全部見てから決めよう!」となんとも楽観的な思考で運動部から文化部まで見て回るのだ。そしてクラスメイトである櫻木晴人が誘っていたバスケ部にも訪れた彼女に迫るパスの失敗で飛んできたボールを颯爽と受け止めたのが、
「せーの!」
『石蕗せんぱーい!!』
……「秋の番人」、二年の石蕗陽介である。
見学の女子から黄色い歓声が上がり、私は堪らず眉をしかめて耳を塞いだ。見学なら静かに見ろ。
石蕗陽介は面倒見のいい兄貴肌で、頼りになる先輩。バスケ部のエースで次期キャプテン候補だ。
短めのツンツンした黒髪に翡翠色の瞳と、少し焼けた肌と体育系の見た目に見合うほどよく筋肉がついた体を持つ。
多くの年上派プレイヤーを虜にしたイケメン、爽やかスポーツマンだ。
「あっ! 危ない!」
体育館に響いた声にはっと我に返る。
見ればゲームのシナリオどおり、見学者に交じっていた花岡美季の元へと勢いよくボールが飛んでいた。人が多くて気づかなかったけど……居たんだ。
花岡美季は元々鈍く、咄嗟にボールを避けられるほどの反射神経は持ち合わせていない。迫るボールに怯える彼女の前からボールを弾き飛ばしたのは、やはりヒーローよろしく颯爽と現れた石蕗陽介だった。
「大丈夫か?」
「は、はい。ありがとうございました……」
「怪我がないようでよかった。怯えさせて悪かったな」
おお、生のシナリオ台詞いただきました。やはり美声だ。
汗がキラキラと輝くその姿は水も滴る良い男、ならぬ汗も滴る良い男。普通なら嫌がられる汗が、イケメンに限り良い仕事をしている。
「すまん、石蕗!」
「汗で滑りやすくなってるからな。次は気をつけろよー」
仲間の失態にも、笑って軽い感じで注意する。その笑顔に見学の女子がほぅ……と頬を赤らめていた。
まあ小さな失態だからね。結果的に怪我人は出なかったんだし、軽い注意で済ませるのが妥当か。
的確な選択に内心石蕗陽介に拍手を送りつつ、目的の人物、櫻木くんを探す。多分練習に交じってると思うんだけど……。
そうしていれば、ふと何やら私の周囲が騒がしいことに気づいて、何事かと視線を追う。
「っ……!」
息を呑んだ音は幻聴だったか。
視線の先には秋の番人こと石蕗陽介が居た。翡翠色の目を大きく見開いて絶句する、そんな姿が目に映る。
何を見ているのだろうかと周囲を見回すけれど、絶句するほど特に変わったものはない。
ではなんだろう? と再び石蕗陽介に目を移した時には、その人はチームメイトに呼ばれてコートの中へ戻っていた。
「土谷さん! 土谷さんも来てたんだね」
「お疲れ櫻木くん。バスケ部を見学しに来たわけじゃなくて、櫻木くんにプリントを届けに来ただけなんだけど」
「プリント?」
「英語の課題」
「げっ……」
汗も滴る良い男の後継者……もとい櫻木くんがタオルで汗を拭いながら歩み寄ってくる。
女子の見学者が石蕗陽介に集まっている隙を見て呼んだから、すぐに気づいてくれたのはありがたかった。
「なんで英語の課題なんか……」
「次の授業で単語の小テストするからだよ櫻木くん」
「うう……。俺は部活で忙しいのに……」
「まだ仮入部期間だよね櫻木くん」
「日本人なんだから英語を覚えなくたって生きていけるよ!」
「高校生活で生き抜く手段の一つだから、自分で頑張ってね櫻木くん」
「えっ!? 見放さないで土谷さん!」
「なら少しは勉強して」
課題だと見せるなりあからさまに眉をひそめた櫻木くんの言い分を悉く潰してやれば、最終的には慌てて縋りついてきた。うん、流石は大型犬タイプ。
聞き耳を立てていたらしく、周囲の人が失笑する音が聞こえたが、気づいていないフリをしよう。
「はい、勉強で肝心なのは?」
「……まず自分で頑張る」
「そう。あ、答えや例題を写して自力で解いた気にならないでね。覚えるまで解いて」
「土谷さんの鬼……」
失礼な。基礎中の基礎じゃないか。
「っと。もうテニス部も終わる時間だ。じゃあ用も済んだし、私そろそろ行くね」
「あ、うん。わざわざありがとう」
「どういたしまして」
壁の時計を見て早々に踵を返そうとした時、不意に「ちょっと待った!」と制止の声が掛けられる。
何事かと反射的に声の主へ顔を向ければ、石蕗陽介が小走りで私に駆け寄ってきた。女子の悲鳴が上がる。
「君、このハンカチに覚えは?」
「え?」
ハンカチ? と石蕗陽介が差し出した物に視線を落とす。その手にあった物は見るからに女物の淡い桃色のハンカチだった。
動揺を顔に出さなかった私の表情筋を自画自賛したい。
石蕗陽介が持つハンカチに覚えはあるか否かと言われれば、答えは「ある」だった。差し出されたハンカチは、私が五歳の誕生日に親からもらった誕生日プレゼントで、その優しい色合いが好きで大事にしていた物によく似ていたから。
それが何故石蕗陽介の元にあるのかと問われれば、思い出すのは小さい頃の記憶。
六歳の頃、公園で遊んでいたちっちゃい子達が木に引っかけてしまったボールを、ヒーローの如く現れて取ってあげていたお兄さんがいた。お兄さんは取る時に枝で切ったらしく、格好いい顔に傷を作っていたから、私は思わずハンカチを差し出したのだ。
お兄さんにあげたままのハンカチ。それが仮に目の前のそれだとしたら、ヒーローのお兄さんは石蕗陽介ということになる。
記憶と照らし合わせれば面影がなくもないが、そんな事実は私が受け入れないし認めないし受けつけない。
今でさえ女子の視線が痛いのだ。ここで少しでも頷いたら間違いなく私の明日はない……!
「いえ、残念ながら」
「そう、か……」
「お力になれず、すみません」
「いや、いいんだ。オレが勝手に勘違いしただけだから」
静まり返った体育館内に私の声がやけに響く。
ゆるりと首を横に振ると、石蕗陽介はあからさまに肩を落とした。やや八の字に下げられた眉と、無理に作られた笑顔に罪悪感を覚える。
頬を引きつらせていれば、女子の集団からさながら「なに先輩の期待裏切ってんのよ」と言わんばかりの鋭い視線を向けられる。じゃあ私にどうしろと……。
肩身の狭い思いをしていると、ギャラリーと同じく静観していた石蕗陽介のチームメイトが「残念だったなぁ陽介。初恋の君じゃなくて」とすかさず慰めの言葉をかけた。……って、『初恋の君』?
「だから、そういうのじゃないっていつも言ってるだろう」
「でも昔貰ったハンカチ、今でも大事そうに持ち歩いてるじゃんか」
「それはいつか持ち主の子に返せると思ってるからだ」
「ふぅん? 大事な試合前にハンカチに口付けてた奴の言うことかね?」
「なっ! お前なんで知って……!」
口付け、というワードに女子集団が一様に反応する。らしくもなく赤面する石蕗陽介をカメラで連写する音が聞こえるが、見ないようにしよう。
「は、はい! そのハンカチ、私、見覚えがあります!」
「嘘です! 石蕗先輩、そのハンカチは私が先輩に渡した物です!」
「いいえ、私が!」
「違うわ! 私よ!」
初恋の君なる存在に成り代わりたいファンの子が一人手を挙げれば、皮切りに次々と手が挙がるのだから、モテ男も大変だ。
他人事のようにしみじみと思いつつ、騒ぎにこれ幸いとこの場を離れることにする。
イベントの整備員よろしく迫る女子を食い止める二、三年生を見るに、今後同じように事態の収拾に追われるであろう櫻木くんにそれじゃ! と敬礼する。
櫻木くんは苦笑いを浮かべてひらりと手を振った。
* * *
「土谷さん。それ、どこに持っていくの?」
「えっと、生徒会室に……」
「私が代わりに持っていくよ。こう見えて力はあるから、任せて!」
昼食も食べ終えて暇を持て余し、めでたく先生にパシリにされた私の元に寄ってきたのは、自ら学級委員に立候補した花岡美季だ。
「手伝うよ!」とでもいうように言うが、いや、そもそもこの荷物は学級委員であるあんたが持っていく物なんだよ。先生が「学級委員の花岡が見当たらなくてなー」と呟いたの聞いたからな。
自分がどういう風に見られていると思っているのか知らないが、あんたの場合心配なのは腕力じゃなくて『三歩歩けば転倒する』体質の方だし。
……と言いたいのをぐっと堪え、人畜無害な笑顔で「そう? じゃあ、お願いしていい?」と荷物を渡す。
私はモブ、彼女はヒロイン。再確認するまでもないが、オーケー?
「あ。でも私、生徒会室の場所まだ覚えてないや……」
荷物を持ったは良いが、そこでポツリと不安そうに吐き出される独り言。
そう、これは独り言なのだ。私には関係ない。
「それじゃあ、先に戻ってるね。花岡さん」
「えっ!? 一緒に行ってくれないの!?」
「え? だって……ほら、私達そこまでの仲じゃないし」
事実、私と花岡美季が一対一で会話したのはこれが初めてだ。
花岡美季が私の名前を知っていたことには少し驚いたが、それだけのこと。学級委員なんだからそれくらいやってもらわねば。
「そんな……」
「あんまり話してないから、気まずいのも嫌だし……他の子についてきてもらったら?」
と、そこまで言って思い出す。次、体育でほとんどの人が既に移動してたわ。
ゲームでは嫉妬から女子の交友関係は皆無だったが、この花岡美季は友人と呼べる人がそれなりにいる。だから大丈夫だろうと思って言ったのだけど、意味はないようだ。
「あ、あんまり話してないからこそだよ! 私、土谷さんとならすぐにお友達になれると思うの!」
何を根拠に?
「うーん。でも次の授業体育だから、私も早く行かないと」
「先生に事情を話せば許してくれるよ!」
「いやぁ、所詮付き添いだし……」
「私から先生に言うから!」
だから? と、正直はっきり言い放ちたい。
花岡美季さんよ、人に物を頼む時はどうするんだったかな?
「お願い! 土谷さん!」
荷物を抱えたままで軽く頭を下げる花岡美季に、目を眇める。
人に頼み事をする時は「お願いします」がまず真っ先に出なければならない。それが基本中の基本である筈なのだが、どうしてまどろっこしい言い回しをするのか。
それについてきてほしいのならはっきりそう言えば良いのに、花岡美季はまるで私がついていくのが当然のように考えて発言していたものだから、驚きも怒りも通り越してむしろ呆れたわ。
「……わかった。一緒に行くよ」
「あ……。ありがとう、土谷さん!」
うっかり吐きそうになる溜め息をなんとか堪えつつ頷くと、花岡美季はパッと顔を輝かせて花のような笑顔を見せた。
それにしても、生徒会ね……とちらりと花岡美季が持つ荷物に視線を向ける。生徒会行きだとしたら、おそらくあの人に会うことになるだろう。
『恋花』正規攻略対象最後の一人、「冬の番人」に――。
昼休憩も終わりに差しかかる。
訪れた生徒会室には、やはり天下の攻略対象様がいた。
「ああ、先生に任された生徒というのは貴女方ですね? 荷物を預かります」
「お願いします」
穏やかな笑みを浮かべて荷物を受け取るその人こそ、「冬の番人」柊真嘉月。
生徒会会長……ではなく、生徒会副会長。二年生で、同じクラスの石蕗陽介とは中学時代からの親友である。
亜麻色の髪に、石蕗陽介と揃いの色合いの瞳。葵に勝るとも劣らない白い肌と細身の体で不健康そうに見えるが、いたって健康体だ。
誰に対しても優しく温厚で、所属する囲碁・将棋部ではエースの位置にいる彼は容姿端麗、文武両道を地で行く『理想の王子様』である。――表向きは。
さて、攻略対象・柊真嘉月とヒロイン・花岡美季が揃ったわけだが、二人の出会いはいたって在り来たりで、
「あ、あの、柊真先輩。先日は危ないところを助けていただき、ありがとうございました」
「ああ、いえ。たまたま通りかかっただけですよ」
階段を踏み外した花岡美季を柊真嘉月が助けたことがきっかけだ。
……名もなきモブの私は退散しても良いかな?
そそくさとドアへ近寄り、ドアノブに手を伸ばす。しかしドアは触れるか否かのところでさっと私から離れた。
もちろんそれはドアの意思ではなく、外から誰かが開けたに過ぎない。
「カヅキくん、そろそろ昼休憩終わっちゃうわよー……って、あら? ごめんなさい、お取り込み中だった?」
私と鉢合う形で現れたのは、長く黒い髪を高く一つに結い上げた美人さん。
間近で見たものだからその美しさに思わず息を呑んだが、なんてことはない。その人もゲームの登場人物だ。
「心配ない。今丁度終わったところだ」
「そう? なら良いんだけど。……それにしても、可愛いお客さんね。でもカヅキくんがお相手って考えると、珍しい、とも言えるわ」
「……つい最近入学したばかりなんだ。一年生相手が珍しいのは当然だろう? 光」
世の女性が羨む白くきめ細かい肌と艶のある黒い髪を持ち、パッチリとした目と小さな唇が特徴のその人。
名前は菊原光。柊真嘉月と石蕗陽介の友人である二年生。
秋ルートと冬ルートに共通して出てくるサポートキャラクターで、明るくさっぱりとした性格からプレイヤーに人気のサブキャラ。
しかし一見ヒロインも霞むほどの美少女な彼だが、実は歴とした男子である。
菊原家はこの世界では有名な日本舞踊家で、菊原光はその直系長子だ。女形舞踊のため、幼い頃は女装をして過ごしていたとか。
もちろん女装の件は学校が了承済みなので指摘されない。むしろ生まれつき美形な顔立ちを持つが故に、女と間違えられることが多々あるらしい。
それでも菊原光が女装をするのは、偏に友人の頼みがあったからだ。
「しらばっくれちゃって……。カヅキくんがそれで良いならわたしは構わないけれど、そんなことならいつまで経っても成長しないわよ?」
困った人……。と溜め息を吐く菊原光に、柊真嘉月は口を閉ざす。
花岡美季は二人を交互に見つつ小首を傾げるが、私は意図的に隠されたキーワードを知っているために苦笑を禁じ得なかった。不審に思われるので堪えたけど。
何を隠そう、柊真嘉月という男は女嫌いなのだ。それは決して女性が下だからなどという男尊女卑の思考からではなく、過去のトラウマが原因だとネタバレで見た記憶がある。
私は実際にゲームでプレイしたのは共通ルートまでで、個別ルートも逆ハールートもバッドルートも体験していない。全てはネタバレの知識だ。
そのネタバレも大まかな情報しか記憶に残っていないけれど、柊真嘉月が女嫌いだという事実は割と衝撃的だったからよく覚えていた。
とどのつまり、柊真嘉月の『誰に対しても優しく温厚』という表向きの性格は、世渡りをしやすくするための彼の演技ということ。本来の彼は女性が自分の半径五メートル以内に入ることすら憎悪するほどの短気で、おまけにサディスト……らしい。
しかし当の彼もこのままではダメだという自覚はしているのだろう。まずは女性の姿に慣れるため、友人の菊原光に女装を頼んでいるというわけだ。日本舞踊家といえど、流石に高校生になってまで外で女装をさせる方針はないと冬ルートで本人が言っていたらしい。
まあそんなわけで、私は柊真嘉月に気を遣って彼とはできるだけ距離を開けている。花岡美季は荷物を渡すという作業もあったので、残念ながら思いきり柊真嘉月の目の前にいるが。
「ま。全てはカヅキくん次第ね。……さて、貴女達も授業に遅れないように早く行きなさいな」
「ありがとうございます。それでは失礼しました」
「あ、待って土谷さん! 失礼しました!」
自然な流れで話題を断ち切り、退室させてくれた菊原光にお礼を言ってさっさと生徒会室を出る。後から花岡美季も慌ててついてきた。
それにしても、この数日で四人の攻略対象に会ったは良いが、順当に進んでいる筈なのに引っかかりを覚えるのは何故だろう?
* * *
いやはや世の中はままならないものだ。まさか自分が、気がついた時には乙女ゲームの世界にいただなんて。まあ名もなきモブだけど、『ウザい・オブ・ウザい主人公』になるよりはマシだよね。
そりゃあ前世やこちらの世界で読んだ少女漫画の主人公のような恋は憧れるものがある。けれど現実で漫画のように上手い恋愛があるとは限らないし、大きな山あり谷ありの心臓に悪い恋なんて正直したくない。
だからこれで良いのだ。私は私だけの人生の主人公として、ほどほどの山あり谷ありの人生を歩みたいから。……なんちゃって。
心の中とはいえ、漫画的モノローグを語ってしまったことに気恥ずかしさを覚えて、放課後の図書室で本の整理をしつつゆるりと首を横に振る。
本格的に部活動が始まったのもあり、図書室にはほとんど人はいない。委員会を楽しみにしていた葵も、渋々部活に行っていたし。
写真部に入った私は今日は活動日ではないので、恨みがましそうな目を向けてくる葵を見送って一人委員会の仕事をしに来たというわけだ。
「……のよ。私が…………のに」
しかしこの仕事、終わりが見えないな……と遠い目をしつつ手を動かしていれば、ふと誰かの声が聞こえてきた。誰かと会話している感じではなく、独り言のようだ。
「こんなの……わ。葵くんは図書委員会に……」
耳をすますでもなく、相手からこちらに近づいてきた。ここは広い図書室の再奥だから、行動には納得できる。
図書委員会の葵……って、もしかしなくても私の幼馴染の葵のことだよね? 確か図書委員会に他に「あおい」は居なかったし。というかこの声……。
「私は主人公、花岡美季。これは間違いないわ。だけどどうしてゲームと違うの? この世界は『恋花』の世界じゃないの?」
やっぱり、花岡美季だ。
でも……と、ぶつぶつ独り言を零す花岡美季の声に無意識に息を殺す。
「でも違うことといえば、葵くんが図書委員会に入ったってことだけなのよね。晴人くんとは入学式の前に会ったし、陽介先輩にも嘉月先輩にも助けてもらった。……そう考えるとますますおかしいわ。葵くんは同じ学級委員として仕事をしていく筈だったのに……」
葵の行動は、イレギュラーというわけか……。
冷静に分析しながらも、花岡美季の独り言を聞く私の心臓は徐々に速度を上げていく。
なに……? どういうこと……?
彼女が零した攻略対象者との出会い……あれはゲームの共通ルートと一緒だ。つまり彼女は、ゲームと同じ道を辿っているということ。
ゲームと同じ行動に、「この世界がゲームと同じ」という思考、そして何より『恋花』の名――。
もしかして、花岡美季も……!
「聞いちゃった?」
「っ!」
不意に背後から声がして、驚きで声を上げそうになった。しかし私が口を開くより先に、相手が私の口を手で塞ぐ。
跳ね上がった心臓の勢いのままに振り向けば、そこに居たのは一人の女子生徒。
私はその女子生徒に見覚えがあった。
「一対一で話すのは初めてね。あたし、福寿真広。クラスメイトだし、仲良くしてね? 土谷さん」
にこりと笑みを浮かべた少女、福寿真広に「やっぱりか!」と息を呑む。
ヒロイン花岡美季のクラスメイトにして、ゲームの親玉悪女。それが福寿真広という女子生徒だ。
セミロングの黒髪黒目で、気の強そうな美少女である彼女は、花岡美季と攻略対象者を巡って数々の勝負を仕向ける。けれどどんなに実力の差を見せつけても、決して心折れない花岡美季の強さに攻略対象が惹かれて両思いになるため、福寿真広はいつだって恋破れるのだ。
テンプレな結末を生まれ持った悪女……。と、まるで悲劇のヒロインのような肩書きだが、事実福寿真広はぶっちゃけヒロインよりヒロインな女性キャラだった。
相手に好きになってもらいたいがために勉強、運動、美容を人並み以上に頑張る影の努力家であり、最後には好きな人の幸せを願いながら、甘んじて今までの罰を受ける姿は他の悪女には決してない潔さとまっすぐさを兼ね備えていたと聞く。
そんな彼女に心打たれるプレイヤーは少なくなく、「むしろ彼女を主人公に!」と福寿真広が主人公の二次創作を手がける人も続出したほど。おまけに非公式ランキング『チェンジ希望! 主人公的悪女』では堂々の第一位に輝いていた実績を持つ。
それに勝負に対する妨害工作は所々あったけれど、彼女自身はいじめだけには手を出さなかった。恋の勝負といえども道徳を忘れないそのまっすぐさに、私も心打たれたものだ。
だけど、そんな彼女がいったい何故ここに……? と思っていたら、福寿真広はそっと私から離れた。
「どうやら花岡美季は行ったみたいね。ごめんなさい、巻き込んじゃって」
「えっ? あ、いえ」
いつの間に花岡美季は居なくなっていたのだろうか。いくら耳をすませど、確かに彼女の声はもう聞こえなかった。
「あ、あの……それでさっきのは……」
「……やっぱり、聞いちゃったのね。まあ、あの女の注意不足だと言えばそれまでだし、他人の記憶を消すことはできないから、仕方ないか」
困惑気味に問いかければ、福寿真広はやや眉を八の字に下げて笑う。
初めて見た笑みに、美少女の笑顔はやはり絵になるものだと、思わず場違いなことを考えてしまった。
「説明する前に、土谷さんに訊きたいことがあるの」
「訊きたいこと……ですか?」
「ええ。……それより土谷さん、クラスメイトなんだから敬語はやめましょう? なんだかむず痒いわ」
「え。ごめん」
「うん、順応力の高い人は好きよ」
いや、単に本物の美少女に気圧されていただけだから、気を引き締めたら口調が戻っただけです。
「それで、単刀直入に言わせてもらうと……土谷さん、貴女『恋する花守』って言葉に覚えはある?」
真剣な眼差しで問われ、一瞬だけ時間が止まった気がした。
どうして、福寿真広がその名前を……?
「……あるのね。その様子だと」
「そうだけど……貴女はいったい……」
「混乱するのも無理ないわよね、この容姿だもの。ゲームの福寿真広を知っているのなら、尚更よ」
ぽつり、自分に言い聞かせるように呟かれた言葉に、私は確信した。
「あたしは福寿真広。『恋する花守』の悪役。……だけど、今はただの女子高校生よ」
――私と同じ、転生者だって。
目を見開き、驚きを隠せないままでいると、福寿真広は苦笑いする。
「驚かせてごめんなさい。でも、あたし達以外にも同じ境遇の人がいたのね」
「え……あたし『達』?」
「ええ。さっきの独り言を聞いていた貴女なら分かる筈よ。他の転生者が誰なのか」
「……花岡、美季……」
「そう。彼女も同じ転生者。それもゲームの主人公に成りきって、攻略対象と恋仲になろうとする夢見がちな女よ」
なるほど、私が覚えた引っかかりの正体をようやく理解した。要は花岡美季は順当に進め過ぎたのだ。
花岡美季の先ほどの独り言……更にはゲームと同じ行動をしていることからも、彼女がこの世界をゲームだと思い込んでいることが分かる。
けれどそれは大きな間違いで、決定的なミスだ。
私と同じことを考えているのか、福寿真広が呆れ顔で溜め息を吐いた。
「いったいいつ記憶を取り戻したのかは知らないけれど、これだけは言わせてもらいたいわ。『貴女も含め、転生者っていうイレギュラーが居る時点で、ゲームと同じ道を辿れると思わないでよね』って」
「前世の記憶を取り戻して五年目のあたしが言うんだから、間違いないわ」と告げる福寿真広の言葉に、私も同意する。
現に葵が図書委員会に所属するというアクシデントが生じているのだ、そこから徐々に道が逸れる確率は高い。ゲームどおりなのは高校生生活が始まったばかりの今だけだと考えた方が良いだろう。
とどのつまり、たとえこの世界がゲームの世界だとしても、その登場人物になってしまえばそこは『未来が定められていない現実』なのだ。
ゲームどおりに動けば、想う相手と結ばれるとは限らない。彼女もいずれそれを分かってくれればいいのだけど……。
「……土谷さんって、案外頭の回転が速いのね。もっと取り乱すと思ってたのに」
「『混乱』と『驚き』が一周回って『冷静』になっただけだよ。ところで福寿さん、私が転生者だっていつから気づいていたの?」
「確信はなかったわ。でも妙に向日くんと仲が良いから気になって、委員会を決めた日の放課後、二人の後をつけたの。それで悪いと思いながら会話を聞けば土谷さんはやけに向日くんに学級委員を推すじゃない? それに委員会決めの時も凄く驚いていたし、『もしかしたら……』って思って」
ああ、だから「『恋する花守』って言葉に覚えはある?」と訊いたのか。ハズレだった場合、誤魔化せるように。
まどろっこしい質問はそういう意図があったのかと感心していると、「それにしても」と福寿さんは顎に手を添えて続ける。
「二人の会話、今思い出すだけでも甘かったわ。もう恋仲なんじゃないかって疑うくらい」
「は?!」
衝撃の発言に思わず声を上げた。
けれど今はそれどころじゃない。私と葵がなんだって?
「勘違いしないでっ。私と葵はただ家がお隣さんってだけの幼馴染! 恋仲とかそんな事実微塵もないから!」
「そう言われてもね……。少女漫画過ぎて流石のあたしも咽せちゃったわ」
「あれ福寿さんだったの!?」
どうりでなんとなく見覚えがあると思ったよ!
「まあ落ち着いて土谷さん。その話は後でゆっくりじっくりしましょう」
「いや、もう結構です……」
「そうは問屋が卸さないわよ。……ところで土谷さん、貴女、花岡美季のポジションになりたいと思う?」
途端に福寿さんの声色が少し低くなる。真剣な話ということだろう。
しかしいきなり何を素っ頓狂なことを言うのだろうか。『ウザい・オブ・ウザい主人公』の位置に立ちたいかって? 愚問だね。
「嫌」
きっぱりはっきり言ってやる。
すると福寿さんは一度きょとんとしたかと思うと、やがて肩を震わせて笑い出した。
「ふふっ。あたし好きよ、貴女みたいな人」
「それはどうも。私は自分のペースで生きたい。ただそれだけの人間だけどね」
「良いわね。あたしも同意見よ」
顔を上げた福寿さんはやけにすっきりした顔で綺麗な微笑を浮かべる。何やら満足したようだ。
美少女の笑みの輝きに目を細めていると、不意に手を差し出される。
「花岡美季以外の転生者が貴女でよかったわ。きっと、一人だけだったら挫けていたと思うから……。だから、土谷さん。あたしと友達になってくれませんか?」
了承なら握手、お断りなら手を払え。差し出された手はそういうことだろう。
凛と目の前に立つ彼女は私なんかより何倍も素晴らしい人だ。綺麗でまっすぐで眩しくて……主人公よりも主人公な少女。
そんな人と友達? ――光栄じゃないか!
「こちらこそ、よろしくお願いします」
福寿さんの手を握る。
凛と振舞っていたけれど、おそらく緊張していたのだろう。強張った手は緩み、福寿さんの頬は嬉しそうにゆるゆると緩む。
少し潤んだ瞳で私と目を合わせると、彼女は「ありがとう……土谷さん」と笑った。やっぱり美少女といえば笑顔だね。
しかしこれで私の高校生活は普通に平和になるかな。……と、思ったのも束の間。
「よし。仲間もできたことだし、あたしは『脱・悪役計画』を続行する」
「うん」
「それで土谷さんをヒロインポジションに収める」
「うん?」
「土谷さんがヒロインなら、高校生活も安泰ね」
「はい!?」
「大丈夫。花岡美季があの調子なら、遅かれ早かれヒロインポジションから落ちるわ。その後に土谷さんが居座れば良いだけのことだから」
「全然大丈夫じゃないからねっ?」
サポートは任せて! と片目を瞑る福寿さんに、眩暈と今後の高校生活への不安が私を襲う。
私が主人公? 断じて認めない。私は名もなきモブのままで良いんだよ!
短編とは思えない微妙な長さの上、一部フラグすら見えていませんが、楽しんでいただけたでしょうか?
閲覧ありがとうございましたm(_ _)m