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08 好きにならなくてよかった

 この店で一番大切な仕事は何か。

 スミレナさんが、もったいぶるように「それはね」と前置きして溜めを作った。

 オレは全神経を耳に集中させるつもりでスミレナさんの言葉を待つ。

 隣に座るギリコさんも、興味深そうに耳を傾けた。


「おっぱいよ」

「仕事に戻ります」

「待って待って。今のは半分冗談よ」


 それは半分本気ということですか?


「もう、せっかちなんだから。話は最後まで聞きなさい」


 聞く価値があるのか疑わしく思いながら、上げかけた腰を渋々イスに下ろす。

 スミレナさんが表情を引き締め直した。


「普通の飲食店と、【オーパブ】のような酒場、この二つで最も大きな違いはなんだと思う? ヒントは、お客さんが求めているものよ」

「メインが料理かお酒か、ですか?」

「いいえ。普通の飲食店は、お客さんのお腹を満たすのが目的だけど、酒場はね、お客さんを労うのが目的なの。心を満たすと言い換えてもいいわ」

「心を……満たす?」

「そして、これに関して言えば、リーチちゃんの右に出る従業員はいないわ」

「と、言われましても……」


 わからない。オレは何も特別なことはしていない。

 これならまだ、おっぱいと言われた時の方が納得できた。


「うふふ、不思議そうな顔をしているわね」

「だって、勤労初日の拓斗(たくと)やパストさんにも抜かれるような奴なんですよ?」

「リーチちゃんが彼らに負けたと思っていることは、仕事の一つでしかないわ」


 やっぱりわからない。

 一番大切な仕事が客を労うことだとしても、オレなんかより客一人一人のことを深く理解しているスミレナさんの方が、ずっと上手くこなしているじゃないか。


「リーチちゃんは、ここへ来る前は引きこもりだったのよね?」

「……まあ」


 ズバリ来たな。

 自分で言う分には平気だけど、人に言われると結構なダメージがある。


「家に居場所は無く、友達もいない。辛く、惨めな日々を送っていたのね」

「いや、家は快適でしたよ? 両親は優しかったですし。あと、御存知のとおり、友達も拓斗一人ですけどちゃんと」

「そんな可哀想な子が! 健気に自分を奮い立たせて頑張っているの。これに心を打たれない人はいないわ!」


 オレの言葉を無視してスミレナさんはまとめた。


「いやでも、お客さんたちはオレが引きこもりだったとか、友達がいな――少ないとか、そんな事情知らないですよね?」

「そうね。だけど、なんとなくわかるの」

「わかっちゃうんですか」

「ええ、わかるのよ。なんとか今の境遇に慣れよう。自分を変えよう。そう思ってリーチちゃんが頑張っているのが」


 これにギリコさんも頷いた。

 見透かされていたことを照れ臭く思うよりも、そこまで自分のことを見てくれていたという驚きの方が数段大きい。


「こっちへ来てからも大変だったわよね。新しい環境に慣れることもそうだけど、魔物だからって理由で騎士団に討伐されそうになったり。だけど、リーチちゃんは恨み言一つ漏らさず、こうして笑顔で働いている」


 頭の中では結構愚痴ってましたけど、これからも口には出さないようにしよう。


「リーチちゃんの笑顔を見ていると、その日の疲れが取れていくの。そして明日も頑張ろうって思えるの。それはタクト君にも、アタシにもできないことだわ」

「スミレナさんはできているんじゃ?」

「無理ね。職名項目に〝影の支配者〟とか付いちゃう女に癒し系は務まらないわ」


 付いてるんだ……。


「そんなリーチちゃんがギガンテスの級おっぱいに――じゃなくて、そんなリーチちゃんにギガンテス級のおっぱいが付いているんだから、これで癒されないはずがないわ」


 今、オレがおっぱいの付属物みたいに言いかけました?

 良い話で終わらせてくださいよ。


「ギリコさんからも、何か言ってあげたいことはないかしら?」

「そうであるな」


 言葉を探すように、ギリコさんが喉を爪でカリカリと掻いた。


「スミレナ殿の意見には、小生も全面肯定である。この店に来る客は、リーチ殿の笑顔を肴に酒を楽しんでいるのである」

「そうよ。エリムの料理じゃなくてね。リーチちゃんの笑顔は最高のオカズだわ」


 言い方!!


「他人と自分を比較しても、あまり良いことはないのである。リーチ殿のように、相手を上に見て勝てぬと思ってしまうと心身は擦りきれ、相手が下だと安心すると心根は腐っていく。人は人、自分は自分と割り切った方が良いのである」

「……そうですね。……でも」


 そこまで達観できるほど、オレはまだ人間が――サキュバスができていない。

 拓斗は自慢の親友だ。けど、勝てるものが一つもないから一生頼る側でいいと、そんな風に思ったことは一度もない。性別が変わり、いよいよ見込みがなくなってしまったのだとしても、オレに持てない物を拓斗が軽々と持ち上げて見せたりすると、やっぱり胸中穏やかではいられない。


「リーチ殿、苦手なこと、短所と自覚していることを克服しようと思うのは大切である。しかし、人には得手不得手があるのも事実。他人と比べても、不得手が得手に変わるわけではない。それなら得手を、誰にも負けぬ長所に伸ばすことに心血を注いだ方が有意義――という見方もあるのであるよ?」


 オレの得手。そんなもの、あるのでありましょうか。


「リーチ殿にも何かあるはず。自分だけにできることが」

「オレだけにできること……」


 何かあるだろうかと頭を捻っていると、スミレナさんが右手の親指と人差し指で輪を作り、上下にしごくモーションで「これがあるじゃない」と言った。

 とんでもない誤解を招きそうなのでヨソでは絶対やってほしくないけど、オレは「言われてみれば」と手を打った。


 オレにしかできないこと。それは何を隠そう〝乳しぼり〟だ。

 小学校の遠足で行ったふれあい牧場。そこで乳しぼり体験をしていた時、牧場の園長さんが言っていたことをオレは思い出した。


『せっかく乳しぼり体験を楽しんでもらっている時に、こんなことを言うのは水を差してしまうようで気が引けるんだけど、こうして入れ代わり立ち代わり、何人もからお乳をしぼられると、実は牛さんもストレスを感じてしまうんだ。デリケートな生き物だからね。本当は、決まった人だけしぼる方がいいんだ。この牛さんも、明日、明後日くらいはお乳の出が悪くなってしまうと思う。だからウチの牧場では先着二十名まで、しかも短い時間だけにしてもらっているんだ。物足りないって? ごめんね。でも大丈夫さ。特別に君だけは、牛さんのお乳の代わりに、オジサンのおちんち――ミルクをしぼらせてあげる。さあ、向こうの個室へ行こうか。ふふ、先生たちには内緒だよ。――あ、これはこれは先生、いつからそこに!? あいや、これはその、この子が急にお腹が痛いと言い出しまして、はい、後はお任せしてもよろしいですか? へへ、ではよろしくお願いします。チッ』


 …………あっぶねぇぇ!!

 先生ありがとう。

 もう二度と会えないと思うけど、助けてくれたことを感謝します。


 でだ、何が言いたいのかと言うと、ミノコも例外じゃなく、オレ以外の人が乳をしぼろうとするのを非常に嫌がる。一度エリムがやろうとして、危うく蹴られそうになっていた。

 乳しぼりはオレの仕事。オレだけの仕事。

 腱鞘炎の心配をするくらい大変だけど、それ以上に嬉しかった。


「なんか、オレにしかできない仕事もあるみたいです」

「であるか」


 ともすれば、睨んでいるようにも見えるギリコさんの鋭い目が、オレが苦笑したことで柔らかい笑みの形になった。

 キュンときた。

 ああ、いいなあ。ギリコさん、いいなあ。他のお客さんが、オレに癒しを求めているように、オレはギリコさんといることが癒しになるみたいだ。

 ついでだし、太くて硬くて黒くてスベスベの尻尾を触らせてもらえないかな。


「――利一(りいち)、なーにサボってンだ?」


 ギリコさんに尻尾タッチをお願いしようとしたところで、オーダーを通しにバーカウンターにやって来た拓斗に、ぽすんとトレイで頭を小突かれた。


「あ、ごめん。ちょっと休憩中」


 申し訳なく言うと、拓斗がトレイで口元を隠し、声をすぼめてきた。


「なんか、やけにそっちの人と親しげじゃね?」

「そりゃ、オレがこっちの世界に来て、心底惚れ込んでる人だから」

「ほ、惚れ――て、え、ラブ!?」

「なんでだよ。リスペクトに決まってるだろ」

「そ、そうか。ああ……ビビった」

「でも、オレが女に生まれてたら、絶対ラブの意味で惚れてただろうな」

「ちょ、おま、今は女……ッ」

「ほら、拓斗も挨拶しとけって」

「あ、オイ、まだ話は――」


 拓斗の背中を押し、ギリコさんの前に立たせてやった。

 何をキョドってんだか知らないが、拓斗にとってもギリコさんとの出会いは必ずプラスになるはずだ。一緒に漢気を学ばせてもらおうぜ。


「え、えと、新垣(あらがき)拓斗です。利一とは、昔からの友達(ダチ)で」

「ギリコと申す。貴君のことは、夢うつつに覚えているのである。危ないところを助けていただいた」


 ギリコさんがわざわざ席を立ち、拓斗に向けて頭を下げた。

 咄嗟に頭を上げてくださいと言いそうになるが、それはオレの台詞じゃない。

 拓斗はそれを言う代わりに、よくわからないことを口走った。


「単刀直入に伺います。ギリコさんは利一のこと、どういう風に見てるんスか?」

「それ、僕も聞きたいです!」


 カウンターから身を乗り出したエリムも話に加わってきた。


「な、なんであるか?」


 いきなり何を訊いているんだと、拓斗にツッコミを入れるべきか。

 だけど、オレもちょっと気になる。

 オレとギリコさんは友達なんだろうか。友だと言ってくれたことはあったけど、なんかちょっと違う気がする。ギリコさんは二十代だって聞いたし、人生の先輩。いや、師匠? だとすると、オレは弟子ということに。あ、これちょっといいな。


「スミレナ殿、これはいったい」

「ごめんなさい。察してあげて」

「……なるほど。把握したのである」


 さすがはギリコさんだ。拓斗の質問を通して、オレがギリコさんへの弟子入りを狙っていることを看破してしまったか。

 ギリコさんは熟考し、拓斗の質問への答えを真剣に探してくれた。


「リーチ殿は、小生が保護指定にないことを理由に他者から嘲笑された時、本気で怒ってくれたのである。リーチ殿にとっては当たり前の行動だったかもしれぬが、それは小生にとって衝撃であった。尊敬の念を抱いているのである」


 ほ、ほあああああああああ!?

 ギリコさんが、オレを尊敬!?

 ほわああああああああああ!?


「尊敬。それだけっスか?」

「まだ決定ではないが、此度の戦を経てこの町は独立し、国となる。そして誰かがリーチ殿を指して〝姫〟と言った。それが小生には妙にしっくりきたのである」


 え?


「リーチ殿を姫とするならば、小生は姫の刀でありたい。この愚身が折れて朽ちるまで、姫の傍で刀を振るいたい。小生、そういう生き方に憧れているのである」


 それ、凄く理解できます。

 理解できますけど、オレを姫ポジに据えちゃうのはどうなんでしょう!?


「幸い、リーチ殿も小生には気を許してくれている様子。願わくば、御身に害為す数多の凶刃を退ける、不壊なる御守刀となる栄を賜りたいのであるが、如何か?」


 ギリコさんの視線を追うように、場の注目がオレに集まる。

 全校集会で舞台上に突然一人で立たされたみたいに目を回していると、スミレナさんがこっそりと、「乗ってあげれば?」とオレに耳打ちをした。


 そういうことか!!

 全てはノリ。くそ、完璧に引っ掛かった。ギリコさん、役者ですね。

 そうとわかれば、場を白けさせるなどもってのほか。

 オレは座ったまま胸を張り、ギリコさんに手をかざした。そして告げる。


「よきにはからえ」

「恐悦至極」

「「―――ッッ!?」」


 拓斗とエリムが、ことさらに驚いたようなリアクションを取った。

 まいったまいった。誰も彼も役者なんだから。

「ま、待てよ! それなら俺の方が、アンタより強いと、思うし、適任じゃ!?」

「……否。見たところ、貴君は己の強さに心が追いついていない」


 おお。この寸劇、まだ続くんですね。


「それはエリム少年も同様。他者を目標に研鑽するのであれば良し。だがしかし、ただ羨むだけならば、それは成長の停滞である。誰かを想う気持ちと時間があるのなら、少しでも己を高めることに精を出されよ」

「くっ、返す言葉も無ェ」

「僕も……」


 うおおおお、カッケエエエエエエ!!

 ギリコさん、マジカッケエエエエ!!

 スミレナさんに目で同意を求めると、オレと同じく上機嫌になっていた。


「うふふ。ギリコさん、いい発破だったわ。今度一杯奢るわね」

「未熟者の身で、若者に苦言を呈してしまった。恥ずかしいのである」


 いやいや、名演技でした。

 オレも一応乗りましたけど、噓だとわかっててもドキドキしちゃいましたもん。

 まだ配役の余韻に浸っているのか、拓斗が悔しそう歯を食いしばっている。


「な? ギリコさん、カッコイイだろ? 男でも惚れるよな」

「……ああ、負けてられねェ」


 よかった。拓斗にとってもいい刺激になったみたいだ。

 一緒に男を磨こうぜ。もちろんエリムもな。


「利一にも一つ訊いてイイか?」

「何?」

「女になったことで、精神的な変化とか何もないのか?」

「例えば?」

「構造上、今は男が異性になったわけだし……女よりも、男が気になるとか……」

「なんじゃそら。キモ。あるわけないだろ。キモ」

「二回も言うなよ」

「言っとくけど、この格好だって、好きでやってるんじゃないからな」


 慣れるまで、寝間着以外はスカート着用の厳守をスミレナさんから言い渡されている。嫌なら別の手段で女の子であることを体に教え込むけど。などと言われては選択の余地なんて無い。別の手段がなんなのか、それも怖くて訊けなかった。


「利一は女扱いされるより、男扱いされた方が嬉しいんだよな?」

「当たり前じゃん」


 ボロは着てても心は錦。メイド服を着てても心は男。

 特に拓斗からは女扱いされたくない。

 拓斗とは、以前と変わらない男友達でありたいから。


「……だったら、やっぱ、好きにならなくてよかったのか」

「え? お前、オレのこと嫌いだったのか?」


 ショック! 実は親友に嫌われていた。

 いや、親友だと思っていたのはオレだけだった?


「じゃなくて! お前が利一だと知らなかった時は、か、可愛い子がいるなって、不覚にも、そう思っちまったわけだよ!」

「ああ、そういうことか。この姿が可愛いのは否定しない」

「自分で言うかよ。まあ、俺も否定できねェけど」

「でもよかったな。変な気を起こす前にオレだってわかったし、もう安心だろ」

「…………そうだな」


 なんでか拓斗の返事は重かった。

 一瞬でもオレに惹かれそうになったのが許せない。そんなところだろう。

次回から場面が変わってイベントに入っていきます。


第09話は10月29日 12時更新予定でよろしくお願いします。

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