神話
パニックを起こした後続が逃げようとした時、人馬が弾むほどの縦揺れが襲いかかる。地に伏せた者が周囲を見回すと、信じられない事に、地面が歪んで見えた。
錯覚でもなんでもなく、地面が軍勢を挟む様に隆起している! と気付いた時には、地面が砕ける音と共に、大地の狭間に飲み込まれる。
そのままの勢いで盛り上がった大地は、山脈となって地面に傷跡を残した。
〝贄だ! わが身の復活にふさわしい贄が届いたぞ〟
兵士達の魂が天に召されようとしていると、始祖の精霊がそれを吸い尽くす。逃れようとする者も、叶わず、全てが精霊の一部となった。
〝崇めよ〟
俺は知らぬ間に両手を広げると、真っ赤な視界の下で、地に伏した信者達が一斉にひれ伏す。
異様な光景の中で、ホーリィさんを除く仲間達だけが、戸惑う様に立ち尽くしていた。
そんな中、一人覚醒したティルンが、異常事態に気づく。嫌な予感に手元を見ると、獄火の魔導書から力が立ち昇り始めていた。皆に相談しようとした時、その場にいる全員に強烈な思念が襲いかかる。
〝我が契約主よ、お主の力と合わさり、より強力な神となろうぞ!〟
始祖の精霊の思念が、火力の杖を通して浸透していく。それは始祖の精霊本体が乗り移ってくる証だった。
頑健(神)に守られていても、なお熱いエネルギーに耐え切れず、
「ぐうううっ」
とうずくまる俺の頭の中で、
〝あらあら、うちの子に痛い事しないでくれる?〟
あざけるような女の声が聞こえてきた。
〝お前は病魔、災厄の女神か!〟
始祖の精霊の思念が怒気に変わる。その怨念のこもった声に、
〝あら、災厄だなんて最悪。輪廻の女神って呼んでね?〟
痛みの中で目を開けると、いつか見た輪廻の女神が、光り輝く幾重もの羽を広げて、姿を現した。
「ティルンっ!」
というウールルの声に、目を向けると、女神の足元には真っ赤に輝く魔導書と、倒れこむティルンの姿がある。その手中には合わせられた∞のリングが輝いていた。
ズキンッと胸が痛む。真っ赤に染まる視界の中で、苦しそうにうずくまる、ティルンだけが色をとどめていた。
俺も限界だったが、いてもたってもいられなくなって、
〝ティルン! 大丈夫か!?〟
と叫んで手を差し伸べようとした。だが巨大な思念と同期した俺は、上手く身体を操れない。まるで他人の身体のように麻痺して、手応えがない。
〝この娘の親には神器を奪われて邪魔されたけど、ようやくこの世界に復活できたわ。あなたの火力【獄火の魔導書】を利用してね、始祖の精霊さま〟
女神の顔が悲しみから笑顔に変わる。それはまるで仮面のように、逆に感情を感じられないほど満面の笑顔だった。
〝おのれ災厄の女神め! 積年の恨み、この力をもって消滅してくれるわ〟
始祖の精霊が俺の口を通じてしゃべる。だめだ! 完全に乗っ取られて、体が俺の言う事をきかない。これが契約するという事なのか? 冗談じゃないぞ!
〝だから何度言わせればいいの? あなたがぼんやり寝ている間に、私はもっと上の存在、輪廻を司るまでに成長したの。それに災厄は私の一部、生老病死、生と死、病気と健康は表裏一体。全てが私の力であり、この子が頑健であればあるほど、この世界の病魔が育ち、また病魔を討てば討つほど、頑健が育つ。つまり全ては私の力を上げるための装置なのよ。それにまんまと力を貸してくれるなんて、貴方はなんてお優しいのでしょうね?〟
ホッホッホッと微笑む女神の目は、いつか見た粘着質な光が宿っている。
何だと? この世界の病魔が俺のせいで強化されていた? 流行病が発生しているのは俺のせいなのか?
悔しさに唇を噛むと、始祖の精霊から力が伝わってきた。
〝そう上手くいくか! この者をもって、貴様を成敗してくれるわ!〟
火力の杖を振るうと、女神にうちかかろうとする。だが操り人形の糸が切れた様に、一歩を踏み出す事もできない。
〝だから無理よ、その子をここに送ったのは私なのよ? その子が必死に育てた力【頑健】が今度は貴方を縛り付けるわ〟
と言うと、目の端のステータスが一気に消えた。そして俺の体に溢れていた頑健の力が内向きに牙を向き、始祖の精霊を縛り上げていく。
〝ヒューマン・トラーップ! ここまで準備するのは骨がおれたわ〟
ホッホッホッと下卑た笑いを上げる女神。その足元に倒れるティルンは仲間達が回収した。
いいぞ、そのまま逃げろ! 自由を奪われた俺には、もはや抵抗する術もない。
だが始祖の精霊はまだ力を発揮して、俺を鼓舞する。女神対精霊ならばまだ勝ち目はあるか? と俺は始祖の精霊側に立って、女神の力をはね返そうとした。
〝あら、生意気にも逆らおうっていうの? アラサーの引きこもり、いじめられっ子の神野君?〟
と言われて、ふっと身体の自由が効くようになり、重力に引っ張られる。だがその足は頼りなく、支えきれずに地面にひざまずいた。
自分の姿を見ると、そこにはよれよれのジャージ。さらに見ると、醜く太った前世の姿に戻っていた。
〝なあケンちゃん、同志連合連れて来るから、大人しく待ってろよ〟
仰ぎ見る女神の顔が、愉悦の表情を浮かべる白石の物に変わる。その瞬間、心臓を鷲掴みにされた様に、全身が硬直した。
暗転する世界で、後ろに現れたのは仲間達。思わずすがりつこうとした時、彼女達の姿が、いじめっ子達に変わっていく。
囲まれ、罵倒される言葉が、頭の中に入って来ない。何だこれは? なぜ? すでに思考停止に陥った俺は、このまま消え入りたいと願い、縮こまって耐えるしかなかった。
体の中心で小さくなっていく始祖の精霊の声が、段々遠くになっていく。我が身を蝕む頑健に抑え込まれて、この声が消えいりそうになった、その時ーー
〝しっかりしなさいよ!〟
抱えこんだ俺の頭に、元気な叱責が飛んだ。この声はティルンだ。
〝何やってんの! しっかりしなさい!〟
いつもの叱責が胸にあったかい火を灯す。絆の力だけが唯一今の俺にも働いた。
〝ワンワンッ〟
ディアの吠え声も聞こえる。
〝カミーノ様、しっかり!〟
ウールル、ウールナ姉妹の声が揃った。
〝ご主人様、我々を置いていくことは許されません〟
エナとサエの切羽詰まった声が、俺のやる気を燃え上がらせる。
〝頑張るにゃん〟〝興味深いマオ〟
ホワイティーとマオリンは脱力系だからしょうがない。
〝戻ってきたら膝枕で胸ギュウです、カミーノ様〟
ホーリィさんの声に、別の部分が反応する、絶対皆と再会するぞ!
〝アヤカが元に戻してあげる〟
と言うと、頑健(絆)で結びついた俺たちの運命の糸を、あやとりしていった。
〝馬鹿な! 頑健は我が能力、何だこの力は!? (絆)だと? ふざけるなよ!〟
白石は余裕をなくして、アヤカを止めようとするが、もう遅い。彼女はあやとりの天才ーー完成したあやとりは複雑な線を描いて、ハートの形になっていた。
〝絆のハート♡〟
アヤカが呪文を発動しようとしたが、白石の姿をかなぐり捨てた女神が、ティルンの足元のリングに腕を向けると、それを吸収してあやとりに向けた。
〝ふざけるなよ! こんな事で私の計画を無駄にできるものか!〟
アヤカも魔力を上げるが、流石は女神、力の差は歴然だった。だが、始祖の精霊を縛る頑健に力を注ぐためか、決定的な力は出せないらしい。
だがこのままではアヤカももたない! 何か手はないか? 何か……頑健に抵抗する始祖の精霊の意思を感じて、何かができる気がした……そうだ! これはいいんじゃないか?
〝始祖の精霊! 聞こえるか?〟
俺は身の内にいる始祖の精霊に声をかけた。
〝うるさい! 今は取り込み中だ!〟
俺が育ててきた頑健に縛られた始祖の精霊が、苛立たし気に答える。
〝いいから聞け、このままではアヤカももたない。そうなれば女神の思いのまま、お前は消滅させられる。それを防ぐ方法が一つだけあるぞ〟
〝なにっ! それは何だ? 早く言え〟
〝俺の仲間になれ! そうすれば絆の力が増して、あの魔法が発動するかも知れない〟
〝なんだと? 始祖の精霊たる我が人間の仲間!? ふざけるな!〟
〝……それじゃあ死ぬしかないね〟
頑健に保護されていないはずの、むき出しの俺の精神から、強気な思念が放たれる。それに驚いた始祖の精霊が、
〝なっ! ……くっ、くそっ。それしか無いのか?〟
と動揺し始めた。
〝それしか無いんじゃない?〟
ともう一押しすると、
〝分かった〟
〝え?〟
〝了解した〟
〝え? もっとちゃんと仲間になったって宣言しないと〟
〝我はカミーノと仲間になった!〟
始祖の精霊の言葉と共に、アヤカの手元にある〝絆のハート♡〟が光を放つ。それは暗転した空間を打ち破ると、元の溶岩大地に戻していった。
〝やった〜!〟
仲間達の声が重なる。俺の中の始祖の精霊も、喜びに炎を上げそうになっていた。
それと同時に俺の身体もカミーノのものへと変化していき、身体中にパワーがみなぎってくる。
だが目の前には羽を八方に広げ、輝きを失わない輪廻の女神が、浮かんでいた。
〝おのれ……おのれっ! よくもやってくれおったな……こうなったらお前を直接手にかけて、この世界の者すべてぶち殺してくれるわ!〟
怒りに顔を歪ませた女神が、光り輝く手を振り上げる。その魔力は見るだけで存在がかき消されそうなほど、強烈だった。
その時、俺の中に力が流れ込んでくる。これは新たに(絆)で結ばれた、始祖の精霊の力だ! 手元の火力の杖を握ると、全身にみなぎる力をもって、女神に突進した。
さらにティルンの、ウールル、ウールナの、ホーリィの、アヤカの魔力が(絆)を通して俺を前に押しやり、ディアの、エナの、サエの、ホワイティーの、マオリンの力と素早さが俺に乗移り、金光のオーラが爆発すると、黄金の手を振り下ろす女神に杖を突きこむ。
魔力の火花散る交錯の後、その身を貫かれたのは女神だった。
急速に力を吸引される女神と、始祖の精霊のパワーバランスが逆転していく。
絶望的な顔で地に堕ろされた女神に、火力の杖を突き立て続けると、萎み、枯れた身体が、最後は燃えて灰となった。
その時、再度俺の中で変化が起こる。仲間となった始祖の精霊が、
〝女神の力を得て、我は今【神】となる〟
宣言と同時に、世界は白い閃光に包まれた。
次話エピローグでおしまいです、本日AM1時投稿予定。