VSキメラ
「この気配は……すでに手遅れじゃないと良いけど」
西の森に向かう途中、探知魔法を維持しながら進むティルンが、難しい顔でつぶやいた。
「キメラってどんなモンスターなの?」
今さらながら聞く俺に、
「形なき者、魔法生物……大体が魔法使いの実験で生み出された、合成生物の事を指すわ。何と何を合わせたかで、それぞれの形や大きさ、強さなんかも変わってくるの」
という説明に、
「じゃあ今回のもどんな奴か分からないって事だね?」
「そう、でも土地の魔力を吸って力を増している事から、黒羊系の魔法を操る能力があると予想できるわ」
黒羊系とは? という言葉を飲み込んで、
「えっ! 魔法を使うの?」
と、もっと重要な事を聞いた。魔法という未知の力に対抗するのは、ちょっと苦手である。力勝負なら負ける気はしないのだが。
「それに報告によれば、狼系の特殊な吠え声も使うようね。この鳴き声には魅了の魔力が込められているわ」
ティルンの顔が険しくなる。その言葉通り、いまだ遠くからだが、巨大生物を思わせる野太い声が響いており、どこか気を惹かれる感じがする。
「そんな強い奴に、たったの二人って。他に戦うメンバーはいなかったの?」
「ちょうど村の主戦力である賢人会が、遠征中なのよ。私は留守番って訳。でも緊急事態でしょ? ほっとくとやばい事になるから。あんた良いタイミングで来てくれたわ」
と言うと、ニヤッと笑みを見せて、
「それに私もあれから大分修行を積んだからね。ボンヤリ生きてるあなたとの違いを見せてやるわ」
手にした杖を掲げて見せる。その先端の石が揺らめくと妖しい光を放った。
俺は腰に結わえた袋の中身を確認する。既に軽くなり過ぎた石はやめて、鍛冶屋に頼んで、くず鉄の塊や、裏山の洞穴で採れる鉛のつぶてを作ってもらっていた。
それを暇を見つけては投げる練習をして、猟の時にはボーラと共に使っている。
少しずつ上がってきた器用のおかげか、最近は思うように投げる事ができるようになってきた。
「ボンヤリ生きてきたかどうか、とくと見るが良い!」
空いた方の腕を曲げて、思い切り力こぶを作ると、会心の笑みを放つ。それを見て、
「あんたそんなキャラだっけ?」
少しげんなりしたティルンが吐き出すように言った。
西の森は散々なありさまだった。巨大生物がかんしゃくを起こして、当たり散らしたかのように、木々は倒れ、動物の死骸は踏み荒らされ、焼け焦げた臭いが鼻を突く。
「どうやら遠距離魔法も使えるようね。これはやっかいだわ」
地面の焦げあとに触れたティルンが、その臭いを嗅ぎながら言う。やはりこれは火魔法のしわざらしい。
「どこにいるかわかる?」
と聞くと、
「本体というより、魔力の歪められた場所が分かるって感じね。かなりの力が集まっているわ。このままだと森が枯れてしまうほど」
と言いながら、左前方を指差した。その先にキメラがいるのだろうか? 何か不気味な気配が漂ってくる気がする。
いや確実に吠え声が近づきつつある! 俺は緊張しながら右手に牛殺しメイス、左手に鉛のつぶてを数個握ると、身構えた。
隣で一心に呪文を詠唱していたティルンが、掛け声と共に杖をかざすと、空中に紋様が広がる。
金色に輝く線のあとを、杖から発した火がたどると、空中に巨大な火の玉が現れた。
ティルンはそこに魔力を注ぎ続けているのか、両手をあげて詠唱を続ける。
俺は短い打ち合わせの通りに、一歩前に出ると、キメラの突進を警戒した。
事前の打ち合わせとは、俺が前面でキメラを止めて、ティルンの魔法で仕留めるという、計画とも言えない位の荒っぽいもの。
まだ姿を現さないキメラは、横に移動したのか、物音が右手にズレていった。
「そこっ!」
ティルンの掛け声と共に、火の玉から熱線が放たれる。
奥の方から、
「ギエエェェッ! グキギチュチッ」
という叫び声が聞こえてきた。当たったか?! と興奮する俺に、
「来るわよ!」
と注意を促すティルン。その時、大木をなぎ倒して現れたのは、巨大な黒狼の背中に、人間の上半身が無理やりくっくけられたような、異様なモンスターだった。
その首から上は黒羊の〝ような〟もので、金色の目がギラギラと光っている。
「チュギイィィッ」
とかんだかい声を発する口からは、赤黒い血まじりのよだれが垂れ、その右肩には、先程の熱線が開けたと見られる穴が空いていた。
だが、その傷は見る間にふさがっていく。それを待たずに、俺は左手のつぶてを投げつけた。
鉛のつぶてが散弾となってキメラを撃つ。その衝撃に、一瞬動きが止まると、俺は力の限りダッシュした。
そこへ黒羊の腕から火炎放射がのびる。だが上ずったそれは俺の真上を通過して、森を焼き払った。
身をかがめた俺のタックルを、意外な素早さを見せて避ける狼。バランスが悪い体にしては、ずいぶんと良い反応だ。
俺の動きに合わせてくる火炎に、ティルンの火球から熱線が放たれた。
魔力同士が反発を起こして、小さな爆発が起こる。俺はそのすきにつぶてを握り込むと、黒羊を狙って投げつけた。
すかさず避けようとする狼、その動きは素早く最適解を導き出す。
だがそれは俺のもくろみ通りだった。
散々狩りで使った追い込み猟の一つ、罠に追い込むために、あえて逃げ場を作る作戦。
右上の空間に逃げ場を無くし、左下にしゃがんだ狼の胴体を狙って、牛殺しメイスをふるう。
四桁まで行った力に振るわれたメイスは、衝撃音を伴って、狼を打った。
「ギャンッ! チュルギイィッ」
吹き飛ぶ狼に引きずられて、黒羊も後頭部を地面にぶつけてわめく。
そこへ火球から熱線が放たれたると、
「これで最後よっ!」
あげていた両手を振り下ろすと、巨大な火球自体が熱線をたどって発射された。
一瞬後に爆発する火球。それはしっかりガードした俺を、少し焦がすほどの熱を持ち、周囲を焼き払う。
爆発音に耳が「キーーン」とおかしくなる。
呆然と見る俺に、笑顔満面のティルンが拳を突き出して〝どうだ!〟と力こぶを作った。
すげぇ、すげぇよ火魔法。あれに直撃されては生きている気がしない。
だが、オーラの見える俺には、煙の隙間から何者かが動いているのが見えた。
牛殺しを油断なく構える俺を見て、杖を構え直したティルンも用心する。
その煙の中から、真っ黒に焼けただれたキメラが飛び出してきた。
黒羊の上半身は黒焦げになって焼失している。その下半身たる狼の黒い毛皮に、独特な紋様が赤く浮かび上がると、光る目が赤い残光を線引かせていた。
「ダイアー・ウルフ!」
ティルンの言葉の意味はよく分からなかったが、強敵である事は雰囲気で分かる。何よりその動きは、先程とは比べものにならないほど速かった。
俺はまっすぐ突っ込んで来るそれに鉄つぶてを投げつける。当たると思った瞬間、跳び上がったキメラが余裕で俺を越えていった。
やばい! 声を出す間もなく、ティルンの悲鳴が聞こえる。その時、首からつるした護符が、彼女の近くで爆発し、跳びかかってきたキメラを打ったが、勢いを殺すことができずに、のしかかられてしまった。
一瞬頭が真っ白になった俺は、気付くとキメラに飛びかかり、牛殺しのメイスで打ち飛ばしていた。
俺の全力をもって文字通り木っ端微塵にくだけ散る牛殺しのメイス。それを受けたキメラが吹き飛ぶと、下にされていたティルンを、
「大丈夫か!?」
と抱え上げる。息をきらせたティルンは青白い顔で、
「大丈夫、魔力の実の護符が守ってくれたから」
と爆ぜた護符の残がいを見せる。護符にこんな力があるとは知らなかったが、ティルンが無事でホッとした。
「ググゥッ」
吹き飛ばしたキメラの方からうめき声が聞こえる。俺は袋をあさって、残り少ないつぶてを握りこむと、キメラに向かってにじり寄った。
血だまりの中に横たわるキメラのオーラが段々と弱まっていく。荒い息に上下する腹からは、とめどなく血が流れ続けていた。
その中にドス黒い塊が見える。その時、キメラの中から、
「キュウゥッ」
という鳴き声が聞こえた気がした。見るとドス黒い塊の側に、小さく綺麗なオーラがへばり付いている。
チリチリとうずく額に導かれて近づくと、発光する手を伸ばした。放たれる光が黒い塊に届くと、震えて逃れようとする。それを包み込むように握ると、拒絶するかのように弾けて消えた。
大きなキメラの骸が流れ出る血とともに溶け出す。するとその中から、
「キュウゥン」
小さな動物の鳴き声が聞こえてきた。さっきの声だ、と血肉の中に手を入れてかき出すと、真っ黒な犬? 狼? がブルブルブルッと身を震わせて、シッポを振ってくる。
抱え上げると、ペロペロと頬を舐められた。俺もドロドロだが、こいつもずぶ濡れだ。血や何かの臭いに鼻が曲がりそうになる。そんな俺を見たティルンが、
「何それ? まさかダイアー・ウルフの赤ちゃん?」
と聞いてきた。
「ダイアー・ウルフって何?」
と聞くと、
「魔の森の支配者、狼の王と言われる黒狼、それがダイアー・ウルフよ。絶大な魔力と強靭な身体能力をほこり、その群れはドラゴンですら恐れると言われているわ。その子は今回のキメラの素材にされていたのね」
なんと、こんなに可愛い奴が育つと、そんなモンスターになるのか。俺の腕の中で丸くなる黒い塊、カピカピに乾燥しつつある毛並みを撫でてやると、気持ちよさそうにあくびをした。そのオーラは純粋な輝きに満ちている。
「何でキメラなんかがここに出たのかな?」
とそぼくな質問をすると、
「分からない……けど、間違いなく誰かが仕組んだ事ね。それも高度な魔法を操る何者か」
と腕を組んで考え込んだ。今回は事なきを得たが、彼女一人で来ていたらと思うとゾッとする。それは彼女も感じていたのだろう。
「ともかく、来てくれてありがとう。本当に助かったわ」
とお礼を言われた。疲れもあるのだろう、肩の力が抜けたティルンの笑顔は、とてもまぶしい。少しドキッとしてしまってもいたしかたあるまい。なにせ今世では彼女の方が年上だし、お互い体は成熟し始めているし……そんな事を思っていたら、
「でも大じじ様の服はだいなしね」
と皮肉な口調に戻って告げられた。確かに、赤黒い血で汚された服は、まだら模様になっている。浮き立つ心から現実に引き戻された俺の腕を、眠りについた狼のシッポがパタパタと打った。