Prolog
Shalckです。この作品は大体一週間に一回のペースで更新したいと思いますが、学生の為都合上遅れる場合がございます。その場合は報告したいと思いますので、よろしくお願いします。
人として何もない。それが俺だった。
名前も、家族も、家も。俺には人として何一つ持っていない、人じゃない人だった。
ストリートチルドレンとして路地裏に住み、スリと傷害を繰り返す日々。
いつしか路地裏のトップと呼ばれる様になったが、そんなものは何も嬉しくはなかった。
路地裏には幼い少女や屈強な男。様々な種類の人間がいたが、そいつらはいつの間にか消えている。
大概は奴隷商人に捕まって売られたか、兵士に捕まったかだ。拾ってもらった奴もいたが、そんなものは極小数だ。そんなお人好しが沢山いれば、この路地裏に多くの人がいることなんてない。
名前も家族も家もない俺にたった一つあったのは、名前や家族や家が無ければ全く意味のない多くの才能だった。
スリによって手に入れた文章には多くのものが載っていて、それは様々な種類が存在していた。料理、家事、剣術、体術、魔術。どれもが俺の目を輝かせた。
だが俺にそれを習う資格など存在せず、俺は路地裏で10年以上生きていた。
そんな時、人狩りが起こった。
路地裏で増殖した子供達やホームレスを、街から追い出そうとした。
俺を逃がす為に捕まる奴、自ら向かっていく奴。様々な奴がいたことも覚えている。
結果を言えば、俺は路地裏から動かなかった。人狩りと言っても、所詮相手は人間に過ぎない。自称するわけじゃないんだが、周りから才能の塊と呼ばれていた俺にとって相手にすらならない。
路地裏の王。そう呼ばれ続けた俺の前に、あいつは現れた。
燕尾服に身を包み、にこやかな笑みを浮かべたその男のことを今でも覚えている。
「貴方が路地裏の王でよろしいでしょうか?」
答えるわけがない。目の前にいる男に向かっていくと、俺は自分の全力を駆使して殴りつけた。
しかし、男はそれを躱し俺に対して手刀を向けてきた。初めての敗北。初めての強者だった。
「私はセルヴァ・オプティナス。アウストラ家の執事をしております」
執事と言う存在がなにものなのかはわからないが、確実に目の前の男は俺よりも数倍強かった。
「本日は、貴方をアウストラ家へご招待する為にここへ来ました」
「俺を招待だと? 笑わせるな。俺の住処は路地裏だ。それ以外はない」
「確かにそうかもしれません。ですが、貴方は暴れすぎた。明日、ここに国から派遣された軍が到着いたします。ここの領主であるフルベット様は貴方を、国に反乱を起こした人物として対処するようでして」
国に反乱を起こした人物と聞いて、俺は舌打ちをした。と同時に、俺は怒りが込み上げてきた。
「なら尚更俺はここに残る。ここには俺以外にも路地裏にいる奴等がいる。そいつらを逃がさないと、示しが付かない」
「確かに、そうかもしれません。ですがもし貴方がこの街を出て行くと行ったのならば、私達は全力を持ってフルベット様が軍を呼ぶのをやめていただくように進言致します。これはアウストラ家領主、シリア様の御厚意でございます」
もしも俺がこいつらに付いて行くとした、路地裏の奴等は助かる。もし付いて行かなければ、軍がこの路地裏を制圧する。答えは最初から一つしか用意されていないと言うことか。
「脅迫か」
「すみません。ですが私としても、貴方には生き残ってもらいたいのです。貴方のご両親から頼まれているが故に」
その言葉に、俺はかなり反応してしまった。
両親。俺をこの路地裏に追いやった張本人であり、俺を生んだ人物。特に憎んでいたりするわけではないが、やはりいい感情は持っていない。
「貴方が彼女達に良い印象を持っていないのは最もです。ですが、彼女達には彼女達なりの思うところがあったのです。どうかそれだけはわかって欲しいのです。理由を今すぐに言うことはできません。ですがいつか伝えられる時に、私から伝えさせて頂きます」
男が言ったことを信用できるかどうか。そんなのは決まってる。信用はできない。
今会ったばかりの男の言葉を全て信じると言うこと自体がおかしい行為だ。それに俺は今までこの路地裏で生きてきた。甘い言葉で惑わす大人のやり口は熟知している。
「本当のことを言っているのかどうかはわからない。そもそもお前が言う軍が本当に来るのか、そして路地裏を攻めて来るのかはわからない。だからこそ俺は判断できない。もっと良い材料を探してから来い」
「そうしたかったのは私も同じでございます。ですが、状況はそれを許してくれませんでした。お願いです。ご英断をしてくださりませんか?」
男が頭を下げると、その後ろから一人の女性が現れた。俺はそれに対して、身構える。
「身構えなくて結構……とは言わない。私がアウストラ家現当主、シリア・アウストラよ」
シリア・アウストラ。アウストラ家の当主である彼女のことは俺でも知っている。知力に溢れ、冷静。そして路地裏に届く程有名な、類稀なる話術とカリスマ。女性とは思えない威厳を持っているらしい。
「大物がこんなところに来てなんのようだ」
「私の言うことは信じるのね」
むっとするが、別に信じたわけではない。俺が知っている多くの情報が全て彼女と一致したからその可能性が高いと判断しただけだ。本人だろうとそうでなかろうと関係がない。
「単刀直入に言うわ。貴方に私の執事をして欲しいの。別に言葉遣いを畏まらなくてもいいわ。私には必要なのよ。戦闘に対して実力があり、必ず信じない心を持った路地裏の王である貴方が。知っているでしょう? 私は策略家兼交渉役。相手の言葉を信じなければならない立場の時もある。そんな時に信じない心を持った貴方がいれば、私はきっと騙されたりしない。必ず相手に勝利すると誓えるわ」
シリアがそう言って取り出したのは、呪縛の指輪。本に載っていたのを見ただけだが、一つの指輪を二つで分け合う。そして両方に嵌めた時に誓約を誓えばその誓約を破ることができなくなる、戒めの指輪。
「これを私に嵌める。私の誓約は貴方が私に仕える執事になってもらうこと。貴方は私に何を誓約しても構わないわ」
何を誓約しても構わないと言う言葉に、俺は目を見開いた。先程言った通り、呪縛の指輪は誓約を破ることが出来なくなる。つまり奴隷になれと誓約すればそのままそれが反映される。
貴族の女性がするには余りにも大きすぎる犠牲だ。それを言う可能性を入れていないわけではないだろうが、これをそのまま言えると言うのはただ事ではない。
そう思っている内に、シリアは自分の左手の小指に指輪を嵌めた。そして俺に向けて誓約を誓う。
「誓約するわ。私の執事になりなさい」
次の瞬間、指輪は半分のところで折れて二つになった。片方がシリアの右手に落ち、それを俺に渡してきた。
正直なところ、迷っている。ここまでのことができる女性がいるとは思っていなかったし、本当にこのままで誓約をしていいのかと言う不安に襲われる。呪縛の指輪が偽物の可能性は有り得ないし、だからと言って偽物だったところで殺せばいいだけの話だ。
「誓約する。俺に嘘、偽りを絶対に話すな」
俺は指輪を受け取った。嵌めとってから言った誓約に、シリアは若干の笑みを浮かべる。それは侮蔑でも苦笑でもなく、喜びの笑みだった。
「っ!」
一方的に結ばれた可能性を考えて急いで指輪を見てからナイフを構えるが、それを執事の男に止められた。
「呪縛の指輪は本物よ。私は嘘や偽りを言うことができなくなった。だから嬉しいのよ。私の言葉を最初から信じていなかった。だからこそ信用させる為に嘘や偽りを言わないようにした。それは、私を信用したいと言う表れでしょう?」
今考えればそうかもしれない。ナイフを下ろすと、俺はシリアを睨みつけた。
「俺を制御できると思わないことだな。シリア」
「そうね。だけど大丈夫。貴方は私の執事だもの」
くすりと笑みをう変えたシリアに、内心俺はドキドキしていた。シリアは可愛い。それは10人中8人がそう言うだろう。整った顔立ちに水色の短髪。青く全てを見通す様な瞳に、理知的なメガネ。胸は慎ましいものの、その雰囲気はまさに天才を体現している。
「でも私は、貴方のことを何て呼べばいいのかしら? 私の頼もしい執事さん?」
――名前。俺が持っていない、人して重要な一つ。俺には必要ないとして、路地裏の王として生きてきた。だが今、その名前を欲している。なんと名乗ればいいのか。
「名前を持っていないの? なら私が付けてあげる。路地裏の王。そうね……。トーマ。トーマでいいわ。貴方の名前はトーマ。ファミリーネームは来る日に教えてあげる。それまではただのトーマよ」
ファミリーネームなんてものは別になくてもいいんだが。今まで持っていなかったものが増えただけた。そういるものでもない。
「ここの奴らはどうなる?」
「さっき聞いたとおりよ。私が何とかしてあげる。少なくとも私の領地で生活出来るように手筈はしてあるわ」
それを聞いてほっとした。それにしても、俺がどちらを選ぼうと、こいつらはこの路地裏の住民を領地に案内するつもりだった。別に嘘をついたわけでもないし、そもそも言ったのはセルヴァだから関係ないが。
ともかく俺は、新しい一歩を踏み出すことができるらしい。