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喜びと痛みと

「久しぶりはこっちの台詞だ、この野郎め。今までどこほっつき歩いてやがった」


 足元に溢れる真っ赤な液体をばしゃばしゃと掻き分けて、人懐っこい笑みを浮かべたそいつがセインの肩を抱く。


『アノ、オ召シモノヲ』


 いつの間に用意したのか、大人用の服一着を持った真っ赤三つ編みがたたたーってセイン達のとこに駆け寄ってく。

 あ、ずるい。さっきは止めたくせにー。負けじと僕もセインの元に駆け寄った。もちろん床が濡れてるから、滑って転んだりしないように注意しながら。


「おぉ、ありがとな。気が利くじゃねーか、お前」


 一歩離れたとこで止まった真っ赤三つ編みが差し出した服を、にこにこと笑いながらそいつ、ジェノスだっけ? が受け取る。


「良かったな、セイン!」


 その様子を横目で見ながら、僕はセインに満面の笑みを浮かべて話しかける。


「えぇ、本当に」


 そう言って微笑むセインの表情にはほんの少しだけど影があるような気がした。嬉しいんだけど、心の底からは喜びきれてない。そんな感じの顔だ。何か気がかりな事でもあんのかな?


「んー? お前、良く見りゃいっつも俺の様子を見に来てるがきんちょじゃねーか」


 服を着終わったジェノスがしげしげと真っ赤三つ編みの顔を覗き込んだ後にぽつりと言った。


『私ノ事ガ分カルンデスカ?』

「そりゃあ、スリープモードに入ってても薄ぼんやりとは周囲の状況は分かるからな。毎日のように来てるヤツの顔くらいは覚えられるさ」


 わはは、と乱暴に真っ赤三つ編みの肩を叩く。


「もちろん、いつもお前が俺の事を殺したそうな目で見てた事も、な」


 ぐちゅ、と熟れ過ぎた果物を踏み潰した時みたいな音が、機械の動きが止まって静かになった部屋の中に響く。


「だからこれは褒美だ。スリープモードの俺がはっきりと顔を認識出来るくらいに明確な殺意を毎日毎日飽きることなくぶつけ続けてくれた事のな。その熱意に敬意を表して、お前は一番最初に祝福してやるよ」


 ごぷり、とどんな時でも閉ざされ続けてた口から真っ赤な液体が溢れる。ぼたぼたと床に落ちたそれは、澄んだ透明な赤を濁った赤に変えていく。


 正直な話、あんまりにも唐突過ぎて最初は何が起きたのかうまく理解出来なかった。つーか、今でも良く分かってない。頭が理解する事を拒否してる。


「心配すんな。ここにいるヤツら全員お前とおんなじように祝福してやっから」


 頭でも撫でるみたいな気軽さで深々と真っ赤三つ編みの胸に突き立てられたジェノスの手がずるりと引き抜かれる。支えを失った身体が力なく床に倒れ伏す時に響いた大きな水音で、はっと現実に引き戻された。


「んじゃ、次はそこのお前な。下手に動くと心臓に当たって死んじまうから、出来るだけ動くなよ?」


 でも、今度はそのせいで身体がすくんで動けなくなっちまった。ぬらぬらと赤く光る手が、いまだに人懐っこく見える陽気な笑顔が、僕の身体をその場に縫い止める。

 何のためらいもなく突き出された手は、でも急に僕の身体が抱き寄せられたおかげで掠りもしなかった。


「リーオ、しっかりして下さい。落ち着いて」


 耳元で囁かれた言葉に、真っ赤に染まってた視界がクリアになる。けたたましく鳴り響く警報が鼓膜を打つ。

 さっきまでは赤かった照明は今では白に変わってて、ジェノスの着てる真っ白な服と、血で真っ赤に染まった手をより鮮明に対比させてた。


「なんだよ、邪魔すんなってー。お前にもちゃんとやってやっからさー」


 まるでおもちゃを取り上げられた子供みたいな顔でジェノスが口を尖らせる。そこに、ようやくショックから回復したらしい真っ白コートとでっかいのが飛びかかったけど、二人ともあっさりと片手で壁に叩きつけられた。


「くっ、戦闘要員ではナい我々では足止めニもナりませんか……」


 ふらふらとおぼつかない足取りだけど、真っ白コートがぎらぎらとフードの奥の両目をたぎらせて立ち上がる。


「しかし、こノまま引き下がる訳ニもいきませんよネ、サー=マーティン?」

「もちろんだ。こうなったのは悲願の達成を目前に浮かれて、暴走するかもしれない可能性を見落としてた私達の責任だからな」


 でっかいのは立ちあがると、手近にあった機械の部品をむしり取って即席の武器を作り上げる。


「なんだ、お前ら? このちびよりも先に祝福して欲しかったのか?」


 全身から殺気を放ってる二人を前にしても、ジェノスに怯んだ様子は一切なかった。むしろ、遊び相手が見つかって楽しそうにしてるようにすら見えた。


「ジェノス」


 今にも眼前の二人に飛びかかろうとしてたそいつの背中に、セインが言葉を投げかけた。


「何故こんな事をするんですか? 俺の知っている貴方はこんな風に徒に誰かを傷つけるような人では無かったはずです」


 その声には疑問と驚愕、そして確かな拒絶がないまぜになってた。詰問するようなその口調に、ジェノスはいたってのんびりとした調子で答えた。


「逆に聞くけどよ、お前は俺達の最後の決戦の事覚えてっか?」


 視線はセインの方に向けたまんま、背後から振り下ろされたでっかいのの一撃をひょいっと避ける。


「あん時にさ、俺、敵の総大将と面と向かって話したんだよね」


 続いて左右から繰り出された二人の挟撃も、身をかがめて難なくかわすと、何事も無かったみたいに言葉を続ける。


「そん時俺ってばぼっこぼこにやられちゃってさー。そんな風に一方的にやられちゃうなんて初めての経験でさー。んで、俺気付いたんだよねー」


 何、こいつ。セインも強かったけど、こいつも物凄く強い。二人がかりで襲ってきてんのに、そいつらの方を一目も見る事無く攻撃を全部かわしてる。あり得ないよ、こんなの。


「生き物ってさ、痛みを感じてる時が一番強く自分が生きてるって事を実感できるんだなぁって」


 無邪気に笑うその顔に、背筋をぞくりと怖気が駆け上がってった。

 駄目だ、こいつは怖い。怖くて怖くてどうしようもない。どうしようもする気が起きない。


「だーかーらー、俺は決めたの。この気持ちを皆にも味わわせてあげようって、俺が皆の命を祝福してやろうってさ。俺はもう喜びの『Genoss』じゃなくって、痛みの『genocide』なんだよ」

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