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逃走

「ぬ! 待て、貴様!」


 路地へと逃げ込んだ僕の背中に野太い声が追いすがる。僕はわざといつも通ってる隠し通路への最短コースを通らず、一番手前の曲がり角で脇道に逸れた。遺跡に通じる道を探してここの路地は何度も何度も徘徊したから、どこをどう行けば目的地に着くのか見取り図は頭ん中に入ってる。


「ちくしょう! どこに行きやがった!」


 早々に僕の姿を見失ったらしく、少し離れたとこから怒声が飛んでくる。初めて足を踏み入れるに違いない場所で、おまけに満足に先も見通せないくらい暗いんだ。当然っちゃあ当然の結果だよね。

 それでも、追ってくんのは一人だけじゃないから十分周りを警戒しながら入り組んだ路地を走り抜ける。


「はぁ、はぁ、はぁ……着いた!」


 見慣れた木箱の山に足早に近づくと、なるべく音をたてないようにしながらそれらをどかしてく。


「マーティンノ愚図からは逃げられても、こノ私からは逃げられナいよ。坊や」


 箱を全部どけ終わり、通路の入口に手をかけたとこで背後にぴりぴりとした気配を感じた。床板にかけた指に力を込めながら後ろを振り向く。


「大方そノ木箱ノ山ニ隠れて我々をやり過ごそうとでも考えていたノだろうけど、少しばかり考えが甘かったようだネ」


 全身をフード付きのコートで覆った人物がそこにいた。暗闇の中で二つの瞳が異様なまでにぎらぎらと金色の光を放ってる。


「君がどんナニ上手ニ隠れようとも、私ノ耳から逃れる事は出来ナいんだよ」


 この突き当たりの入口あたりに立ってるそいつは、追い詰めた獲物をいたぶって遊ぶようにわざとゆっくりと近付いて来る。僕はちらっと眼だけを動かして近くにある木箱の位置を確かめた。


「さぁ、観念するんだ。何も酷い事をしようと言う訳じゃナい。ただ、少し我々ノ質問ニ答えてもらうだけさ」


 僕との距離があと十歩くらいっつーとこまで来た時、僕は素早く行動を起こした。

 床板を軽く持ち上げ、そこにつま先をはさむと、一番近くにある木箱を両手で抱えて目の前のそいつめがけてぶん投げる。投げた後は立ち上がんのと同時に足で床板を蹴り上げ、相手の反応を確認する事なく隠し通路へと逃げ込んだ。





 遺跡から街に帰る時も思ったけど、セインが僕の石灯を回収しててくれて本当に助かった。ほんの数時間前に通ったばかりの道を今度は逆に辿りながらそう思う。今度は下手に遠回りなんかしたりせず、記憶にある通りの、最短ルートを通ってる。


「はっ、はっ、はっ……」


 ずっと走りっ放しだから息が苦しい。ううん、これはそれだけが原因じゃない。休みたいけど休んでなんかいらんない。だってちょこっと目くらましをしたとはいえ、僕のすぐ後ろにいたんだ。大した間も開けずに追って来てるだろう。なんか、耳の良さに自信があるみたいだったし。


「はっ、はっ、セイン……!」


 考えてみれば、あそこで逃げ出したりせず普通に質問に答えてればこんな事にはなんなかったのかもしんない。普通に「知りません」「はい、そうですか」で終わったのかもしんない。

 でも、なんていうか、心の奥底の、本能とかそんな感じのものがあいつの質問を聞いちゃいけないって警告してた。それに、たとえもし本当にただ単に質問されて答えて「はい終わり」ってなるはずだったとしても、あんな異様な光景を引き起こしたヤツらだ。そんな風になる可能性は低い。


「セイン……セイン……!」


 走りながらちらっと後ろを振り返ってみたけど、追手らしき姿は見えなかった。でも、暗いから姿が見えなかっただけで、息が荒いから足音が聞こえなかっただけなのかもしんない。確実に安全だと思える場所に着くまで安心なんて出来ない。


 そして、今確実に安全だと言える場所と言われて真っ先に頭ん中に思い浮かんだのはセインの顔だった。


 何故だか分かんないけど、セインのとこまで着ければ大丈夫だっていう確信があった。それと同時に、あいつらをセインに会わせちゃいけないっていう予感も頭の隅の方に転がっていた。

 その予感はとても小さなもので、どきどきとはやる僕の今の頭では到底気付けないくらい小さかった。


「はっ、はっ、着い……た!」


 中心部分に大穴の開いたホールまで辿り着き、その穴に立て掛けられたまんまの梯子を転がるように降りる。両足が地に着いたとこで身の丈の三倍近くある梯子をぐいっと引っ張り、半ば地面に叩きつけるようにして倒した。


 これでそう簡単には降りらんなくなったはずだ。飛び下りても死ぬわけじゃないのは僕が実証済みだけど、あいつらはそれを知んないからきっと躊躇するはずだ。穴を見上げてその先にまだ誰もいない事を確認したとこで、僕はその場を早足で離れた。





「セインッ!」


 ほとんど体当たりするようにドアに取り付いて、外開きのそれを勢い良く開け放つ。


「セイン、いるっ!?」


 ぜいぜいと荒い息を堪えて、家中に響けと大きな声を張り上げる。でも、十秒経っても二十秒経っても、ううん、それ以上の時間が経っても何の反応も返って来なかった。


「セイン? いない、の……?」


 しんと静まり返ったままの室内で、言いようのない不安が足元から這い上がってくる。さっきまでは無条件に心の底から安全だと信じてたものが、実は全然そんな事無かったんじゃないかって疑問が鎌首をもたげてくる。

 ぜいぜいとせわしない呼吸とは別に、きりきりと胸の奥が痛い。


「セイン! セイン!?」


 台所のドアを開け、次に廊下のドアを開け、寝室、客間、書庫と確認してくけど、どこにもセインの姿は見当たんなかった。どこ行ったんだ、あいつ?

 他にまだ探してないとこは、と考えながらとりあえず開けっ放しの玄関を閉めとこうって事で居間へと戻る。

 居間に誰もいない事を確認した後、いそいそと玄関に近寄り、素早くドアを閉める。ふぅ、これで一安心……って、あっ! 植物園! そういや植物園まだ確認してない!


 すっかり頭ん中から抜け落ちてた可能性を思い出して、裏口に行こうと僕は勢い良く振り向く。そして、見つけた。


「やぁ、中々ニ良い家だネ。君は普段ここニ住んでいるノかい?」


 なんつーか、もう軽く見慣れ始めてるだぼっとしたコートの、真っ白い柱みたいなシルエットを。


「あ……」


 廊下に通じるドアの前に立つそいつの姿に、思わず後ずさりしちまってドア板に背中をぶつけた。台所に通じる方のドアの前には真っ赤な三つ編みのヌートだっけ? が陣取ってる。


「先程ノとは違うもノニナっちゃうけど、一つ質問しても良いかナ?」


 声と共に一歩近付いて来る。僕はさらに後ずさろうと無駄な努力を試みて、左手に当たる冷たい感触に気付いた。ドアノブだ。


「ここニあるもノは全部君が見つけた、もしくは作ったもノナノかい?」


 さらに一歩。

 今なら逃げられる。こいつらは僕の目指してる場所を知らない。だから、こっちから植物園に行くのはちょっと遠回りになっちゃうけど、それでもどっちに行ったのか少しでも迷ってくれれば十分イケる。

 そう思ってドアノブにかけた左手にぐっと力を込めたんだけど、僕は一つ大事な事を忘れてたんだ。


 そう、こいつらは三人組だって事を。

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