転
そこで一旦言葉を切ると、そいつはゆっくり自分達を取り囲む人垣に視線を巡らした。
……なんだろ、あいつの目が僕の肌をなぞった瞬間、背筋を冷たいナイフで擦り上げられたみたいな怖気が走った。
「な、なぁ、おっちゃん。早く帰んない?」
「はぁ? 俺はあのお方達とまたお目にかかれんのを昨日一日中待ってたんだ。帰んなら坊主一人にしな」
周りに聞こえないようにぼそりと耳打ちしたんだけど、あっさりと断られちまった。つーか、なんだかあいつらの姿を見てから、おっちゃんの目がとろんとしてて生気に乏しいような……? でも、僕の思考はそこで断ち切られた。
「憂世の徒、サー=マーティンが問う! 貴様らは『ロボット』という単語を聞いた事があるか? もしくは死んだ人間のように体温の低い人物に出会った事はあるか?」
何故なら、その言葉を聞いた瞬間おっちゃんの腕から力が抜けて、思いっきり尻もちをついちまったからだ。
「ちょっと! 何すんだよおっちゃ、ん……?」
突然の仕打ちに腰をさすりながら抗議の声を上げようと振り返った僕は、両腕を力なくだらんと垂らし、虚ろな目でぼんやりと宙を見つめてるおっちゃんの様子に息をのんだ。慌てて周りの人に助けを求めようと辺りを見回したけど、皆おんなじような感じで突っ立っていた。
「な、なんだよ、これ……」
まるで魂を抜かれちまったみたいな皆の様子に立ち上がる事も忘れて呆然としてると、人ごみの端の方からぶつぶつと声が聞こえてきた。その声に耳を澄ますと、
「聞いた事ありません会った事ありません」
「聞いた事ありません会った事ありません」
「聞いた事ありません会った事ありません」
「聞いた事ありません会った事ありません」
一字一句おんなじ言葉が聞こえてきた。しかも、その波は段々近づいて来てる。波はあっという間に僕のいるところまで来て、
「聞いた事ありません会った事ありません」
「聞いた事ありません会った事ありません」
「聞いた事ありません会った事ありません」
「聞いた事ありません会った事ありません」
そしてあっさりと通り過ぎてった。
不気味な声の波は反対側の人ごみの端まで行ったとこで終わったみたいだった。
突然の出来事に理解が追いつかない。皆に何が起こった? なんでこんな事が起きた? さっきの言葉の波は一体何だったんだ?
ぐるぐると疑問だけが頭の中を渦巻いてる。
「サー=ミディ、今の声の中で当たりはあったか?」
嵐の前の静けさ。昨日セインのとこで読んだ本の中にあったこの言葉がぴったりくるような、物音一つしない静寂の中でさっき聞いたばっかの野太い声が響く。
「残念ナがら無かったネ」
その声ではっと我に返った僕の耳に、妙に甲高い声が最初の声から一拍遅れて聞こえてくる。
「そうか、やはりな。ではさっそく次に――」
「ただ、興味深い事ナらあるネ」
何者だ、こいつら? 半ば作業化してるような、答えなんて聞く前から分かってるとでも言いたげなやり取りに、僕は得体の知れない恐怖を感じて無意識のうちに身体を強張らせる。
「なんだ? 話してみろ」
「今ここニ集まっているノは八十三人。でも、私が質問ノ答えを聞いたノは八十二人ナんだ」
「つまり、一人我らの催眠にかかっていない者がこの場にいる、と?」
「そういう事ニナるノかナ?」
間違いない。その一人ってのは僕の事だ。こいつらが皆に何をしたのかは分かんないけど、ついさっきまでセインのとこにいた僕はその「何か」の影響を受けなかったんだ。
……だとしたら、たぶん、いや間違いなくまずい事になる。
こいつらはきっと、この街に来たっつー一昨日の時点からその「何か」を仕込んでたんだと思う。じゃないと、僕だけがその「何か」の影響を受けてない説明が付かない。
そして、こいつらの口ぶりからして恐らくその「何か」ってのは街の人全員にかけられてんだ。それなのにその「何か」の影響を受けてないヤツがいたら絶対にそいつは怪しい。何かある。そう考えてもおかしくない。
「そいつがどこにいるのか、分かるか?」
「勿論さ」
心臓は痛いくらいに高鳴ってんのに、頭は何故か怖いくらい冷静に状況を分析してた。自分の置かれた立場を理解し終わった僕が取るべき行動は一つ。この場から、逃げる……! こいつら絶対危ない!
ぎゅっと両手を握りしめて、いざ立ち上がろうとした時、不意に僕の姿をあいつらから隠してた人ごみが割れた。
「そこだよ」
コートの裾から覗く、病人のそれみたいに青白い痩せこけた指が真っ直ぐに僕を指差していた。フードの奥から覗くぎらぎらとした二つの金色の目が僕の身体を射抜く。
その瞬間、僕は弾かれたように駆け出していた。目指す場所は一つ。
遺跡だ。
こいつらはつい最近この街に来たばっかで、たぶん一度も遺跡の居住区以外の場所には足を踏み入れた事がないはずだ。街の人全員にあいつらの行なった「何か」の影響が及んでる可能性があるんなら、街ん中に逃げるのは得策じゃない。それに、どうせ上に逃げても、一人じゃ森へと続く桟橋は動かせないんだ。
だったら残る選択肢は一つ、下に逃げるしかない。




