出会い
「よっ……ふぉ」
石灯の持ち手を口に咥えた状態で、腕いっぱいに伸ばしてもまだ人一人分くらいある高さから床へと着地する。その際に、どすん、とも、ごすん、ともとれる大きな着地音が、大人が五十人は余裕で入れんじゃないかってくらいにだだっ広い空間の中に反響するけど、この空間は何故か貴族どもに使われてない、つまり全然人の来ない、部屋だから一切問題ない。
「さーてっと、今日はどこ行くか。まずは九層まで降りなきゃだけど」
近くにあるはずの出口を探して、石灯から出る光を周囲に向ける。八層はほとんど貴族どもの住居として使われてるから、まともに遺跡探検が出来るのは九層から下だけになる。つっても、十層で終わりって訳じゃなくただ単に人が住んでるエリアの中では一番下ってだけだから、その下にもまだまだ広大な遺跡が広がってる……らしい。
だって僕、そこまで行った事無いし。
とりあえずは十層から今まで行った事無いとこに足を運んでみようかな。まだまだ夕暮れまではたっぷり時間あるはずだし。遺跡探索の難点は空が見えないから時間が分かんないって事だなぁ。この間も、戻って来てみたら辺り真っ暗だったし。母さんに怒られるのはやだから、もうあんな失敗はしたくない。
部屋を出た先にあるのは四、五人くらい並んで歩けるほどの幅の長い廊下。この部屋は廊下の突き当たりに面してるから、下に行くための階段までは少し距離がある。
でも、何故かここら辺歩いてて一度も、守備隊の巡回に出くわした事無いんだよなぁ。こんだけ広い空間なのにさ。不思議っちゃあ不思議なんだけど、万が一守備隊のおっさん達と鉢合わせしたら冗談抜きで大変な事になるから、それはそれで困る。遺跡探検なんて要はただの不法侵入だし。
なんてやってるうちに階段に到着。廊下のサイズに合わせた大きさで、階段部分は丸々吹き抜けになってる。
その吹き抜けから下を覗いて、近くに発光輝石の光が無い事を確認する。今まで出会った事がないからってこれからも出会わないとは限らないし。なるべく足音をたてないようにして素早く階段を降り、十層まで移動する。
この十層は全ての階層の中で一番広くて、その分貴族達に使われてないスペースも広い。
そして、取手の無い透明なドアっぽいものとか壁に開いた卵形の穴とか、良く分かんない物もいっぱいある。
もしかして貴族どもはこういう良く分かんないものが無いスペースを選んで暮らしてるから、階層全体の調査はとっくに終わってるのに人の住まないスペースが多いんじゃないかとか思ったりもした事もあったけど、一度引越しの手伝いで九層の中に入った時ここら辺にあるものとおんなじのを見かけたから、それは違うって知ってる。じゃあなんでって訊かれたら答えらんないのは変わらないけども。
えーっと、この間はこっち行ったから、今度は反対側行ってみよう。何度か通った事のある道を考えごとしながらぶらぶらと歩いてたら丁字路に差し掛かったので、今まで行った事の無い左側の道を行く事にした。
その際、肩に提げたバッグから白のチョークを取り出し、壁に進行方向に向けて矢印をつける。こうしておけば、内装にほとんど変化の無いこの通路の中でも迷う事はない。道が分かんなくなったら矢印逆に辿っていけば良いから。
もちろん、次来た時その矢印のせいで道間違える事がないように、帰る時には手の平で擦り消しておく。消した跡は、顔を近付ければ分かる程度には残しておくから、それで以前通った事のある道かどうかを判断してる。
どうせこっちの道も今までとおんなじで大した発見もないんだろうけど、それでもやっぱり胸の高鳴りは抑えられない。暗く、静寂に満ちた通路を、僅かな明かりを頼りに手探りで進んでいくこの感じが好きなんだ。進んだ先に何もないのは分かってる。だって、何かあったら、何十年も前の調査の時にとっくに持ち去られちゃってるだろうから。
でも、もしかしたら――。その「もしかしたら」が僕の足を動かしてる。何日も、何週間も、何ヶ月も僕の足を動かし続けてる。
探検を始めてしばらく時間が経った。いくつかここへの入口代わりに使ってる部屋並に大きな部屋を見つけたし、それより多くの小さな部屋も見て回った。何度か分かれ道に差し掛かって、その度に気分で右か左か、はたまた直進かを決めた。
既にだいぶ歩いたけど、やっぱり今日も目立った発見はなかった。壁に変な黒くて薄い板が取り付けられてたり、長方形に亀裂が入ってて、その脇に何かボタンっぽいものがついてたりしてるのを何個か見つけたけど、それらは前にも見つけた事があったからそこまで珍しくはない。
僕が見つけたいと思ってるもの、十層より下へといくための階段、は今日もまた見つけられなかった。
「……ん? 何だ、あれ」
十字路に行き当たり、区切りも良いし今日はここまでかな、と近くの壁にここで探検を終了した事を意味するバツ印を書き込んだとこで、視界の端に光が瞬いた。
それは発光輝石の放つ少し青みがかった光ではなく、自然の光のように柔らかな輝きだった。もしかしたら――。そんな思いが僕の足を突き動かす。勝手に早鐘を打ち始める胸を抑えようともせず、僕は光が瞬いた場所へと急いだ。
光の元に辿り着いた時、その正体を見て僕は落胆した。
何と言う事はない。天井に取り付けられてる細長い棒状の物体が点滅していただけだった。でも、これで至るとこで見かけていた、つーかどこ行っても見つけられた、天井にくっついてた謎の物体が照明だった事が判明した訳で、本当ならジャンプでもして喜びたいとこなんだけど、僕の勝手に高まってた期待感を満たすほどの発見じゃなかった。
「はぁ、なんか損した気分」
思わず口を突いて出た溜息とともに視線を下へと向けたとこで、僕の動きがぴたりと止まった。
「……うそ、やった……! ついに見つけた!」
視線の先にあったのは、九層の探検を終え、十層に降りるようになってからずっと探していたもの。十層のさらにその下へと降りるための階段だった。ただ、僕の知ってるものとは少し形状が違って、何故か知らないけど両端だけじゃなく真ん中にも手すりがあって、分厚いほとんど仕切りのようなその手すりで階段は真ん中から二つに分断されてた。
でも、そんな事は今はどうでも良い。問題は下へ降りる手段が見つかったって事。
「ちょ、ちょっと下を見てみるくらいなら、今からでも別に良い……よね?」
自分に言い聞かせるように呟き、僕は恐る恐る階段に足をかけた。軽く体重をかけてみて、いきなり床が抜けるような事がない事を確認すると、ゆっくりと一歩一歩踏み締めるように階段を降りる。きっと何かあるに違いない。そんな期待が胸の中を埋め尽くしてく。
階段を降りた先に待っていたのは、さっきまでと何も変わらない音の無い無機質な通路。でも、今の僕にはそれすらいつもと違って見える。どくどくと脈打つ鼓動さえも反響して聞こえそうなほど静かな空間をゆっくりと歩いて行く。
通路はすぐに終わり、今度は広い空間へと出た。天井がやけに高く、僕の持ってる石灯程度の光量ではぼんやりとしか照らし出せないけど、どうやら十層の床もぶち抜いて作られてるらしい。さしずめホールか何かだったんだろう。天井だけじゃなく部屋自体もかなり広いし。
そう思って石灯の光を床に向け直したとこで、
「ん?」
ホールの恐らく反対側だろうあたりでその光が何かに反射した。また何か見つけられるかもしれないと胸を弾ませながら早足でホールを突っ切って行く。そして、その「何か」が薄ぼんやりとした光の中ではっきりとした輪郭を見せた時――
――僕は落ちた。
情け容赦なく、一片の躊躇いもなく、無慈悲に落ちた。内臓が浮き上がるような気持ち悪い浮遊感のあと、地の底まで引きずり込まれるかのように落ちた。
落下時間はほんの数秒だったんだろうけど、体感的にはその何十倍にも感じた。その後、盛大な音を立てて僕は再び地面へと帰って来る。
「いったぁー……」
頭をさすりながら体を起こす。どうやら下が柔らかかったおかげで助かったみたいだ。あと、一緒に落ちた瓦礫が運よく僕と地面との間に割り込んでこなかった事。
……って、これ、本当の土じゃん。床(地面?)についた手の平から伝わる少し湿った、金属とはまた違うひんやりとした感触に目を見開く。
だってこの街は岩と砂に囲まれた渓谷の中にある街で、それらを加工して自分達で作り出さない限りは土なんてないからだ。しばらく触り慣れてないその感触を確かめるように、手に取った土を握ったり揉んだりしていたけど、はっと我に返った僕はすぐさま周囲を見回し、次に上を見上げた。
だいぶ上の方に僕が落ちてきたと思われる大きな穴が目に入った。なるほど、床が抜け落ちたのか。どうやらここはさっきのホールとおんなじものみたいだな。天井の高さも部屋の広さもだいたいおんなじくらいだし。ただ唯一、床の材質が金属か土かという点に違いがある。
「つーか、どうやって帰ろう……」
周囲に梯子代わりに使えるようなものはないし、石灯は落下の際にどっかいっちゃったし……って、あれ? じゃあ、なんで今僕は灯かり無しで周囲の確認が出来てんだ? その事実に気付いた僕はもう一度周囲に視線を向ける。
そして気付いた。真正面に開け放たれた大きなドアがあり、そこから光が部屋の中へと入り込んでる事と、そのドアの陰からこっちを覗きこんでいる誰かがいるという事に。
「あ、さっき大きな音がしたので来てみたんですけど、あの……大丈夫ですか?」
純粋にこっちの心配をしてる声音でその人影、逆光で良く見えない、が訊いてきた。
「え……うん、まぁ、なんとか」
思いっきり予想外の出来事に、つい見知らぬ人影に対する警戒も忘れ、素で答えてしまった。