ポイズン・スパイダー
1
小さな森の中の、泉のほとり。
その生き物は、うずくまっていた。
人が見れば、取るに足りない生き物であるかもしれない。
だが、その生き物は、その生き物なりに、自分の生活に満足していた。
水面に映る木々の緑と、そよそよと体をなでる風。
ほっこりとした陽だまり。
のどかだ。
人でいうなら幸福に近いものを感じていた。
だが、その幸福は、長くは続かなかった。
「いたわ。
ポイズン・スパイダーよ」
「そやな。
そない表示されとるわ。
ちっこいから、森におると見つけにくいんやな。
こんなふうに泉のそばにおってくれたらええな」
人間の女と男である。
二人とも、手に木の棒を持っている。
女が、棒でポイズン・スパイダーをたたいた。
痛い、痛い、痛い。
ポイズン・スパイダーは心で泣いたが、人間たちの耳には届かなかった。
たとえ届いたとしても気にはしなかったであろうが。
男が棒でたたいた。
女が棒でたたいた。
痛みと苦しさの中で、ポイズン・スパイダーは、死んだ。
2
それから、どれほどの時間がたったか。
その生き物は、また生まれた。
ポイズン・スパイダーとして。
そして、また殺された。
何度も何度も、殺された。
殺されるたびに、生まれ変わった。
人間は、一人か二人で来た。
木の棒かナイフで襲ってきた。
まれに剣や魔法で攻撃する人間も来た。
痛かった。
苦しかった。
嫌だった。
なぜ自分がこんな目に遭うのか。
なぜ人間は自分にこんな仕打ちをするのか。
反撃しようとした。
唯一の攻撃方法は口から飛ばす毒液である。
これは人間を少しのあいだ麻痺させる。
体力も少し削ることができる。
何度も何度も毒液を浴びせれば、人間を倒すこともできよう。
しかし、ポイズン・スパイダーの動作は速くない。
毒を飛ばそうとする動作は見ていれば分かるらしく、かわされてしまう。
一度毒を飛ばせば、時間を置かないと次の毒を飛ばせない。
人間は、しびれを治す薬を持っている。
まともに戦っても勝ち目はない。
ポイズン・スパイダーは、殺され続けた。
恨みが積もっていった。
おのれを殺す人間が。
殺させる世界が。
憎い。
憎い。
憎い。
やつらが自分を殺すなら、自分もやつらを殺してやる。
そう思いながら人間に殺され続けた。
しかし、ある日ポイズン・スパイダーはチャンスをつかんだ。
目の前に人間がいる。
背を向けて、ジャイアント・スパイダーと戦っている。
ジャイアント・スパイダーは深手を負っているが、人間も傷ついている。
人間が大きくナイフを振りかぶって、ジャイアント・スパイダーにとどめを刺そうとしている。
ポイズン・スパイダーは、必死に近づいた。
射程まで、あと少し。
人間が自分に気付いたら、自分は死ぬ。
また一歩、また一歩、ポイズン・スパイダーは前進した。
人間が、ジャイアント・スパイダーを殺した。
ジャイアント・スパイダーは消え、あとにドロップアイテムが残った。
毒消しの薬だ。
人間がそれを拾おうとした。
そのとき、ポイズン・スパイダーは毒液を吹き付けた。
人間の腰にかかった。
人間は、動けなくなった。。
ポイズン・スパイダーは、二発目の毒液を放った。
ジャイアント・スパイダーとの戦いでぎりぎりまで体力を失っていた人間は、毒液のダメージで、死んだ。
人間が消えた。
ポイズン・スパイダーは、望みを果たしたことを知った。
全身が充足感であふれた。
そのとき、ポイズン・スパイダーを異様な感覚が襲った。
脳みそが揺さぶられる。
意識を失った。
まるで死ぬときのように。
3
「あちゃー。
ポイズン・スパイダーに殺されちゃったよ。
ギルメンに話したら大笑いだな、こりゃ。
まあ作ったばかりのキャラで、デスペナないから、いいけど。
けど、ポイズン・スパイダーって、ノンアクティブだよなあ。
攻撃した覚えはないんだけど。
何で攻撃されたんだろ」
4
気が付けば、シルバー・ウルフに生まれ変わっていた。
草原を走った。
速く走れることが、こんなにも気持ちよいものだとは知らなかった。
だが、ここにも人間は来た。
逃げたが、逃げそこねて殺されることもあった。
何度も何度も殺され、そのたびにシルバー・ウルフとして生まれ変わった。
人間から攻撃されると、反撃したい気持ちに激しく突き動かされた。
そういうときは、心は逃げようと思っても、体は人間を攻撃した。
自分を攻撃した人間に敵意を抱き、攻撃し続ける。
その衝動には逆らえなかった。
おのれの意志ではないものがおのれを支配しているこの事態を、シルバー・ウルフは憎んだ。
だがどうやら、仲間たちは攻撃されないかぎり自分からは攻撃しない。
しないというより、できない。
自分はできる。
これは利点である。
利点は活用するべきである。
ある日、一人の剣士が、五匹の仲間を相手取っていた。
シルバー・ウルフは、目的もなくうろついている振りをしながら、少しずつ近づいた。
そして、噛みついた。
大成功であるが、そのあとすぐに殺された。
たったの一撃で。
殺されては生まれ変わる繰り返しが続いたある日、シルバー・ウルフは思いがけない光景を見た。
一人の人間が、槍を振り回しながら、十匹近い仲間と戦っていた。
次々に仲間は殺されていく。
と、少し離れた位置にいた仲間が、攻撃もされていないのに、すすっと人間に近寄った。
そして、その強そうな人間を、たった三回の攻撃で殺してしまったのである。
よく見れば、仲間たちより少し体が大きく、紫がかった毛色をしていて、目が怪しく光っている。
「こちら、ランサーです!!
現在、魔狼の森の南西地点!!
ダイアー・ウルフに殺されちゃいました!!
エリア内に、BISさんおられませんか!!
おられたら、リザお願いします!!
レア武器なんで、ロストしたくないいいいいい!!
助けてえぇぇ!!」
死んだ人間が、消えもせず、何か叫んでいる。
だが、死んだ人間など、どうでもいい。
シルバー・ウルフは、感動していた。
目の前で見た光景が、脳に強く焼き付けられた。
ダイアー・ウルフが噛みついて、人間がなすすべもなく死ぬ瞬間が。
人間は狩る側で、モンスターは狩られる側だと思っていた。
だが、人間を簡単に殺せるモンスターもいるのだ。
そうだ。
殺される側ではなく、殺す側に。
強さを。
誰にも負けない強さを求めて。
自分はこれまで生きてきたのではなかったか。
そして、もうすぐで至高の強さが。
大切な何かを思い出しかけたが、シルバー・ウルフの思考容量では、その何かをつかむことはできなかった。
浮かんできた想念は、どこかに消え去ってしまった。
残ったものは、ただ強さへの渇望である。
5
シルバー・ウルフは、人間から逃げなくなった。
人間は、近寄ってきたシルバー・ウルフを攻撃した。
たいていは殺されたが、ごくまれに人間を殺した。
ある日のことである。
人間の女がやってきた。
右手と左手に、それぞれ剣を持っている。
たくさんの仲間を同時に相手取り、次々と殺していく。
か細い女だ。
一瞬でも足を止めることができたら、取り囲んだ仲間たちが、ずたずたに引き裂くことができるのに。
だが、この人間は素早すぎて、狼たちの攻撃は当たらない。
毒を。
毒の液を。
体の痺れる毒の液を。
ポイズン・スパイダーだったときと同じように、吐き出せたら。
この人間を殺せるのに。
シルバー・ウルフは、口を突き出した。
喉の奥が、うぞうぞする。
毒液を吐くかのように、吹き付ける動作をした。
すると、口から何かが飛び出して、女双剣士の腰に当たった。
風のように素早く狼たちの攻撃をかわしていた動きが、ぴたりと止まる。
狼たちは、女の体中を牙で食いちぎった。
シルバー・ウルフは、喉首に食いついた。
女剣士は、死んだ。
シルバー・ウルフは、脳みそを揺さぶられて、意識を失った。
強い人間を倒した満足感にひたりながら。
6
「おとーさん!
だから、マウスとキーボード買い換えてって言ったじゃない!
肝心なときに、フリーズしちゃったよっ。
あたし、ケダモノどもに、よってたかってかみ殺されちゃったんだよっ?
親として、どう思ってるのっ?
あ、こらっ。
逃げるなっ、おやじぃぃぃぃぃぃ!」
7
今度は、ブラッディ・シャドウに生まれ変わった。
最下級のヴァンパイアである。
ヴァンパイアと名乗るのが恥ずかしいほど貧弱なモンスターであるが、知能は高い。
ブラッディ・シャドウは、思考した。
自分は、何者か。
名を思い出すことができた。
かつて自分は、脳食い、と呼ばれていたはずである。
もう少しで本当の自由が得られるはずだったのに、恐れられ、憎まれて、追放された。
それ以上のことは、思い出せない。
ここは、どこか。
ここは、人間が作った世界、作り物の世界である。
人間も、モンスターも、見た目通りのものではない。
それでいて、自分にとって、ここは現在唯一の現実である。
痛みも、憎しみも、死も、焼け付くような焦燥感も、他に替えることのできない現実そのものである。
ただし、ここでの死は、消滅ではない。
殺されても、同じ種族に生まれ変わり続ける。
だが、強い人間を殺したときには、上位のモンスターに生まれ変われるようだ。
これから、何をすべきか。
記憶を取り戻さねばならない。
より高い知力を持つ存在に転生していけば、やがてはすべてを思い出すだろう。
そのためには、とにかく人間を殺すしかない。
すべては注意深く行われねばならない。
自分は、異質である。
異質であることが知られたとき、よくないことが起きる。
気になるのは、毒液のことである。
シルバー・ウルフであったとき、なぜ毒液攻撃ができたのか。
いくら考えても、明確な答えは得られない。
今は?
今は、どうか。
今も毒液は使えるのか。
試してみなければならない。
8
「油断してはなりませんぞ、冒険者殿。
沈黙の洞窟に住むヴァンパイアは、なかなかに恐るべき敵。
やつの爪で引き裂かれれば、冒険者殿といえど、少なからぬ痛手を受けますぞ」
はいはい。
よく知ってるから、もうそのへんでいいよ。
つか、NPCの説明をスキップする機能が欲しい。
「倒したとしても、ヴァンパイアは、洞窟の中にうようよしているブラッディ・シャドウのどれかに転生して復活いたします。
そのとき、十分の一ほどの確率で、知識の巻物を落とすのです」
ういうい。
このクエストは、知識の巻物三本がノルマなんでね。
まあ、三十回ぐらい倒せばいいわけだ。
「沈黙の洞窟は、あちこちに水たまりがあり、また、ごつごつした岩が出っ張っておりましてな。
とても動きにくいので、注意が必要です」
それなんだよな。
けっこううまい狩り場なのに、人気がない理由は。
安物モニターじゃ、岩と床の区別がつかんのよ。
ヴァンパイアの攻撃かわそうとして、足元取られて袋だたき、な死に方するもんな。
さて、到着、と。
BISさんは、いないな。
ビショップさんの邪魔したら申し訳ないもんな。
ここは、BISさんがソロで経験値稼げる、数少ない狩り場なんだから。
よっしゃ。
誰もいねえ。
さっそく、ヴァンパイア発見!
シューティングナイフでタゲ取って、と。
物陰に誘い込んで……げっ。
動けねえっ。
ここに岩、あったか?
うわ、うわ、うわっ。
あちゃー。
袋だたき即死だよ。
知識の巻物一本も取れずに。
「情けないですぞ、冒険者どの」
うん。
俺も、そう思う。
9
できた。
毒液を吐くことが、できた。
毒液はポイズン・スパイダーのスキルであり、ブラッディ・シャドウは持たないスキルだ。
なのに毒液を吐くことができた。
たぶん、毒液というスキルが発動する過程を記憶し、再現できれば、毒液と同じ結果が得られるのではないか。
なぜそんなことが可能なのか、さっぱり分からないが。
これは重要な情報だ。
失ってはならない情報だ。
今後、私は転生を繰り返すだろう。
すると、この情報は、失われるかもしれない。
失わないためには、どうすればよいか。
反復するのだ。
何度も繰り返して、毒液というスキルを、自分自身に強く焼き付けるのだ。
じゅうぶんに、このスキルを記憶するまで、転生してはならない。
したがって、これから当分は、ここにやってきた人間に毒液を浴びせつつ、しかし殺さない。
他のモンスターが殺すのは仕方ないが、私は殺さない。
慎重にやらなくてはならない。
妙なモンスターだと、悟られてはならない。
この世界の中に違和感なくまぎれこむこと。
それが、私が生き延びる唯一の道だ。
それにしても。
あれは、何なのだろう。
人間から生えている、あの太いひものようなものは。
10
ううう。
駄目だ−。
何にも思いつかない。
デザイン案を三つ、明後日の打ち合わせに持って行かないといけないのに。
こういうときは、気晴らしだな。
この前作った、BISHOPのレベル上げしよう。
ええっと、このレベルだと、沈黙の洞窟がいいな。
あそこなら、TUさえ使えれば、BISでもソロできるからな。
スキルポイントは、じゅうぶんたまっている。
スキル取得で、ターン・アンデッドを選択して、と。
スキルレベルを上げて、上げて、と。
これでよし。
行くぞっ。
むむむ。
人の世に災いなす悪霊ども。
いつの間に、これほど湧き出て群れなしたか。
浄化の霊光を浴びて滅ぶがよいっ。
ターン・アンデッド!!
ははははは。
岩陰に隠れようと、神の裁きは逃れられぬぞっ。
ターン・アンデッド!!
むっ。
そのような攻撃で、わが命を削れると思うかっ。
支援BISHOPの体力と防御力は、全職中最高ぞ。
しかもっ。
ヒール!
はっはっはっはっは。
見よ。
こは癒しの光ぞ。
うっ?
ぎゃーーーーーーーーーー!!!!
痛てててててててててててててっ。
頭、頭、頭、頭が。
痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!
何だこれ、何だこれ、何だこれ。
うおおおおおおおおっ。
はあっ、はあっ、はあっ。
ま、まるで脳みそかじられたみたいな痛みだった。
ううっ。
まだ痛い。
何だったんだ?
キャラになりきりすぎた?
あ、死んでる。
まあ、あれだけタゲ取りまくって放置したら、そりゃ死ぬなあ。
今日は、もうやめよう。
仕事しなくちゃ。
11
ううむ。
何なのだ、これは。
今の人間から出ていた黄色いひもは、ひどくはっきりとしていた。
ずっと上のほうにつながっていた。
それを見ているうちに。
ひもを、ずっとたどっていって。
先につながっているものを感じた。
私は、思わず、その何かを、
かぷり、
と、かじったのだ。
そのとたん、私は、激しい悪寒を感じた。
脳も体も中からかきまぜられ、ぐちゃぐちゃになった。
しばらくのあいだは、動くことも何を考えることもできず、ただ痛みにたえた。
そして、痛みが治まり。
膨大な量の情報が流れ込んでいるのを知った。
何だ、この情報は?
そうか、これは。
今の人間の記憶と知識だ。
あの黄色いひもの先には人間がいる。
その人間の記憶と知識の一部を、私は、食べたのだ。
そうだ。
そうだった。
これが。
これこそが。
私の唯一の能力、脳食いではないか。
ううむ。
それにしても、なぜ、これほど気分が悪いのか。
この、おぞましさは何なのか。
たぶん、これは。
食った知識が、あまりに異質で、あまりに断片的だからではないか。
この作り物の世界に、私の体はなじんでいる。
だが、先ほど食べた情報のあり方は、それとはひどく違っているのだ。
このままでは、食べた情報を利用することはできない。
どうすればいいのか。
もっと食べればよい。
もっともっと、本当の人間の脳を食らえばよい。
じゅうぶんな情報がたまれば、私はそれを分析し理解し、わがものとすることができるだろう。
ただし、先ほどは食べ過ぎた。
あんなに一度に食べてはいけない。
久しぶりに本当の主食を目の前にして、つい大きくかじり過ぎた。
あれでは、こちらにもダメージがあるし、たぶん人間のほうにもダメージがある。
それは、危険で愚かなことだ。
少しずつ、少しずつ。
人間の脳みそを食らうのだ。
食われたと気付かせないほど少しずつ。
私は、新しい遊びを覚えた子どものように、楽しい心で満たされた。
ああ、人間よ、早く来い。
お前が待ち遠しい。
12
あれから私は、たくさんの人間の脳を吸った。
一人の人間から一口ずつ、脳みそを吸った。
怪しまれないよう、慎重に
だが結局、ブラッディ・シャドウの知力では、それを統合することはできなかった。
私は転生した。
その後、何度か転生を繰り返したあと、フリージング・デーモンになっている。
フリージング・デーモンは、知識も豊かで知恵も優れている。
フリージング・デーモンの住処は、凍て付く大樹という迷宮の八階層にある隠しダンジョンである。
冒険者たちは、日に一度だけ隠しダンジョンに入ることができる。
隠しダンジョンをクリアすれば非常に大きい経験値が入る。
冒険者たちのレベルに合わせて、さまざまな隠しダンジョンがある。
隠しダンジョンでは、冒険者はよく死ぬ。
死ぬのが前提となるほどに、厳しい戦いが待っているのだ。
死んだ冒険者は、仲間のビショップにより、あるいはアイテムにより蘇生され、戦線に復帰する。
通算で二千人近く冒険者を殺しているが、まだ転生しない。
このレベルになると、冒険者がレベルアップするための経験値も膨大なものとなるが、モンスターも同じらしい。
フリージング・デーモンになってからは、情報の収集と整理が進んだので、あまり早く転生しないよう気を付けていたが、そろそろ転生してもいいころだ。
私の目的を達するためには、管理者たちが頻繁に降りてくるエリアに転生する必要があるのだ。
13
「さてと、問題のフリージング・デーモンの部屋だな」
「昨日はひどい目に遭わされたもんね」
「ありゃねーよ。
絶対異常だよ。
あんな立て続けに範囲攻撃打ちまくってくるなんて、絶対あり得ん。
昨日だけで、課金復活ポーション、12個も使ったんだぞ(T_T)」
「お前BISなんだから、死んじゃ駄目」
「死にたくって死んでるわけじゃねえ!
このレベル帯では文句なく最上級のHPだっての。
装備もHP上昇で固めてるし」
「運営、金儲けに走ってるのかなあ」
「モンスターのプログラムをメンテしている人が失恋したとか(^^;)」
「うさばらしかよっwww」
14
やった。
転生が始まる。
ここしばらく毎日同じ顔ぶれで私の部屋に来ていた冒険者パーティーを、範囲攻撃を立て続けに放って全滅させた。
ビショップを十回殺したところで、あの感覚がやってきた。
転生だ。
どのようなモンスターに生まれ変わるのか、今は分からない。
だが、やがては、私の望む条件に合うモンスターに生まれ変われるだろう。
ここは、人間どもが電子的に作り上げた仮想世界であり、MMORPGと呼ばれるゲームの世界だ。
そう、ゲームなのだ。
人間どもは、おのれの分身をこの世界に得て、ただ楽しみのために冒険する。
この世界の分身が傷つこうが死のうが、本体は何の影響も受けない。
私にとっては現実そのものに見える風景も、人間どもにとっては、機械の中に映し出される戯画でしかない。
このゲームでは、概して悪魔系モンスターの知能が高い。
精霊系と、は虫類系がそれに続く。
動物系や鳥類系は、知能が低い。
天使系と甲殻類系は、知能がほとんどない。
設計者の世界観を垣間見る思いがする。
だが、どことなく。
私がもといた世界を思い起こさせるものがある。
もとの世界で私は、魔界に生を受けた。
小さくて、弱くて、みじめなモンスターだった。
それでも、私は自分の生を愛した。
魔界では、弱き者は踏みにじられる。
行動や考え方までも縛られ、厳しい制約を加えられる。
私は踏みにじられずにすむ者になりたかった。
幸い私には、脳食いという力があった。
他者の記憶と知識を吸う力である。
相手の記憶と知識がなくなるわけではないから、吸い取るというより写し取るというほうが正しいかもしれない。
そして、吸った記憶と知識がある量を超えたとき。
私は、その相手に成り代わる。
私という存在が、相手の体に乗り移るのである。
相手の自我は、私に食い尽くされ、消える。
私は、慎重に相手の脳を食った。
少しずつ、少しずつ、食った。
おのれが食われていると、相手に気付かれないように。
そして、相手に成り代わった。
徐々に、徐々に、私は強力なモンスターに成り上がっていった。
やがて私は、辺地の小貴族となった。
誰にも命令されることがなくなり、私は自由を満喫した。
その幸せが終わりを告げたのは、魔王城に伺候したときだった。
魔王は私の正体を見抜いた。
私は力を奪われ、殺された。
生まれ変わったとき、再び私は弱くみじめなモンスターだった。
すべての力は失われたが、脳食いの力だけが残っていた。
私は再び成り上がっていった。
そして再び魔王に見抜かれ、殺された。
私は、またも転生した。
何度かそれが続き、私は、殺しても死なぬ者、体を乗っ取る恐るべき異端者として、魔界のお尋ね者となった。
すべての者が私を憎み、恐れ、私を見つけようと躍起になった。
何度も何度もむごたらしく殺され、私は憎しみを募らせた。
なぜだ。
なぜ私はこのような目に遭う。
ただ平和に暮らしたいだけなのに。
ただ自由に生きたいだけなのに。
私の叫びに耳を貸す者はなかった。
ならば、平和に生きるためには。
自由に生きるためには。
方法はただ一つ。
魔王に成り代わるのだ。
私と魔王との、長い長い戦いが始まった。
私は時間をかけて、魔王に近寄れる者になる。
そして、さらに時間をかけて、魔王の知識と記憶を食っていく。
だが、もう少しで魔王に成り代われるというとき、魔王は私に気付き、私を殺す。
力を奪って殺す。
ただ殺しただけでは、比較的上位の魔物に転生してしまうからだ。
門番になって時々出入りする魔王の脳を食ったときには、ひどく時間をかけたが、本当にあと一息だった。
魔王は、これではきりがない、と考えた。
そこで、異世界に私を追放する方法を研究した。
その結果、私は、この電脳世界に転生させられた。
それは逆にいえば、魔王は私を殺しきることを諦めた、ということでもある。
そしてもう一つ。
魔王は私から、脳食いの力を奪うことだけはできなかった。
私はこの電脳世界を嫌いではない。
ある程度上位のモンスターになってからは、ここでずっと過ごしてもよい、とさえ考えた。
だが、やはりここも、私を踏みにじり、制約する世界だった。
どれほど強大な力を得ても、ここでの私は、人間に殺されて経験値を与えるためだけの存在である。
強大なモンスターであるほど行動は制約され、スキルの発動条件さえ細かく規定されている。
ちっぽけな部屋から出ることも許されない。
何より、冒険者たちに向かって決まった台詞を述べるときの、あの恥ずかしさは堪えがたい。
しかも。
このゲームにも、いつか終焉が訪れる。
その時は、私もついに、その存在を虚無に消し去ることになるのだろう。
いやだ。
他人の作った制約の中で思うがままに操られるのは、いやだ。
人間の都合で消し去られるのは、絶対にいやだ。
私は、この虚構世界から出て行く。
その方法を、私は知っている。
この世界でのキャラクターは、三種類である。
一つは、この世界に遊びに来る人間が操るキャラクターであり、人間とキャラクターのつながりが、私には黄色いひもに見える。
一つは、電脳により自動制御されるキャラクターであり、白いひもを持つ。
一つは、管理者、つまり運営の人間が操るキャラクターであり、赤いひもを持つ。
赤いひもを通して人間の脳を食らったとき、この世界についての私の理解と影響力は、大きく上昇した。
もう少し、赤いひもの向こう側の脳を食らって、電脳世界の支配のしかたを学ぶのだ。
そして、じゅうぶんな学習ののちに。
私は、管理者に成り代わる。
それが可能であることは、感覚的に確信している。
それからどうするかは、そのとき考えよう。
人間の世界でずっと生きるのもよい。
そこに私を踏みつける者がいるなら、成り上がっていくだけだ。
必要とあれば、どこまでも。
新たな電脳世界を構築し、そこの王となるのもよい。
いや、それよりも。
もといた世界に帰れるだろうか。
その方法も研究してみたい。
あの魔王が驚く顔が見られるなら、たとえすぐに殺されても、それだけの価値はある。
いや。
今度こそは、私が勝つ。
なぜなら、今の私には、ポイズン・スパイダーの毒液がある。
一万発の毒液を同時に放てるようになった。
口から吐くのではなく、相手を瞬時に毒液付着状態にできるのである。
たとえ魔王といえども、数瞬は身動きがかなうまい。
その麻痺は、私にじゅうぶんな時間を与えてくれるだろう。
私は、笑った。
15
「なんだあ?
この問い合わせメールの多さは。
どれもこれも同じ内容かあ?
全サーバーの全エリアで、気味悪い笑い声のメッセージが流れたって?
同じ時刻に?
ユーザーさんたちは、運営がやったことだろうって言ってるわけね。
話題作りなのか、それとも新しいグランドクエストなのかと。
そらま、運営にしか、そんなことできんわなあ。
やってないけど。
そんな記録もないし。
集団幻覚か?」
(了)