スチュアートの思惑
「なるほど。別れたにも関わらず、まとわりついてくるものだな」
執事を通じてメイドの報告を受けたスチュアートは、読みかけの資料を机の上に置いた。
アイリスを自宅に送り届ける途中、寄りにも寄って元婚約者とその恋人に遭遇したいきさつを聞いたところだ。
彼女を護るためにモンタギューの紋章入りの馬車で送ったが、それでは不十分だったらしい。
いや、むしろそれが火を注いだのかもしれない。
本来ならばスチュアート本人が直に付き添って家まで送り届けてやりたかったのだが、王宮からの呼び出しがありそれが叶わなかった。
せめてもの、と途中で寄りたそうな店があれば彼女の希望を聞くようにメイドに言いつけてあったのだが、それが仇となるとは。
まさかこのタイミングでエリオットたちと出くわすなんて。
しかも、相手の女からアイリスに話しかけてきたという。厚顔無恥もいいところだ。
気になるのは、男の方か。
最後はわざわざアイリスの元へ戻ってきた、とメイドは言っていた。
自分から手放したくせに、今更アイリスに何の用があるというのか。
ひょろりとした優男の顔を思い出し、スチュアートは思わず舌打ちをもらした。
スチュアートは執事を下がらせると、ふと窓の外に視線をやる。月明かりの庭園を通り越し、スチュアートはかつて学園で過ごした頃に思いを馳せた。
アイリスを初めて見たのは、まだ自身が学生だったころだ。
その頃は生徒会で、すでにレオポルドの側近の役割を果たしていた。王立学園は元々生徒の自主性を重んじており、自治権が認められている。それゆえに生徒会そのものがキングダムと陰で呼ばれていた。もちろん、それはあくまで学園内の執務に限られていることだが、レオポルドが入学すると、状況は少々変わった。
王太子であるレオポルドが生徒会に入り、お目付け役である自分とミハイルも同時に生徒会入りすると、それは小さな国政と化した。
むろん、それは自然な流れだ。現王太子で王位継承権一位のレオポルドは次期国王。公爵家嫡男のミハイルはいずれ貴族院で最も発言力のある大公爵になる。
そして現宰相を父に持つ私は、いずれ私自身が宰相となる。
となれば、未来の権力者にすり寄りが起こるのも自然なことだった。
将来の国王におべっかを使い、心証をよくしておこうとする者のなんと多いことか。そんな人物をさりげなく遠ざけるのもスチュアートたちの役割のひとつだった。
特に女生徒は、あわよくば王太子妃、もしくは愛妾を狙って近づく者も多い。レオポルド自身そこは弁えているが、その時点で正式な婚約者がいなかったために、本気で色仕掛けを画策するものが多かった。
そういう女たちへの対応は、女の扱いに手慣れているミハイルが担当。
生家への経済的優遇を求めてのすり寄りには、スチュアートが担当。これが自分たちの役割だった。
そのなかで、アイリスは違った。
レオポルドに色目を使うこともなく、生家への便宜を図ってもらうべく画策してくることもない。粛々と委員の仕事をこなし、それでいて上の者に迎合することもない。
控えめながら、自身の意見はしっかりと述べる。
その真面目な姿勢に好感を持った。
声をかけてみようかと思ったが、どうも彼女には苦手意識を持たれているらしい。
やるべき業務に勤しんでいると、顔つきが悪くなるし愛想も悪くなる。その自覚はあったし、その点についてはよくレオポルドやミハイルにも「顔がこわいぞ」と指摘されていたが、まさかアイリスにも怖がられていたとは。
だが、さすがにずっと避けられているのはつらい。
フォローを入れようかと思った時、彼女に婚約者がいると知った。相手はエリオット・マーシャル。マーシャル伯爵家の嫡男で、彼らが幼少期に婚約関係を結んだのだという。
貴族が幼少期から婚約者を持つことは珍しいことではない。
だが、彼女がもうすでに他の男のものになることが決まっている。その事実がスチュアートの時を止めた。
そのときようやく、自分がアイリスに向けていた視線は特別だったのだということに気づいた。
気づけば、彼女を目で追っている自分。それは恋情だったなんて。
気持ちを自覚したときには、失恋も決定していた。
なんと滑稽なことか。
それ以来、必要以上に彼女に声をかけることはやめた。
余計なことをして、彼女によからぬ噂がたっては申しわけない。この社交界は男女のいざこざは女性に向きがちだ。男が言い寄ったとしても、矛先は女性に向いてしまう。
スチュアートが横恋慕していることが白日の下になれば、世間から白い目で見られるのはアイリスになってしまう。男を惑わす悪女として。
それだけはあってはならない。
自分の気持ちは心の奥底に封じ込め、おくびにも出さずに日々を過ごした。
事務的な関わりだけにして数か月。
ときが来てスチュアートは学園を卒業した。ここで彼女との直接的な関わりは終了。
その後は夜会に出席する彼女を遠くから見つめるだけとなった。
レオポルドとミハイルから散々揶揄われたとしても。
彼女には迷惑がかからないように、外野から幸せを祈るのみ。
それがスチュアートに唯一残されたできることだ。決してこの想いは伝えるつもりはない。
そう、思っていた。
しかし、婚約破棄となれば話は別だ。
もう彼女は誰のものでもない。彼女を護り隣に立つ男に、堂々と立候補できる。
とはいえ、彼女は傷心中。
今そこに付けこんだところで、彼女の心はこっちを向かないだろう。そもそも男に対して不信感も抱いているはずだ。
彼女の傷が癒えるのを、じっくり待とう。
そのために彼女に提案したのが、妹レイチェルの家庭教師だった。女同士の語らいは、彼女の心の慰めになるだろうし、何よりわが家なら他の男が立ち入る隙間を与えずに済む。
そうして少しずつ距離を縮めていくことができれば。
そう考えていたところだった。
それがまさか件の二人に横やりを入れられるとは。
……冗談じゃない。
彼女に近づくチャンスがやっと来たんだ。
諦めてたまるか。
誰にも譲るつもりはない。
真面目で凛とした佇まいの、アイリス。
抱きしめたら、どんな表情を見せてくれるのだろう。
「早く……この腕の中に堕ちてきてくれ」
スチュアートは窓辺に立ち、夜の庭を眺めながら自身の顎を撫でた。
「……もう一歩踏み出してみるか」
スチュアートは独り言ちた。




