望まぬ再会
石畳の路を馬車が走っていく。木製の車輪は石畳の凹凸の上を通るたびに上下に揺れるが、座席はふかふかのベルベットシートであるためか、気になるほどは響かない。
さすが侯爵家の馬車ね。乗り心地も一級品だわ。
アイリスは窓外に映る街並みを眺めながら、素直に感心した。
今アイリスは、モンタギュー家の馬車で家路に向かっているところだ。
元々帰宅するときは、ウィンスレット家の馬車が迎えに来る予定だった。
しかし、いざレイチェルへの授業(途中から茶会になったが)が終わると、「自宅までわたしが送ろう」とスチュアートの申し出があった。
申しわけない気持ちと、やはり苦手な彼と二人になるのは落ち着かない、という気持ちから、アイリスは丁重にお断りした。
そもそも疑似デートな茶会の直後だ。彼と密室で二人なんて、気まずくて耐えられる気がしない。
だが、せめてモンタギュー家の馬車で送らせてほしい、とスチュアートと妹二人に言われては、それ以上断ることはできなかった。
結局押し切られる形でアイリスはモンタギュー家の馬車に乗ることになった。丁重な御者のあしらいで、馬車は安定した走りを見せている。付き添いのメイドはアイリスの荷物をしっかり抱えてくれている。
成り行き上の家庭教師とはいえ、こんな丁寧な扱いを受けて恐縮してしまう。
フカフカのシートで心地よく揺られていると、ある店が目に留まった。ファントム・アンドメゾン。レイチェルが好きだと言っていた有名な菓子と紅茶の店だ。王室御用達という箔もあるが、それ以上に季節限定菓子が彩りやデザインも凝っていて、世の若い女性たちから絶大な支持を得ている。
もちろんアイリスも例外ではない。
店の前の看板には店主手書きのポップが描かれていて、ますます興味をそそられた。
ここしばらく塞いでいたけれど、レイチェルとガールズトークをしたおかげかいくらか気分が上がっているようだ。
アイリスの視線に気づいたのだろう。向かいに座るメイドがうかがうような顔を見せる。
「あちらの店に寄られますか?」
「え、いやそんな」
「ご遠慮なさらず。アイリスさまのお好きに、とスチュアートさまより仰せつかっております」
彼はなんとそつがないのだろう。
冷淡な男性かと思っていたけれど、それはあくまで職務に厳しくあたっているから。
その実は、配慮のある方なんだろう。あの一度だけのエスコートのお礼にしては、過ぎた扱いだ。やはり婚約破棄された自分を気遣ってくれているのかもしれない。
冷たいのかも、なんて避けていて悪かったわ。
きっと女性をエスコートするのも慣れているんだろう。
そうでなければ、あの疑似デートを余裕気にこなすことはできない。
実際誰か別の女性とふたりで……。
ぼんやりと想像すると、なぜか胸の奥にもやがかかる。
スチュアートの女性関係など、アイリスには全く関係ないはずなのに。
「アイリスさま? どうされますか?」
メイドに声をかけられ、アイリスは慌ててかぶりを振る。
今まであのひとに思い浮かべていたイメージと違うとわかったから、ギャップに戸惑っているんだわ。そうよ。
自身にそう言い聞かせると、気を取り直してメイドに向かい合った。
「少しだけ寄ってもらえるかしら」
せっかくだからお言葉に甘えて寄ることにした。あまり遠慮しすぎるのも、彼らを困らせてしまうだろう。
それに、店の看板に本日限定の文字が見えたからだ。今日はアプリコットの焼き菓子があるのだという。久しぶりに外出できた自分へのご褒美も兼ねて、買って帰ろうか。
朝泣き出しそうな母にも焼き菓子を、落ち着かない様子で送りだしてくれた父にも紅茶を買って帰ろう。引き籠っていたことで、両親には心配をかけただろうから。
脇道に馬車を停車して、降りたったとき。
ちょうど店から、寄り添う男女が出て来た。
「あ……」
令嬢らしく挨拶を交わすのも忘れ、アイリスは氷のように固まってしまった。
店から出て来たのは、エリオットとイザベラだったからだ。
イザベラはエリオットの腕に手を絡め、寄り添っている。親密な様子に、アイリスの記憶はあの夜に呼び戻されてしまった。思い出したくもない、廊下での二人の会話や、ダンスを踊る二人の姿がありありと思い出されてしまう。
忘れたつもりでいたのに、こうして目の当たりにすると、生傷はまたじくじくと膿み始める。
「アイリス……。キミどうして」
一方でエリオットたちもアイリスに驚いていた。
アイリスが降り立ったのが、モンタギュー家の馬車だったからだ。馬車の正面に鷲を象った紋章はそれが紛れもないことを表している。
イザベラの脳裏に、あの夜会でアイリスがスチュアートのエスコートで参加していたことが浮かぶ。あの夜だけの付け焼刃なエスコートだと思っていたのに、まさかアイリスとスチュアートにはただならぬ関係があるのだろうか。
伯爵家との婚約破棄後に、今度は侯爵家?
そんな都合のいい展開なんてあるだろうか。
そもそも生まれも伯爵家で恵まれているくせに、まだ何かを得ようと言うの。
イザベラは思わず眉根を寄せた。
別にアイリスを特別ライバル視していたわけではない。
たまたまモノにできそうな男に婚約者がいただけだ。それがアイリスだっただけ。
それでも、男が他の女よりも自分を選ぶさまは、女として何より心地いいものだった。生まれた身分は格下でも、女としては自分の方が格上なのだと自他ともに見せつけられる。
だから本当ならば婚約破棄は、衆人環視の中で突きつけてやりたかった。選ばれたのは自分なのだと思い知らせたかった。
なのに、仏心を出したエリオットに控室で別れ話をすると言われたときは、心底がっかりした。アイリスがショックを受けて打ちひしがれるさまを見たかったのに。
そのうえ、独りで惨めに入場するかと思いきや、あのスチュアート・モンタギューのエスコートでホール入りなんて。
……まあ、彼は王太子のお目付け役。主だった伯爵家のひとつであるウィンスレット家の令嬢を放っておけなかっただけだろうが。
それにしても、なぜ今もモンタギュー家と関りを持っているの……?
不審に思いながらも、イザベラは気を取り直して笑顔を作った。
「まあ、アイリスさまもこのお店に? わたしもよくエリオットさまに連れてきていただくのです。今日はオペラの帰りですのよ」
よく、という言葉をことさら強調するイザベラ。
婚約を破棄する前から二人の関係ができあがっていたことをわかっていたのに、アイリスの胸の内はじくじくと痛んだ。
やはり以前から二人はこうしてデートを重ねていたんだ。
エリオットは、わたくしをここに連れてきてくれたことなんてなかった。
ここ一年ほどは、オペラも二人で茶会すらも、忙しいと断られていた。
その裏でイザベラとは、こうして逢瀬を重ねていたのだ。
なのに、結婚は自分とするはず。関係を修復できるはず、と信じていた自分が滑稽でならない。
それでも、伯爵家の人間としての矜持がある。惨めに打ちひしがれる姿を見せたくはない。
アイリスは背筋を伸ばし、胸を張った。
「素敵ですわね。 それでは、わたくし急ぎますので」
虚勢でいい。強がりでいい。
せめてこの場だけでも、俯きたくない。
会釈して通りすぎようとした際、アイリスの手が掴まれた。
今更、何よエリオット。
そう視線をやるが、その手の主はエリオットではなかった。
しなやかな手の主は、イザベラだった。
彼女はわざとらしく声をひそめる。
「傷心ですもの。誰か殿方にすがりたくなる気持ちはわかりますわ。でも、少々高望みしすぎでは?」
その言葉に、アイリスの頬がカッと熱くなった。
モンタギュー家の馬車から降りて来たわたくしを、そんな下世話な目で見たというの?
フラれた女は寄りかかる男を探しているとでも?
冗談じゃないわ。
どうしてこんな言われ方をしなければならないの。
イザベラは声音に揶揄を孕みながら、続ける。
「もし、アイリスさまさえよければ、わたしの友人の男性を紹介しますわよ。……これでもわたし、あなたに悪いことしたなって思ってるの」
悪いと嘯くその唇は弧を描いている。嘲笑う彼女の声が耳障りでたまらない。
選ばれなかった女は言われっぱなしになるしかないの?
悔しさでアイリスの指先が震えた。
「気が向いたらお声がけくださいませ。そんな必死にならなくても、お相手見繕ってさしあげますわ」
「お気遣い痛みいります。ですがご心配には及びませんので」
「まあ、そんな遠慮しなくても。アイリスさまに合う男性、きっと誰かいると思いますわ」
どの立場でそう言うの。
どうして、婚約破棄されたうえ、こんな扱いを受けなくちゃいけないの。
「わたくしを必要としてくださる方がいますので。それではごきげんよう」
……まあ、必要としてもらえるのは、家庭教師としてだけれど。
もちろん、そんなこと彼女に伝える必要なんかない。
アイリスは毅然としてイザベルに向かい合った。
「……ふぅん。余計なお世話ってわけ。行きましょう、エリオットさま」
一瞬目元を歪ませたイザベルは、エリオットの袖を強引に引いた。彼らが自分の横を通りすがる気配に、内心アイリスは安堵する。
できれば、もう金輪際彼らの姿は見たくない。関わりたくない。
嵐が立ち去るのを待っていると、なぜか小走りで戻って来る足音が耳に届いた。
つい振り返ると、エリオットが遠慮がちに立っていた。
「もし、何か困っていることになっているなら言ってくれ。長い付き合いだったから、心配なんだ」
その言葉に、アイリスは内心腸が煮えくり返りそうになった。
心配? 誰が? わたくしの心配を?
誰のせいでこんなことになっているのだ。
結婚直前で婚約破棄された女が社交界でどう噂されるか、どんな扱いをされるか、まるで考えなかったのだろうか。
わたくしの未来を、人生を変えてしまったというのに。
今更どの面下げて、元婚約者に声をかけるというの。
そう詰りたいのをぐっと堪えて、アイリスは口を引き結んだ。
「ごきげんよう」
エリオットの手を振り払い、店内の扉を開ける。
エリオットは払われた手を宙ぶらりんとしながら、イザベラに呼ばれて店を出ていく。後ろ髪を引かれるように、何度も振り返るがアイリスが店の中に消えると、やがて諦めたようにイザベラの手を取った。
店内に入り、扉が閉まると、アイリスはようやく息をついた。
前を向こうと思っていたが、実際彼らを目の当たりにすると動揺してしまう。あっという間にあの夜会の夜に引き戻されてしまう。
どっと疲れが押し寄せて、アイリスは店内の壁に寄りかかった。思った以上に気を張っていたらしい。
そばに控えていたメイドに「大丈夫ですか」と声をかけられ、なんとか作り笑いを張り付ける。
もしかしたら、婚約破棄の一件はメイドも聞き及んでいるのかもしれない。モンタギュー家のような名家に未婚の若い女教師が来るなんて、異例だものね。
それでも詮索するような不躾な視線を投げられたことはない。
彼女の配慮に感謝し、アイリスは笑みを返す。
「せっかくなのでレイチェルさまにも、渡していただけますか?」
アイリスは気を取り直し、両親およびレイチェルへのお菓子を選ぶことにした。
アイシングで飾られたクッキーが、華やかに並んでいた。
次回はスチュアート視点になります。




