悪い男
隣にはクールで麗しいスチュアート。さらさらとした前髪の隙間から見える琥珀色の瞳は、どこか男の色気もある。
見るだけなら、大変レベルの高い保養だ。
イケメンは見てるだけでいいと言っていたロゼッタの気持ちがよくわかる。あまりに近寄られると、心臓に悪い。保養どころか、健康に悪い。
友人のロゼッタはいつの間にか王太子に見初められ、あれよあれよ言う間に王太子妃に内定している。ロゼッタからことの顛末を聞かされたときには、こんなロマンスが身近にあるなんて、と盛り上がったものだ。
あわよくば、自分にも甘酸っぱい出来事が起こるといいな、なんて期待もした。
だが、現実は甘くない。
ロマンスどころか、突然の婚約破棄でひとり放り出されてしまった。
そんなアイリスに男性との茶会、つまりデートの見本を見せろというのは酷ではないか。
事情を知っているくせに、どういうつもりだ。
こっそりスチュアートに心の中で悪態をついた。
「突然こんなことに巻きこんですまない」
はっとして顔を上げると、スチュアートは穏やかに微笑んでいる。生徒会室では眉根を寄せた顔ばかり見ていたが、そこにはリラックスした笑みがあった。その双眸にはどこか甘さを孕んでおり、心臓が跳ねる。
こんな顔するなんて。
そこでようやく、すでに疑似デートが始まっていたことに気づいた。
うっかりときめきそうになる自分を叱りつけ、気を取り直す。
令嬢らしく、よそ行きの笑顔を張り付けた。
「とんでもありません。こちらこそ、本日はお声がけいただき恐縮です」
「以前からあなたには声をかけたいと思っていたからね。この僥倖なチャンスは逃せないと思って」
ドキリとした。
一瞬、彼が本気で言っているのかと錯覚してしまう。
しかし、瞬時に思いとどまった。
アイリスの向かいにはレイチェルが座っている。ニヤニヤとしながらアイリスたちを交互に見やるのだから、気恥ずかしい。
そうよ。
これは男女のお茶会のマナーを教えているんだったわ。つまりデートの作法。
それを教えるための疑似デート。
演技なんだから、彼の本心のわけがない。
わかっているのに、まるで本当に口説かれているような気分になってしまう。
そんな熱のこもった視線を向けてくるから。
そもそも、彼がわたくしにそんな感情を抱くはずないのよ。
生徒会でほんの少し関わったことがある程度なのだから。
次期宰相であり、王太子の側近であるスチュアート。
今現在婚約者はおらず、女性との浮ついた噂もない。
彼がこんな風に女性を口説くなんて、想像もできなかったわ。
アイリスはこっそりスチュアートを盗み見る。
彼は優雅に紅茶に口をつけていた。余裕気でリラックスした表情は、生徒会で見た顔とはまるで別人だ。
このひとが本気で誰かを愛して口説く、なんてあるのかしら。
今みたいに、「会いたかった」と微笑み、距離を詰めて。
そんな想像をしていると、今度は胸の中がもやもやする。
彼が今後恋愛をしようが誰かを口説こうが、アイリスにはなんの関係もないはずなのに。
感情が乱高下して落ち着かない。
一体どうしちゃったのかしら。
エリオットとの婚約破棄以来、どうも過敏になっている気がする。
落ち着かなきゃ。
そう自分に言い聞かせていたときだ。
不意にスチュアートの手が顔の近くに伸びてきた。彼の手がアイリスの顔に触れそうになる瞬間、心臓が飛び跳ねた。アイリスの心音は大きくなり、周囲の音など何も耳に入ってこない。
スチュアートの指先が頬を滑り、そのままアイリスのストレートヘアを一房つまんだ。
「失礼。髪を食べてしまっている」
「こ、こちらこそ失礼しました」
咄嗟に出た声は上擦っている。慌てて手で髪を撫でつけて整えた。
いつの間にか髪を一房咥えてしまっていたらしい。
び、びっくりした。
急に触れてくるなんて。
い、いや、そんな意図があって触れてきたわけではないでしょうけど。
ただ髪を咥えてしまっていたから直してくれただけなんでしょうけど。
なのに、どうしてこんなに落ち着かないの。ドキドキしてしまうの。
スチュアートが頬に触れたのは、ほんの指先だけだというのに、熱を帯びている。
大きな手だった。骨ばってごつごつして、自分とはまるで違う。
男の、手。
「ねえ、お兄さま。今のはマナー違反なのではなくて?」
顔から火が出そうで俯いていると、レイチェルが呆れたように口を挟んだ。
「そう。よくわかったな。いきなり触れてくるような悪い男には油断しないように」
「試したのね」
「問題を出さなければ勉強会にならないだろう?」
そんな兄妹のやり取りを聞きながら、アイリスは、ますます恥ずかしくなった。
一瞬でも鼓動が速くなってしまった自分に。
なんてバカなの、アイリス。
最初からこれは疑似デートで演技だったのに。
男女のデートの作法を教えるのが目的だとわかっていたのに。
スチュアートの行動に本気で動揺してしまった。自分の浅はかさが恥ずかしい。
「アイリス」
急に名を呼ばれ、さらに鼓動は跳ね上がった。
「キミも悪い男には気をつけるように」
そう微笑むスチュアートは、確かにほんのり悪い顔をしていた。
そんな顔も、するのね。
先日から、スチュアートには驚かされてばかりだ。今まで見なかった一面ばかり目の当たりにしている。
男の人は、いくつ顔を持っているのかしら。
アイリスは、未だ熱を持つ頬を落ち着かせようと、紅茶を飲み干した。




