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エスコート直前の婚約破棄

前作「偽装恋人のはずが、腹黒王太子に捕まりました」の別キャラが主人公なので、同じ世界観となります。


「今夜キミをエスコートすることはできない」


 突然の言葉に、アイリス・ウィンスレットはグリーンの瞳を瞬かせた。


 そう宣言したのは、アイリスの婚約者であるエリオット・マーシャルだ。

 今夜の夜会は国内の主だった貴族が招待されている。婚約者がいるものは当然二人で出席するのが礼儀だ。


 それなのにエスコートできない?

 会場まで来ておきながら?


 唐突な話に、アイリスは何がなんだかわからない。呆然としながら次の言葉を待つが、エリオットは居心地悪そうに、視線を逸らすだけだ。


 何……?

 何が起きようとしているの?


 アイリスはわけがわからないまま、視線を合わせてくれない婚約者を見つめた。

 言いあぐねている様子に、アイリスの心臓は悪い予感で震える。


 今アイリスたちがいるのは、公爵家主催である夜会の控室だ。今夜は王太子殿下も出席することから、国内外の要人も参加している。アイリスはいつものように、婚約者であるエリオットのエスコートで参加する予定だった。ファーストダンスとラストダンスはエリオットと踊る。今まで通りの夜会だと、信じて疑っていなかった。


 だが、夜会が始まる前に話がしたいと言われ、連れていかれた控室。そこで聞かされたのは、突然の宣言だった。


 公式の場でありながら、婚約者である自分をエスコートしない。

 どうしてそんなことを言い出したのか。

 いや、理由が思い浮かばないわけではない。

 心当たりはある。

 だが、そんなことが起こるはずがないと、アイリスは心の中で否定をした。


 彼女の亜麻色の髪を結い上げ、留めている髪飾り。小花をあしらったそれは、以前エリオットから贈られたものだ。気を落ち着かせようと、一瞬そこに触れ、アイリスは改めてエリオットを見つめた。


 エリオットは落ち着かない様子で膝を揺らしている。幼い頃から変わらぬ、彼の癖。

 隠し事をしているときや、何か失敗したとき、彼はそんな仕草をする。

 考えていることがわかりやすいエリオット。そんな貴族らしからぬ彼を、アイリスは微笑ましく思い、同時に安心していた。

 そのわかりやすさが、今アイリスを苦しめている。

 アイリスはひとつ息をつき、意を決して助け船を出した。 


「エスコートできないって……。今になってどうしたの?」


 もう招待客が会場入りしている時間だ。間もなく夜会は始まるだろう。

 このタイミングでエスコートがないなんて、夜会を欠席するも同然だ。

 前々から言ってくれれば、最初から欠席できるのに今告げるなんて、どういうつもりなんだろう。アイリスは詰め寄りたい気持ちをこらえ、エリオットの答えを待った。


 やがて観念したように、エリオットは俯いたままゆっくりと口を開いた。


「今夜だけじゃない。今後キミをエスコートすることは、もうできないんだ」

「え?」

「婚約……破棄させてほしい」


 続いた言葉にアイリスは息を呑んだ。頭の中は真っ白だ。

 悪い予感はしていたけれど、それだけはありえないと思っていた。


 子どもの頃から婚約していた、わたくしたち。

 自分はもうすぐ王立学園を卒業する。そのタイミングでエリオットと結婚する予定だった。

 もうすでにドレスの採寸もして、デザインも決めている。披露パーティの招待状も発送済だ。

 あとは、エリオットの隣で誓いの言葉を述べるだけだと思っていたのに。


 それがどうしてこうなっているのか。


 エリオットは相変わらず膝を揺らしている。アイリスを見ようともしないまま、栗色の巻き毛は明後日を向いている。


「すまないと思っている。……他に好きな女性がいるんだ」

「……だってもうすぐ私たち……結婚……するのよ?」


 正直、エリオットが自分以外の女性に興味がいっていることは、気づいていた。以前は誘ってくれていた観劇も、一緒にいくことが少なくなった。

 授業のない週末に二人で会うことも減っていた。

 彼がとある子爵令嬢と並んでいることが増えた、と噂で聞いたのはいつだっただろうか。


 でも、それを問い詰めるようなことはしなかった。男性なのだから、少しくらい目移りすることくらいあるだろう。


 それでも幼い頃から過ごした歴史があるはず。

 まして貴族の結婚は家同士のこと。

 互いの家を巻きこんでまで、白紙にしようなんてするはずがない。


 アイリスは胸を痛めながらも、そんな希望に縋っていた。ふらふら寄り道をすることがあっても、最後に戻ってくるのは自分のところだと信じたかった。


 エリオットの浮気を知って、傷つかなかったわけがない。

 二人でデートしていたと噂を聞いたとき、胸の奥がじくじくと痛んだ。

 図書館でひとりでいる自分が、ひどく惨めな気がした。


 それでも、夫の後ろを歩き内助の功に勤めることが、淑女のあるべき姿だと教わってきたアイリス。悋気をかざして泣き喚くことはできなかった。


 だから、黙って待っていたのに。


 いつかエリオットが余所見をやめて戻ってくることを。


「ごめん」


 エリオットはそう繰り返すだけ。

 もう彼の中で結論は出ている。結果は変わらないのだと、彼の声音が言っていた。


 それでも「わかりました」なんて言いたくない。

 いくら従順であれ、と言われても、それだけはできなかった。


 だが、沈黙は了承と受け取ったのだろう。エリオットは話は終わったとばかりに、安堵した様子で控室を出ていこうとした。ライトグレーの夜会服が、アイリスの目の前を無情に通り過ぎていく。


 彼はアイリスの元を去っていくのだ。

 永遠に。

 行ってしまう。


 アイリスは、反射的に顔を上げた。


 待って。まだ話は終わってない。

 一方的に終わらせないで。

 わたくしの気持ちも聞いて。

 エリオットの後を追おうとして立ち上がると、廊下から声が聞こえてきた。


「エリオット、話は大丈夫だった?」


 その女性の声に、アイリスの肩が揺れる。

 それは、最近エリオットがよく一緒にいる子爵令嬢のものだった。


 名はイザベラ・フランクリン。明るい赤茶色の巻き毛でグラマラスなスタイルは、アイリスから見ても女の魅力に溢れている。ハキハキとしたイザベラがエリオットの腕に絡みついて歩いているのを何度も見た。


エリオット自身まんざらでもない様子で、傍から見たらエリオットの婚約者に見えるのは彼女だったろう。


 アイリスはそれを見かけながらも、見ないフリをしていた。


 きっと一時的なものだと思っていたから。

 貴族の婚約は本人たちの気持ちでするものではない。両家の思惑あってのことだ。

 だから、彼が最終的に自分と結婚するのは変わらないはず。


 だったら、自分は理解ある妻を目指すべきだ。波風立てないようにしなければ。


 そう思ってずっと我慢してきた。

 なのに、こんなことになるなんて。


 二人の仲睦まじい会話は、容赦なくアイリスの耳を責める。

 足が絨毯に縫い付けられてしまったように動けない。

 聞きたくもないのに、エリオットとその相手の女性との会話が聞こえてくる。


「大丈夫だよ。話はもうついたから」

「よかった。ごねられたらどうしようかと思っていたの」

「もし婚約破棄が嫌だとごねられても、僕が選ぶのは君だ。大事なのは二人の未来だから」

「嬉しい……。これでエリオットとずっと一緒にいられるのね」

「僕もだよ」


 耳障りなやり取り。アイリスのことなどまるで無視した二人の世界だ。


 耳を塞ぎたくなった。

 これ以上聞きたくない。

 ドアを閉じてしまいたい。


 まだわたくしがこの部屋にいるって、わかってないの?

 それとも、別れた女はどうでもいいの?

 十年近く婚約していながら、最後がこんな仕打ちだなんて。


 惨めな気持ちで打ち震えていると、彼らの会話に男性の低い声が割り込んできた。


「失礼。立ち話などそのへんにして、会場に移動しては?」


 飛び込んできたその声は、聞き覚えがあった。


 まさか……。


 アイリスの記憶が正しければ、今聞きたくない声だ。


 反射的に顔を上げると、声をかけられたエリオットたちが戸惑っている様子が聞き取れた。


「ここにいつまでも二人でいては、人目を忍ぶ関係だと勘違いされますよ」


 人目を忍ぶ、を殊更強調されて二人が息を呑む。


「わたしたち、そんな後ろ指さされるような関係じゃありませんわ。真に愛し合っているのですから! 行きましょう、エリオット!」


 噛みつくように反論したのは、イザベラだ。イザベラの足音に続くようにエリオットの足音が扉の前から遠ざかっていく。


 ようやく静かになる廊下。


「……真に、ねぇ」


 呆れ半分、嘲笑半分といった声が耳に届く。


 やはり、この声の主はあの男なのだろうか。聞き覚えはあると思ったが、まさかあの男が通りかかるなんて。

 よりにもよって、こんなときに。


 いや、結果的にはよかったのかもしれない。

 彼らの会話をあれ以上聞かずにすんだのだから。

 彼もいなくなったら、扉を閉めよう。

 本当に一人になったら、少しだけ泣いてもいいかな。


 そんなことを考えたとき、うっすら開いていたはずの扉が開き、豪奢な絨毯を踏みしめる音が聞こえた。


 え?

 ちょ、ちょっと待って。

 まさか入ってきた?


 驚きのあまり、アイリスは視線を入り口にやった。


 仰ぎ見たそこに立っていた人物。

 黒髪に琥珀色、すらりと長身な体躯。そのシルエットはまるで気高い黒猫のよう。やはり、声の主は思い浮かんだ男だ。


「……大丈夫か?」


 そう訊ねてきた男。

 それは、この国の宰相の嫡男。


 スチュアート・モンタギュー。

 アイリスが最も苦手とする男だった。

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