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2.葬列の花束

――その、虚脱の淵で。





「……あ、見つかっちゃいましたね。同期エラーです」


 振り返ると、そこにはさっきの綺麗な司会者がいた。だが背後には葬儀場の壁はなく、無限に続く光のグリッドが広がっていた。


「母は?」


「坂口牧子様なら、もう行かれましたよ。適正に基づき、既にどこかの世界へ転生済みです。一瞬で『向こう側』の誰かになりましたから、追跡は不可能です」


 彼女の言葉に、不思議とショックはなかった。

 病院で、葬儀で、ただ立ち尽くしていたあの時から、僕はもう母という存在から切り離されていたのだ。


「で、巻き込まれた貴方ですが。行き先がありません。事務処理上、貴方はもう現世では死んだことになっています」


 彼女は面倒そうに空中を叩く。


「仕方ない。最近デバッグが始まったばかりの、ガラ空きの世界に送ります。魔力濃度は不安定、生態系もグチャグチャですが……まあ、何もないよりはマシでしょう?」


 足元の床が消える。

 僕は、母が消えた空の向こうではなく、誰も知らない、作りかけの混沌へと真っ逆さまに落ちていった。


足元の床が消え、視界が裏返る。

 内臓が浮き上がるような不快な浮遊感のあと、僕は硬い土の上に叩きつけられた。


「がはっ……!」


 肺から空気が弾き出される。

 喉を焼くのは、焦げたような草の匂いと、鉄錆びた嫌な臭いだ。


 むせ返りながら顔を上げると、そこには葬儀場の天井ではなく、見たこともないほど巨大な樹木が天を突き刺し、空には紫色の月が二つ、不気味に静止していた。


「ここ、は……?」


 声が震える。

 さっきまで、母の遺骨を抱えていたはずだ。和尚の読経が耳に残っているはずだ。


 なのに、肌を刺す風は異常に冷たく、静寂は耳が痛くなるほど深い。

 混乱する頭を抱えようとして、僕は自分のすぐ「足元」にあるものに気づき、心臓が跳ね上がった。


「う、わあ……っ!」


 無様に尻餅をつきながら後退る。

 そこには、一人の男が倒れていた。

 胸から腹にかけて大きく引き裂かれ、抉れた肉からはどす黒い血が溢れ出している。見開かれた瞳は濁り、生命の光を完全に失っていた。


 ――死体だ。



 母の死は、清潔なシーツの上だった。


 けれどこれは、暴力と悪意に満ちた、剥き出しの「死」そのものだ。

 吐き気がせり上がる。逃げなきゃいけないのに、腰が抜けて力が入らない。

 その時、頭蓋の裏側に、あの司会者のような無機質な声が直接響いた。



【警告:個体識別情報が確認できません】

【空白領域への初回書き込みを開始します】



「……何、を……」


 視界が明滅し、脳内に奇妙な「マニュアル」のような情報が流れ込んでくる。


 それは言葉ではなく、本能に近い感覚だった。


 僕が持っている「空白」に、この世界のことわりを一つだけ、強引に流し込もうとする暴力的な接続。



【対象を観測してください。貴方の魂が求めている『形』は何ですか】



 観測? 形?

 分からない。何も分からない。


 ただ、この無惨に打ち捨てられた死体を、これ以上見ていたくなかった。

 せめて、あの日見た祭壇のように。

 冷たい土の上ではなく、あの白々しいほどに鮮やかな花々の中に隠してしまいたかった。


【コンセプト:『葬列の花束( funeral florist )』をインストール……完了】


 視界が白く染まる。

 僕は反射的に、目の前の死体に触れていた。

 汚い、怖い、逃げたい。

 そんな拒絶を置き去りにして、僕の右手が熱を帯びる。


「…………え?」


 死体が、溶けた。

 肉も、血も、泥に汚れた服も。


 それらは粒状の光へと分解され、一瞬にして瑞々しい「白いアザミ」の群れへと再構築されていく。

 腕の中に、ずしりとした重みが加わった。


 気づけば僕は、血の匂い一つしないおおきな花束をかかえて、膝をついていた。

 掌を通じて、情報の奔流が流れ込んでくる。

 

【スキル『荷運び』を抽出しました。解読を開始します……】


 頭の中に、見知らぬ男の記憶が断片的に浮かぶ。

 重い天秤棒を担ぎ、何里もの山道を歩き続ける日々。肩に食い込む縄の痛み。足の裏にできた肉刺まめの感覚。


 それらが「経験」として、僕の筋肉と神経に無理やり結び付けられていく。


「これが……スキルの……」


 一度深く呼吸をすると、心なしか背負っている「自分の体の重み」が僅かに軽くなったのを感じた。

 ほんの数グラム。だが、この世界に上書きされた僕だけの「機能」だ。


 僕は、震える手で花束から一輪のアザミを抜き取り、男が倒れていた場所へ供えた。


「……ごめん」


 何に対しての謝罪か、自分でも分からなかった。

 死体を消してしまったことへの恐怖か、あるいはその死から力を奪ってしまったことへの罪悪感か。

 花はあとに残していく。けれど、彼が必死に荷を運び続けた「重み」は、僕の中に残る。

 

 令和7年8月8日。

 僕は、次の一人を弔うために、まだ地図にない荒野へと足を踏み出した。

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