悪役令嬢のまま追放された先で偽装結婚したら夢が叶いました〜拝啓元父上様、私と旦那様のハンター生活は順調です〜(一人称版)
以前上げた話の一人称版です。
部分的に変わってます。
ああ、どうして私はあの時、はっきりと、神様にゲーム名を伝えなかったんだろう。
しっかり伝えていたなら、こんなに苦労する事はなかった。
こんな目に、あうことはなかった。
悪役令嬢の取り巻きそのCのような立ち位置で、伯爵である父の沙汰を待つ必要もなかっただろう。
「アイネ、お前を我がハンティングルド家から追放することとした。処刑とならなかったことを感謝するのだな」
「……はい、お父様」
「父と呼ぶな。お前はもう、赤の他人で、ただの平民だ。罪人である平民を、この地に住まわせることを王は許されない。辺境の村までは馬車を出してやろう。後は好きに生きろ」
違う! と叫んでも、もう結果は変わらない。
私は嵌められただけだなんて訴えても、ここは嵌められた方が悪いで終わる社会だ。
証拠もなく声を上げたところで、見苦しいと一蹴されて終わり。
こうならないように頑張ったのに。
一歩間違えれば処刑される運命だって分かってたから、頑張ったのに、
全てはあの時、前世で日本人としての生を終えた後、神様の問いに曖昧な答え方をしてしまったせいだ。
望む世界に転生させてやると言われて、興奮した勢いで、好きなゲームの世界に転生したいって言ってしまったから……。
確かに、この世界の元になったゲームも私は好きだった。
悪役令嬢に転生して処刑されないように立ち回るゲームだ。
人気のゲームではなかったけど、私にとっては何度も初めからやり直すほど楽しいものだった。
せめて主役の令嬢なら、処刑も、追放すらもあり得なかったのに。
でも、取り巻きは知らない。
お助けキャラに過ぎなくて、大した情報は出てこない。バッドエンドの何パターンかで一緒に処刑されるだけのキャラだ。
その上全く馴染みのない貴族社会にいるんだから、正解が分かる筈がない。
そう思ったら、追放で済んだのは、かなり頑張った方だと思う。
「私は、ただモンスターを狩りながら暮らしたいだけだったのに……」
独り残された部屋の中、私の声を聞いてくれる人なんていない。
――なんて思ってる時期が私にもありました!
そりゃあね、神様だもの。私の考えてることが分からないはずなかった。
まさか両方混ざった世界だなんて思わなかったけど。
それによく考えたら、馬車でひと月分の旅費は馬鹿にならない。お父様の立場を考えたら、かなりの慈悲よね。
到着の声に後部の幌を持ち上げると、深い緑の香りが鼻腔を突く。揺れが激しくなったと思ったら、こんな森の奥にまで入っていたのね。
辺りは薄暗いけど、空はまだ明るい。
この先にある村。そここそが、私の求めた世界の舞台。
獰猛な獣を狩り、偉大なる竜を狩り、その糧を以て暮らす狩人たちの集落だ。
かつて、日本人として過ごしたあの一生を、私はとあるゲームに捧げていた。
およそ十八年の時を過ごした街は、世界は、それとは違う。好きなゲームの世界ではあったけど、そのゲームを遊んだ期間は、一生を捧げたというには短すぎる。
私が一番望んでいた世界、これから生きる世界の元となったゲームには、前世で生きた二十数年の殆どを捧げた。
大好きなゲームだった。私の青春と言ってもいい。小学校に上がってから、死んだあの歳まで、ずっとやり込み続けていたゲームだ。
時には翌日の仕事を忘れて徹夜してしまって、散々怒られて、それでも同じ失敗を繰り返してしまうくらいには、大好きなゲームだった。
その世界で、これからは生きていける!
口角が上がるのを抑えられない。油断したら歌いだしてしまいそうだ。
これから村長さんに挨拶をしなければいけないのに、ニヤニヤしてたら失礼だ。頑張って抑えないと。
辿り着いた村は想像した通りの牧歌的な場所だった。ダチョウのような、鴨のような、大きな生き物に荷車を牽かせて荷を運び、田畑を耕しているような。
しかしよくよく見れば大きな剣や弓、銃のようなものを背負っている人たちもいて、胸の高鳴りを感じてしまったのは仕方のないことだと思う。
そんな彼らに案内されたのが、今いる屋敷だ。村で一番大きなこの建物は村長の住まい兼集会所らしい。
応接間らしいこの部屋には竜の巨大な頭骨が飾られていて、異様な存在感を放っていた。
「待たせたな」
不意に扉が開いて、たぶん、五十くらいの男が入ってきた。左目の下にある二本の爪痕もそうだけど、筋肉質な体つきだったり、纏ってる雰囲気だったりがやたらと迫力的で、もっと若くも見える。
「いえ。お時間をいただきましたこと、感謝申し上げます」
貴族時代の癖でカーテシーをしてしまった。
「時間はあまりない。本題に入ろう。君のことをこちらで預かることになっていると話していたそうだが、その件については断ったはずだ」
え?
……声に出さなかったのを褒めて欲しい。危うく間抜けな面も晒しかけた。
「行き違いになったのだろう。君の境遇については同情するが、それとこれとは話が別だ。完全な部外者をこの村に受け入れるつもりはない」
目の前が真っ暗になった、というのは今のような状態を指すんだろう。せっかく、夢の日々をおくれると思ったのに。
どうにかして、説得を、いや、どう言ったら納得してくれる? これだけ強くて、真っすぐな眼差しの人が。
……だめ、思いつかない。思いつけない。私には、お父様と同じ目をした統治者を説得できる手札がない。
これはどれだけ泣き叫ぼうと、同情を誘おうと、意味はない。そういう目だ。
説得、できない。
諦める他ない……。
「今すぐ発てば、暗くなる前に森を抜けられるだろう」
時間がないって、そういう意味だったのね。
私の身を案じてくれている。けど同時に、早く出て行けという意味でもある。そういう言葉。
「失礼、します……」
それだけ言うのが精いっぱいだった。それ以上の言葉を紡げなかった。
どうにか歩いて、扉に手を掛ける。後ろから感じる視線には、少しだけ、憐憫が混ざっていたような気がした。
それからどう歩いたのか、どれだけ歩いたのか、記憶にない。気がついたら辺りは真っ暗な森の中で、草木の擦れる音すら聞こえない。僅かに見える空はまだ青いけど、地上は明かりなしに歩くのが難しいくらいだ。
怖い。
なんの気配も感じない。この森の中に、独りだけ。
お父様、私……。
――パキ
枝の踏み折られる音だ。でも、何が……?
音が聞こえた方向は、正確には分からない。でもたぶん、後ろ。振り返りたくない。見られてる気がする。
思い出すのは、ここが竜や不思議な獣を狩って暮らす狩人たちの村の、そのすぐ近くってこと。もし、今そんな化け物と出会ったら。薄いワンピース一枚しか身につけていないこの状況で出会ったら。
……大丈夫。気のせいのはず。後ろだけ確認して、急いで森を抜けよう。急げば、すぐに森を抜けられるはずだ。
そう、一瞬振り返ってみるだけでいい。
――……何も、いない?
「……ふぅ」
良かった。
少し怖がりすぎたかもしれない。急がないと夜になるのに。そうなったら、いよいよ何も見えなくなっちゃう。
急ご、う……。
「グルルル……」
前に向き直ると、生暖かい息が顔を撫でた。 眼前にはくすんだ牙。恐る恐る視線をあげると、鋭く蒼い瞳と目が合った。
巨大な狼? いや、額に二本角がある狼なんてこの世界でも聞いたことがないし、鱗がある。
うっすら青白く光る巨躯は美しさすら感じるのに、それ以上に、怖い。あの目は、あれは、獲物を見る目だ。
無意識のうちに一歩下がっていた。その足が木の根に当たる。視線の先では化け物の片腕がゆっくり持ち上げられているというのに、その先で鋭い爪が鈍く光っているというのに、動くことが出来ない。
――助けて、お父様。
そんな声も出ない。涙が零れそうになる。
爪がゆっくりと振り下ろされる。いや、ゆっくりに見えているだけなんだろう。
ああ、これで終わりか……。
そう思うと、急に気が楽になった。同時にこの十八年の記憶が脳裏を巡って、そして前世の記憶まで遡る。
まあ、言ってしまえば、おまけみたいな人生だ。前世で一度死んだあとの、ボーナスタイム。ここで終わっても仕方ない。あの村からも追い返されてしまったし……。
でも、できれば、楽に死にたいな。あんまり痛いのは嫌だ。
ゆっくり目を瞑って、目の前の化け物に祈る。けど、感じたのは思っていたのとは違う、もっと温かな衝撃だった。
何が何だか分からないうちに浮遊感を覚えて倒れ込む。けど地面の衝撃は思ったよりずっと弱い。分かるのは、温かな何かに力強く包まれていることだけ。
「怪我はない?」
優しげな声にゆっくり目を開けると、そこには、声と同じくらい優しげな茶色の瞳があった。彼の問いに頷くことしか出来ない。
手を引かれて起き上がると、化け物は大木の向こうにいるようだった。苛立たしげなうなり声が聞こえて、今更殺されかけた恐怖を思い出す。
「走るよ」
言われるがまま、手を引かれるがままに足を動かす。同時に、彼が筒状のものを投げるのが見えた。
後ろの方でくぐもった音がして、化け物が悲鳴をあげる。振り返ると、闇の中に煙が舞っていた。
どれくらい走っただろう。暗いし寒いしでもうよく分からない。どんどん息の苦しくなる中で、ただ彼の手の熱だけを感じていた。
気が付くと、例の村まで戻ってきていた。
「ふぅ……。ここまで来れば大丈夫」
彼は私とは対照的で、ほとんど息を乱していない。一つに纏められた紫がかった黒髪もあまり乱れていなくて、端正な顔も涼し気だ。
ああ、そうだ。どこかで見た顔だと思ったら、村長さんに似ているんだ。でも村長さんよりは中性的な顔立ちか……。
「君のことは聞いているよ」
いけない、見とれていた。
「ひとまずは僕の家に行こう。今から森を抜けるのは難しい」
男の人の家……。もうすぐ夕方。でも、彼の言うことも尤もだ。
結局、彼について行くことにした。
彼の家は村の外れにあった。他の家より大きい。家族がいるのかもしれない、と思ったけど、中にそんな様子はなかった。玄関に片手用の剣と小盾があることを除いたら、普通の家だ。
「少し座って待っていてほしい」
座って……。そこの椅子でいいのかな。
まぁ、待とう。どうせ、今の私にはそれしか出来ない。
――良い匂い。野菜のスープかな。お肉も入ってそう。……なんだか懐かしい。こういう匂いの中で待つのって、前世の実家にいた頃以来な気がする。
「待たせたね。君も食べるといい」
白パンに、スープ。こんな村で柔らかいパンが食べられるなんて。
……温かい。
「良かった。気に入ってくれたみたいだね」
「あ、はい。美味しいです。とても……」
素朴だけど、本当に。
「さて、僕はレンデル。一応は、村長の息子という立場にある」
慌てて立ち上がろうとして、やめる。もうカーテシーは必要ない。
「私は、アイネ、です。助かりました、ありがとうございます」
「いいよ、気にしなくて。間に合って良かった」
レンデルは心底安心したように微笑んだ。
彼は私が森に入っていくのを見ていたらしい。それから暫くしてさっきのあの化物、試練の獣が私の向かった方向に現れたと聞いて、慌てて追いかけてくれたみたい。
「あれは狩手が成人の儀に挑む獣でね。その角を持ち帰ることで初めて、正式な狩手と認められるんだ」
狩手……狩人?
武器を担いでた人たちのことかな。
「村の男はみんな狩手になる掟なんだけど、あの化物の角を一人で持ち帰れるくらいじゃないと、ここじゃ生きていけない」
でも試練というからには、それだけでも簡単では無いんだろう。実際、あれと一人で戦うと考えたら背筋が凍る。
軍閥貴族の娘としてそれなりの訓練は詰んできたけど、あれに勝つイメージはわかない。
「あなたも、角を持ち帰ったの?」
「あー、恥ずかしい話なんだけど、僕は武器の扱いが苦手でね。失敗してしまったんだ」
彼は頬を搔いて苦く笑った。
「正式な狩手として認められなかったら、どうなるの?」
さっき彼は、男はみんなそうなるのが掟と言った。
「村を出ていくことになる」
「どうしてっ!?」
「役立たずを置いておけるほど、この村の暮らしは楽じゃないからね」
仕方ないよ、と続ける声は弱々しい。まるで、王都を出た時の私みたい。
「すまない、君にする話じゃなかった。風呂が沸いたら先に入るといい」
「……どうにかできないの?」
「…………妻を迎え子を為すなら、この村に残る事も許される」
じっと彼の目を見つめていると、迷った様子を見せながらも教えてくれた。
「でも、狩りの下手な僕を受け入れてくれるような人はこの村にいないよ」
「村の人間じゃないとダメなの?」
私は、どうしてこんなに彼のことを気にしているんだろう?
聞いておいた方がいい気がするのは、なんでだろう?
「それでもかまわないけど、それこそ相手がいるかどうか。なにせ、こんな森の奥だ」
「私は?」
思わず口元を抑えてしまった。
私は何言ってるの!? ともかく、いいわけ、じゃなくて弁解。
「あ、いや、変な意味は無くてっ! いや変な意味かもしれないけど、じゃなくて、えっと……」
ああ、もう、顔が熱い。そんなつもりなかったのに。これじゃあまるでプロポーズだ!
レンデルもぽかんとしてる。やってしまった。と、ともかく落ち着かないと……。
差し出された水を受け取って煽る。それから深呼吸も……。
――よく考えたら、案外悪い提案でもないかもしれない。整理しよう。
「私もあなたもこの村に残りたい。そのためにあなたは結婚しないといけなくて、私はこの村の部外者でなくなる必要がある」
レンデルが頷いた。
「つまりは、偽装結婚ね。子どもについては、また考えるとして」
ちょっと、彼とそういうことをする想像はまだできない。
顎に手を当てる姿は様になってるけど、それはそれ。
「なるほど、たしかに……」
いや、本当に綺麗というか、カッコいいけど、って、そうじゃない!
「分かった。その提案、受けさせてもらおう。……よろしく、アイネ」
不意打ちは、ずるい。
村長は私たちの要求をあっさりと飲んだ。まだ婚約って話だけど。
ともかくこれでレンデルはこの村に残れるし、私は念願の狩人生活ができる。はっきり言って、凄く嬉しい。できれば女衆としての仕事とかいうのは免除してほしかったけど。
まあ、村に馴染むきっかけになるし、むしろいいかもしれない。
村で暮らし始めて数日が経った。今日はお休みだ。つまり、狩りにいける。
装備はどうにかなった。レンデルも付いて来てくれるらしいし、村周辺を回るくらいなら抜かりはない。
普段よりも早く起きてしまったから、レンデルはまだ部屋の中だ。先に昨日の残りのスープを温めて、彼の出てくるのを待つ。つい鼻歌を歌ってしまうのは、許してほしい。
「おはよう、アイネ。早いね」
「おはよう、レンデル」
彼は何故か頬を赤らめる。少し、口角がいつもより上がっていたかもしれない。
「朝食を終えたら、君に見せたいものがあるんだ」
なんだろう? 気にはなったけど、朝食が先だ。装備も取りに行かないとだし。そう思って、いつもより気持ち早く匙を進めた。
朝食を終えると、レンデルは少し待ってと言って自室に戻る。すぐに戻って来た彼の手には、見覚えのある剣と盾、それから知らない皮鎧があった。
「君がいらない装備を譲ってもらえないか頼んできたって聞いてね。処分予定のものじゃ心もとないし、急いで準備したんだ」
「これ……、いいの?」
「うん。もう君用に調整してしまったしね」
確かに、薄ら記憶にあるよりも持ち手が細くなっている。鎧の方も女の体格に合わせたような形だ。それに、他の人たちが付けていたのより少し、可愛いかも。
「ありがとう、レンデル」
また、口角が上がる。彼もそうだ。これが幸せってものなのかもしれない。
着てみると、鎧は殆ど再調整が必要ないくらいだった。剣も盾も持ちやすい。
「うん、よく似合ってる」
「そう?」
鎧なのにおかしな話だけど、頬が緩んでしまう。これから私は、狩りに行く。あのゲームのように。
「それから、これも持って。」
差し出されたのはボディバッグだ。中には煙幕や薬なんかの消耗品が入っていた。いくつかは鎧のベルトにセットしてすぐ使えるようにしておく。
「これ、買ったの?」
「いや、僕が作ったやつ」
「……あなた、こっちの方向なら村に貢献できたんじゃないの?」
行商人が持ってくるものや女衆で作るものよりずっと出来が良いように見えるんだけど。
「これは女の人の仕事だから」
困ったような笑み。そういうもの、なんだ。
その日は、本当に楽しかった。いや、その日だけじゃない。この村での生活は私の夢見た生活そのもので、人生の頂点と言っても過言ではない。村のみんなは良い人たちばかりだし。
ゲームを思い出してレンデルにアレコレ作ってもらったり、逆に薬の作り方を教えて貰ったりもした。レンデルの作った道具で大きな像みたいな獣を買ってきたときは皆驚いてたなぁ。
そうしてもう一年くらいかな。村の皆もレンデルの職人的な腕に気が付いて、私の考えた道具を使う人も珍しくなくなった。ようやく、村の仲間として心の底から認めて貰えたって、そんな感じがする。
さて、狩りの日だ。今日はどうしようか。
「おーい、レンデル、アイネ!」
うん?
とりあえず玄関に出ると、もうレンデルが対応していた。
「村長が二人を呼んでたぜ。朝飯の後でいいから、ちと顔出せってさ」
レンデルと顔を見合わせる。彼も心当たりがないみたい。
ともかく朝食を食べよう。行ってみれば分かる。
特に気負うことなく家を訪ねると、いつか私を追い返した部屋で村長は待っていた。
「失礼します」
……どうして? なんで長老たちまでいるんだろう。嫌な予感がする。
「来たな。単刀直入に言おう。アイネ、もし狩手として暮らしたいなら、成人の儀を受けろ。受けないなら、今後狩りに行くことを禁ずる」
咄嗟に声が出せなかった。
「危険です! どうしてアイネが!」
「アイネは間もなく成人だ。儀式無しに今の生活を送らせては、若い衆に示しがつかん。当然儀式に失敗すれば一人この村を出て行ってもらう」
つまり、婚約も解消ということ?
「儀式を受けないなら出ていく必要は無い。ただ女衆として暮らせば良い」
思わずレンデルを見る。そこには私を心から案ずる、優し気なブラウンの瞳があった。
この一年で彼にも情が湧いてしまった。正直、彼と離れたくない。でも、狩りにいけないのも嫌だ。
彼と二人で逃げたら、どこか別の場所で今の生活を続けることもできるかもしれない。でも、彼をこの村から引き離すのは心苦しい。
でも、あの化物と戦うのは、怖い。
……いや、考えるまでもなかった。答えなんて、最初から決まっていた。
「儀式を受けます」
「アイネ!?」
「……分かった。健闘を祈ろう、心から」
村長の声には、レンデルと同じ苦し気な光が宿っていた。
帰ったら怒られるなぁ、って思ってたけど、レンデルはなんだか諦めたような様子で笑みを浮かべるだけだった。それから対策を考えようと言って自室から本を持ってきてくれた。
「君が実は頑固なのはよく知ってるからね」
「……ありがとう」
本当に、儀式を受ける選択をして良かったと思う。
そこからは急いで準備を進めた。時間は無かったけど、長老たちを含めた村の皆の協力もあってどうにか考え得る限りのことはできた。
あとは、あいつの角を持ち帰るだけ……!
早朝の薄暗い森の中に、あいつはいた。臨戦態勢ではないみたいで、体の発光は無い。
それでも畏怖を感じずにはいられない。私の背丈の倍はある化物だ。怖くない訳がない。
それでも、私はアレを狩る。
もう正々堂々なんて言葉はいらない。後ろから近づいて、左腕に付けた鈎爪の射出装置を構える。心音が煩いけど、そんなこと気にしていられない。
パシュっと気の抜けるような音と共に跳び出した鈎爪が巨狼の化物の背を掴んだ。巨狼の驚く声と共に体が引き寄せられて宙を舞う。
「ふっ!」
勢いそのままに剣を突き立てる。赤いしぶきに頬が濡れた。思ったより浅い。
「グルルァ!」
身をよじる動きに合わせて飛び降りると、巨狼の体が発光を始めた。蒼い瞳が私を射貫く。体が震える。あれは獲物を見る目じゃない。敵を見る目だ。
落ち着け私、大丈夫……!
まずは煙膜。煙筒を投げると紫の煙が巨狼を包む。
その隙に鈎爪を頭上の枝へ射出。飛び上がるのと同時に足元を巨体が通りすぎた。背後の大木が音を立てて倒れて、冷や汗がこめかみを伝う。
巨狼は周囲を見回して、苛立たし気に唸り声をあげる。よし、まだ見失ったままだ。このままもう一つ煙筒を投げて――まずい!
ただ淡く光っていただけの巨体がバチバチと音を鳴らし始めた。これは雷の力をチャージしてる時の音だ。
止めないと……!
枝から飛び降りて、その頭部の二本角を狙う。重力に任せて振り下ろした盾が角の片方に罅を入れるけど、狼がチャージをやめる様子はない。だったら!
空中でどうにか首元の毛を掴み、鱗の隙間に足をかけてよじ登る。そして剣を逆手に握って振り下ろした。
「ガァッ!?」
悲鳴、だけどバチバチ鳴ったまま。まだ足りない!
続けて剣を振り上げ、繰り返し突き刺す。何度も、何度も何度も何度も。
獣は私を振り落とそうと藻掻くけど、簡単には落とされてやらない。
このまま、骨まで砕けたら……!
「グルルァゥ……!」
「えっ――カハッ!」
体力の限り、そう思って集中しすぎた。周りが見えていなかった。
突然背中に強い衝撃を感じて肺の空気が無理矢理吐き出させられる。木に叩きつけられたんだ。
たまらず投げ出されて地面を転がる。
熱い、痛い、苦しい。右腕が変な方向に曲がってる。肋もいくつか折れてるかもしれない。涙がにじむ。
でも、起きないと、死んじゃう。死んだら、レンデルが悲しむ。
そうだ、薬。あまり使うなって言われてるけど。アイツが来る前に……!
「くぅっ……!」
痛いのを無視して無理矢理正しい形に直して、ベルトに付けておいた筒を呷る。変な味だ。血の味が無かったらもう少しマシかもしれないけど。
直後に体が急激に熱くなって、痛みが消える。凄い、けど、効きすぎだ。きっと寿命を削ってる。
でも、これでまだ戦える!
うん? 影? くっ!
慌てて地面を蹴ると、すぐさっきまで私のいたところを狼の腕が叩き潰していた。発光も初めより強くなっている。チャージを止められなかったみたい。
「アオーン!」
遠吠えと共に周囲へ雷が落ちた。枝が一瞬で炭に……。あんなの、受けられない。
再度煙幕を投げると、その向こうから青く発行した雷が飛んでくる。避けられたのは奇跡だ。
まだ? まだ効かないの?
煙の向こうから跳び出してきた狼の尾に盾を弾き上げられながら祈る。早く、効いて……!
逃げまわり、隙を見つけては斬りつけてを繰り返す。
頭突きを躱しながらどうにか角を斬りつけてみても、無理な姿勢では弾かれるだけ。それどころか反動で仰け反ってたたらを踏んでしまった。
そして見てしまった。雷を纏った狼の、突進しようとしている姿を。
あ、死んだかも……。ごめん、レンデル。
ぎゅっと目をつぶる。けど、その時が来なくて、恐る恐る目を開けた。
……効いた!
巨狼は身体を痙攣させながら忌々し気にこちらを睨んでいる。煙幕と剣に塗った麻痺毒がようやく効いたんだ。
「はぁっ!」
飛び込みながら角へ剣を振るう。更に二度三度斬りつけるけど、まだ折れない。どころか痙攣が止まった。起き上がろうとしてる。早すぎでしょ!
「まだ、まだ!」
それでも、今手を止める訳にはいかない。さらに斬りつけ、浮き上がった顎を盾で殴り上げる。脳が揺れたのか、今度は獣がたたらを踏んだ。
角の罅は、もう半ばを超えてる。いける!
「これで、最後ぉっ!」
私の全身全霊。お願いだから、折れて!
その祈りが届いたのかは分からない。確かなのは、私の突き出した剣が、あの角の一本を圧し折ったっていうこと。大きな角が宙を舞って地面に落ち、そして鈍い音を立てた。
「今日、我らの村に新たな家族が生まれた。この良き日を皆と祝えること、この村の長として、一人の父として、嬉しく思う」
村長が私たちに笑みを向ける。レンデルと同じ笑みだ。
広場にはたくさんの料理やお酒が並べられていて、みんな嬉しそう。
私もレンデルも、今日はめいっぱい着飾って、私たちを祝ってくれる皆に笑みを返す。そう、これは、私たちの結婚披露宴なんだから。
「本当に、良かった」
「ああ。君のおかげだ」
あの試練の時か、偽装結婚を提案した時か、レンデルはどのことを言ってるのかな。なんにせよ、勘違いしてるみたい。
「レンデルの作ってくれた道具がなかったら、私を受け入れてくれなかったら、今は無かった。だから、あなたのお陰でもある。あと、手伝ってくれた村の皆のお陰でも」
レンデルがこの村に残りたがった理由は、私にもよく分かる。
「ねぇ、レンデル」
だから、ちゃんと確認しておかないと。
「なに?」
「何人欲しい? 子供」
林檎のようになった彼の顔を、私はきっと、死んでも忘れない。