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九珠の剣  作者: 故水小辰
第六章 己の道
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真実

 何事もないように去っていく知廃生を九珠はじっと見送った。知廃生と常秋水は正反対のように見えて、実はとても似ている——背負った家柄、身につけた技、江湖での評判に立ち位置、そのすべてに自負があるのだ。そして二人とも後ろ暗いところがないからこそ、皆が一目置かれる存在となっているのだ。


 九珠は踵を返し、簫無唱の隣に戻った。小さく頷き、飛雕のひとまずの無事を伝える。


「しかし、ガキがいるということは縁者の中に落ち延びた者がいたということか。公孫に連なる奴らは全員消したと思っていたが、詰めが甘かったかな」


 ふと、鄧令伯の独り言が聞こえてきた。他人事のような様子で闘技場を横切り、影武者が放り出していった剣を拾い上げる。


「ハ、成る程。これが剣の感覚というものか」


 剣を手に馴染ませるように振り回す鄧令伯は、どこか恍惚とした表情を浮かべている——その目に浮かぶ興奮は、剣を持つ者には誰しも身に覚えがあるものだった。自らの剣、自らの技、己が実力の証を立てるための道具を初めて手にしたときのえも言われぬ高揚は、そう簡単に忘れられるものではない。

 しかし、九珠はそれどころではなかった。たった今鄧令伯が言った言葉が頭の中を反復しているが、痺れた思考が理解を阻んでいる。


「公孫に連なる者を、全員消した……?」


 にわかには信じがたい発言だった。これがもし本当なら、この鄧令伯という男は一人の剣客に惚れたあまりとんでもない罪を犯したことになる。

 ふと、弱々しい足音が聞こえた。見れば真っ白な顔の江玲が、僵尸(きょうし)のようにふらふらと歩いてくる。


「今のは何? 私の子に何をしたの?」


 虚ろな視線の先には鄧令伯ただ一人しかいない。人垣をかき分け、剣を抜く間も、その目が移ろうことはなかった。

 江玲がついに仕切りの縄をまたいで闘技場に入ってきた――次の瞬間、悲痛な雄叫びとともに江玲が鄧令伯に斬りかかった。鄧令伯はわずかに目を見開いたが、迷うことなく剣を横たえて最初の一撃を防ぐことに成功した。


「返しなさい――あの子を――あんたが殺すべきは私よ――!」


 江玲は食いしばった歯の間から唸り、言葉とともに叩きつけるように剣を振るっている。それでも、やはり邪法というだけあってか、鄧令伯は奪ってすぐの武術で身を守ることはできていた。江玲が防御をかなぐり捨ててひたすら攻撃に徹し、急所ばかりを狙う中、鄧令伯はたどたどしさは見えるものの襲い来る剣をかわしていく。

 しかし、江玲が直々に教えた公天鏢局の剣術とはいえ、飛雕のそれには未熟さが残されている。誰もが江玲に軍配が上がると信じていたそのとき、不意に鄧令伯が攻勢に転じた。


 江玲はハッと目を見開き、瞬時に守りに入った。鄧令伯は先ほどまでの押され方が嘘のように盛り返し、今や二人の剣は火花を散らして拮抗している。鄧令伯の軽く、素早く、そつない動きはまさしく飛雕のものだった――それがかえって江玲を逆上させ、剣筋に粗が出始める。九珠は一歩引いた場所で江玲の立ち回りを見守っていたが、ここで初めて加勢するべく剣気を練った。


 剣指を振り抜き、鄧令伯を狙って剣気を飛ばす。套路の上に来るであろう足元を狙った一撃は惜しくも外れ、わずかに外側の地面で炸裂したが、それでも鄧令伯の不意を突くことには成功した。

 注意が逸れた隙に簫無唱が飛び出し、鄧令伯の胸に掌底を押し込む。十全に練られた気がこもった一撃で鄧令伯は後ろに大きく弾き飛ばされ、江玲は簫無唱の背後に庇われた。


二嫂(姉さん)!」


 江玲が声を荒げる。簫無唱はなおも飛びかかろうとする江玲を押しとどめ、冷え切った声でこう言った。


「玲妹。あの男が何故あなたでなくあの子を狙ったのかを考えなさい」


 その途端、江玲の顔から悲しみが消えた。決定的な答えを悟ったらしく、今度は怒りに顔をわななかせている。


「……そういうこと……なんて卑怯な……!」


「ええ。ここに集まった中で最も若く、制しやすい体格で、武功が熟しきっていない鳴鶴なら、仕掛け方次第で競り勝てると踏んだのです」


 淡々と語る簫無唱は、まるで公天鏢局が再び陥落したかのように色を失っている。しかし、簫無唱はもう一度前に出ようとした江玲を振り返りもせずに押さえ込んだ。横に伸ばした腕はびくともせず、微動だにしない背中が義妹にもう出る幕はないと告げている。


「鄧令伯、あなたに問います。公天鏢局を滅ぼしたのはあなたですか」


 簫無唱は鄧令伯をまっすぐ睨み、低い声で問うた。鄧令伯はしかめっ面で胸を押さえ、血を吐いた口元を拭っていたが、簫無唱の言葉に「ああ」と呟いた。


「工作の上手い奴を一人、教から送ってもらったな。辛辣な男で、どれだけ結束が強くとも、たった一つ綻びが生まれれば崩すのは簡単だと言っていた……ま、鏢局の分際で勢力を伸ばし、ふんぞり返っている公孫の連中に江湖の力関係を分からせるという教主のご意向もあったがね」


 鄧令伯はこともなげに、他愛もない思い出話をするような口調でさらりと告白した。居合わせた全員がどよめき、律峰戒までもが驚愕に鷲眉を跳ね上げているが、それすらも気にならない様子だ。


「驚くほどのことか? こちらの益とあちらの得が一致しただけのこと、商取引と変わらない」


 鄧令伯は堂々と声を張り上げた。もはや弁明も言い訳もする気はなく、己の正当が通ると信じて疑っていないらしい。


「そもそも鏢局など、江湖を渡れない落ちこぼれどもの溜まり場ではないか。そんな落ちこぼれの分際で、江湖の女帝を妻に迎えるだと? 落ちこぼれどもの頭が江湖の頂点たる李玉霞を下しただと? 笑わせるのもたいがいにしろ。李玉霞こそは孤高にして最高、誰にもかしずくことのない不動の王者だろう! 彼女の栄光が曇ることなど断じてならぬ。曇らせる者などあってはならぬのだ!」

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