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九珠の剣  作者: 故水小辰
第四章:蘇口行
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再戦

 常秋水の問いに皆がしんと静まり返る。まるでここにいる者のほとんどは今の剣を見たことがあると言わんばかりの沈黙だった。九珠も何事かと息をひそめる中、飛雕だけが事態が分からないというふうに辺りを見回し、常秋水を見て首を傾げた。


「何者って、俺は飛雕で、あんたの後ろにいるのは俺の母さん……」


「そうではない!」


 分からないなりに答えた飛雕に雷が落ちる。慌てて後ずさる飛雕をひと睨みすると、常秋水は江玲に向き直って言った。


「女。名は」


江玲(こうれい)ですわ」


 江玲は汗を拭いながら答える。常秋水は疑うように目を細めると、次の問いを投げつけた。


「誰に剣を習った?」


「それを聞いてどうするのです? 私どもの実力が及ばないことは明白ですのに」


「言え」


 常秋水に詰め寄られても、江玲は頑なに口を閉ざしている——しかし、彼女はしばらく沈黙したのち、観念したように答えた。


公孫逸(こうそんいつ)です」


 その途端、全員に衝撃が走った。皆が一斉にどよめき、「だから見覚えがあったのか」「やはり公天の剣だった!」という声があちこちから上がる。同時に九珠はなぜ飛雕の使う剣を知らなかったのか、なぜ常秋水たちが飛雕や江玲の剣を見て怪訝そうにしていたのかを理解した。公天鏢局で使われていた剣術も、鏢局の滅亡とともに失われてしまったからだ。少なくとも、誰もがそう信じて疑っていなかった——今この瞬間、公天鏢局の剣法が再び世に現れるまでは。


「たしかに我が剣は公天鏢局にて教わったもの。四十年余りの人生の中でごく短い期間をあの場所で過ごし、生きる術を授かりましたが、それだけに過ぎません。どうか邪推なさらぬよう」


 江玲は群衆に向かって呼びかけた。よく通る声が凛と響き、どよめきが次第に小さくなる。


「それより常大侠、まだ勝負が終わっていないのではないですか? あと二人ほど、手合わせがまだの者がいるとお見受けしますが」


 江玲は言いながら群衆を指し示した。常秋水は不満げながらも群衆に目を向け、「たしかにそうだ」と唸るように言う。


「対戦がまだというのは私と簫九珠殿でしょう。違いますかな?」


 知廃生が朗らかに応える。常秋水は知廃生をしばらくじっと見ていたが、やがてフンと鼻を鳴らすと


「貴様とここで剣でやり合う意味はない」

 と言い放った。


「俺が貴様と戦う場は龍虎比武杯のみだ、五招妙手」


「左様ですか。では私も無理は言いますまい」


 知廃生はあっさり負けを認めると、扇子を開いて口元を隠した。


「では残すところあと一人ですな」


 知廃生はそう言って九珠に目線をくれた。途端に全員の注目が九珠に集まった——好奇と品定めの目線が降り注ぐ中、九珠は常秋水にだけ目を向けた。



 常秋水は血を払うように剣を振り切って構えを取る。強烈な光を放つ双眸は九珠を刺すようでいて、誘っているようにも見える。こちらに来い、お前の力を見せつけろと暗に言われているような気分だった——九珠は深呼吸をして一歩踏み出すと、無言のまま常秋水の前まで歩いていった。


「剣を抜け」


 常秋水が告げる。初めて会ったときと全く同じ文句だった。


「必要ありません。私のこの身こそが剣ゆえ」


 九珠はあのときと同じ言葉を返した。常秋水の目がすっと細められ、口の端が面白そうに持ち上げられる。


「ならば全力で来い」


 楽しんでいる、九珠は肌でそれを感じた。今の常秋水はさながら狩りに快楽を見出した猛獣だ。


「晩輩簫九珠、請教!」


 九珠は声高に叫ぶと、間髪入れずに常秋水に向かって剣指を突き出した。容赦なく首を狙った一撃は身をよじってかわされたが、九珠は地面を踏みしめてさらに追撃した。合間を縫って繰り出される剣を避け、また向こうの勢いを利用して、全身にたぎる力をこれでもかとぶつける。肌を撫でる殺気と剣気に晒されるうち、九珠はやがて常秋水の一挙手一投足のみが世界の全てであるような錯覚に陥った——相手の息遣い、剣が空を裂く音と気配、のしかかる力。いつしか自己は消えてなくなり、ただ全身をかすめる剣気と全身に張り巡らせた内功のみが全てとなる。


 常秋水の剣が九珠の頬をかすり、九珠の剣指が常秋水の袖を裂き、しかしどの攻撃も相手の体を捉えてはいない。標的を失った剣気は四方に散って壁や地面を抉り、間に合わせの競技場はあっという間に傷だらけになった。


「なんだこの手合わせは! あの簫というのは何者だ?」


「簫九珠といやあ、たしか鄷都関の悪党を蹴散らした奴だろう」


「それにしても、あの太刀筋……」


「間違いない。あれは《《彼女》》の剣だ」


 一歩でも踏み込めば八つ裂きにされそうな迫力に、群衆はすっかり圧倒されていた。常秋水はともかく、たったひとつの小さな功績でしか知られていない若造が、これほどまでの実力を隠し持っていたとは——それもただ筋が良いというだけではない。ある年齢以上の者たちは、九珠の姿を別の人物に重ね合わせずにはいられなかった。


「李玉霞……」


 ぼそりと呟かれた声がふいに九珠の耳に届いた。しかし注意を向ける前に常秋水の剣が九珠を捕らえ、九珠は身を翻して刺突をかわした。

 一瞬の油断があったからか、その一撃はより苛烈に感じられた——が、すぐにそうではないと九珠は悟った。常秋水の繰り出す一手一手が明らかに、過激に、強烈に変化している。


「有象無象の戯言に耳を貸すな」


 苛立ちの滲む声で常秋水が言う。


「今は俺とお前の勝負だ。他に気を散らすな!」


「はい!」


 声を張り上げると同時に二人は距離を取った。常秋水は垂直に構えた剣を剣指でなぞり、九珠は両手に作った剣指をひねって構えを取る。二人は視線が交わった瞬間に飛び出し、腕と剣を交差させた。放たれた剣気が疾風のように飛び交う中、二人はいよいよ急所を狙って一撃を繰り出した。


 そのとき、九珠の足元がふっと軽くなった。何事かと思う間もなく足元から水が襲い来る。

 否、その実、九珠が水に落ちたのだった。あまりに過激な攻防で地面が削られ、一番弱っていた一点を九珠が踏み抜いてしまったのだ。

 突然の無音の世界に九珠は目を白黒させた。反射的に息を止めたものの、すぐに胸に痛みが走って吐血してしまう。黒い紅とともに気泡が一気に立ち上り、九珠はがむしゃらに水面に向かって手を伸ばした——

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