クロムウェル公爵家本邸
その日の正午頃にクロムウェル家の馬車が来た。
急いで準備した荷物を運び入れ、そしてリオンは家族に挨拶をする。
「父上、急ではありましたが、今までありがとうございます!母上も、寒くなってきましたので、お体にお気をつけください。兄上、僕がずっと兄上の補佐をしていくつもりでしたが、もうできませんのでフェルスター家をよろしくお願いします!」
ウキウキしながら挨拶するリオンに、感動の別れを想像していた3人は呆れてリオンをただ見つめた。
「……、辛ければいつでも帰ってくるんだぞ……。」
その呟きは鼻歌を歌っているリオンの耳に届く事なく、リオンは馬車に乗り生家を出て行った。
「クロムウェル公爵家、どんな所かなぁ?公爵家だし、きっと広い乗馬コースもあるよね!敷地も広いから何でもできるっ!そうだ!ちょうど涼しくなってきて野営にも興味あるし、公爵家保有の森で野営させてもらおっと!」
馬車の中、結婚という事などは忘れているリオンは、新たな住まいへの期待を胸にワクワクしながら公爵家へと向かったのだった。
……………………
「こ、ここが……。」
立派な門構えの前に馬車が止まり、リオンを出迎えたグスタフという初老の執事に屋敷へと案内された。
そこはとても立派な歴史ある屋敷であった。
「こちらは本邸になります。後ほどリオン様がお住まいになられる別邸へご案内しますね。まずは旦那様と奥様へのご挨拶をお願いいたします。」
初老であるがピシッと背筋を伸ばした執事のグスタフに連れられて、リオンを屋敷内へ足を踏み入れた。
「ようこそ。我がクロムウェル家へ。突然の事で驚かせてすまないね。」
「急でごめんなさいね。今日から私達は家族よ。どうか……よろしくね。」
通された応接室でグスタフに入れてもらった紅茶を飲んでいると、クロムウェル夫妻が入ってきて挨拶をされた。
「あっ!あの。お初にお目にかかります。リオン・フェルスターと申します。……この格好のままですみません。」
品のある身なりをして自分に挨拶するクロムウェル夫妻を見て、男装のまま挨拶している自分が急に恥ずかしくなり、ついリオンは謝ってしまう。
「いや、謝る必要はないんだ。……むしろ、そっちの方が私達もありがたくてね。」
「……リオンさんがどこまでご存知か分からないのだけれど。あなたの夫となる我が息子のレイは、心に大きな傷を負っているの。あの子はね、女性を見るとパニックを起こしてしまってね……。私は母親だから大丈夫なんだけど。」
「あぁ。だから、できれば君にはそのまま男装して、レイと接して欲しいんだ。時間はかかるかもしれないが、打ち解けるまで女性だとは気付かれないで欲しい。申し訳ないお願いだが……。」
手紙を読んだ時から、なぜ男装のままで良いのか、普通は嫌がられるだろうに、と少し不思議であったリオンだが、むしろ向こうからのお願いとあれば大喜びである。
「分かりました!僕にとっても、ありのままで過ごさせていただけるのはとても嬉しいです。……ただ、結婚はどうなりますか?」
「それは……。君には本当に申し訳ないんだが……。さすがに侯爵家のご令嬢を何の約束もなしにこちらへ住んでもらうのはフェルスター家に悪いのでね。書類上今日から君はレイの婚約者として国にも報告させてもらう。……しかし、結婚はレイと君が打ち解けてからにしよう。リオン嬢、君がもしレイを嫌になるようなら……その時は婚約は解消で構わない。」
「あなたっ!!」
「いや。彼女も未来ある女性だ。」
「っ!………そ、そうね。ただ、もし、リオンさんが……レイを少しでも気に入ってくれたら……。色々問題はあるけれど。それでも私たちはあの子の将来を思うと……あなたにずっと側にいて夫婦で仲良くしてもらえたら、嬉しいわ。」
目に涙を浮かべながら、夫人はリオンの手を取り「お願いね。」と力強く頼んだ。
「は、はい!」
(よく分からないけど、とりあえずまだ結婚生活は始まらないし、とにかく今まで通りに過ごせば良いんだよね。公爵家の当主だしちょっと緊張したけど、なんかすごく下からお願いされちゃってるし……。そんなに例のひきこもり息子、ヤバいやつなの……?)
夫妻と挨拶をして別れ、グスタフに再度案内されて別邸へと歩いている時に、リオンはこれから会う公爵家の息子について考えを巡らせていた。
「あの……。グスタフさん。その、レイっていう方は……一体どういう人なんです……?」
答えを聞くのも怖かったが、いきなり会って万が一失礼な顔でもしてしまったらいけない、と考えたリオンは、あらかじめ覚悟しておこうと勇気を出して尋ねた。
「怖くなりましたか?……大丈夫ですよ。少し髪の毛はボサボサとしているかもしれませんが……、レイ様はご両親に似てとても美しく、お優しい方です。」
グスタフの答えを聞いて少しだけリオンはホッとした。
「……ところで、リオン様はレイ様の事件をご存知ないようですので、最初にお伝えしておきます。……レイ様は丁度10年前、14才の時に、住み込みで新しく雇ったメイドに夜中、……襲われました。ギリギリの所で……異変に気付いた旦那様によって助かりましたが……。それ以来、レイ様は女性が怖くなり外へ出られなくなってしまいました。なのでクロムウェル家にはメイドや女性の使用人は誰1人とおりません。」
「っ!!そんな……。そのメイドは!?」
「すぐに兵に引き渡されて、法の元裁かれましたが……、未遂という事もあり、丁度10年の今年釈放となる予定です。」
「うそっ!じゃあそのメイド、もしかしたらまたここに来るんじゃ……?」
「……さすがに、もう10年ですので。きちんと罪を償って改心していれば良いのですが……。ただ、レイ様に並々ならぬ恋愛感情を持っていたようでして……。その事もあって、旦那様は婚約を急がれたようです。レイ様に婚約者が居れば、まだレイ様におかしな恋愛感情を抱いていても諦めるだろう……と。」
「……。ひどい話ですね。」
「申し訳ございません。巻き込まれたリオン様にとっては不愉快な話でしたね。」
「いえっ!そうじゃなくて。そのメイドです。10年も……人の人生を自分の欲望で狂わせて……。それで釈放されて、さらに恐怖を与えるなんて……。許せないです。」
「……ありがとうございます。きっとレイ様はリオン様にすぐ心を開かれるでしょう。……ところで、先程も言いましたが、クロムウェル家にはメイドはおりません。使用人も信頼できる最低限の人数のため、ご不便をおかけするかもしれません。」
「そんな事なら大丈夫です!僕、料理も作れますし、大抵の事は自分でできます。最近は野営にも興味があって勉強したので、野生動物も捌けますよ。」
フェルスター侯爵家も大きい屋敷ではあったが、贅沢をあまり好まない両親は執事やメイドも最低限しかおらず、できる事は自分でする、というスタイルであった。そのためリオンは普通の貴族令嬢はしないであろう家事も一通り自分でこなしていた。
「それは心強いですね。」
にこりとグスタフが笑う。
(うわぁ。この人、多分若い時めちゃくちゃモテただろうなぁ。)
「別邸では私の息子のクラウスが執事をしております。リオン様より15歳上の37歳ですが、少し執事らしからぬ所もありますので、何か困る事があれば本邸にいる私を呼んでくださいね。あ、別邸はこちらの建物ですよ。」
ついグスタフを見つめてしまっていたリオンは、気が付かない内に別邸へと辿り着いた。