俯瞰詳細人間の苦と幸
自分の体験も、作り込みも入っています。特定の個人を揶揄しているわけではないです。ご理解ください。
池袋駅の改札前。いよいよ最後。
「好きだよ。凛。」
そう言われて別れ、関係を白紙に戻した私たちは、連絡こそ取れれど、会うことがもう四年は叶わない恋人同士。
・・・
であった。
彼と最後に一緒に食べた、僅かに口に残る梅のお菓子の欠片だけが今さっきの出来事を現実と証明するようで、放心のままに私は家に帰ることなく地上に出た。もう15年は過ごしたその街は、夏の夕日の中で異様に眩しかったが、構わず私は歩き出した。
私は自分のサガをわかっているからこそ、これで良いと思った。遠距離なんて絶対にできない。話さなければ齟齬が起き、積もり、離れる。それに…好き、とは、それがよくわからない。幼い頃から両親に奴隷の扱いを受け、命すらも狙われた私には、信頼を築くこと、相手に自分を預けること、その辺りが最難関であった。いつも通り、良い経験をさせてもらった、ありがとう。くらいの感情で終わるかと思いきや、まぁこれが結構辛かった。ギブアンドテイクに近い関係だったし、尊敬はするが恋愛感情としての好意が認められるかと言えば、多分そうでもなかった。しかし何故か悲しかった。全部自分が別れたいと言い出す割に、自分も悲しくなるのは何故なのだろうか。
大抵は、もっと悲しくなることが起こると予想され、それを防ぐために別れを切り出すのだろうが、感情が特に動かなかったのに後になって悲しくなる理由については全く説明できない。どんなに酷いことをされた相手にも、私では合わないわけだから、他の人と是非幸せになって欲しい、と思うわけだが…。
その後、幾月かの時を経て、新たな人と付き合いをし、別れ、の繰り返しであった。信頼を試みては裏切られ、の繰り返しでもあり、いきさつを話せば友達皆に「本当に男運が無いね。」と言われまくる始末であった。
もちろん、自分が押されて断れないのが一番悪いのだが、誕プレはあげたことはあるけど貰わないで別れる、ようなことばっかりだし、短命なのが多い。大抵の場合、価値観やお金の使い方、教養の無さ、心の狭さなどで失望し別れることが多い。綺麗な小説の様に気持ちだけで上手くいくことなどない。(気持ちも、こちらのものはよくわからないし、嘘でも好きと言うことは出来るから相手に言われてもほとんど信用していなかった。)しかし、生まれつきの体の弱さ故に、共に住む人は必要だった。
世帯を持っていなくて、倒れた私を運べるくらいの力があって、一生を私に雇われて過ごせる人。
今考えれば、厳しい条件だった。私の患う症状の理解は何回か言われれば覚えるだろうし、定期的に人を変える手もあった。
公募を出すか迷っていた時、中高大と一緒に過ごした奴と食事会で隣になって、それを冗談混じりで話した。すると彼は至って真剣な顔で、
「それって結婚するんじゃダメなの?」と。
「過去の面倒事知ってるでしょ。もう恋愛は疲れたし、疑心暗鬼で無理だと思う。」
そう言うと、
「結婚って必ずしも恋愛は必要ない。協力の下の共同生活になるだけ。お金も共同管理にはなると思うけどね。」
だそうで。
んなこと言われたって今からマッチングアプリでも始めろと?それに私は力さえあれば女の人で全然良いし、お金が絡むことでしっかりやってもらえる方が良いんだが…とか考えてれば彼は一言。
「俺が立候補する。」
「は?」
「世界一ロマンのないプロポーズだって笑われると思う。でも貴方のことはもう10年は見てる、価値観やお金の使い方、教養レベルでは合うと信じてる。貴方のことを少しはわかると思う。症状もわかる。辛い過去も知ってる。貴方が俺に対して抱いている感情といえば、腐れ縁、でしか無いだろうけど、むしろそれがいい条件なのでは無いか…。俺も、言ったとは思うが、昔のことがあって女性不信ではある。ほとんど知らない様な人と同じ家に暮らすのは正直怖い。しかし親は結婚しろと言う。これなら…利害の一致にはならないだろうか。」
ぽつりぽつりとそこまでを言い、水を口に運び、
「もちろん、嫌なら大丈夫だから。」
と言った。
確かに、同じところで過ごす上では何も不安がない。居心地も悪く無いし、無駄遣いばっかりはしないし、課金癖も借金もない。価値観は志望先も似ていたし、同じ理系だし、いつもの論争では互いを高め合えてると思う。教養はむしろ少し負けてるくらいで、毎度愚痴も聞いてくれて真剣に案を出してくれる。家庭を築く上で、何故か悔しいが、何も不足がなかった。
彼にも親を黙らせるという微々たるメリットはある。
しかし、彼ならまだもっと幸せに生きる道がありそうなのだ。好き同士が結婚する、それは何よりなことなんだから。そんな感じのことを言うと、彼はカバンから、水色のクリアファイルを取り出し手渡した。中には私の好きなキャラクターがデザインされた婚姻届。先を読まれていたのだろうか、と言う考えは印鑑とボールペンの紙への滲み具合で払拭された。
いつから持っていたのか、なんで持っているのか…などと聞くのは野暮なように思われて、黙ってサインをし、食事会を抜けて夏の暑い夜風が吹く中、役所に行き、その日は彼の家に泊まった。そして次の月には同じ家で、何年も前からそうかの様に生活をした。
昔大嫌いだったそっけなさ、好きと言ってもらえない状況が逆に心地よく、この人と一緒に居たいと心から思えた。
恋人になりたいと近づいてくる人は、体だけ目的なんだろう、そう言う気持ちがいつまでも最初から拭えなかった私には、本当に良い環境で、気付けば5年、10年と経ち、若い時より頻繁に外に一緒に行ったりしていた。とても、生きていて楽しかった。
そんな彼に原因不明の腫瘍か腸重積が出来、入院生活が始まった。手術をするか悩んでいた時期に、病院から彼の容体が良くない、と電話を受けた私は、彼なら大丈夫だろうと思い、仕事を終わらせたのちに、いつもの通り見舞いに行こうと思った。道中に緊急の電話を受け、全力で走って行ったものの、もう息は無かった。心臓だけが動いている状態で、左手を握り、「遅くなって、ごめんね。」と言うと僅かに握り返された様な気がして、その後すぐに心臓が停止した。
大粒の涙が白い掛け布団の上に落ちる。
悠に2時間はそうしていただろうか、私は通夜の話などを付け、無理言って安置室に泊まらせてもらうことにした。
私が来ると信頼して待ってて、本当にギリギリまで頑張ってくれていた。
私たちの生活は幕を閉じたが、私は未だこの広くなった家で人を雇って過ごしている。私は嫌なことを背負う方ではない、むしろ切り替えが早い。しかしこの時は、ある時には放心、ある時には後悔、と色々考え込んだ。
明日が彼の一回忌。どんな気持ちで受け入れるのか、それが定まらないまま迎えようとしていた。
そして翌日、彼の遺影の前に座り、まずは感謝を伝える。そしていつもの通り、近況報告。そして、納骨に行く。納骨が終わり、帰ろうとしていると、
「病院からです。」と白い封筒を受け取る。封を開けてみれば、生前の彼の字で宛名が書いてある、今度はチューリップ柄の封筒に包まれた手紙の様なものが入っていた。驚きと懐かしい字に泣きそうになった私は、家にひとまず帰り、それを読んだ。
おそらくちょうど一年前のあの日に書いたのだろう。綺麗だった彼の字が、少し曲がっている。
「ずっと、高校の時から眩しくて、結婚したいとか思ってた。利害に漬け込む形になってしまったけど、俺は貴方が好きだった。幸せにしたかった。こんな早くに、ごめんね。」
…私は、凄く、幸せだった。
でもよく考えてみたら彼の前で、幸せ、と口に出したことは一回もなかった。
そりゃそうだ、言わないと伝わるわけがない。幸せな生活をくれた人、一生そばにいると誓ってくれた人。
祭壇には、今日変えたばっかりの白いカーネーションのそばに、柔らかに微笑んだ彼がいる。
彼と目が合うと、自然と言葉が出てきた。
幸せをたくさんくれてありがとう。喧嘩もしたし、家族としての形態は世に言う理想じゃなかったかもしれないけど、私は世界一幸せだった。貴方のおかげで、初めて幸せだと思ったよ。そんな貴方が、多分、好き、だと思う。遅くなって、ごめんね。
かなり読みにくい文だったかも知れませんが、最後までお読みいただきありがとうございます。特に中腹の疑問に対する答えが何かしら思いついた方はぜひコメントください笑。その他ご指摘、アドバイス、返信は遅くなるかも知れませんが、助かります。