ハンドの力
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うーん、今日は陽が暮れるのが早いな。電気をぽちっと……。
ん、そういや「電気をつける」って妙な言い回しだよな。「明かりをつける」の間違いじゃないのか? でも、電気って口を突いて出ちまうんだよなあ。
――お湯を沸かす、だっておかしいだろ? 水を沸かすといえ?
うーん、お湯を沸かしたら蒸発していくだけだわな。ああ、いやいや「お湯を用意しろ」的なニュアンスなのか? いやはや、それだけ概念が浸透している、というわけだよなあ。
俺たちがそう認識していれば、たとえ字面が違っても、そいつが真実となる。世の中はなんとも奇怪だ。今と昔、住んでいる場所によっても、同じ言葉が違う意味を持ち、その逆だってしかり。
その概念ゆえか、俺も昔に奇妙な体験をしたことがあるんだ。そのときのこと、聞いてみないか?
ハンドパワー、と聞いてぴんと来るか来ないか、世代が分かれるところじゃないか?
その影響か、魔法は手から出るものという考えが、当時の俺たち子供の間じゃ流行っていた。
目から、足から、お尻から。出てくるものなど、邪道邪道。
手だ。人間が進化の過程で得た、万能のマニピュレータ―。あらゆることを可能としうるなら、魔法を生み出すことも無理じゃない。
奇しくも、漫画とかでも手から発射する系の技には事欠かなかったからな。俺たちもいずれは手から魔法を出せるだろうと、本気で信じて、日々研鑽を積んでいたつもりだ。
とはいえ、大半が効果のない技のかけあいだったのだがな。
その中で、俺がひとりだけ、マジもんと思った存在がいる。
同じクラスの保健委員を務める女の子だ。この子の手は普段からめちゃくちゃ冷たくて、雪女なんじゃないかと、口さがない奴は話していたっけな。
俺は家族の女性陣が、そろって手足が冷たいから、そこまで違和感を覚えない。「手足が冷えているなら、その分、心が温かいのよ」と小さいころから教え込まれたから、悪い印象だってない。
だが、体育の授業でケガをしたとき、彼女に連れ立ってもらうことがあって、悟ったんだ。
足の捻挫だ。ジャンプして着地したとき、小指側にのめるようにして体重がかかり、奇妙なしびれが足全体を走った。
当初は不思議と、脳からの命令がはっきり伝わらず、立てないだけだった。それが遅れて、熱をともなう痛みになって、患部に集まってくる。
動けない俺に肩を貸すため、彼女が飛んできた。当時は女子のほうが先に成長期が来ている頃合い。俺よりも彼女のほうが、背が高かった。
普通、肩を貸すなら俺の脇の下から背中へ、腕を回し、肩を差しいれていくものだろう。
その前に、彼女は明らかに俺のねんざ部分へ、空いている手をかざしたんだ。直接触れず、数センチの空間がそこにあり、必要のないしぐさに思える。
だがこの瞬間、俺の足から熱と痛みがいっぺんに引いた。かといって、足を動かしやすくなるわけでもなく、むしろそのこわばり具合を増した気がする。
俺が目を丸くしたのは、その足の様子ばかりじゃない。その視線を遮るように、彼女の顔が唐突に横入りしてきた。
そのまなざし、明らかにものを観察するかのようで、冷静さをたたえている。
「行こっ」
数秒ほどあと、小さく声をかけて彼女はひょいと、肩を貸す俺を持ち上げる。
保健室までいくらか距離がある。俺は捻挫した足を軽く浮かせながら、残る片足をついていくも、渡り廊下の途中。ひと気のないタイミングで、彼女にあらためて声をかけられる。
「ね……足、冷たい?」
いま、彼女の手は俺から離れている。
にも関わらず、マヒした痛覚はそのままに、寒さもまた足にうずくまっていた。むしろ、上履きも靴下もあるのに、足そのものを氷水の中へ浸されたかのような冷えきりが続いている。
そのことを素直に告げると、彼女はまたあの観察するまなざしで、俺を見つめてくる。
よく聞いて、と前置きをして、彼女は付け足した。
「これから3時間おき、患部の色が変わり続けることがあったら、明日また私に声をかけて」
奇妙な話だったが、彼女の言うとおりになった。
保健室の先生に手当てしてもらったときは赤、家に帰って確かめたときは青紫と、ここまでは腫れや青タンで、説明がつきそうな色合い。
それが風呂に入る段には緑色になり、寝るときには俺の肌よりなお濃い、黄色に変じていた。
この七変化を見ては、黙っているわけにはいかない。
彼女へ話をすると、放課後に体育館裏へ来るようにいわれた。事情が事情だけに、甘い想像はできそうにない。
ひと気のないそこへ行くや、靴と靴下を脱ぐように言われて、その通りにする。
このとき、俺はまったく痛みを感じていない。学校生活に至るまでも同じで、実は重傷じゃなかったんじゃないかと思うほど。
だが、朝からこの瞬間までご無沙汰していた足の様子を見ては、そうもいかない。
そこにあったのは、いま足の裏をつけている体育館出口のコンクリート、そっくりの白。
彼女がひょいと足を持ち上げると、その先にある壁や土、背後の風景へと色がそっくりなものに変じていく。
カメレオンかなにかのように、俺の足は擬態をしているのか。いや、違う。
完全に透き通っていたんだ。
「入り込んでいる」
彼女がつぶやくのと、その手刀となった右手のそろえた指先が、患部に突き立てられるのはほぼ同時だった。
見るからに、彼女の指は数ミリほど俺の肉に差し込まれて、真新しい血痕がコンクリートに散っていく。
なのに痛みは、まったくない。冷たさだけだ。
足先はもう凍りそうで、身体全体が震えにつかれそうだった。その中、彼女は淡々と指先でほじくるのをやめない。
ふと、彼女の腕が一瞬消えたかのように思った。
その虚空を、指先から虚空へ駆け上がる一本の綱のようなものがある。
俺がこれまで見てきた色たちに、何度も瞬きながらうねり上がるそれが、肩の奥へ引っ込むや、彼女の腕が元に戻っていく。
ふう、と肩で息をした彼女が指を抜くと、昨日もしたように俺の足へしばし手をかざす。
俺の肌はもう完全に元通りになっていたよ。例のひねった患部の腫れや色も、そして出血の出どころと思しき傷もない。
ただ、彼女が直後に取り出したポケットティッシュでぬぐった血液は、暖かい日だというのに、すっかり凍り付いていて、音を立てながらも跡を残すことなく紙の中へおさまっていく。
ケガをすると、このごろこの手のものが身体に入り込んでしまうらしい。
そいつらは生き物から、「熱」を奪う。それでいて目立った体調の不良は見せず、色のみで兆しを見せていく。そうして知らぬ間に、生き物の身体を作り変えてしまうのだとか。
早い話、人間でありながら人間でないものになってしまうと。
「お前は、どうなんだ。どうしてこんなことができるんだ」
その問いに、彼女は何も答えずに、ただ人差し指を口にあててぽつりといった。
「ハンドパワーだよ」と。
つまり、本来は違うことを、そういうことにしておきたかったんだろう。