番外編 第3話 ミトスの本心
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自室の扉を開き室内に入室すると、懐かしい香りがした。
わたくしの好みの小花柄があしらってあるカウチや、濃いブラウン色の木製のローテーブルが置かれていて、婚前と殆ど変わらない自室の様子に安堵感を覚えて自然と小さな息が漏れた。
「ただいま戻りました」
室内には誰もいないので返答があるわけではないのだけれど、それでもそう言わないと気が収まらないような気がして無意識に声を出していた。
部屋の窓際に置かれたレースの天蓋付きの寝台の上に腰掛ると、実家に戻って来たという実感が湧く。
何しろ、わたくしは実家では体調を崩しがちで、普段から寝台で過ごすことが多かったからだ。ただ、少しでも体調が良い時には、王宮へと赴き王妃教育を受けてはいたのだけれど。
それから不作法だと思いつつ、デイドレスのまま寝台に横になって目を閉じてみた。すると次第に、実家での様々な記憶が脳裏に浮かんでくる。
この家はお父様を中心に動いていて、お父様の発言に異を唱えることができない女主人のお母様、加えて家令のジャックがお父様に従うことで回っていたわ。
わたくしは身体が弱い上に、お父様に対して自分の意見を述べることはおろか、出かける予定等、何一つ自分の意思で自由に決めることができなかった。
だからなのか、侍女や使用人たちから「虚弱体質の上、自ら動くことができない操り人形のようだ」と陰で囁かれていたのだ。
前回の生の際、王宮では「お飾り王妃」と周囲から囁かれていたけれど、思えばわたくしは幼い頃から周囲からの悪い噂に傷つき振り回されて来たのだわ。
今まで人に対して自分の意思を伝えることができなかったのは、全てわたくしが虚弱体質で社会に出る機会が少なかったことが原因なのかと思っていたのだけれど、二度目の人生を生きる今となっては果たして原因はそれだけだったのだろうかとも思う。
今生では、陛下をはじめ様々な人たちと親交を持つことができているけれど、それは「もう失うものは何も無い」と悟り、受け身や保身に走らなくなり自分の足で歩き出したからこそ、周囲の人たちとの関係を変えることができたのではないのかしら。
加えて牢獄での過酷な暮らしの経験から、美味しい食事を摂ることや綺麗なドレスを着ることができることは、当然のことではないと知ることができたことも大きいのかもしれない。
そう思案をしていると、気が引き締まるように感じて自然と寝台に横になっている身を起こした。
コンコン
すると、ちょうど扉からノックの音が響いたので移動し、椅子に腰掛けてから入室するように声を掛けた。
「失礼します」
透き通った低い声でそう言ってから入室し、短いブロンドの青年が瑠璃色の瞳でわたくしを真っ直ぐに見た。──弟のミトスだった。
「ミトス、お久しぶりですね」
「お姉様、ご無沙汰をしております……!」
ミトスに対して向かいの席に腰掛けるように促すと、ミトスは少し間を置いて遠慮がちに腰掛けた。
結婚してからは初めて会うのだし、そもそもそれ以前もミトスは寄宿舎生活をしていて会う機会は殆ど長期の休みであり限られていたので、このように面と向かって話すこと自体が稀有なことなのだ。
……なので、話題を切り出すタイミングや間合いがいまいち掴めないけれど、ここで躊躇していては殆ど会話を交えずに時間が過ぎ去ってしまう可能性が高いわ。
「……後ほど貴方の部屋を訪ねようと思っていたので、丁度良かったです。……寄宿舎生活は如何でしょうか。ミトスは現在十五歳なので、アカデミーに入学してから早いもので二年以上が経ったのですね」
アカデミーは幼稚舎から大学までの幅広い年齢層を受け入れているのだけれど、ミトスは適齢年齢を迎えるまでは実家で家庭教師から教育を受けていた。
とはいえ、嫡男のミトスを早々に親元から離したくはなかったらしく、一般的に多くの生徒にがそうするように、ミトスが十三歳になると学友との交流を持ち後々の社交活動に有利になるようにと、お父様の判断で王都立アカデミーに入学することとなったのだ。
「はい。お陰様で順風満帆な毎日を過ごすことができています。ただ、最初の頃は全て予定が決まっていたり、厳格な決まりごとがある寄宿舎生活に慣れるのに苦労をしましたが」
「左様でしたか。それはどのようなものなのですか?」
「色々とありますが、やはり起床時間が必ず朝の五時で、消灯時間が二十時というところでしょうか」
「中々に早いのですね」
「はい。屋敷に住んでいた時は、朝は七時に起床し、夜は二十一時頃に就寝していましたから」
そう言ってミトスは苦笑し、わたくしの方に視線を移した。
「お姉様は如何でしょうか。婚儀から三ヶ月程経過しましたが、王宮での普段の様子はどのようなものなのですか?」
「そうですね。起床時間は屋敷にいた頃と左程変わりませんが、最近では晩餐の後に陛下と共にティーサロンでお茶を嗜んでから就寝することが多いですね」
「そうなのですね……」
「はい」
何故かミトスは、驚いたような表情をして身を固くしたようだった。
そうだわ、ティーサロンといえばミトスにお茶も出していなかったわね。
侍女を呼び出しても良いのだけれど、確か室内にはポットやティーカップが常備されていたし、茶葉や茶菓子も持ち込んだ物があるので自分で用意をしようかしら。
そう思って立ち上がり、壁際に置かれたサイドテーブルの上で二つのティーカップにお茶を淹れトレイの上に載せて慎重に運んだ。
「ありがとうございます」
「貴方の口に合えば良いのだけれど」
ローテーブルにクッキーやフィナンシェ等のお茶菓子を置いてから再びカウチに腰掛けた。
ミトスはやや畏まった様子でティーカップを手に持ち口に運ぶ。
「とても美味しいです、お姉様」
「お口に合ったようで安心しました。この茶葉は王宮から持って来た物なのですよ」
「────! ゲホゲホッ」
ミトスは途端に身体をビクリと反らせて、ティーカップをテーブルに置いた。胸元を小さく指腹で叩いているので、もしかしてお茶が気管に入り込んでしまったのかしら……!
「大丈夫ですか?」
「は、はい。お気遣いをいただき、ありがとうございます」
そう言いつつ、咳き込んでいるので心配だわ。
けれど、青年となったミトスの背中を不意にさするのも憚られるのだけれど、今はそのようなことは言っていられないと思い、ともかく席を立って背中をさすった。
するとしばらく間をおいて、ミトスは大きく息を吐き出す。
「もう大丈夫です」
「良かった、安心しました」
ほっと胸を撫で下ろし、自席へと戻った。
「……このお茶は、普段から陛下もお飲みになられているのですか?」
「ええ、その通りです」
「そうなのですね……」
少しの間ティーカップをしげしげと眺めてから、ミトスはわたくしの瞳を真っ直ぐ見つめた。
「……改めて、お姉様は王室に嫁がれたのだなと実感しました」
少し寂しそうに目を伏せたミトスに対して何と声を掛けてよいかを巡らせていると、ミトスは顔を上げてわたくしの方に視線を移した。
「姉上はお変わりになられたようですね。それもとても良い方向に。……綺麗になられましたし、生き生きとしているように見えます」
そのようなことはないと言おうかと思ったけれど、折角ミトスが言ってくれた言葉を否定したくはなかった。
「……そう言っていただけると、とても嬉しく思います」
それにしても、先ほどのミトスの言葉は以前何処かで聞いたことがあるような気がするわ。何処でだったかしら。
そう思案すると、すぐさまある言葉が脳裏に浮かんだ。
『……妃殿下は以前よりもお綺麗になられたと思います。それに、何だか生き生きとされていらっしゃいます』
……そうだわ。あの言葉はミトスの婚約者のモニカ嬢のものだったわね。
「……やはり婚約者だからでしょうか。モニカ嬢と同じことを仰るのですね」
「……モニカ嬢ですか?」
今ここでモニカ嬢の名前が出たことが意外に思ったらしく、ミトスは大きく目を見開いている。
「はい。先日、王宮で開催したわたくし主催のお茶会にモニカ嬢も参加をしていただいたのですよ」
「その件なら、モニカ嬢から手紙で聞いています。そうそう、お姉様がとても良くしてくださったと書いてありました」
そう言って目を輝かせるミトスに、頬が熱くなりどう返答したらよいか考えあぐねている。
けれどせっかくモニカ嬢が好印象を抱いてくれたのに、言葉を詰まらせているわけにはいかないわね。
「左様でしたか。そのように受け取っていただけて、とても嬉しいです」
そう言った瞬間、モニカ嬢の少しだけ憂いを帯びた瞳が脳裏に過った。
「失礼を承知の上で質問があるのですが」
「はい、どのようなことでしょうか」
「……お姉様は陛下との関係がとても良好のようですが、何か秘訣のようなものがあるのでしょうか」
「……秘訣ですか?」
「はい」
ミトスの言葉の真意を図りかねているけれど、視線を移してみるとミトスの瞳から真剣さが滲み出るほど伝わってきたので、決して口を濁したり誤魔化すことをしてはいけないと思った。
「……秘訣なのかは計りかねますが……」
そっと瞳を閉じると、時が巻き戻った直後に陛下と再会した時のことが浮かび上がる。
思えばあの時に「失うものは何もない」と悟ったので、人から自分がどう思われ評価をされるるのかを気にするのではなく、自分自身がどのように思っているかを何よりも大切にするようにと意識を変えたのだわ。
その過程があったからこそ、わたくしの生きる上での判断基準は、それまでとは異なったものになったのかもしれない。
「……そうですね。大切なのは自分自身が今どう感じて何がしたいのか、その声に注意深く耳を傾けることではないでしょうか」
「自分自身の声……」
「はい。……王妃に即位してからは自分自身の力不足もあり、上手く立ち回れることばかりではありませんでした。ですが、それでも他人からの評価を気にするのではなく、自分自身が納得したのか、そしてそれが周囲の人々を幸せにすることができたのか、常に自分自身の評価と周囲を照らし合せてきました」
ミトスは目を見開き口をキュッと結んだ。
しばらくは無言で何かを考えていたようだけれど、やがて納得したように小さく頷いて真っ直ぐにわたくしの目を見た。
「分かりました。お姉様のお言葉は深みがあって心に響きました。……僕自身、お父様には未だに逆らえませんし、完璧な淑女として名を馳せている婚約者と釣り合いが取れているのかと悩むこともあります。ですが、今の言葉を聞いて自分自身の胸に何かつっかえていたものが消えていくように感じました」
そう言ったミトスはとても穏やかな表情をしている。
「そうですか。そうであれば良かったです」
それにしてもミトスがそのように感じていたことは知らなかった。
そもそも会話自体を久しぶりにしたのだから当然といえばそうなのだけれど、……ミトスの心内を知ることができて本当に良かったわ。
「僕も少しずつ、自分自身の声に耳を傾けて歩いていきたいと思います」
「ええ、きっと貴方なら大丈夫ですよ」
わたくしがそう言うと、ミトスは気持ちの良い笑顔を見せてくれた。その笑顔を見ていたら、このバレ公爵家の未来はきっと大丈夫だろうと心から思った。
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