第85話 暗躍者たちの行く末
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大陸会議が終わり、ドーカル王国の国王トーマから国書が届いた日の翌日。
朝の身支度のために今日のデイドレスを淡い桃色のスカートの裾が大きく膨らんでいるのが特徴的なドレスに決めていると、不意にわたくしの傍にルイーズが真剣な表情で近づいて来た。
「妃殿下、お話をさせていただきたいことがあります」
「はい、どのような話でしょうか」
普段なら、わたくしの身支度には必ず二名以上の侍女がつくのだけれど、今朝は先程まで身支度を手伝っていた侍女のマリアが急に侍女頭のティアに呼び出されたので、現在室内にはわたくしとルイーズの二人だけがいるのだった。
「あまり時間がありませんので、手短に用件をお伝え致します」
ルイーズは綺麗な立ち姿勢で、大きく深呼吸をしてから言葉を紡いだ。
「妃殿下、わたくしはこれまで妃殿下に対して不義を働いて参りました」
その言葉を中々理解することができなかったけれど、ルイーズの真剣な眼差しを受けて、小さく息を吐き出してから目を瞑り思い返してみた。
まず、初夜の儀の際の湯浴みに付いていた侍女がルイーズだったこと。
わたくしの室内で不穏な気配を感じる前に廊下でぶつかったのがルイーズだったこと。
加えて、魔術師長就任式の祝辞の白紙になった例の原稿から、ルイーズの痕跡が見つかったことが思い当たった。
また、先日の中庭での『後日に改めてお礼に参りますので』と言う言葉は、ルイーズが何かに関わっているのだろうと暗に確信させるものだった。
けれど、ルイーズから直接話を聞くまでは追求しないと決めていたのだ。
──そう、それが今まさにこの瞬間なのね……。
「この言葉をお伝えすること自体が、白々しく感じられるかと思いますが、誠実な妃殿下に対して謝罪の言葉を伝えずに去るのは、わたくしの心が許しませんでした。……これまで妃殿下に対して大変な不義を働いてしまい、申し訳ございませんでした」
綺麗な姿勢で直角に近い形で辞儀をし、間を置いてから姿勢を戻した。
「妃殿下、こちらをどうぞお受け取りくださいませ」
かける言葉が見つからないでいるわたくしに対して、ルイーズは手のひら程の大きさの箱をわたくしに手渡した。
「……こちらは、どのような物でしょうか」
「そちらは、貴族派たちの密会の様子を記録した魔宝録です」
「────!」
ルイーズの言葉を一瞬理解することができなかったけれど、言葉の意味を飲み込むと途端に背筋が凍りついた。
「音声だけでは無く、王宮魔術師長様の逆行魔術と魔宝鏡を使用していただければ、映像も映し出すことが可能かと思います」
……確か音声やその場の様子を記録する専用の魔石は、専用の魔宝具を使用することでその記録を見ることができるのだけれど、この魔石はどのような経緯で貴族派の密会の様子を記録したのかしら……。
いいえ、その点も気になるけれど、今は一時的に離れているマリアがいつ戻って来るのかも分からないのだし、最も重要なことだと思うことを訊くべきだわ……!
「……ルイーズ。どうして貴女はこれまでわたくしの周囲で暗躍していたのですか? それから、今になってそれを打ち明けるのは何故でしょうか」
ルイーズは唇をキュッと結ぶと俯き、再び顔を上げて意を決したような表情をした。
「……それは、わたくしの実家の男爵家がビュッフェ侯爵家に多額の借金をしておりまして、理不尽な命令に対して逆らうことができなかったからです」
「……何てこと……」
ルイーズは顔色や表情ひとつ変えず淡々と言っているけれど、それが事実だとしたら大変なことだわ……。
ルイーズには何の落ち度も無いのに、愚かな計画の実行犯にされてしまうなんて……。考えれば考えるほど悔しくて喉元が熱くなってくる。
「そのことに関しては、妃殿下はお気になさらないでください。これはわたくしの家の問題なのですから」
「……何故今そのような大事なことを、打ち明けてくれたのですか?」
訊かずにはいられなかった。
「これまでの妃殿下の立ち振る舞いに、心を打たれたからです」
「……立ち振る舞いですか?」
「はい。……これまで妃殿下は様々な困難や壁に遭遇されましたが、そのどれからも決してお逃げにならずに立ち向かい続けてこられました」
ルイーズの瞳から一筋の涙が溢れた。
「加えて、弱い立場の者にも決して権力を振るって理不尽を強いることもなく、反対に尽くしてくださっております。そのようなお方を傷付けるようなことはこれ以上できませんし、自分の犯した罪を償いたいのです」
「ルイーズ……」
「ですから妃殿下。わたくしに対して決して情けは無用です。この魔石は有効に利用していただきたいのです」
そう言って少しだけ眉をひそめて微笑んだルイーズを見ていると、今すぐにルイーズのために働きかけたくなる衝動に駆られた。
けれど、それを行ってしまったらルイーズの覚悟を無下にしてしまうかもしれないわ。
「分かりました。必ずこの魔石は有効に使用させていただきます」
「ありがとうございます、妃殿下……!」
再び涙を流したルイーズの顔を瞼の裏に焼き付けながら、わたくしは必ずルイーズの覚悟を無駄にしないことを心に誓った。
◇◇
それからわたくしは、早急に魔宝録をアルベルト陛下に手渡した。それはバルケリー卿の逆行魔術により魔宝鏡に映像や音声が再現されたので、貴族派の密会の様子を確認することができたのだった。
その映像は、今まで現状は把握していたけれど、確たる証拠が無く燻っていた貴族派に対して罪の追求を行うことができる契機となった。
そしてその魔宝録の映像証拠を元に、証拠を更に固めた代官たちにより罪状が作成され、遂に偽物の魔石を混入させて国家を混乱に陥れた罪で貴族派のビュッフェ侯爵やガード伯爵、そして丞相のエトムント侯爵らの貴族を捕縛するに至った。
彼らは皆、身の潔白を訴えたけれど、証拠は揃っていたし、代官や我が国の政務官らの働きによって足取りが消されていた偽魔石の流入経路も判明し、それらの企てを彼らが行ったとロナ王国の魔術師たちが証言をしてくれたので、彼らは言い逃れができず粛々と王室裁判にかけられ裁かれることとなった。
今回の件は、国家を揺るがす程の大事件だったけれど、皆極刑は言い渡されず、実刑や禁固刑となった。
というのも、裁判が行われる前に彼らの爵位は剥奪されてしまったので、充分に社会的な制裁を受けていると判断をされてのことらしい。
加えて、陛下とわたくしによって事前に偽魔石に対抗する措置を取ることができ、前回の生の際よりも損害は多くはなく、結果的に偽魔石事件で裁かれるはずの者たちの罪を軽くしたと考えられるのだけれど、それはわたくしの立場上例えそう思っていても言葉にはしなかった。
そしてルイーズは、わたくしに対してカーラの指示の下に薬を盛った罪が問われたけれど、わたくし自身がそのことを咎めず告訴を取り下げるように働きかけたので、ルイーズは直に釈放となった。
ルイーズは、わたくしにくれぐれもよろしく伝えて欲しいと刑務官に伝言を残して、故郷へと帰っていったそうだ。
ちなみに、白湯の件の際は、カーラから手渡された鏡型の魔宝具で隠蔽魔術を使用してから白湯に魔術薬を混入させたとのことだった。
誰にも束縛されることなく、これからはルイーズ自身の人生を歩んでいけますようにと、わたくしは手のひらを胸に当てて祈った。
◇◇
そして十一月の半ば。
わたくしは留置所の面会室へと訪れていた。それは収監されているある女性──カーラと面会をするためだった。
「お久しぶりですね、カーラ」
魔宝ガラス越しに見る囚人服姿のカーラは少しだけやつれて見えたけれど、その瞳の奥は力強く、生きる力を失っていないように感じられた。
「何の御用ですか。ここは貴方が来るようなところではありませんことよ」
思わず「そんなことはない、過去にわたくしも同じように収監されていたことがある」と返しそうになったけれど、すんでのところで堪えた。
「……今日は、貴女の意志を確認する為に来ました」
「……意志ですか?」
「はい。カーラ、貴女はわたくしに対して魔術薬を盛ったこと、加えて魔術師長就任式の際に祝辞の紙を白紙にする魔術を使用した罪に問われています。ですがわたくしは既にそのことに関して遺恨は抱いておりません。よってルイーズと同様に貴女の告訴を取り下げるようこれから働きかけるつもりです」
瞬間、カーラは目を大きく見開いた。
ただ、私情による情けを掛けてこのような提案をしているのではなく、あくまで自分の感情は抜きにして考えた結果、ルイーズと同様の対応をカーラにもするべきだと考えたのだ。
「結構です。貴方からの情けをいただいて自由の身になったとしても、その人生は生きる屍のようなもの。何の意味もありません」
「三十五番、言動に気をつけなさい!」
カーラの物言いに室内に控えている刑務官が声を荒げたけれど、わたくしはすぐさま手を翳して首をゆっくり横に振って刑務官を諌めた。
「貴女の意志は分かりました。本当に良いのですね?」
「ええ、構いません。用件はそれだけでしょうか。でしたらもうお引き取り願いたいのですが」
カーラは視線を逸らしながらそう言った。
恐らく、もうこれ以上ここにいても良い結果には結びつかない、そう悟って頷き立ち上がった。そして扉の方へと歩みを進めると、ポツリと呟いた声が聞こえた。
「……わたくしは、貴女のことが嫌いでした」
思わず振り返ると、先程までの強ばらせていた表情とは違い、少しだけ目に哀愁のようなものを浮かべ苦笑とも取れる笑みを浮かべたカーラがいた。
「……何しろ、わたくしのお慕いしているアルベルト様の伴侶となられる方なのに……貴方はこの国の闇を知らない。そのようでは、あの方を闇から守ることなど到底できませんから。……ですが」
カーラはスッと立ち上がり、徐々に揚々とした表情になっていく。
「今の貴女なら、わたくしのお慕いする方を任せられると純粋にそう思います」
「カーラ……」
そしてカーラは、まるでスカートを履いているかのように両手で裾をたくしあげる動作をしながら辞儀をした。
「ご機嫌様、王妃様。……貴方様の生き様をこれから市井で見守っています」
わたくしは思わず両手で口を覆って必死に嗚咽を抑えた。目の奥が熱くて涙が溢れそうになったけれど、懸命に堪える。
「……ええ。貴女に対して決して恥じるところがなきように懸命に生きていきたいと思います」
わたくしがそう言い切ると、カーラは優しげな眼差しを向けて再び一礼した。
──終わったのだわ、何もかも。あの悪夢のような未来はきっともう来ないのだわ……!
そう思うと、目前に修道服姿のわたくしがスッと現れて、微笑んだ後に消えて行った。
わたくしはその方向に一礼すると、強い足取りで留置所を後にしたのだった。
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