第7話 婚礼の儀
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視界の先には真っ赤な絨毯が敷かれ、控えめに目線を上げてみると、聖母が描かれた見事なステンドグラスが目に入った。
ああ、やはりこの光景にも見覚えがある。完膚なきまでに同じだわ。そして、絨毯の先には……。
ドレスの裾を踏みつけて、転ぶなどという失態を両脇の席に座り傍観している各国からの主賓や我が国の貴族に見せることなどなきよう、白の薔薇のブーケを手に持ち、ゆっくりと一歩一歩を確実に踏み締めた。
その際、わたくしのベールの裾を、介添人がしっかりと握り歩みを合わせてくれている。
加えて、前方を向き表情を崩さないように心がけながら、胸の鼓動の高鳴りを何とか抑えた。
そして、主祭壇の真下まで歩み進めるとゆっくり立ち止まり、すでに背筋を正しお立ちのアルベルト陛下に対し、自然な間をとって並んだ。
正直なところ、以前と違って幸福感など全くなく、なぜ、陛下と婚儀など行わなければならないのかというドス黒い感情が沸き立ってくる。
けれど、表情に出したら婚儀が台無しになり、たとえ今が死後の世界なのか現実なのか判断がつかない状況とはいえ、軽はずみな行動をすることはできない、それは直感で悟った。
「我がラン王国国王、アルベルト・エメ=フランツ陛下。貴方様は今、バレ公爵家のご令嬢であられるセリス・バレ様を妻とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。汝、健やかなるときも病めるときも喜びの時も悲しみのときも、これを愛し敬い共に助け合いその命ある限り、真心を尽くすと誓いますか」
「はい、誓います」
アルベルト陛下のその低く響き渡る声は、戸惑うところは一切なく、神聖な礼拝堂中にまるで真冬の朝のような洗練さを連想させた。
けれど、わたくしの心の靄は深く、例え透明で清廉な声でも晴らせそうにない。
──嘘つき。あなたはわたくしを見限り、別の女性を選んだくせに……!
「バレ公爵家のご令嬢であられるセリス・バレ様。貴方様は今、我がラン王国国王、アルベルト・エメ=フランツ陛下を夫とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。汝、……真心を尽くすと誓いますか」
心臓が跳ねた。嘘を言いたくはない。
……けれど、本心を口に出すには、今現在自分の置かれている状況が非常に不利なことは否めず、それは憚られた。
「……誓います」
これまでは、張り詰めたような面持ちで誓約の言葉を読み上げていた神父様の表情が少し和らぎ、主祭壇の上からリングピローを取り出した。
「それでは、両者指輪の交換をお願いいたします」
スッと、陛下がわたくしの方を向いたので、わたくしも自然に陛下の方を向くと、鼓動が再び高鳴っていく。
先ほどお会いしたばかりなのに、恐らく、陛下がわたくしの目の前にいるということ自体が稀有なことなので慣れないから、このように身体に現れるのでしょうね。
ゆっくり自身の左手の甲を差し出すと、陛下がその手を伸ばして、受け取っていた結婚指輪を左手の薬指に嵌めた。
ああ、嵌められてしまった……。
この結婚指輪は、控えめに細かな装飾が施されており、以前のわたくしはとてもこの指輪が好きだった。
……なので、この指輪を嵌めてこんなにも心に暗雲が立ち込めることがあるとは、思いもよらなかった。
ともかく、この流れを断ち切るわけにもいかないので、わたくしも結婚指輪を受け取ると、すでに差し出されている陛下の大きな左手に両手で触れて、ゆっくりと薬指に嵌めていく。
嵌め終わったあとに何気なく顔を上げてみると、この礼拝堂で顔を合わせてから初めて陛下と視線が合った。
その目は普段通り無表情だと思いすぐに目を逸らそうとしたけれど、少しだけ和らいで見えたので、思わず目が離せなくなった。
「それでは、新郎様には新婦様のベールを上げていただきますようお願い申し上げます」
その言葉を合図に陛下が近づき、わたくしは反射的に膝を少し折り曲げて、ベールアップを行いやすいように姿勢を低めた。
ただ、陛下は長身な方だし、わたくしは元々背丈が低い方なのであまり屈み過ぎないように注意を払う。
陛下は両手でベールの裾を持ち、それをわたくしの額まで上げた。
視界がクリアになり、より陛下の表情を読み取ることができるようになったけれど、すでに普段通りの無表情に戻られていて眼光は鋭く、思わずぞくりと背中に冷たいものが過った。
……ああ、先ほどの柔らかい表情はきっと見誤りだったのだ。
「それでは、誓いのキスを」
冷や汗が止まらなかった。
けれど確か以前は手の甲に口付けるのみだったから、今日もきっとそうね。これが終われば、もうすぐ式自体も終わるわ。
内心、式が終わったあとのことを考えながら右手を差し出していると、不意に陛下の顔が近づいてきてその唇がわたくしの額に優しく触れた。
瞬間、今まで静かに見守っていた来賓や貴族から感嘆の声が漏れる。
なぜ、……今までほとんどわたくしに進んで触れようともしなかった陛下が、公衆の面前でこのようなことをされたのだろう。
──何よりも、どうして前回と陛下の行動が変わってしまったのか。
混乱しているわたくしに気づいているのかは分からないけれど、陛下はそっとわたくしから離れると口角を上げた。
つまり、微かだけど笑んだのだ。
わたくしは、その衝撃を受け止めるだけで精一杯で、何より背筋も凍りついたけれど、何とか微笑み返した。
けれど、きっとその顔は引きつっていたと思う。
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